第24話「最高級な怪異」



 埼玉県にある川越は「江戸の大手は小田原城、搦手は川越城」と言われ、江戸幕府にとっての北の砦とされた地域である。

 藩主に任命されたものも、いわゆる有名どころだけで、酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱、柳沢吉保といった名前がずらりと並び、幕閣の老中になったものが七名を数えるぐらいだった。

 つまり、それだけ重要な地域だったということだ。

 そもそも徳川家康が江戸に幕府を開いた時には、彼の次男で武勇に優れた結城秀康が藩主だったということからもそれは窺える。

 ちなみに交通の要所として経済的な発展も目覚ましく、京都に対して「小京都」と呼ばれる地方都市が全国に五十三もあるのに比べて、江戸に対して「小江戸こえど」と称されるのが川越しかないほどの賑わいを見せていた。

 川越が「小江戸」と呼ばれるようになったのは、とある川越藩主が江戸からの帰路、城下の町並みを見て、「まるで小さな江戸のようだ」と自賛したからだと伝えられている。

 もっとも、本家の江戸については、関東大震災や第二次世界大戦で町並みや文化材の多くが消失してしまったこともあり、今でも蔵造りの町並みや、喜多院、仙波東照宮などが残っている川越の方がかつての江戸の風情を伝えているともいえるかもしれない。

 市街を南北に走る県道の交差点「札の辻」から「仲町」交差点までの通りを一番街といい、別名で「蔵造りの町並み」と呼ばれている。

 そのあたりの通りに面して建てられている重厚な蔵造りの店舗や懐かしい洋風建築は今でも観光地として知られているぐらいだ。

 僕も実は中学生の時の社会科見学で訪れたことがある。


「……これじゃないかな」

「どれどれ」


 川越駅へ向かう電車の中で、僕が差し出したスマホを御子内さんがじっと覗き込む。

 目の前に彼女の顔が突きだされ、いい香りのシャンプーの匂いがした。

 女の子ってのは、いい匂いのする生き物なんだよな。

 マザーグースが「女の子は砂糖とスパイスと素敵な何かでできている」と評したのもわかる気がする。

 ちなみに、マザーグースからすると男は「カエルとカタツムリと小イヌのしっぽ」で作成されているらしいが、僕に言わせれば「スケベ心」がまだ足りないね。


「ふーん、連続ひき逃げ魔か。……知らなかったな」

「僕もだよ。でも、世間ではわりと話題になっているらしい。ツイッターのトレンドにも入っていたっぽいし」

「へえ」


 ……僕がネットで見つけたのは、この川越市の郊外で発生した「連続ひき逃げ事件」の詳細だった。

 この一週間の間に四人が撥ねられて重傷を負っているが、どれも同じセダンタイプの車によるものだということらしい。

 今のところ死者は出ていないが、すべての被害者が意識不明の重体だということで警察は各事件の関連を調べているそうだ。

 もっとも、ネットの動画サイトの方に、犯人のものと思われるセダンによるひき逃げの一件の映像がアップされてしまっていたので、そちらを中心にして捜査しているものと考えられている。

 ちなみに、この動画はまだ消されておらず、数日で一万回以上も再生されていた。

 おかげで僕たちもその決定的シーンを見ることができたのだけど。

 投稿したのは通りすがりの一般人らしい。

 遠くから相当でかい爆音が轟き渡ったため、たまたまスマホの動画撮影機能をつけてみたら、決定的な瞬間を捉えられたというようだ。

 映像の中では、上下の灰色のジャージ姿でサンダル履きの、どう見てもチンピラっぽい若い男性がちんたら歩いていた時、いきなり後ろから歩道を乗り越えてきた黒いセダンに跳ね飛ばされるシーンが収められていた。

 時間にして十五秒程度の映像だが、走り去る車が一度もブレーキを踏んで速度を緩めなかったことと、轢かれた男性が映画のように派手に一回転したところの生々しさが話題になっていた。

