第25話「檻の外の狂獣」
川越駅につくと、僕たちは御子内さんの身支度を急いで整えた。
さすがにブラウスとスカートで戦う訳にはいかないからだ。
少し遠回りして、御子内さんの家に寄るということもできたが、最低でも二時間以上のロスが考えられ、音子さんの現状からすると難しかった。
駅前のスポーツ用品店に入り、ジャージの上下を購入する。
スカート姿の御子内さんという、滅多に見られない可愛らしい恰好は、動きやすいだろうがややダサい見た目に劣化してしまう。
彼女ぐらいの美少女になると、どんな服装でも似合うものだが、やはりガーリーなファッションの方がよく似合っていた。
しかし、普段は巫女装束しかまとわないのに、今日に限って珍しく私服姿だったのはどうしてだろう?
「どうだい、京一?」
「似合っている。可愛いよ」
まったく美少女は何を着ていても美少女である。
次に僕たちはホームセンターに行き靴を購入した。
ただの靴ではなく、工事現場で履くようなつま先を金属で防護した安全靴だ。
二軒巡って見つけ出したそれは、こちらの想定通りのものだった。
「……ボクは試合をするならリングシューズの方がいいんだけど。それに武器を隠しているみたいで気分がよくない」
「今回はマットの上で戦う訳じゃないんだから、リングシューズは止めた方がいいと思う。それに凶器とは違うでしょ」
「レフェリーにチェックされたら反則負けさせられてしまう」
「いや、いつもレフェリーいないじゃん」
車に憑りついた〈付喪神〉が敵であるということを考えると、スニーカーやバッシュを買うよりはこっちのほうがいいという僕のコーディネートだ。
セルシオは高級車だけあって、ボディもしっかりと頑丈に造られており、少しぐらいの小細工は弄したほうがいいだろう。
ついでに僕も同じ店で幾つか物品を購入しておいた。
万が一のための用心だ。
「よし、じゃあ行こうか」
白地に赤いラインのデザインのジャージと無骨な安全靴という、どう見ても巫女っぽさの欠片もない御子内さんと共に、僕は駅前のロータリーでタクシーを拾った。
もうそろそろ陽が暮れる。
昼が終わり、夜になる時間帯。
古えより、妖怪変化・魑魅魍魎の活性化する逢魔が時として知られる黄昏の中では、いつも闇に巣食うものたちの力が増していく。
〈付喪神〉退治に行った音子さんの身が危なくなる前に合流しないと……。
気のせいでもなく、音子さんを案じているのか、どんどん御子内さんの表情が堅くなっているのを感じる。
「お客さん、どちらまで」
タクシーの運転手が、高校生の男女二人連れにちょっと驚いたようだった。
まだ子供に分類される僕たちのような年頃が、こんな風にタクシーを利用したりはしないからだろう。
ただ、御子内さんは慣れたもので、平然としている。
タクシーの正面を指さし、
「あのカラスを追ってくれ」
と尾行に赴くドラマの刑事のように指示した。
想定外のことに呆気にとられる運転手の目の前に、一匹のカラスが舞い降りて、何度も鳴き声をあげながら旋回して、いかにも「ついてこい」という感じで飛んでいた。
八咫烏だった。
「え、カ、カラス?」
「大丈夫だよ。あれは信号待ちしているときもこちらに合わせて飛んでくれるからね。見失ったりはしない。ただ、追跡に気を取られて事故を起こさないようにしてくれ」
「……カラス?」
「さあ、あいつの後を追ってくれ。急いでくれよ、時間がないんだ」
非常に自信満々な女子高生の、非常識な発言に気圧されたのか、タクシーは言われたままに飛び立つカラスのあとを追い始めた。
音子さんが〈付喪神〉と戦っていた場所の住所を八咫烏がわかっていなかったので、直接案内させることにしたのだ。
ちなみに僕たちが電車に乗っている間に、あいつはずっと外で飛んでいたのである。
「カラスの道案内なんて初めてですわ」
