第32話「廃屋捜索」



 武家屋敷の中は、無残の一言であった。

 長い間放置されていたのだろう、骨の突き出た襖や雑草が生えている畳、乾いた泥だらけの廊下を懐中電灯で照らしながら歩く。

 電気やガスは通っていないらしい。

 カラーボックスなどの家具もほとんどそのままで、台所の洗い場には茶碗が放置されていたりもする。

 とはいえ、マリー・セレスト号のように住人が突然消えたというわけではなく、買い物に出掛けたまま帰ってこなかった的な普通さだ。

 だから、土足で歩き回るのは気が引けた。


「さてと……」


 スマホで〈うわん〉という妖怪の知識は得ていた。

 大雑把に意訳すると、「廃墟のそばを通りかかる人に対して、『うわん』と大声で叫んで驚かす」の妖怪だ。

 御子内さんからの受け売りでしかないけど、妖怪というのは単一の機能のために存在しているものが多い。

 例えば、以前の〈ぬりかべ〉のように道行く人を進ませないという性質が、そのまま妖怪としての特性になっているパターンだ。

 だから、〈うわん〉のように人を驚かせるだけの妖怪がいてもおかしくはない。

 ただ、問題なのは、さっきの会話にあったように〈うわん〉がだ。

 鬼の象徴でもある三本指を持つことによって、〈うわん〉はただの妖怪ではなくなっているのではないだろうか。

 そして、鬼というのは人の負の感情が実体化したもの。

 そこが鍵だと僕は感じた。

 さっき鬼よりも強いらしいレイさんにほとんどイジメに近いやられ方をしていた〈うわん〉のことを思い出すと、とても凶悪な存在とは考えられない。

 何か、あの〈うわん〉には秘密がある。


「完全に廃屋なのか……」


 古い日本家屋には、採光するための窓などはほとんどない。

 ここも例外ではなかった。

 だから、薄暗い中を転ばないように、板張りや畳の上を歩いた。

 床の間には何も飾っていなかった。

 おそらく、元の所有者がいなくなったときにそれなりに値段がありそうなものだけは回収されてしまったのだろう。

 他はかなり適当に放置されていた。

 現在の管理は地元の行政―――市役所の役人とかだろうか―――という話だから、わざわざやってきて掃除をしたりはしないだろうし。

 大量の蜘蛛の巣を破りながら、全体的に見て回ってもたいした収穫は得られなかった。

 

「……見込み違いだったかな」


 そうなると、とっとと御子内さんのところに戻らないとならない。

 なんといっても僕は彼女の助手なのだから。


「うわっ!」


 思わず叫んでしまった。

 なんと、破れた襖の向こうから僕を覗き見ているものがいたからだ。

 禿頭と涙袋の大きな目、鋭い牙にお歯黒を塗った怪異―――〈うわん〉だった。

しかも、〈うわん〉は僕を観察し続けているというのに、一向に近寄る気配をみせず、ただその場に立ちすくんでいるだけであった。

 何がしたいのかはわからないが、ああいうでかい妖怪に様子を探られているというのは不気味なことこの上ない。

 だが、僕をを襲おうとしているのではないことだけは理解できた。

 そもそも〈うわん〉は人を狙う妖怪ではなさそうだし。

 八咫烏が退治依頼を持ってくること自体がおかしいのかもしれない。

 ……まって、退治依頼?

 御子内さんたち退魔巫女は、プロモーター係の八咫烏が仕入れてくる依頼に従って行動するのが常だ。

 であるのならば、あの〈うわん〉の退治を依頼したものがいるはず。

 ……やはり何か引っかかるなあ。


「ちょっと待っててね。僕の調べ物はもう少しで終わるからね」


〈うわん〉に話しかけた。

 この廃屋の住人である〈うわん〉からしてみたら、僕は完全な不法侵入者だ。

 そういえばレイさんだって勝手にここの敷地内に侵入していたようだし、〈うわん〉に驚かされても文句を言えた義理ではない。

 逆に凹るなんてありえない蛮行である。

 泥棒が盗みに入った先で家人に乱暴を加え、居直り強盗になるようなものである。


「ん、もしかして」


 僕は少し前に調べた部屋に戻った。

 プンと鼻をつく嫌な臭いまでが残留していた。

 そこはこの屋敷の元の主人だった、とある老人のためのスペースだった。

 敷きっぱなしの布団とゴミ袋の溜まった、独居老人のいかにもな生活空間。

 老人が出ていった時のまま放置されていたのだろうか。

 鬱蒼としたカビどころか、布団にはキノコなんかまで生えているという酷い有様である。


「ここなら多分ある気がする……」


 布団の脇に、これだけの屋敷には不釣り合いな大きさの文机が、埃まみれになって置いてあった。

 その上にさらに小さい本棚。

 とはいっても、半分以上がごっそりと抜けていて、本が偏ってしまい倒れていた。


「何冊か抜かれているね」


 そう推理した理由は簡単だ。

 本棚の中にはうっすらとしか埃が残っていない箇所があったからだ。

 試しに倒れている本をとりだしてみると、その部分だけは綺麗になっている。

 この状態になってしばらくして誰かがここにあった本を抜いたのだろう。

 さて、誰がやったのか。

 全体的にものが残っていない屋敷だからこそ、僕にも突き止めることができそうだ。

 

『うわん……』


 部屋から出ると、それなりに長い廊下の隅から、また〈うわん〉が顔を出して覗きこんでいた。

 ストーカーみたいだね。

 しかも、うわんとか呟いているし。

 

「ねえ、君はもしかして僕に訴えたいことがあるんじゃないのかい?」


 試しに訊いてみた。

 あの〈うわん〉には知性はなさそうだが(結局、鬼だしね)、何かを僕に伝えたいらしいことだけはわかっていた。

 敷地に入ってきたレイさんと違って僕を排除しようとしていないことから明白だ。

 ただ、その理由がわからなかった。

 でも、今はもうそれとなく理解できかけていた。


「頼むよ」


 頭を下げた。

 別に僕が頼み込む必要は微塵もないけれど、御子内さんに後味の悪い思いをさせたくない。

 だから、僕は〈うわん〉に心からお願いをした。

 その気持ちが通じたのか……。

〈うわん〉はこちらに無中を向けて、ゆっくりと歩き出した。

 伝えたいことを伝えるために。



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