第30話「妖怪〈うわん〉」



「……ガテン系の退魔巫女?」


 とある妖怪が頻繁に出没するという、棄てられた武家屋敷の隣に広場で〈護摩台〉という名のリングを設営していた時、僕は昨日見た巫女さんの話をだしてみた。

 両袖のない白衣と、紫色のボンタンみたいなニッカズボン、そして地下足袋を履いた巫女のことだ。

 よく考えてみると、あれにヘルメットがついたらもう間違いなく工事現場の職人だろう。


「髪は長かったかい?」

「うん。腰まではあったね」

「なら、一人しか該当しないな。同期の退魔巫女のレイだよ」

「レイさん?」

「ああ、本名は明王殿みょうおうでんレイ。こっちよりは千葉とか茨城の方で試合をしている退魔巫女だよ。実家が成田山の方にあるらしいから、そこから通える場所でないと困るって話だったかな」

「……実家があるんだ」


 いや、あってもおかしくはないけど。

 でも、退魔巫女って仕事をしている人が実家暮らしで、通勤の便を第一に考えるというのは少しだけいただけない。

 昨日の女の子を助けた時の颯爽とした感じが薄れてしまうのもちょっとね。


「すごい名前の人だね」


 僕がこれまで出会ってきた巫女たちも、「御子内」とか「神宮女」とかあまり聞かない苗字ばかりだったけど、「明王殿」というのはまた突き抜けている。


「元々は比叡山の僧兵あがりの家系らしい。だから、仏教を護る明王さまの名前をいただいているんだろう」

「そんな人が退魔巫女になるの?」

「ああ、そうさ。漲る熱い闘魂をもつ女たちは、我先にと巫女の門を潜るものなんだよ。ボクたちのギョーカイはそういう女子で溢れているからね」


 巫女と書いて、「しゅら」と読みそうだ。

 いつも思うけど、巫女ってそういうもんじゃないよね。

 音子さんもそうだったけど、御子内さんの言うところのギョーカイはやっぱりどこかが間違っている。


「……でも、チバラギの人だとすると、こっちに来ているのはおかしいね。この辺は御子内さんや音子さんの縄張りでしょ」

「うん、そうだよ。社務所からもそういう連絡は来てないし、八咫烏も特にレイの話はしてこなかったかな」


 じゃあ、たまたまプライベートでこっちに用事があっただけか。

 御子内さんたちは普段私服だけど、たまに巫女装束のまま出歩くタイプがいておかしくないし。

 僕はそう結論付けて、リングの設営に集中することにした。

 それから一時間後の、なんとか日暮れまでに白いマットのジャングルを組み立て終わった。

 六メートル四方の台座とその上に置かれたマット。四本の鉄製のコーナーポストと三本のワイヤーロープ。

 御子内さんたち退魔巫女が戦うための舞台の完成だ。

 すべての工程をすでに独りでも三時間ほどあればこなせるようになってしまっているのが、我ながら凄いところである。

 

「うーん、さすがは京一だね」


 リングの上でワイヤーロープの緊張テンションを引っ張って確かめながら、御子内さんが言う。

 いつでも彼女に褒められると気分がよくなる。


「……夜になるまえに終えられて良かったよ。でも、御子内さん。その〈うわん〉ってのはどういう妖怪なの?」

「それほど危険な妖怪じゃないよ。鬼の一種だからガタイはいいが、それだけって感じかな。ボクとは初めてまみえることになるけど、聞いた限りではたいした相手じゃない」

「鬼ってどういうこと」

「うーん、鬼っていうのは人の負の感情が実体をもったものなんだ。この前の〈天狗〉のように人が変化してしまったものでもなく、〈ぬりかべ〉みたいに最初から妖怪だったものでもない」

「幽霊とかとは違うのかな?」

「あっちには実体がない。だから、普通は触れない。でも、鬼は実体があるから触れる。こういう区別をすればいい」


 わかるようなわからないような……。

 ただ、昨日のレイさんは悪霊になっていた地縛霊を生身で掴んでいた。

 その定義だとちょっとあてはまらない気がする。

 だから、御子内さんに訊いてみると、


「ああ、あいつは例外だよ。退魔巫女でも幽霊に触れるのならば、こういう結界を用意するか、祓串のような道具を使ったりしないとならない。まあ、ボクのこのグローブみたいな聖錬を施したものでもいいけど。でも、レイだけは違う」

「レイさんだけ違う?」

「あいつはギョーカイ内での通り名があってね。みんなには〈神腕〉と呼ばれているんだ」


神腕しんわん〉……。

 なんかカッコいいな!


