ー第2試合 今生の怪談ー

第8話「謎の交通事故」



 夜の学校というものは不気味なものである。

 守衛の目をごまかして忍び込んでみたものの、その男子高校生は目的のものをゲットしたらそのまま一刻も早く逃げ出すつもりだった。

 侵入方法は不法だが、彼が確保しようとしているものは彼の所有物。

 明日必要なものだが、今現在学校にあっては困るもの。

 つまりは忘れ物である。

 バスケ部所属の彼は、明日、他校まで遠征にいくというのに、不注意からユニフォームを教室に忘れてしまったのだ。

 これが部室だったら絶対に忘れないといえたが、珍しく教室の自分の机の上に置きっぱなしにしてしまったがためについ忘れてしまったというわけだ。

 明日の集合時間は、遠征先の現地なので朝になってからでは間に合わない。

 そこで、仕方なく彼は夜の学校に忍び込むことにしたのだ。


「やべえなあ、夜のガッコーって怖すぎ」


 身長も百八十センチ後半で筋肉質の彼だったが、やはり夜の校舎というものは無条件に怖い。

 オバケや幽霊の類を信じるほど子供ではないが、やはり原初の闇の持つ得体の知れなさを無視できるほど達観しているわけでもない。

 大柄な身体をそそくさと動かして、彼は自分の教室に侵入して、目当てのユニフォームの入った袋を手に取る。

 そのまま逃げるように外に出た。

 階段へと続く廊下を歩いていると、一瞬、目の前がぼやっと歪んだ。

 まるで質の悪い鏡を見たときのように。

 当然、電気はつけておらず、持参した小さな懐中電灯の灯りだけが頼りという状況なので目の錯覚だと思った。

 もう一歩前に出ると、また目の前の景色がぼやけた。

 今度は澄んだ水の入った水槽を通してその先の何かを見たときのようだった。


「ん、なんだ?」


 廊下全体がそんな歪みにとらわれているような、そんな奇妙な感覚だった。

 高校の廊下は生徒が横に四人ほど並んで歩けるほどに広く、そして高さは彼がジャンプしてようやく天井に届くほどである。

 見慣れた廊下が何か異空間に通じたかのような嫌な予感までした。


「ちょっと待てよ……」


 彼は手を伸ばした。

 手のひらが何かに触れた。

 あえて例えるとしたら、濡れた泥に触れたかのような手応え。

 とても何もない空間に対して感じるものではなかった。


「ひっ」


 手を戻そうとしたが、どういうわけか動かない。

 まるで接着剤がついて張り付いてしまったかのように。

 肩から腕にどんなに力をいれても動くことがない。

 ただ筋を無理に痛めるだけでしかなかった。

 だが、どんなに痛めたとしても、そんなことはどうでもいいほど彼は慌てていた。

 自分の身に生じている異変から逃れるためには、なにも考えられなくなるほどに。


「とれろ、とれろ、とれろ、とれろよぉ!」


 しかし、彼の腕はまったく動こうとせず、それどころか手のひらのみならず手首、そして二の腕までが固定されたように不動のまま。

そして、その状況はさらに悪化し、彼は自分の頬が泥に押し付けられたように湿っていくのを感じた。



 ああ……


 ああ、俺は沈んでいく……


 壁の中に埋もれるように……沈んでいく……


 もう、呼吸もできない……



 ―――そこで、彼の意識は、消えた。



       ◇◆◇



 僕は、通りすがる人たちの視線を気にしながら、御子内さんに言われたままにカメラで写真を撮っていた。

 カメラはキャノンのEOS KISS×2で、僕の私物だ。

 ちょっと前に中古屋に手軽な価格で売っていたので、お年玉を卸して買った大切なものだった。

 普段は、旅行先の風景とか妹しか撮らないのだが、こんな風に道路を多角的に撮影する羽目になるとは思わなかった。

 二車線の道路に一車線の道路がやや斜めに交わる十字路を、他の通行人や車をよけつつ撮影し続けていた。

 御子内さんはというと、信号が赤になる度に交差点にでてきて僕に大きな声で指示を飛ばす。

 いつもの巫女装束で。

 すると、通りがかった皆が僕らのことを複雑な目つきで見やるのだ。

 せめて高校の制服で来て欲しかったのに、本職の時の御子内さんは空気を読もうとはしない面倒くさい人なのだ。

 適当に二十枚以上撮影をして、


「まだ、撮るの?」

「ボクがいいというまでだ。でも、まあ、もういいや。資料写真なんてそんなに必要ないからね」

