第11話「〈ぬりかべ〉退治」



 ちょっとした連絡をしたあと、僕らは二人の女子高生と別れて、彼女たちの通う高校に向かった。

 いつのまにか、高校の裏口から搬入されていたいつものブルーシートにくるまれた機材をバラし、それからすでに完璧に頭に入っている図面そのままにリングを設営する。

 最初は何時間もかかった作業だったけれど、慣れた今となっては三時間もあれば完成するまでになっていた。

 設営場所が私立高校の私有地という点が問題になりそうだったが、これについては簡単にクリアーされていた。

 学校内に残っていたすべての生徒と教職員はいきなり帰宅させられたのだ。

 僕が一生懸命にリングの設営をしていることさえ、疑問に思う暇もないほどの手際の良さで。

 何度か御子内さんの手伝いをしていてわかったことだが、どうやら御子内さんのバックには相当に強い権力があるらしく、人払い程度ならなんなくこなしてしまう。

 それほどの権力があるにも関わらず、どうして僕なんかが一人で彼女の手伝いをしているのかはさっぱりわからないが、あまり気にしないようにしている。

 小難しい事情を何も聞かない僕について、たまに御子内さんが感謝めいた言葉をかけてくれるのも嬉しいし。

 そうこうしているうちに設営は終了し、校舎の出入り口、生徒の下駄箱前にいつものように「結界台」という名のリングが出来上がった。

 御子内さんがリングシューズのまま、マットに上がり込んで、ロープを掴みながらテンションを確認する。

 マットを上からガンガン踏みつけて、不具合までもチェックして、どこにも問題がないことを把握すると、僕に言った。


「うん、大丈夫だ。これがあればボクは〈ぬりかべ〉と戦える」

「具合はどう?」

「サイコーだよ。京一の仕事はいつもいいね。助手に指名した甲斐があるってもんだ」

「それはどうも。ところで、御子内さん。その〈ぬりかべ〉をどうやってここまで誘い込むの?」


 これはいつも頭をひねる問題である。

 妹が〈高女〉に襲われたときは、妖怪の目的である妹自身を餌にすることでリングに引きずり上げることができたが、いつもそうそううまくいくわけではない。

 人間と見たら手当たり次第に襲いかかる妖怪ばかりではないし、中には自分のホームと決めた場所から一歩も動こうとしないやつもいる。

 今回の〈ぬりかべ〉の場合、夜道を通せんぼするという特性があるのなら、こちらから能動的に仕掛けるしかなく相手方のアクションは期待できないような気がする。

 そんな相手をどうやってここまで連れてくるのか、しかも相手は道を一本塞ぐだけの巨体のはずだ。

 果たしてこの小さいリングに乗せる事なんてできるのだろうか。


「社務所から聞いたところによると、意外と活動的な妖怪らしいからね。一発、腹にかましてやればすぐに挑発に乗って追ってくると思う。そこで、ボクがここに昇って迎え撃つという算段だね」

「一発、腹にかますのは誰がやるの?」

「ん? ボクでもいいし、京一でもいいし、最初に校舎のなかで〈ぬりかべ〉に遭遇したほうがやればいいことさ」

「えっ、僕までやるの?」

「大丈夫だって。一発、殴るだけだからさ。こうやって、抉るように直線に抜けるストレートをぶちかますだけだから」


 御子内さんは、ボクサーのように腰の入った右ストレートを打つ素振りをする。

 身体の正中線をずらして、左手で顔をカバーしつつ放つ、稲妻のような速さの拳だった。

 とても女子高生の打つパンチではない。

 ゴオッと風を切る音がしてもおかしくないぐらいだった。


「そんなの無理だよ」

「腕の伸びる距離、だいたい一メートル以内に入り込めば、あとは握った拳が教えてくれるから」

「オカルトすぎない? それ?」


 妖怪変化が暴れまわる世界にきておきながら、「拳が語る」という理屈はぶっちゃけオカルト以外のなにものでもない気がした。

 僕にとっては体育会系の思考の方がよっぽど異次元だよ。


「……まあ、とにかく僕にも行けってことだね」

「殴るのが無理だとしたら、京一の場合は〈ぬりかべ〉に出会ったらそのまま回れ右して逃げ出せばいい。あとはボクが待つ結界にまで連れてきてくれれば、それでオッケーさ」

「逃げられるの?」

「〈ぬりかべ〉の本質は前へ進むことへの通せんぼだからね。後ろにダッシュすればそれで逃げられるはずだよ」


 だとしたら、行方不明になった人たちだって無事に逃げられていたんじゃないのか?