 これが字幕の出るスタイルの動画サイトなら凄いことになっていただろうと思うほどに。

 被害者が死ななかったのが不思議なぐらいだ。


「……これだろうね。さっき社務所の事務の人が言っていたのと一致する。車の〈付喪神〉が暴れたことによる事件ならピッタリだ」

「警察は該当車両を血眼になって探しているみたいだけど、どうもナンバープレートが相当古いものらしくて持ち主が割り出せないそうだよ」

「車を登録してある陸運局にデータがあるんじゃないのかい?」

「そこは書いてないね。もっとも、二十五年ぐらい前の話だし、持ち主が相当転々としていた可能性があるから、地道に捜すしかないと思う」

「……なんだい? やけに具体的な数字を出すじゃないか」

「まあね」

「心当たりがありそうだけど」


 僕は動画をストップして、走り去る車のリアを指さした。


「ん?」


 女の子の御子内さんには案の定わからない。


「ここについているエンブレムはトヨタのものだから、トヨタ車とわかるよね。で、車名エンブレムはさすがにくっきりとはしていないからわからないけれど、この四角いリアの形状に僕は覚えがある」

「えーと?」

「近所に住んでいたゴロツキのお兄さんが乗っていたものと同じだからね。外観からは違いがわからないんで、初代か二代目かは難しいけど、この車は間違いなくセルシオだ」


 まとめ記事のコメント欄を見ても、セルシオと断定しているものがかなりある。

 だから、ほぼ僕の推測に間違いはないだろう。

 このひき逃げ車はトヨタのセルシオだ。


「せるしお?」

「なんで平仮名っぽく発音するのさ。セルシオって言ったら、トヨタの誇る高級車ブランドのレクサスの初のモデルなんだよ。きっと知らないとは思うけど」

「わかっているじゃないか。ボクが知る訳ないだろう」

「もう仕方ないな。でね、話を続けると、レクサスの立ち上げは1989年なんだけど、その時に初代のセルシオは発売されたんだ。だから、これがもし初代のセルシオだとしたら、きっと二十五年前の車ということになる」

「……はあ」

「二代目のF20型は外観こそ似たようなものだけど、中身は最高級車らしく格段に改良されて、三代目のF30型が発売されるまで市場を席巻したんだ。で、三代目はかなりデザインが変更されていることもあり、これが初代か二代目のどちらかということまでは確定できる」


 僕の説明をすごくつまらなそうに御子内さんが聞いているのが、さっきのイベント会場でのことを思い出させる。

 嫌なら聞かなきゃいいのにね。


「―――はあ、この〈付喪神〉退治が終わったら、京一とは車の話は一切しないことにしよう。恋人を無視して車の話ばかりされたらたまらないし」

「え、何か言った?」

「ううん。なんでもないよ。……で、それがセルヒオだとわかったからといってどうにかなのかい?」


 セルヒオ・ラモスみたいに言わないでくれ。

 右サイドを駆け上がったりはしないぞ。


「これが、音子さんの追っていたという〈付喪神〉ならば、どうしてそんな風になってしまったのかもわからなくもない気がするってこと」

「ちんぷんかんぷんだ。今日の君は、ボクの京一とはちょっと違うような気がしてならない」

「……セルシオには哀しい風評被害があるんだ」


 僕はさっきの記事をよく見てみた。

 特に四人の被害者についてだ。

 それでなんとなくわかることがあった。

 これは僕だけの推理だが、きっとそんなに間違ってはいないだろう。

 最高級車と言われた初代かもしくは二代目のセルシオが、人間に捨てられた道具として〈付喪神〉という妖怪になってしまった理由について。


「まったく。ボクには意味がわからないよ」


 プンスカと膨れる御子内さん。

 とは言っても、僕の気分がよくなる訳でもないので、できる限りネットで情報を掻き集めた。

 音子さんのところに行く前に、少しぐらいは役に立つ情報を仕入れておかないとならないから。


「ところで、そのセルシオの〈付喪神〉の特徴については何か聞いているの?」

「……ん、ああ、再生するのが早いらしい。ただ、奴は車みたいだし、運転席でもいいから中に飛び込んで祓串はらえぐしを突き立てればだいたいすぐに活動停止するよ」

「そう、うまくいくかなあ」

「どうしてだい?」


 僕は一般的な車の構造を思い出していた。

 最近のハイブリッド車のようにボディが軽量化されているものならまだしも、二十年以上前の高級車が相手となるとガラス窓でさえかなり丈夫にできている。

 真っ正面で対峙する御子内さんがこのぐらいの楽観論だということは、僕の方でかなり用心しなければならないかもしれないな。

 

 僕は川越で待つ妖怪退治が一筋縄ではいかないであろうことを予感していた。




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