最終話人間オレ


「おいデブ! さっさと仕事しろよ、つかえねえな」

「はい! 喜んで!」


 俺はぶふーぶふーと鼻息を出しながら駆け足で先輩の机まで移動した。

 書類を手渡すと、ちっと舌打ちされる。


「くっせんだよ、デブが!」

「もうしわけありません、先輩!」


 先輩は、書類を手元に残したままだ。

 どうやら内容に不備はなかったらしく、いつものようにいびりはなかった。

 ちょっとつけ入る隙を与えるとすぐに説教が始まるのだ。

 ぶっちゃけて言うと、彼よりも俺の方が仕事できるけどね。


「おい、そこの、えと、くそデブ!」

「はい! くそデブです!」

「昨日の案件、どうなった?」

「はい、取引先の担当者様からご連絡頂いてご契約いただけると!」

「そうか、おまえにしてはよくやった」


 言っておきますけどね、俺の配属先は総務で営業じゃないんすよ。

 それが全課営業ノルマとか意味わからない制度作って、代表者にやらせるとかどうなの?

 その上、労務の仕事とか何で回って来るの?

 しかも俺一人に任せるとかなんなの?

 できるよ? でもおかしいよね!?

 ま、言わないけどね。

 いつも愛想笑い浮かべて、さすがっすね、って言ってるだけだからね、俺。

 先輩や上司を立てるってのは重要よ。

 日本で生きていくにはね。

 俺はへへ、すいやせん、とか言いながらへこへこしつつ、机に戻った。

 入社してすでに三ヶ月、仕事にも慣れた。 

 前の会社の経験を活かした会社なので大して問題はない。

 何の仕事かって?

 まあ、色々だよ。

 事務関係から営業が主だな。

 総務と労務と人事を兼任とか意味わからないけどね。

 やらされてるのは俺だけなんだよね。

 なんでだろうね。

 できるけどさ。

 俺は一人しかいないんだからさ、ちょっとは手抜きさせて欲しいわけで。

 頑張りたまえ、未来は明るいぞとか上司に言われても、絶望しかありませんわ。

 まあ、どうやらこのまま頑張れば課長くらいにはなれるらしいので頑張ろうと思う。

 ぶっちゃけ仕事を大してやる気はないんだけど、やるからには真面目にやらなければならない。

 で、だ。

 正直に言おう。

 下ネタが言いたい! 

 剣生時代の時みたいに、エッチなこといって女の子に殴られ蹴られ罵倒されたいのに、それができない。

 この世界でそんなことしてみ?