「そうだろうね。でも、古来より人はよく動物たちの導きに従って色々と大事なことを見つけ出したりしたものなのさ。運転手さんもたまには人間以外の生き物の後を追ってみるといいよ」
「はあ……」
巫女さんの説教はよくわからない。
とはいえ、半信半疑であったとしても、先導するカラスに導かれるままにタクシーを運転して、川越市を西へと移動していく。
そのうちに、田んぼやらが多くなり、目につく住宅が少なくなっていった。
「御子内さん、あそこ」
「おや。パトカーだね。覆面もいれると五台も停まっている」
僕たちの乗ったタクシーが一軒の大きな農家っぽい豪邸の前に停まっているのが見えた。
遠目からでもかなりの豪邸だとわかる。
その庭先に、警察車両が集まっているのだ。
「……運転手さん。あれが誰の家か知っていたりしません?」
試しに僕が聞くと、予想外に回答があった。
「このあたりに住む成金の家ですよ。西武が鉄道を開拓したときに儲けたらしいって有名な話です。腐るほど金を持っているらしくて、私も客として乗せたことがあります」
「お大尽の家かい。でも、どうして警察があんなに溜まっているんだ? 事件でもあったのかな」
「さあ。なんでしょうね。空き巣にでも入られたのかな」
「……いや、たぶん、僕はわかるよ」
「なんで京一にわかるんだい?」
「おそらくあそこには性質の悪い四十代ぐらいの、独立していない男性がいるんじゃないかな」
「具体的だね」
だが、僕の想像は運転手さんが肯定してくれた。
「よくご存じですねえ、お客さん。もしかしてこのあたりに詳しいんですかい」
「違いますけど、だいたいそんなところじゃないかなと思ったんです。僕の言ったことは的を射てましたか?」
「確かにあの家にゃあ、評判の悪い跡継ぎがいますがね。……あそこが、あのカラスくんの目的地なんですかな」
だが、八咫烏は警察の集まっている豪邸をスルーして、もっと先へと向かった。
寂れた県道沿いは、打ち捨てられて廃業した施設などが幾つも目に付いた。
対向車両もあまり見当たらなくなる。
そろそろ舗装も雑になりつつある郊外の県道を走っていくと、八咫烏はある拓けた方角へと進路を変えた。
そこは閉鎖されたドライブインの跡地であった。
「お客さん、あのカラス変なところに飛んでっちまいましたぜ」
「ここでいいよ。お釣りはいらないから」
と、御子内さんが一万円札を手渡す。
「もし良かったら、帰りも迎えに来てくれないか」
「そりゃあ、奮発してもらえるんなら別にいいですけど……」
「帰りはもう一人増えていると思うけどね」
そういって僕たちはタクシーから降りた。
完全に閉鎖されたドライブインの建物以外、民家の一つも見当たらない寂しい場所であった。
いかにも妖怪が跳梁跋扈してそうな景色だ。
「この近くには他にどんなものがあるんだい?」
「確かね、坊さんが夜逃げした寺とかがあったような……」
「ありがとう。そこがボクたちの目的地さ。では、あとで」
心配そうな運転手の顔に気がついていないのか、御子内さんは意気揚々と歩き出した。
僕も紙袋に入れた御子内さんの服を持って背中に続く。
よく考えなくとも奇妙な二人組なんだろうね。
こんな人里離れたところにやってきただけでなく、カラスの道案内がついているんだから。
「この道を進んだ左手にお寺があるね。
「音子がたてこもっているというのはそこだ。ふむ、人目につかないところに〈付喪神〉を誘いだしたのはいいが、退治できないで囮になるしかなかったとは、あいつにしては珍しいしくじりだな」
「きっとあれが悪いんだと思うよ」
僕は前方のダメカラスを指さした。
「しかし、どうやって勝手に動き回る〈付喪神〉を誘き出したんだろう。さっきの記事によるとこの〈付喪神〉は川越を中心に適当に暴れ回っているみたいなのに」
