第12話「御子内さんを信じる」
僕は二人の女子高生の手を握って、一心不乱に階段を駆け下りた。
背中から文句が聞こえてくるが気にしない。
一刻でも早く、御子内さんの視界から離れてしまわなければならないからだ。
僕たちが見えていたら、彼女にとっては気が散る上に、余計な動きをすることを余儀なくされてしまうおそれがある。
それはなんとしてでも避けたい。
順々に階段を下りて、玄関口を抜けて、リングまでたどり着いたところで僕は手を離した。
妹以外の女の子との手を握るのは初めてだったけど、たいして緊張もしなかった。
女の子相手にするドキドキなんて、妖怪退治に付き合わされている時の緊張感に比べたら屁でもないという感じだ。
「さあ、二人共、さっさとリングに昇って」
「え?」
「うちの学校の校庭にいつの間に……こんなものが……」
「いいから、早く。とにかく、マットの上にいないとさっきの妖怪にまた襲われるかもしれないんだよ」
「ちょっとどういうことッスか? お兄さん、結界師じゃないんですか? これはどう見たってプロレスのリングじゃないでスか!」
「君の言うことはもっともだけど、今はそんなことを気にしている暇はないんだ。グタグダ言ってないで、とっと上がれ!」
僕の勢いに恐れをなしたのか、二人は言いたい事を噛み殺してリングにあがった。
そのあとに僕も続く。
あとは、御子内さんが来るのを待つだけだ。
ただ、彼女が本当に来られるのかというと信じて待ち続けるほかはないのだが。
「……お兄さん、そろそろ説明して」
「そうッス。お兄さんって結界師じゃないんスか? さっきの巫女さんもいきなり岡田ばりのドロップキックをカマしてましたし……退魔巫女って話、あれはウソだったんスか?」
うん、まあ、普通はそう思うよね。
うちの妹だって随分半信半疑のままだったし。
ただ、僕はもう彼女と何回も妖怪退治をしてきた経験上、断言できる。
「彼女は、本物の、疑う余地のない退魔巫女だよ」
「いや、その結論はおかしい。あれ、絶対、ヘン」
「変と言ってもどうにもならない。彼女はあのやり方で妖怪退治をしているんだし、そのおかげで助かっている人たちは大勢いる。そして、そのリストの中には、たった今君たちの名前が加わったんだよ」
助けてもらった、ということだけが二人にのしかかる。
確かに、おかしな助けられ方だが、その事実だけは何があっても変えられないのだ。
自分たちが妖怪に飲み込まれようとしていたのを救われたという事実だけは。
「ところで、君たちはどうして夜の校舎にいたんだい? このリングに気づかなかったということは裏門から入ったんだよね? なんで、わざわざ」
「……あなたたちが何をしているのか、見たくて」
「自分は切子を止めたんスが……」
「なんか、学内連絡メールにもCCですぐに学校から出て行くように流れてきて、凄く気になった……。だから、暗くなるのを待って、中に入ったの。あなたたちが原因だとピンときたし」
「それで、四階の自分たちの教室まで行こうとしてたら、急に左手が見えない壁みたいなものに張り付いてしまったッス。全然、とれないし、変な具合に暖かくて気味悪かったッス。それでどうにもならないと思っていたら、お兄さんと巫女さんが来てくれたッス」
なるほど、完全に僕たちのミスか。
この二人にもう少しきちんと説明しておけば、こんな風に巻き込むこともなかったのに。
少し反省した。
だが、そんな反省はあとでもできる。
校舎の中ではまだ御子内さんが戦っているのだから。
半信半疑の二人に、このリングが「結界」であることを説明し、どういう理屈かは省いて、ここに妖怪を誘い込む必要があることなどを教える。
すでに一度、〈ぬりかべ〉に遭遇しているこの娘たちにとっては、突飛な内容でも理解しやすいのだろう、なんとかわかってもらえたようだった。