 セクハラで左遷されるから、簡単に、マジで。

 剣時代はさ中性的な声だったのに元のブヒ声に戻ってるし。

 見た目もデブサイクだしさ。

 でも悪くはない、かな。

 死ぬ前よりは前向きになれている気がする。

 一応、ダイエットも始めたし、身なりにも気をつけ始めた。

 仕事も前よりは意欲的に取り組んでいる。

 あの時。

 石垣君のおかげで俺は聖剣から人間に戻り、地球へと帰ってきた。

 で、だ。

 なぜか、俺は死んでいなかった、ということになっていた。

 あれだけの高さから落ちたのに、岩場を見事に避け、海を漂い、岸に漂着したのだ。

 怪我一つなく、しかも近場だったので車に乗ってそのまま家に帰ったくらいだ。

 奇跡的だ。

 石垣君の力のおかげで助かったのか。

 それとも元々助かって、俺の精神か魂とやらだけが異世界に行ったのか。

 どっちなんだろうな。

 考えても答えはない、か。

 俺は考え事をしながらもテキパキと仕事を続ける。


「何、一人でやる気になっちゃってんの。マジ、ああいうの、迷惑なんだよね」

「ねー、仕事できるって上司にアピールなんじゃない?」


 ひそひそと他人の悪口を言う女性社員。

 仕事をやらない人間の方が会社からしたら迷惑なんですが。

 やれやれだな、ほんと。

 やる気のない中堅社員に、やる気だけはあるけど失敗ばかりの新入社員。

 責任逃れだけは上手い上司に、部下をまったく見ない社長や経営者。

 最高じゃないか。

 頑張れるだけ最高だ。

 うんうん、それなりに楽しくやれているし、これはこれでいい。

 ただ、やっぱりたまに思い出す。

 ソーニャのことを。

 もちろん、ムラマサちゃんやほかの人達のことも考えるけど、やはり一番はソーニャだ。

 彼女は元気だろうか。

 俺がいなくなって責任を感じてはいないだろうか。

 ……数日経てばケロッとしていそうだけど。

 それならそれでいいし、むしろそれでいい。

 自分のために彼女が傷つくような状況は嬉しくもなんともない。

 願わくば。

 彼女が異世界で元気なままでありますように。

 ……あ、でも、あの胸を見たいなー。

 元々尻派だったのに、ソーニャのせいで胸派になってしまったくらいだ。

 夢想しながらも手は動く。

 そう、俺は仕事に生きることに決めたのだ。


「あー、ちょっといいかね」


 おや、珍しい。社長が顔を出すとは。

 ただの白髪のおじいちゃんとの呼び声が高い社長が、いつに間にか部屋の正面に立っていた。


「い、いいい、いかがなさいました、社長!」


 上司が手を擦りながら社長にすり寄った。

 素晴らしい。見事なゴマすりだ。

 しかしハゲ上司を無視して社長は社員達を見渡した。


「今日からこちらへ配属になる社員を紹介する。入りたまえ」


 社長自ら、新入社員の紹介?

 一体、どういう人なのだろう。

 権力者のコネで入社したドラ息子とか?

 いやいや、まさかこんな中小企業にわざわざ入らないだろう。

 なんて色々と考えると、件の社員が入って来た。

 誰もが言葉を失った。

 喧噪もない。

 何の音もしなくなった。

 それもそのはず。

 その新入社員は外国人の女性だったからだ。

 しかも、もの凄くスタイルがいい。

 何より胸が良い。でかい。迫力満点だ。

 うおおおおおおおおおおお、すげええええええ!

 俺の視線は胸に集中した。

 顔はまあ、置いておいて、ぶっちゃけ後回しでいいとしてだ。

 いいね、素晴らしいね、そのお胸。

 これから毎日眺めていいの? ねえ、いいの? ねえええええ!?

 妄想をしている間も、紹介は続く。


「初めまして。本日よりこちらでお世話になることになりました、ソーニャ・アルガストです。よろしくおねがいします」


 うんうん、そうか、いい名前だね。

 でもその前にね、その胸を堪能させてね!


「アルガスト君はドイツの名門大学を首席で卒業し、日本へと移住したとのことだ。

 非常に優秀な人材で、本来は総務に配属する予定ではなかったのだが、しばらく研修という形でこちらで働くことになる。

 その後、研究課へと転属する予定だ」


 社長の言葉を聞いている人間は一人もいなかったと思う。

 俺は俺で胸に夢中。

 ふむ、いいな、90はあるか……? いや92、か?

 く、なんてことだ、こんな宝が埋もれていたなんて。

 ああ、ビバ洋物。

 ありがとう洋物。 

 これからしばらく仕事が楽しくなりそうだ。


「では私はこれで。後は任せたよ」

「は、はい!」


 上司に一言告げた社長はやれやれと言いながら部屋を出た。

 社長があれだけ気を遣うと言うことはそれほどに優秀な人らしい。

 おお、そう言えば、まだご尊顔を拝んでいなかったな。

 俺はゆっくりとその女性の顔を見た。

 ん?

 あれ?

 目をごしごし。

 んん?

 おかしいな?

 そう言えば名前も。

 聞いたことがあったような。

 えと、なんだっけ。

 ソーニャ?

 アルガスト?

 ソーニャ? ソーニャ!!!?

 何度も瞬きして、何度も目を擦った。

 ソーニャだ。

 ソーニャに間違いない。

 見た目はそのままだ。

 少し歳を重ねたみたいだが、大人の魅力が加わり更に美人になっている。

 ってか美人過ぎる。

 なんだあれ、モデルとか芸能人とか超越してる。

 完璧すぎる。

 見る者を魅了する容姿、それしか形容しようがない。

 俺はあんぐりと口を開けてソーニャを見つめた。

 しかし彼女は俺のことに気づいていないのか、俺の方向を見ない。

 偶然?

 ってか、どんな偶然だよ!

 たまたま何かの奇跡が起こって、異世界から地球に来て、たまたま日本に来て、たまたま俺と同じ会社に入ったって?

