第31話「VS巫女レスラー」



〈うわん〉は、身の丈でいうとニメートル以上はある巨体を持っていた。

 餓鬼のようにでっぷりと太ったお腹をしており横幅があるので、かつて目撃した〈高女たかめ〉よりも一層大きく感じる。

 頭も巨体と比例して大きく、髪の毛のない頭頂部と肥大した涙袋、そしてはっきりとした咥内のお歯黒が目立つ不気味な容貌をしていた。

 だが、全体で見ると、意外とユーモラスな姿かたちとも思える。

 なんというか愛嬌があるのだ。

 今まで僕が御子内さんと共に見てきた悪事を働く妖怪たちとは、一線を画するような、ほっとするものがある。

 だから、そんな妖怪が立ち尽くすレイさんにびくびくしているところは、まるでイジメを目撃してしまったかのような不快感を覚える光景だった。


「どうなっているんだい、レイ」

「別に。こいつがでかい声でオレを恫喝してきたから張り倒してやっただけだ。そしたら、一発で涙目になりやがった」


 なるほど、〈うわん〉がいつものように通りすがった人間を驚かしていたところ、並じゃない巫女がやって来てやり返されたという訳か。

 しかし、一発張り倒しただけで妖怪の心を折るなんて、生身の人間とは思えないな。


「そいつはボクの対戦相手なんだ。横入りはやめてもらおう」

「やめとけ、やめとけ。こんな弱いの、おまえの相手をするには役者不足だ。御子内或子が戦うのに相応しくない」

「戦ってみないとわからないじゃないか」

「―――これがか?」


 レイさんは〈うわん〉の首筋を掴み上げると、ぐいっと持ち上げた。


「でかいだけで拍子抜けにもほどがある」


《ギャアアアン!》


 叫び声とともに、〈うわん〉は持ち上げられて、そのまま吊り上げられた。

 レイさんがのど輪だけで妖怪を締め上げている。

 しかも片手だけで。

 恐ろしい怪力だった。

 あれが〈神腕〉ということなのか。


《グギャア! ダギャア!》


 レイさんにネック・ハンギングされていることで苦しいのか、〈うわん〉は腕をジタバタさせてもがいていた。

 とても苦しそうだ。

 例え妖怪でもその苦悶は見ていられるものではなかった。


「やめてください!」


 僕は駆け寄って、レイさんの隣で制止した。

 彼女は僕を何の感情もない瞳で無造作に見やり、


「なんだ、おまえは?」

「僕は御子内さんの助手で京一といいます」

「その京一くんとやらが、どうしてオレの妖怪退治に難癖をつける? 或子のためか?」

「違います。僕はその〈うわん〉をすぐに退治するべきではないと考えているからです」


 レイさんの眉が八の字になった。

 困った顔が悩ましいほど色っぽかった。

 言動とガテン系の格好の二つの要因のせいでガサツな蓮っ葉に見える。


「妖怪に肩入れするのかよ?」

「そういう訳じゃないです。その〈うわん〉についてだけですね」

「―――おまえ、オレたち退魔巫女が妖怪やら悪霊退治の専門家だってのをわかって言ってんのか? そこにいるおまえの愛人バシタだって、今までに何十匹も退治して回ってんだぞ。今更、情けなんかかけられる立場じゃねえんだぜ」


 バシタの意味はよくわかんないけど、御子内さんのことだとはわかった。

 でも、それよりも僕には優先すべきことがある。


「わかっているけど、そうじゃないんだ」

「何がそうじゃないんだ? きちんと説明しろや」

「僕はその〈うわん〉がどうして通行人を驚かして回っているのかを突き止めたいんだ。ただ『うわん』なんて叫んでびっくりさせるだけの妖怪なんて変だとは思わない?」

「いんや。妖怪なんてそんなもんだ。小豆洗う音で人間を脅かしてほくそ笑むやつとか、理由なんてねえだろ。こいつだって、そうだ。単にバカでかい大声で人を驚かせて楽しんでいるだけさ」

「……他の妖怪については知らない。けど、僕はその〈うわん〉についてだけは考えるべき必要があると思う」


 すると、レイさんは今度は柳型の眉を吊り上げた。

 変幻自在な眉で感情を表現する人なんだな。


「っざけんな!」


〈うわん〉をゴミのように投げ捨てると、レイさんが胸倉を掴んできた。


「いきなり、抜け作なことを言ってんじゃねえ! 妖怪相手に慈悲をかけてどうするってんだ! 特にこいつは鬼なんだぜ? 今は何にもしていなくてもいつか人間を食ったらどうする? 鬼はな、貪欲にすべてを喰らい尽くす習性があるんだ!」