「決まったスタイルを持っている訳ではないけど、あいつの戦い方は腕を中心としたものでね。しかも、仏門の生まれのおかげか、生身の両腕にもともと強い神通力が宿っているんだ。だから、普通に素手のまま霊にも触れられるし、打撃の力も比べ物にならないほど強い」


 もしかしてあの両袖を外した巫女装束も、その〈神腕〉を活かすためのものなのか。

 それなら納得できる。

 意外に合理的なんだ。


「……話を戻すと、〈うわん〉というのは指が三本しかなくてね。それは鬼の象徴だから、〈うわん〉も鬼だと云われているんだよ」

「あっ、聞いたことがある。鬼には知性と慈悲が欠けていて、貧欲と嫉妬と愚痴のみに終始しているからってことだね」

「そうさ」


 妖怪人間ベムも三本だった。


「〈うわん〉は人が通りがかるとその名の通りに「うわん」という大声を出して驚かせる妖怪なんだ。まあ、それだけなんだけど」

「びっくりさせるだけ? 他にはないの?」

「うん。今回の依頼も、この武家屋敷の廃屋の傍でたびたび〈うわん〉が目撃されていて子供たちが怯えているからなんとかしてくれって話だったからね」


 なんだ、別に悪さをしている妖怪ではないのか。

 そんなのに退魔巫女を派遣するなんて、八咫烏もどうしようもない鳥頭だな。


「じゃあ、リングは必要ない気もするね」

「うーん、確かにここまで上がってくるかも怪しいといえば怪しい。人を襲うような連中ならば挑発にすぐ乗ってくるけど、好戦的でない妖怪だとそこがネックになるんだよ。〈護摩台〉にまで誘導することがそもそも難問になってしまうからさ」

「とりあえず、〈うわん〉をおびき出せそうな好きなものとかってないの?」

「ボクも知らないんだ。〈うわん〉の特徴自体、歯に鉄漿おはぐろがついているってだけで、あとは古い建造物に潜んでいるという程度かな」

「鉄漿? お歯黒ってこと?」

「ああ」


 お歯黒というのは、日本にも昔から存在する歯を黒く染める化粧法のことだ。

 でも、お歯黒って既婚の女性がするもので、男性がするものではないはず。

 じゃあ、もしかして〈うわん〉って女のひとなのか。

 僕の脳みそに何かが引っかかった。

 ちょっとおかしい。


「……ねえ、御子内さんは、このお屋敷のことを知っている?」


 僕はリングの目の前にある武家屋敷を指さして訊いた。


「いや、何も。八咫烏には、ここから〈うわん〉がしょっちゅう顔を出すからなんとかしてくれって言われただけだよ。きっと〈うわん〉はここに棲んでいるんだろう」

「人は住んでいるのかな?」

「だいぶ前に所有者がいなくなったらしくて無人のはずだ。相続人も行方不明で、行政が管理しているということだよ」

「なるほど……」


 僕は少し思案すると御子内さんに提案した。


「〈うわん〉を退治するのはちょっと待ってもらえないかな」

「どうしてだい? せっかく京一が〈護摩台〉を用意してくれたのに」

「僕の苦労は別にいいんだ。ただ、今の状況では〈うわん〉を退治してしまうのはちょっと問題があるかもしれないと考えたんだよ」

「? 意味がわからない」

「僕の考えを説明するとね……」


 と、思いついたばかりの仮説を口にしようとした時、


『うわん!!』


 大きな胴間声が響き渡った。

〈うわん〉のものに違いない。

 だが、僕たちへのものではない。

 見渡しても、この周囲には僕たちしかいない。

 となるとあの武家屋敷の中か。

 御子内さんとともに、慌てて崩れかけた土塀の隙間から庭に入り込んだ。


『ぐぎゃああああああ!』


 まさに断末魔のような悲痛な叫びがした。

 辿り着いた僕たちの視線の先には、地面に倒れてブルブルと震えている三本指の巨大な鬼と……一人の女性がいた。

 長い黒髪と改造された巫女装束をまとった、モデルのような美女。

 さっき話題になっていた明王殿レイさんだった。


「よお、或子。やっぱりおまえでないとダメみたいだわ。どちらかがくたばるまで、勝負しようや」


 左右の指をボキボキと鳴らしながら、物騒な宣言をするのであった。



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