 おいおい、冗談だろ。

 それが事実なら、どんな奇跡だよ。

 だめだよくわからない、混乱している。


「え、えーと、それじゃ、アルガストさんの教育係は」

「俺がやりましょう!」


 あ、先輩だ。

 だと思ったよ、あいつ。

 目立つの大好き、人を見下すの大好き、女好きの三拍子が揃っている奴だからな。

 まあ、こういう時だけ率先して頼れる先輩アピールしようって腹だろう。

 解りやすすぎて、周囲の社員達も苦笑いか陰口をたたくばかりだ。


「アルガストさん、何か疑問があるなら俺へ聞くといい。全部答えてあげるから。

 俺はこの会社でも優秀でね、みんな俺ばかり頼って困るよまったく。

 優秀だから仕方がないけどね。そういうことだから、君も俺を頼るといい」


 先輩は気持ち悪い言葉を並べ、ナルシスト全開の立ち振る舞いだった。

 これにはさすがの俺もドン引きである。

 ソーニャは先輩に向かいニッコリと笑った。

 大人な表情に俺はドキッとしてしまう。

 もしここにいるソーニャが俺の知っているソーニャなのであれば、こんな顔はしないはずだ。

 やはり同姓同名、姿がまったく一緒の中身は別人、なのか?

 俺の疑問は氷解することなく、時間だけが過ぎる。

 そしてソーニャは言った。


「頼られて大変でしょうから結構です」

「そうそう。え? い、いやいや、大丈夫だから、余裕だからさ。

 ほら、俺は優秀だからこれくらい余裕なんだよ。だから教育係をやってあげるよ」


 ソーニャは笑顔を固定したまま続けた。


「いえ。あげる、なんて上から目線の人は嫌いなので結構です」


 おー……やっぱりあのソーニャなんじゃないかしら。

 こんなバッサリ言う人はそうそういないような。

 俺は淡い希望を持ったままソーニャを見つめてしまっていた。

 彼女のことを考えない日はなかったが、同時にこうも思った。

 もしも俺の姿を見れば、きっと剣の時とは対応が変わるだろうと。

 ブサイクでデブで底辺の俺を見て、多分引くだろうと。

 自虐じゃない、事実だ。

 それはただの想像だったが、現実になりかけている。

 彼女が本当にソーニャであればだが、俺は思いつつあった。

 多分、彼女は――。


「あの人で」


 ソーニャはそう言いつつ、俺を指差していた。

 ん? えと、何の話だったか。


「あの人を教育係にしてください」

「……は?」


 先輩が素っ頓狂な声を出した。


「ちょ、ちょっと待てよ、俺が教育係をやってやるって」

「ですから結構です」

「あ、あいつよりも俺の方が絶対いいって!

 あんなブサイクな奴、君には似合わない!」

「だから、うっさいわね。偉そうな奴が嫌いだって言ってんのよ、私は。

 ってか第一印象であんたウザいから。話しかけないでくれる?