「どっちなんだ」


 とにかくもう撮らなくていいということなんだと勝手に決め付けて、僕は撮影を打ち切ることにした。

 そもそも、今まで何度も御子内さんの手伝いはしてきたけど、「カメラはないか? あったら、撮影して欲しい」などといわれたのは初めてだ。

 いったい、どういう風の吹き回しなのだろう。


「スマホにだってカメラはついているでしょう? それではダメなの?」

「ボクがそんな文明の利器を自在に操れるなんて思っているのかい? ボクはね、PSPのモンハンだってまともにできやしないんだよ」

「でも、電話は使っているじゃないか」

「それは当然だ。ボクだって、花も実もあるJKだからね」


 うーん、意外と会話にアルファベットを混じえてくるんだけど、どことなく違和感があるんだよな。

 無理して使っているというか、よくわからないものを便利だから利用しているといった感じの。

 掘り出したものや拾ったものは使ってはいけないという、某ロボットアニメの教訓を思い出してしまった。


「メールはできないけどね」


 納得。

 通話機能しかダメなのか。

 道理で僕のところに連絡が来るときはいつも電話だと思った。


「で、なんで写真が必要なの? いつもはこんなことしないよね」

「ん、活動記録を出すように言われてね。ボクも巫女だから、お社の方にはたまにレポートを出さなくちゃならないんだよ。で、今回の事件をまとめてみようと思ったというわけさ」

「へー、役所みたいだ」

「そりゃそうさ。巫女はみんな登録されているんだからね。準公務員みたいなものだよ」


 また、新しい設定が。

 いつも思うけど、御子内さんたちが所属している業界というのはどういうものなのだろう。

 深く聞くと表の世界に戻れなさそうな印象があるから、僕から質問することはないけど、なんとなくアバウトな癖に厳然としたルールが存在するみたいだし。


「でも、別にお化けがでそうな場所じゃないよね、ここ。いつものパターンだと、もう少し暗いところが多そうなのに」


 僕の質問に対して、


「この十字路ではね、二週間前に交通事故が起きたんだよ」

「交通事故?」

「ああ、一台のオートバイが事故を起こしてね。一人の男性が亡くなっている」

「へえ、だから、あそこにお花が添えられているんだね」

「そうだね」


 なるほど、だから写真を撮る僕らを不審な目で見る人がいたのか。

 つい最近起きた事故現場で何をしているんだ、という咎める視線だったのだろう。

 それに気づかなかった僕もちょっと無神経だったかな。


「でも、ただのオートバイの事故なら妖怪退治とは関係ないよね。そんな場所の写真が必要なの?」

「そのオートバイの事故には不可解な点が多かったんだ」

「不可解?」

「まず、事故にあったオートバイは全壊していた。まるで、壁か対向車に正面衝突したみたいに。だけど、事故の音を聞き付けて駆けつけた目撃者は、バイクと激突したようなものは何も見ていない」

「壁とか電柱じゃないの」

「いや、バイクが完全に損壊するほどの衝突なら絶対にどこかに跡が残るはずなのに、なにも見当たらなかったらしい。ボクがこの目で確認しても見つけられなかった。それにバイクの事故は道の中央で起こっていた。ほぼ分離帯に近いところで」


 つまり、その事故にあったバイクは何もないところで壁にぶつかって大破して、運転していた人は亡くなったということか。

 確かに変な事故だ。


「でも、何度も言うけど、その程度じゃ退魔巫女の御子内さんが出張るには理由が弱くない?」

「そうでもないんだ。実は、八咫烏が聞き捨てならない助けを求める手紙を運んできているんだよ」

「八咫烏が?」


 八咫烏は御子内さんたち、退魔巫女と僕たち普通の人間をつなぐ重要なメッセンジャーだ。

 御子内さんからするとプロモーターらしいけど。

 その八咫烏が手紙を運んできたということは、やはり妖怪絡みの事件なのだろう。


「で、その手紙にはなんて書いてあったの?」

「簡単だ」


 袖元から手紙を取り出して、彼女が僕に見せる。

 ノートの切れっ端のような紙切れだった。

 そこには……


『変な壁の中に閉じ込められてしまいました。助けてください』


 という奇っ怪な助けを求める内容が書かれていたのである。

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