そのとき、背中を向けていた校舎の二階の窓が割れて、紅白の羽を持った蝶が飛び出してきた。
いや、それは御子内さんだった。
ハリウッドのアクションスターみたいな脱出方法だったが、なんなく地上に着地するところが凄い。
あの綺麗な弧を描くドロップキックを放てる運動神経は、こういう場面でも発揮されるのだ。
とにかく、彼女が結界の外で〈ぬりかべ〉にやられなくてよかったと安堵する。
かなり心配だったのだ。
校庭に降り立った御子内さんは、周囲を見渡し、それから僕たちのいるリングめがけて走る。
一瞬の遅滞もないということは、それだけ相手を警戒しているということである。
鈍重な姿に似合わず、〈ぬりかべ〉はかなりの難敵なのだろう。
あの御子内さんに余裕がないというだけで驚きだ。
「二人を助けてくれたんだね。京一、ありがとう!」
「どういたしまして。ところで、御子内さん、あいつは追ってくるの?」
「間違いなくね。ボクに対してかなり怒り狂っていたから。あいつの食事の邪魔をしたから当然だけど」
「……食事だったんだ」
「かなりエネルギーが切れていたみたいだから、結構、無理をして溜め込もうとしていたみたいだね。ボクまで塗り込められるところだったよ」
さっきの蒼みたいに、左官屋のコテをつかってペタペタとか。
「よく無事だったね」
「ボクだって巫女だからね。そんな手にやられるもんか。あ、来たみたいだ」
御子内さんの視線の先に目をやると、校舎の玄関の扉の一枚がバリバリと内部から弾け飛んだ。
そこにはもう不可視の姿を捨て、白い漆喰の身体をした、正方形よりは下方が長い台形に手足がついたような妖怪がいた。
妖怪〈ぬりかべ〉。
みんなが持っているイメージよりは脆そうだが、それでも雨風に曝された武家の壁のように豪壮な様子をしている。腹のあたりに口らしい割れ目が横に開いているが、目や鼻はみあたらない。背の高さは八尺には満たないだろうが、それでも普通の成人男性を楽に上回るサイズだ。ただ、さきほど見かけたバイクのタイヤ痕だけが不自然に生々しく浮かんでいた。
こんなものに夜道で出会ったら恐ろしく仕方ないだろう。
「あれが……」
「〈ぬりかべ〉ッスか……」
女の子達が呻く。
さっきの撤退するときの一瞬では目に入らなかったのだろう。
初めて見る妖怪の威容に飲まれてしまっているようだった。
「上がってきなよ、〈ぬりかべ〉。戦いの舞台へさ」
御子内さんが、トップロープを上げて、リングの中に入ってきた。
戦う気満々だ。
どうみたってウェイト差や身長差が明確だというのに、燃える巫女である彼女は怯んだ様子は欠片もない。
キャッチグローブを締め直し、不敵な笑みを浮かべる御子内さん。
本当に格好いい女の子だった。
「ちょっと、本当に、巫女さんが戦うの?」
「マジッスか?」
二人の女子高生にはすぐには受け入れられないのだろう。
だが、僕は何度も彼女の戦いを見ている。
いつも彼女を信じている。
「来たぞ」
〈ぬりかべ〉は地響きを立てながら、リングに歩み寄り、そしてトップロープをまたいで中に侵入してきた。
それを確認したと同時に、僕は女子高生を連れて外に出る。
マットの上は御子内さんと〈ぬりかべ〉だけになる。
一人の闘士と一体の妖怪が正面から対峙した。
僕はいつものように脇に避けておいたゴングを取り出して、思いっきり鳴らした。
カァァァァァァン!
最近知ったのだが、この鐘の音は結界から妖怪を逃がさないための何かの術式らしい。
適当そうに見えて、実はそれなりに理にかなっているらしいのが少しだけムカつく。
そんな僕の感慨をよそに、ついにリング上では死闘が開始された。
六十分一本勝負!
巫女レスラー
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