「適当ではないと思う。おそらく、音子さんは〈付喪神〉の次のターゲットを把握していて、その周囲を見張っていたんだ」
「―――そんなことができるものなのか」
「普通に調べれば、たぶんわかったんだろうね」
その時、ブオオオオオという獰猛な爆音が耳に届いてきた。
前方に目を凝らすと、やや小ぶりな古い寺の門構えとその入り口でタイヤを回転させて歯ぎしりをしているかのようなセダンがいた。
こちらの予想通り、中が見えないように窓ガラスにスモークを張った、黒いセルシオだった。
しかも、どういう訳かほとんど新品のようにボディはピカピカに輝いている。
とても二十年以上前のモデルとは思えない。
タイヤが地面を削りあげ、白い土煙が上がっている。
ブレーキでもかかっているのか、開け放たれた門の中には何故か入ろうとはしない。
グオオとエンジンが凄まじい怒声を発し、焼けつくようなタイヤの摩擦音が耳障りだ。
普通にこんな風に回していたら、エンジンもタイヤもすぐに焼き切れてしまう。
「どうしてあんなところで停まっているだろう?」
「お寺は御仏のご加護があるからだろうね。〈付喪神〉程度の霊格だと例え廃寺であったとしても立ち入れないんだ」
「そうなんだ。じゃあ、音子さんはあそこに?」
「まず間違いないだろう。すぐそこの駐車場でやりあってみたけど、分が悪くなって一度退却したというところかな」
車というよりも癇癪を起したストーカーに家の前に陣取られているという風にしか見えない。
あの調子では逃げ出そうとするのも難しいだろう。
なるほど、八咫烏が急いで助けを求めにきたわけだ。
「どうする?」
「今のところ、ボクたちはあいつに気がつかれていないようだから、回り込んで圓山寺の別の場所から入って音子と合流しよう」
「そうだね」
僕たちは遠回りをして、周囲が完全に薄暗くなる前に圓山寺の壊れた土塀の隙間から潜り込み、正門の方に戻った。
朽ち果てた寺の正門の中、手入れがされておらず荒れた境内の大岩の上で音子さんが両足を抱えて、ぽつんと座り込んでいる。体育座りが妙に似合う。
白い覆面の巫女は何をするわけでもなくセルシオを見つめている。
目の前には、呪いと怨嗟の声のようなエンジン音を撒き散らすセルシオが、檻に囚われた飢えた猛獣のように暴れていた。
どうやらあいつは音子さんに執着しているため、ずっとあそこで狂っているかのごとく暴れているようであった。
まさに狂態といえよう。
それは車というよりも、憎しみに我を忘れた狂気の存在そのもの。
何も見えないスモーク張りのガラス窓の奥には、負の思念に塗れた泥がいっぱいに詰まっているのかもしれない。
「―――音子!」
「……アルっち」
御子内さんの呼びかけに音子さんが振り向く。
かなり消耗しているようだった。
以前会った時のような覇気が見当たらない。
雰囲気からしてどんよりとしていた。
「手助けに来た。大丈夫だったか? ……元気がないようだけど」
「……」
そっと差し出されたのは、彼女のスマホだった。
真っ暗で電源が切れていた。
「……バッテリー切れ」
心底悲しそうに音子さんはいう。
こんな廃寺では電気も通っていないだろうし、充電ができなかったのも当然だ。
まあ、あんなに長文のメールやらラインやらやっている人だとバッテリー切れも相当早いだろうし。
ただ、大きな怪我がなくて良かった。
いつも通りの友達に拍子抜けしたのか、安心したのか、さっきまで強張っていた御子内さんの顔に笑顔が戻った。
うん、いつもの君だね。
「よし、じゃあ、そろそろ〈付喪神〉退治を始めるとするかね❕」
友達の無事を確認したことで気を良くしたのか、御子内さんは元気に拳を掌に打ち付けて、開戦の狼煙のごとき気合を吐くのであった……。
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