第13話「決着はリングの上で」



〈ぬりかべ〉と御子内さんの彼我体格差は、教室のロッカーと小学生ぐらいはある。

 だから、先手を取られてコーナーに押し切られるのはまずいと判断したのか、まず我らの巫女は助走のないスライディングタックルを仕掛けた。

 マットを滑り、その妖怪の足元に近づいて、がに股で短足な足を払う。

 同時に逆の足で挟みこみ、そして体をひねると〈ぬりかべ〉の巨体は前傾して倒れ込んだ。

 カニバサミと言われる奇襲技だ。

 サッカーでやれば一発でレッドカードをもらってしまう技だが、リングの上では合法だ。

 むしろ御子内さんのすべすべした太ももに挟まれる〈ぬりかべ〉の素足がちょっと羨ましいくらいだった。

 大きな音を立ててうつ伏せに倒れ込んだ〈ぬりかべ〉の背中に、倒れ込みながらのエルボードロップを放つ。


「ぐへっ!」


 何重にもフィルターをかけたみたいにくぐもった声が漏れる。

 初めて聞く、妖怪〈ぬりかべ〉の肉声だった。

 意外と効いているらしい。

 御子内さんはエルボーを合計三回放つと、一旦ロープに体を預け、今度は飛び上がりながらの両膝落としを敢行する。

 徹底的に攻め立てるつもりなのだ。

 だが、〈ぬりかべ〉の巨体も伊達ではないようだった。

 さすがのタフネスぶりを発揮し、わずかな隙をついて身体を起こすと、ジャンプ直後の御子内さんを捕らえてアームホイップで投げ捨てた。

 今度は御子内さんが背中からマットに叩きつけられる。

 手足も短くて不器用そうに見えるが、なかなかどうして、〈ぬりかべ〉はちょこまかとトリッキーな動きもできるようだった。

 投げられた御子内さんがにやりと不敵に笑う。

 その脇腹をキックされた。

 ヤクザ蹴りだった。

 短足だからこそ力が直接に伝わるのか、かなり痛そうだった。

 美貌が苦痛に歪む。

 僕は思わず大声をあげた。


「御子内さんっ!」


 何度かバウンドするように転がったが、それでも御子内さんはすっくとたって、心に持った星を輝かす。

 追撃を避けるように横にずれながら、ダメージの減少を図る。

 直接的な攻撃を受けるのはまずい。

 大きさに見合った破壊力の持ち主のようだからだ。

 ここまでの情報を総合すると、この〈ぬりかべ〉について危険と思われるのは、左官屋のこてを使われて体内に塗り込められる特有の必殺技と、あの巨体が倒れ込んできてそれに巻き込まれる場合だ。

 あれに潰されたらただでは済まないはずだ。

 そう考えると、真っ先にカニバサミにいった御子内さんの勇気は本当に讃えるべきものがある。

 それ以外にも、意外に器用で素早い。

 もっとも、それは見た目の印象に反してというレベルでしかなく、御子内さんの本来のスピードをもってすればどうということはない。

 ただし、狭いリングの上では、その自慢のスピードも殺されやすいという面を考慮しなければならないが。

 妖怪の力を引きとどめる結界としての「リング」のマイナス面だった。

 同サイズの敵ならばともかく、この〈ぬりかべ〉ほど巨大だと障害物とほとんど変わらなくなる。

 前に戦った〈高女〉なんか比べ物にならない邪魔くささだ。

 だが、それで怯むような御子内さんではない。

 じりじり迫る〈ぬりかべ〉の手をかいくぐるようにして、コーナーからコーナーへと移動する。

 がっと妖怪が前に出た。

 呼吸を合わせて肘を縦に立てたまま、御子内さんも出る。

 八極拳のような肘攻撃が〈ぬりかべ〉に突き刺さる。

 怯んだ巨体に向けて、今度はくるりと背中から体当たりをする。

 まるで鉄山靠てつざんこう

 巫女レスラーならぬ巫女八極拳士が連続コンボを叩き込む。

 もともと鍛えられた強い足腰を持つ娘なので震脚の形のよさが際立っている。

 全体重がこもっているのは傍目でも理解できた。

 リングの端から端を、円を描きながら動いていたのに、ぎりぎりまで引き絞った弓から放たれた矢のように直線に進めば、鈍重な〈ぬりかべ〉では対応できない。

 たたらを踏んで立ち尽くす〈ぬりかべ〉に向けて、御子内さんはその場で跳躍して後ろを振り向いた。


「えっ」


 なぜ、そこで振り向くのか?