 胸倉を掴まれたまま、吊り上げられる。

 さっきまでの〈うわん〉のように。

 55キログラムの体重の僕をまるでぬいぐるみ扱いだ。


「……で、でも」


 のどが絞まり、呼吸が苦しくなる。

 だが、それでも僕にはまだ疑問点が残っているんだ。

 今はこの明王のような巫女を説得しないと……


「―――そこまでにしろ」


 ガシっとさっきの僕と同じ位置でレイさんを制止したのは、御子内さんであった。


「てめぇ、或子ォ」

「ボクの京一に手出しをするのはご法度だよ」

「……オレの信条に口を出すのもやめてもらおうか」

「そもそも、その〈うわん〉はボクの対戦相手でキミにはなんの権利もないということから思い出してもらいたいな。そして、ボクは京一が待ってくれと言うのなら、文句も言わずに待つ」

「ち、自分の男にはえらく甘いんだな、爆弾小僧め」

「女の子のボクを小僧呼ばわりしないでくれ」


 御子内さんが絶対に退かないということがわかったのか、僕もまた〈うわん〉と同様に投げ捨てられた。

 腰から地面にぶつかったせいで、やたらと痛い。


「大丈夫かい、京一」

「な、なんとか……」

「無茶をするからだ。このレイはね、ボクたちの同期の中でも最強と目されている巫女の一人なんだよ」

「……だろうね」


 その言葉を聞いて、レイさんの形相が変わった。

 また眉毛がさらに吊り上がる。


「最強の一人だと? どうあってもオレが一番だとは認めねえってことかあ、御子内或子ぉぉ!」


 突き付けられた指の先を見つめる御子内さん。

 ただの一瞬も強烈な目力に負けることなく言い返す。


「まだ、そんなことを言っているのか? ボクたち、巫女同士の試合は禁止されているはずだ」

「そんなのは建前だけだろ。おまえだって、何人かと陰でやりあっていたのをオレが知らないとでも思ってんのか、ああン?」

「キミが今でもボクに執着しているのはわかっていたけど、決着をつけたいがためにこんなところまで来たということかい?」

「そうだ。―――おあつらえ向きに、〈うわんこいつ〉用のリングが用意してあるんだろ。そこで決着をつけようぜ」

「無駄だね」

「なんだと?」


 御子内さんは僕に肩を貸しながら、すっく立ち上がり、そして言い放った。


「見習い時代に、ボクの原爆固めの前に敗れ去ったのを忘れたのかい? 


 彼女にしては珍しい煽りと挑発だった。

 だからこそ、僕には理解できた。

 戦いの前にわざわざこんなパフォーマンスをすることで、相手方に対して少しでも有利になろうという場外乱闘が求められる敵なのだと。

 僕の巫女レスラーが正々堂々と戦うだけでなく、策を練る必要性を覚えるまでに強敵なのだと。

 

〈神腕〉明王殿レイ。


 傍にいるだけで、とてつもないほどの威圧感を感じる。

 しかも、その闘志は完全に御子内さんにだけ向けられていて、僕の方にくるのはただの余波だというのに。

 

「―――上等だぜ、或子ォォ」


 飢えた狼のようにレイさんが舌なめずりをする。

 御子内さんは握りこぶしを作り、指を鳴らした。

 百パーセントやる気だった。

 巫女レスラー対巫女レスラーのガチバトルが始まろうとしていた。

 リングに稲妻が走り、マットに赤いバラが咲き、炎のファイターが照らし出される戦いが。

 

「……じゃあ、僕はちょっと調べものがあるから、あとはお願いね」


 とりあえず、レイさんへの対応は御子内さんに一任するとして、僕はすることがあるので「じゃっ!」と軽くバイバイをして、廃屋となった武家屋敷に向かった。


「えっ!」

「なんだと!」


 睨み合う二人だけの空間ができていたはずなのに、僕が立ち去ろうとすると何故か驚かれた。

 でも、そんな反応を気にしている場合ではないので、さっさと屋敷の中に潜りこめそうな入口はないかを探し始める。

 おそらく、この屋敷の内部、すぐには見つからないだろう場所にある〈うわん〉の秘密を見つけ出すために。


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