第2話「少女を狙う怪奇」



「お兄ちゃん、怖い!」


 妹が帰宅するなり僕の部屋に飛び込んでくることは、そんなにあることじゃない。

 たまにあったとしても、それは台所の母に僕を呼んでくるように言われたからとかそんな場合だ。

 少なくとも、帰宅してすぐに僕の顔を見にきたくなるぐらいにブラコンという訳ではないようだ。

 でも、世間一般の兄妹関係よりはうまくいっているとは思うけど。


「どうしたんだよ、いきなり。ストーカーでもでたのか?」


 僕も最初はそんなに真剣に応対する気はなかった。

 確かにうちの妹はかなり可愛くて、ぶっちゃけた話、僕みたいな平凡そのものの兄と同じ遺伝子で出来ているとは思えないタイプだ。

 中学校でも、たくさんの男たちから告白されたりしているみたいだ。

 ただし、妹はいわゆるオカルトや都市伝説というものが大好きで、そちらをネットで漁ったりするのが趣味というインドア派であることから、今ひとつ男女交際には興味がないらしくすべて断っている。

 兄としては残念な喪女になったりしないか心配なのだが、妹自身はそれでも満足かもしれない。

 

「見、見ちゃった! 見ちゃったの!」

「何をだよ」


 見たということは、コートを着た全裸か半裸の変質者だろうか。

 まあ、知らない男の局部を見れば誰だってこんな反応になるかもしれないな。

 でも、よく風呂上がりの僕の全裸をばっちり拝んでいるこいつがそこまで取り乱すほどのことではないような気がする。

 さすがにちょっと心配になって、僕は勉強をやめると、妹を座布団に座らせた。

 それから机の脇にある僕専用の小さな冷蔵庫からジュースを取り出して渡す。

 わざわざ台所まで行かなくていいので、不精者の僕にとってはありがたい家電だ。


「ありがと……」

「気にするな。それを飲んでから少し落ち着けて話をしよう。な、涼花すずか

「う、うん」


 僕のにっこりとした笑顔にどれだけ効果はわからないけど、妹―――涼花はなんとか自分を取り戻した。

 ベッドに腰掛けて、僕は涼花がジュースを飲み干すのを待ち、それから口を開く。


「で、何があったんだ」

「は、は」

「は?」

「八尺様を見たの!」

「なんだ、それ?」


『はっしゃくさま』という単語に聞き覚えのない僕には当然ちんぷんかんぷんな話だった。

 だけど、涼花にとってはそうではないらしい。


「八尺様を知らないの?」

「ああ、まあ、知らないな。どこのお大尽なんだい?」

「―――パソ貸して」


 そう言うと、涼花は僕の机の上のパソコンを起動させ始めた。

 パスワードとかは設定していないので簡単に動かせるはずだ。

 僕は自分のパソコンでもエッチなサイトとかにはいかないし、そういう画像も動画も溜め込まない真面目な性格なのでこういう風に妹に直接使われてもどうということはない。

 むしろ、僕からすると涼花のパソコンやスマホの方がヤバイ気がする。

 どういうふうにヤバイかは、言うまでもないだろう。

 涼花はグーグル先生を使って、「八尺様」という単語を検索した。

 そして、一つのサイトを見つけると僕に見せつけた。


「これだよ」

「……どれ」


 僕が見ると、白い屍衣のようなものをまとった背の高い女性のイメージイラストがあり、そのタイトルとして「八尺様」とある。

 イラストは怖い顔をしているが、麦わら帽子のようなものをかぶっていてちょっとユーモラスではあった。

 説明文があるので読んでみると、八尺様というのは、日本の伝承と都市伝説が融合したネットで広まった物語らしい。八尺様の都市伝説では、たいてい日本の地方が舞台になり、そういう意味では東京都とは言っても僕らの住むこのあたりも含まれるかもしれない。

そして、八尺様とは文字通り、八尺=2メートル40センチを超える身長の得体のしれない女性の形のもののけで、未成年を好んで、その女性に魅入られてしまうととり殺されてしまうという話だ。


