第3話「闇の中から……」
僕は何かあった時のために三段ロッドなどをしまったカバンを背負うと、まっすぐに稲荷神社に向かった。
もうすぐ日が暮れる。
何か手がかりが手に入らないかという藁にもすがる気持ちだった。
神社の石段前にたどり着くと、もう少し先に涼花が八尺様を目撃したという民家のブロック塀が見える。
同じ高さだったという桃の木もあった。
そこを覗き込んでみても、もう例の妖怪はいない。
何の形跡も残っていない。
涼花の話を疑うよりも、やはり妖怪らしいという印象しかない。
「……神社に何かあるかも」
僕たちは稲荷神社の氏子だ。
だったら、神様のご加護があるかもしれない。
そんな神頼みをもって僕は長い石段を登った。
後先考えない無意味な行動だったかもしれない。
だけど、ただ怯えて何もしないよりはましだ。
世の中というやつは、最悪の一手を打つよりも何もしない方が悪い方に転がっていくものだと誰かが言っていた。
石段を登ると、そこには玉砂利が敷き詰められた見慣れた神社の境内があった。
いつも掃除をしている神主さんの姿もない。
夕暮れの人のいない境内ほど怖い場所もないなと思っていたとき、いきなり、
「カァァァーーーー」
と、頭上で怪鳥のごとき声が響いた。
慌てて上を向くと、大きな鴉が飛んでいた。
まるでとんびのように輪を描いて飛んでいる。
しかし、みたこともない大きな鴉だというのにどういう訳かあまり怖くない。
むしろ魅入ってしまうような立派な鴉だった。
「おや、珍しい。八咫烏ですね」
振り向くと、いつもの神主さんが立っていた。
僕と一緒に鴉に見蕩れていたらしい。
「八咫烏?」
「ええ、正確には伝説の八咫烏ではないんですが、私たちの業界ではあの鴉のことをそう呼ぶんです」
私らの業界って、神社にも組合とかあるのだろうか。
その場合、宮内庁がしきったりするのかな。
「どんな鴉なんですか。普通のやつより大きいし、なんか格好いいんですけど」
「んー、一言で言うと、人を喚ぶ鴉なんですよ。誰か、助けを求める人のところにやってきて、その人の手紙を必要な人の元へ届けてくれる。そうすると、その手紙を読んで助けが現れる。そんな感じですね。伝書鳩みたいなものです」
「へえ」
「今、君の上で飛んでいるということはきっと君が助けを求めているからでしょうね」
確かに、僕は助けを求めている。
だが、そんなのは偶然ではないだろうか。
「そんな都合のいい話、聞いたことがありません」
「それはそうですよ。普通の人は、頭上を八咫烏が飛んでもその意味に気づかずにただ怖がってしまうだけですから。君のように、偶然通りがかった私が解説してくれるなんてことはなくて、助けを逃してしまうというわけです。意外と多くの人が八咫烏の助けを逃してしまっているんでしょうね。昔なら、そういう言い伝えを皆が知っていたのですが……」
なるほど、そういうことなら納得できる。
僕は決心した。
例え迷信でもいい。
涼花のためにはなんでもやろうと。
僕はカバンから紙とペンを取り出して、できる限り詳しく今回の事件のあらましを書いて手紙にしたためた。
「あ、折る場合は三つにしっかりと角を立てた方がいいですよ」
「わかりました」
神主さんからのアドバイスももらい、僕は手紙―――
次の瞬間、手紙は鴉に奪い取られて、天に上がっていく。
それだけでなんとなく言い伝えは本当のような気がしてならなかった。
八咫烏がどこかに飛び去っていったのを確認すると、僕は神主さんに一礼して、暗くなった神社の境内をあとにした。
◇◆◇
家に戻ると、僕はパートから帰ってきた母親の説得に入った。
理由は聞かないでと前置きをして、「今日一日、ヘタをしたら数日、涼花は部屋の中から一歩も出ないし、出させない」ということを説明したのだ。
当然のことだが、理由は伏せた。
八尺様がうんたらなんてことはきっとわかってもらえない。
普段は真面目な僕たち兄妹だからこそ、こういう奇矯な行動に出たときに理解してもらえないので大変だったが、なんとか母の説得は完了し、それから帰宅した父親の説得も続けて行った。
父親の方は僕が土下座しただけで、すぐにわかってくれた。
妹のために兄貴が土下座までするということが、いかに珍しく真剣なことか男親ならではの理解力を見せてくれたのだ。
その意味では、女親というのは情理に走りすぎるきらいがあるのだろう。
ただ、なんとか説得が済むと、僕は毛布を片手に廊下に陣取った。
背中には涼花の隠れた僕の部屋の扉がある。
何かあったときは、僕だけが動ける。
涼花とはメール以外のやりとりはしないようにして、僕はじっと廊下に座り続けた。
[FROM:涼花 件名:涼花です 本文:お兄ちゃん、起きてる?]