 しかし、その驚きは一瞬だけで終わる。

 飛び上がりつつ振り向きざまに御子内が後方に向けて蹴りを放ったのだ。

 あれは、ローリングソバット!

 元祖タイガーマスクの代名詞ともいえる奇襲技だったが、御子内さんの身体能力から繰り出された場合は必殺技にもなりうる。

 ずずーん、と今度は背中からマットに倒れる巨体。

 槍のような蹴撃は確実に〈ぬりかべ〉に効いているのだ。

 この一連の動きは、〈ぬりかべ〉の巨体がうまく活かされないように計算されたものだった。

 思えば、このリングは彼女の主戦場。

 慣れ親しんだホームが敵に回るはずがない。

 動きのすべてが計算されたようなミリの攻防が可能なのが、やはり積み重ねてきた経験というものなのだろう。

 しかし、ここで終わるとは思えない。

 あれだけ巨大ならばタフネスも並大抵ではないだろう。

 案の定、御子内さんが突っ込もうとした途端に、〈ぬりかべ〉は起き上がった。

 顔のない妖怪だったが、もしあったとしたら御子内さんを恐ろしい眼で睨み続けていただろう、そんな沈黙が両者の間に落ちる。

 まだ、五分もたっていない攻防だったが、終始押しているのは御子内さんだったが、〈ぬりかべ〉も白はたを上げる気はないようだった。


「ホント頑丈だよねえ、あんた」


 呆れ気味というよりは、感嘆したという口調だった。

 タフなライバルに対して賞賛を惜しまないのが、御子内さんの素直なところだった。

 たとえ凶悪な妖怪であったとしても、対戦相手にリスペクトを惜しまない姿勢はいいと思う。


「ボクの軽い打撃だけじゃあ、倒せないか」


 御子内さんはマットを蹴り上げた。


「やっぱり投げ技で叩きつけるのが一番か。自分自身の体重があんたにトドメを指すことになるんだよ」


 そう言って、グローブを締め直す。

 彼女の得意のスープレックスを使う気満々なのだろう。

 そうでなければあのタフな妖怪を倒せない。

 ただ、問題はあれを持ち上げられるかということなのだけれど。


「いざ、尋常に勝負」


 ファイティングポーズをとる御子内さん。

 ヒットアンドアウェイ戦主体にしていた今まで異なり、完全な肉弾戦に入るための構えだった。

 そして、御子内さんは得意のナックルパートに入り、左右の拳で殴りかかる。

 技などをあまり考えない特攻だった。

 むしろ小賢しい技を使わない分、流れさえ握ってしまえば最後まで反撃を受けずに済む戦い方だ。

 初めて超人オリンピックに参加した時の、潜在能力と喧嘩殺法だけで優勝したキン肉マン的戦法だった。

 キン肉マンはそのやり方でエリート揃いの超人たちを撃破したのだ。

 このようなラフファイトもできるのが彼女の能力の高さだ。

 左右のコンビネーションで追い詰め、そして時折ハイキックと前蹴りをお見舞いする。

 なんとか掴もうとするが、服を着ていない〈ぬりかべ〉の漆喰の肌についてはなかなか難しいのかうまくいかない。


「くっ」


 御子内さんの動きが止まった。

 彼女の手首が相手につかまって、胸元に引き寄せられる。

 何をしようというのか。

〈ぬりかべ〉は御子内さんを抱き寄せた。


「は、離せ!」


 まさか、〈ぬりかべ〉は。


「グォォォォ!」


 御子内さんを塗り込めるつもりなのか。

 ……さっきまでと違い、今度こそ彼女を食事として捕食しようとしているのがわかった。

 奴の塗り込め能力は手で掴んでから発動するのだ。

 要するに掴まれたら終わりなのだ。

 だからこそ、必死にリングの上で追い掛け回していたのだろう。

 油断してさらに接近してくるのを誘うために。

 掴まれた手首が漆喰の腹の中に埋め込まれる。


「まずい、御子内さん、逃げて!」