「これを見たってのか?」

「うん」


 涼花は断言した。

 どうみても嘘を言っているようにはみえない。

 それに僕は妹を疑うことなんて今までやったことがない。

 考えたこともないぐらいだ。


「細かく話して」


 僕が信じてくれるとわかって、ようやく本当の意味で落ち着けたのか、涼花はぽつぽつとさっき実際に起こった出来事を話し始めた。


「……学校から帰る途中、あのお稲荷神社のちょっと前で、なにか寒気がしたの。もう秋だから当然なんだけど、嫌な予感がして周りを見たら、ブロック塀の上から黒い髪みたいなものがでているを見つけたんだ。その瞬間、まずいと思ったんだけど、あたしが目を背ける前に黒髪がにゅっと上がって、女が顔を出したの。黒目……ううん、白目がないのかな……不気味な顔をしていて、あと、口がもう耳まで割れているんだ。それがあたしをじっと見つめてきた。あたしはなんとなくあれは「八尺様」みたいだって思った。そしたら、すぐにブロックの上に今度は肩まで出てきて、あそこの桃の木と並んだんだよ。あんなに背の高い女性なんてどこにもいない。もうあとは無我夢中で逃げた。どうして、あたしの目の前に出てきたかなんてわからないけど、逃げた。それでようやくうちに帰って来れたんだ」


 なるほど、肩まで見えたというのならいたずらの可能性は少ないな。

 オカルト好きな涼花をからかってやろうというクラスメイトたちのいやがらせの線はないのか。


「それで、その八尺様に魅入られるとどうなるんだ?」

「たぶん、死んじゃう。それぐらい強い悪霊みたい」

「都市伝説―――作り話じゃないのか」

「うん、どうなんだろ。ネットの中の話だと、そのあたりの真偽は定かじゃないから。でも、八尺様と呼ばれているものそのものは、誰かが匿名掲示板で創作したものであることは間違いないはずなんだよ。だけど、元ネタみたいなものはあると思う。それがどうしてあたしの前に出てきたかは知らないけど……」


 僕は腕組みをして考えた。

 産まれて十七年、この町で暮らしてきたけど、そんな妖怪だか悪霊だかの話は聞いたことがない。

 もう一度、さっきのサイトを見てみる。

 すると、「八尺様で出没するのはその村だけ。なぜなら、八尺様を脅威に感じた村の人が村の周囲をお地蔵さんで囲って結界を張ったから。結界のおかげで八尺様は村の外へ出て被害を出すことができないのである」という文言があった。

 つまり、そもそも移動する妖怪なんだが、結界によって封じられることで固定されてしまっていたということだ。

 裏を返せば、どこかの結界が破れれば、八尺様は外に出て被害を生むということか。

 妹の言う通り、それがネットでの作り話なのだとしたら意味はないけれど。


「どうすればいいかな?」


 心配そうな涼花を無視して、僕は考える。

 本当か嘘かはさておき、サイトには対処法について載っている。

 とにかく、今日一日は涼花を部屋に閉じ込めて様子を見てみよう。

 もし、伝説のとおりなら、今日の夜にその八尺様もどきは涼花のもとに現れるはずだ。

 外れていたのならそれでもいいが、笑い飛ばしておかしなことになったら僕は死んでも死にきれない。

 妹を守ってやれるのは僕だけなのだ。


「……とにかく、サイトの情報を見る限りでは、今日一日が正念場だろうな。涼花、朝までこの部屋にいろ。幸い、ここには冷蔵庫もあるし、携帯で連絡も取れる。あとはトイレだけど、確かキャンプ用の携帯トイレがあったはずだから、それを使おう。すぐに新聞紙で窓の目張りをするんだ。夜になるまでに終わらせよう」

「……お兄ちゃん、ママたちにはなんていうの?」

「僕がなんとか説得する。必要があったらメールか携帯でおまえもフォローしてくれ」

「うん」

「僕に任せろ」

「はい」


 従順な妹にちょっといい気になりながら、僕はすぐに新聞紙での目張りをし、部屋の四隅と扉の外、窓の外に盛り塩をした。

 気休めでもないよりはマシだ。

 それから、ありったけのお小遣いで携帯食料をコンビニから買ってきて部屋に備蓄する。

 一日、とさっきは言ったが、最悪何日かは籠城させる羽目になるかもしれないからだ。

 そして最後に、


「よし、涼花。何があっても、絶対に朝までは出てくるな。親も俺も絶対におまえを外に出そうとはしない。もし、そんな声がしたら、それはその八尺様もどきの仕業だ。朝になったら出て来い」

「お兄ちゃんはどうするの?」

「徹夜しておまえを守る。あと、これからすぐに神社の方を見てくる。何かわかるかもしれない」

「危ないよ!」

「仕方ない。おまえのためだ。兄ちゃんはおまえのためならなんだってできるんだからな」


 そう言って、僕は部屋の扉を閉めた。

 中からごめんと謝る涼花の声がしたが、僕はそれを振り切るようにして外に出た。

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