僕はすぐに返信した。
[FROM:京一 件名:Re 涼花です 本文:ああ、なにか変なことはないか?]
レスポンスが異常に早い。
[FROM:涼花 件名:無題 本文:窓の外からこつこつって音がするの]
耳を澄ましてみたが、僕には何も聞こえない。
他の窓を見ても風が吹いている様子はなし。
[FROM:京一 件名:RE 無題 本文:僕には聞こえない 何かあっても無視しろ]
[FROM:涼花 件名:わかった 本文:]
間髪いれずにまたメールが来た。
[FROM:涼花 件名:無題 本文:壁の外から声がするよ ゾゾゾゾみたいな]
僕は怖くなった。
窓の外を見れば、その理由はわかるはず。
ただ、もし本当にいたとしたら、僕はその怪物を目撃することになる。
そのとき、僕は普通でいられるだろうか。
ただ、涼花の恐怖は僕のものなんか比べ物にならないだろう。
僕は後悔した。
一緒に二人で中に入るべきだったのだ。
妹一人を残すべきではなかった。
「涼花、ごめん」
またメールが来た。
[FROM:涼花 件名:FW 何もないから出てきない 本文:大乗みたいだから]
な、なんだ、これ?
涼花、これはなんだ?
誰からのめーるを転送してきたんだよ、コレ?
[FROM:涼花 件名:さっきのメール 本文:知らないメアドから来たの おかしいよ 変だ 怖いよ、お兄ちゃん]
[FROM:京一 件名:誰かに 本文:メールしたか?]
[FROM:涼花 件名:RE 誰かに 本文:してない お兄ちゃんだけ]
[FROM:京一 件名:わかった 本文:絶対に朝まで出てくるな もしかしたらおまえを騙そうとしているのかもしれない 朝まで絶対に]
[FROM:涼花 件名:RE わかった 本文:うん]
……理解できないが、この妖怪はメールまで使っているのか?
そうなったら、もしかしたら涼花は逃れられないかもしれない。
僕が毛布にくるまりながらブルブルと震えていたら、手元に盛っていた塩の塊が目に入った。
茶色く変色していた。
さっきまで白かった結晶が、なんでいきなりこんなふうになるのかとても理解できない。
怖い
マジで僕はそう思った。
妹の戯言であったらいいと、かすかに思っていた僕だったが、もうどうにもならないのっぴきならない現象に遭遇しているのだと理解した。
なんでこんな目に妹が合わなくてはならないのか。
僕も怖い。
だけど、妹だってもっと怖いだろう。
誰か、僕はどうでもいいから、妹を、涼花を助けてやってくれ。
そんなことを祈っていたら、僕はウトウトしてしまったらしく、気がついたら朝になっていた。
手元の盛塩は完全に黒くなっていて、なにかがおきたことを如実に物語っている。
僕は涼花にメールを出した。
返事はこない。
多分、あいつも寝ているのだろう。
僕はかなり怖かったが、そのまま庭に出た。
僕の部屋が見える場所にはなにも異常はなかった。
窓が開いた様子もない。
ただ、少しだけ怖かったのは、庭のいたるところに落ち葉がどっさりと溜まっていたことだった。
僕の家には普通こんなに落ち葉が貯まることはない。
誰かが意図的に捨てたりしない限り、ありえないことだ。
晴れ渡った秋の朝の中で、僕がトボトボと玄関にはいろうとした時、後ろから声をかけられた。
昨日といい、今日といい、最近はよく後ろから声をかけられる。
「キミが、京一くんかい?」
「そうですけど」
と、振り向いて僕は唖然とした。
だってそこにはいたのは、
―――白衣と緋色袴を着こなした、僕と同い年ぐらいの巫女さんだったからだ。
「
それが、僕と彼女―――
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