 私、あんたみたいな人間がこの世で一番嫌いなのよ。

 心の底から嫌悪感を覚えるから」


 はっきり言われてしまい、先輩は打ち上げられた魚のように口をパクパクと動かすだけだった。

 この人、ここまではっきり言われた経験なかったんだろうな。

 よかったね、今まで出会った人達が事なかれ主義か性格のいい人ばかりで。


「い、いや、しかしね、彼は」


 上司が困ったように言う。


「何か問題でも?」

「いや、う、うーん。彼は仕事が多くてね、君の教育までは手が回らないと思うよ」

「どうして、あの人だけ仕事が多いんです?」

「そ、それは、ま、まあ、そういう風になっているというか」


 ソーニャは嘆息する。明らかな侮蔑を俺以外の全員に向けて。


「知ってます、事前に社内のことは調べて来たんで。

 どうやら彼に仕事を押し付けて、自分達は楽をしているみたいですね。

 見た目だけで判断して、中身を見ない最低な人達だわ。

 その上、自分達の性格の悪さと無能さを棚に上げて、優越感に浸るくだらない人間ばかりだと。

 ちなみに私は最大限に自分のコネを使うつもりです。

 私は、ドイツにある親会社のCEOの娘ですからね。

 私がここに来たのは、掃除のためでもあるんですよ。

 腐った人間が一番嫌いなので、そういう人は首にするように社長に進言します。

 わかりました? わかった? わかったなら仕事する!」


 ソーニャがパンと手を叩くと全員が一斉に動き出した。

 人心を掌握しているみたいだ。

 俺は呆気にとられてしまう。

 いや、違う。

 ソーニャの姿に見惚れていたのだ。

 目を離せない。

 自分の分をわかっているのに、どうしても目を離せないのだ。

 ソーニャと目があった。

 何かの魔術でも使われているのかと思うほどに、自分の身体が動かない。

 周りが忙しなく動いているのに、俺とソーニャの時間だけがゆっくりと動いている気がした。

 ソーニャは俺へと一歩ずつ近づく。

 心臓が突然暴れはじめる。

 ドクドクと心音がうるさく感じる。

 ソーニャが俺の目の前で止まる。

 俺を見上げるその目は確かに、俺の知っているソーニャだった。


「こっち」


 不意に手を引かれ、部屋を出た。

 屋上へと向かい、やがて彼女は立ち止まる。

 そのまま振り返り、また距離を縮めて来た。

 心臓が破裂しそうだった。


「ねえ」


 少女と大人、両方の印象を与える声音だった。

 俺は何言えず、無言で見詰めるだけだった。


「何か言ってよ」

「え、と」


 いつもは我を通すことが多い。

 こんなに狼狽することはなかった。

 情けないが、顔が熱い。

 それでも逃げるつもりはなかった。

 彼女だ。そう確信したから。


「ソーニャ、なのか?」

「そうよ。見ればわからない?」

「……いや、えと、もっと綺麗になってるし」


 無意識に出した言葉に、しまったと思った。

 しかし吐いた言葉は戻せない。

 ソーニャはどう思っているのかと不安に思ったが、彼女は不服そうに唇を尖らせて視線を逸らした。

 耳が少しだけ赤い。


「ありがと」

「いや……あ、ああ。えと、なんでここに?」

「魔王に頼み込んだの。

 あんたの事情を知って、私もこっちの世界に来ようと思ってね。

 あんたは知らないだろうけど、地球とあっちの世界は鏡みたいなものなんだって。

 だからこっちとあっちは繋がっていて、別の自分がいるらしいわ。

 あの魔術『こっちとあっちの世界にいる自分を入れ替える魔術』なのよ。

 ただこっちにいる自分が人間や意識のある存在かどうかはわからないけど」

「つまり、人間があっちの世界に行ったら虫とか別の動物だったりするかもしれないてことか?」

「そういうこと。あんたの場合は剣だった。私は人間だった。

 覚悟してたんだけどね、運が良かったわ。

 私の場合は見た目もそのままだったし。

 その……し、失望される、みたいなことはなかったわけだし」

「……それなら、その、俺の方が」

「何が?」

「何がってほら、見た目が」

「? 別にいいんじゃないの? 私はあんたの中身が好きなんだし」


 会話の中で自然に出た言葉だった。

 だからかソーニャは普通の態度だったが、自分の言葉を省みて、即座に顔を赤くした。


「ま、まあ、そ、そういうことだから。こ、ここまで来て上げたんだし、か、感謝してよね」

「わかりやすいツンデレだな、おい。でも、ありがとう。

 正直に言うと……また会いたかった、本当に、心から会いたかったから。

 嬉しいよ。本当に。本当にそう思う」

「……何度も本当なんて言わなくても、伝わってるから」


 不服そうにまたしても唇を尖らせる。

 子供っぽいしぐさだが、俺の知っているソーニャの面影を感じ嬉しくなる。


「とにかく! わざわざ私が苦労してここまで来て上げたんだから!

 その……わかるでしょ!」


 彼女いない歴と年齢が同じな俺には何をしたらいいかわからない。

 情けなく狼狽えていたらソーニャがキッと睨んできた。


「ああ、もう!」


 ソーニャは勢いよく俺の胸へ飛び込む。

 反動で少したたらを踏むが、何とか受け止めた。

 いつもは俺が持たれていた方だったから、なんだか新鮮だった。

 胸が当たる。

 胸が、あたるううううううううううううううう!

 ひゃっほおおおおおおおおおおおおおおおおお!


「あ、あんた、わかりやすいわね」

「こ、こここ、これは失敬した」

「動揺し過ぎ。ほんと、こういう経験ないんだ」

「まったく、微塵も皆無でして」

「ま、私は嬉しいけどさ」


 小声だったが聞こえてしまった。

 これ夢じゃないよね、現実だよね?

 俺は何度も自分の頬をつねった。

 気持ちよかった。

 夢じゃない!


「ねえ」

「な、なんだ?」

「……もう、言わないでよ。さよならなんて」

「わかった。これからはずっと一緒だ」

「うん……うん」


 ぎゅっと抱きしめると華奢なことに気づく。

 こんなにも小さい身体で、俺のためにどれほどの努力を重ねたのか。

 辛いこともあっただろうに、ここまで来てくれたのだ。

 細かい疑問はあった。

 けれどそんなことはどうでもよかった。

 俺はただ幸せを噛みしめた。

 この時間が一生続きますようにと願い、そして同時に思った。

 このまま仲良くなれば胸を揉めるようになるのかな、と。


                             END

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聖剣オレ 鏑木カヅキ @kanae_kaburagi

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