 そんな僕の疑問に対して、


「そこがおかしいのはわかっている。どうも、ボクの知っている範囲の〈ぬりかべ〉の行動とはそぐわない。そもそも、この学校の中にいるのも変だ。なんで、道端にいるはずの妖怪がこんな建物の中にいるのか? それがさっぱりわからない」

「何か理由があるんだろうね」

「それがわかれば、楽なんだけど」


 その時、僕たちの目の前にある校舎の方向から、女の子の悲鳴が聞こえてきた。

 悲鳴というよりも、罵声というか怒声だったけど。

 僕たちは顔を合わせる。

 聞き覚えのある声だったからだ。

 しかも、つい最近。

 僕の頭に浮かんだ顔は一つ。

 さっきマックで別れたばかりの女子高生、大地蒼のものだった。

 その彼女の危機を伝える声を聞いて、御子内さんは躊躇うことなく走り出した。

 こういう時の彼女は震えが来るほど格好いい。

 人のために一歩前に出るどころか、切り立った断崖絶壁までダッシュで走り込める生粋のヒーローのような女性ひとなのだ。

 少し遅れて僕も続く。

 彼女の役に立ちたくて。

 下駄箱を抜け、二階から三階に続く階段を登り、そして一年生の教室のある四階に達する。

 廊下には電気がついていなかったが、十分な月明かりのおかげで何が起こっているかは判別できた。

 二人の女の子がいた。

 一人は左腕を伸ばして、その左腕を右手が一生懸命に引っ張っている。

 もう一人はその彼女の腰を掴んでさらに引っ張っている。

 蒼と切子だった。

 だが、二人の前には何もない。

 もしも壁でもあったとしたらわかりやすい光景だったが、蒼の伸ばした手はなにもない空間に張り付いたまま動かないという滑稽な姿勢だった。

 へんてこりんなパントマイムのよう。

 何をふざけているんだ、と真面目な人になら怒鳴られそうな姿勢。

 だが、僕にはすべてが理解できた。

 あの伸ばした手は〈ぬりかべ〉の漆喰の皮膚に埋め込まれようとしているのだと。

 そして、彼女たちは必死に運命から抗おうとしていると。

 切子が叫ぶ。


「蒼、もっと力を入れて!」

「だめッス! ぴくりともしないッス!」

「足をかけて! 無理やり抜いてみなさい!」


 蒼が足を伸ばして、見えない壁に押し付けると、


「ひゃっ、今度は足が動かないッス!」

「どうして!」

「知らないッスよ!」


 どうやらハエ取り紙に引っかかった蝿のように、手や足が見えない壁に吸い付いて離れなくなってしまっているらしい。

〈ぬりかべ〉は、今度はあの二人までも飲み込もうとしているのだ。

 どうやって助けようかと思ったとき、御子内さんが獣のような雄叫びを上げてさらに加速した。

 そして、ジャンプする。

 惚れ惚れするような弧を描いて放たれる両足を揃えた飛び蹴り。

 ドロップキックだった。

 御子内さんの両足底は月光のようにきらめいて、蒼を拘束している見えない壁に激突する。

 ダンと鈍い音がして、ズズンと廊下が振動した。

 同時に今まで力を入れすぎていたせいか、よたよたと二人の女子高生は後ろに倒れ込んで尻餅をつく。

 呪縛から逃れたらしい。

 ドロップキックを放ったあとの姿勢から、油断せずに立ち上がった御子内さんが叫ぶ。


「京一、結界まで逃げろ! 二人は京一のあとについて行け! ここはボクが引き受けるから!」


 廊下で仁王立ちして、彼女はこちらを見ようともしない。

 戦いは始まっている。

 御子内さん風に言うならば、「ゴングが鳴った」のだ。


「二人共、こっちに来て!」

「あ、助手さん」

「早く、御子内さんだって、長くはもたない」


 叫んで、二人の手を握ると、僕は引っ張り出した。

 そうだ。

 いくら御子内さんが強くても、巫女は結界の中でしか妖怪と互角に渡り合うことはできない。

 あの「リング」そのものの結界の中でしか。

 彼女は単に僕たちが逃げる時間稼ぎをするつもりなのだ。

 だから、僕たちがここにいては彼女の邪魔になる。

 一刻も早く逃げ出さなければ。

 

「先に行くよ!」

「ああ、すぐに追いつく」


 僕が一度だけ後ろに振り向いたとき、廊下の中央に白い漆喰の壁のような巨大な塊が見えた。

 さっきまで透明だったものが、御子内さんのドロップキックを受けてついにそのステルスを解いて正体を見せたのだ。

 そして、僕は見た。

 あの〈ぬりかべ〉の腹の中央にできた大きな黒い傷跡を。

 縦に長く、白い漆喰の肌には不釣合いな焦げのような傷。

 そして、その傷にはタイヤのものらしき線状痕がついていた。

 十中八九、あれはオートバイの激突によってつけられたもののはずだった……。


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