 だが、御子内さんがいくら叩いても殴っても〈ぬりかべ〉はビクともしない。

 体勢が悪すぎるのだ。

 このままでは御子内さんまでがあの妖怪の餌食になる。

 その時、僕の隣で押し黙っていた女子高生二人がいきなりリングに上がった。

 二人共手にパイプ椅子を持っていた。


「巫女さんを離すッス!」

「くたばれ」


 背中から椅子の角で殴られた〈ぬりかべ〉は怯む。

 だが、振り向くことはできない。

 御子内さんを塗り込めている最中だからだ。

 もし強引に振り向こうとすれば……。


「今だ!」


 その一瞬の隙をついて、御子内さんが〈ぬりかべ〉の足の甲を踏みつけた。

 シューズで守られていないだけ、踏みつけられればダメージはでかい。

 拘束されていた手首を〈ぬりかべ〉が痛みに耐え兼ねて手放した瞬間を見計らって、御子内さんが逃げ出す。

 女子高生たちと御子内さんのどちらを狙うか迷った〈ぬりかべ〉の隙をついて回り込み、背中に二人を庇う御子内さん。


「ありがとう。でも、セコンドの乱入は反則だからね。もうしてはダメだよ」


 と、いかにもな感謝の意思を伝える。

 御子内さんの間一髪の危機を救った二人は嬉しそうに、リングを降りていく。

 僕もようやく安堵の息を吐く。

 あのまま御子内さんが塗り込められしまったら、僕はどうしていただろう。

 彼女たちのように無謀に飛び出せただろうか。


「さあ、次行くぞ」


 御子内さんのローキックが炸裂する。

 先程、足の甲を踏んづけられたせいで庇いきれずに〈ぬりかべ〉は膝を屈した。

 頭頂の方がお辞儀でもするかのように傾けられる。

 そのチャンスを見逃す彼女ではない。

 頭をつっこみ、そして〈ぬりかべ〉の腰のあたりを強引に鷲掴みにすると、そのまま一気に持ち上げる。

 漆喰の身体が宙に登る。

 短い手足がジタバタするが御子内さんは構わずに続ける。

 そして、そして、あれだけの巨体を完全に頭上に抱え上げた。


「喰らえェェェェ!!!!」


 自らは後方に倒れ、相手を頭から落とす、垂直落下式ブレーンバスター。

 しかも、持ち上げてしばらく静止したあとの長滞空式でもある。

 力自慢のプロレスラーがようやく使うことのできる超大技を御子内さんは使ったのだ。

 今までのものとは比べ物にならない轟音が響き渡り、〈ぬりかべ〉は頭からマットに叩きつけられてその全身に亀裂が入る。

 亀裂はすぐ大きくなり、裂け目となり、そして〈ぬりかべ〉の全身に広がった。

 ガッと耳障りな音がしたかと思うと、〈ぬりかべ〉は粉々に裂けて、漆喰の塊と砂になり、完全に沈黙した。

 マットには埃と元〈ぬりかべ〉を構成していた壁のあとのような塊、そして二人の今まではいなかった二人の人間が残った。

 二人共、学生服を着ていた。


「行方不明になった人たちだろうね。良かった、まだ息はあるみたいだ」

「大丈夫なの?」

「消化というか、完全には取り込まれていなかったからだろうね。もともと人間を餌にするような妖怪ではないみたいだから、おかげで無事だったんだ」


 そういって、赤コーナーによりかかり、荒い息をする御子内さん。

 そこはチャンピオンの場所。

 また、人を助けた退魔巫女が満足げに笑っている。


 可愛い笑顔を見て思う。

 あの時、僕もきっとあの二人のように椅子を持って〈ぬりかべ〉に立ち向かっただろうと。

 今回、二人に先を越されたのは残念だけれど、またああいうことがあったら、今度こそ、御子内さんを助けるのは僕でありたい。

 そう心に誓うのだった。

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