第9話 龍崎
「三上洋、武井俊輔、武井順子。3名が一致しました」
アンドロイドが事務的に言った。
「そうか…。わかった、また明日頼む」
今日も3人…龍崎はうなだれながら応えた。
「わかりました」
そんな龍崎とは対称的に、アンドロイドは何事もなかったかのように社長室を後にした。
安楽死が可能になるまであと1ヶ月、安楽死を望む人間が多いのか、自殺者はここ最近減少していた。
しかし、中にはそれすら待てずに死を選ぶ者もいる。
彼らにはもう猶予がなかったのだろう。
新庄は…
龍崎は顔を上げる。
新庄は、恐らく毎日通夜と葬儀に追われているだろう。
頭を下げているんだろうか。
苦しんでいるんだろうか。
新庄…お前は何も悪くないのに。
龍崎は新庄に会いたかった。
しかし、今自分が連絡したところで、新庄が楽になれるとも思えないし、むしろ感情を逆撫ですることになると思うと、それも憚られた。
そんな考えを遮るように、いきなり内線が鳴った。
「社長、脳神経科の教授たちがお見えです」
アンドロイドの声がする。
「通してくれ」
龍崎は感情を遮断して、いつもの平静さを取り戻して言った。
それと同時に3人の教授が入ってきた。
「どうしました?」
龍崎は3人にソファーを勧めながら、アンドロイドにお茶を頼んだ。そして自分は教授の向かいに腰掛けた。
「今日は、自由会話プロジェクトの今後についてお話させて頂きたく」
教授の1人が口火を切った。
「それなら、プロジェクトの打ち合わせでお話頂ければ良いのでは?」
アンドロイドが持ってきたお茶を勧めながら、龍崎は応えた。
「いえ…それが…ちょっと内密なご相談でして…」
別の教授が応えながら、お茶を一飲みした。
「ほう…なんでしょう?」
龍崎は真っ直ぐに彼らを見た。
言いづらそうにしていた教授が、思い切った様子で口を開いた。
「自由会話プロジェクトは、もうある程度成功に近づいています。大きな課題であった代名詞や思いつきにも、かなりの確率でアンドロイドは対応できる。文脈というものも理解しつつあります」
「…私から見るとまだまだですが、確かに確実に学習はしていますね」
龍崎はお茶を飲みながら静かに応えた。
「龍崎さんが仰るまだまだの部分、そしてアンドロイドに決定的に足りないもの…それを取り入れるには新たな取り組みが必要です」
教授は熱く言った。
「アンドロイドに決定的に足りないもの…?」
龍崎は再び顔を上げた。
「感情です。子どもの成長に必要なもののひとつに喧嘩があります。喧嘩しないで何でも期待に応えていたら、子どもの成長に良くない影響を及ぼすでしょう。それをなくすためには、子どもの感情を捉えることが必要ですし、遊び相手となるアンドロイドにも感情が必要だと我々は考えてます」
熱く語って教授はお茶を飲み干した。
「…なるほど。そして更に、アンドロイドが感情をおもんばかることができれば、より自由会話も進む、と」
いつかは出る話だと思っていた。この先教授が言うことも、龍崎の答えももう決まっていた。
「その通りです。そのためには人間の脳を解剖して、脳神経について更なる理解を深める必要があります。自殺された方にご協力頂ければ、この研究は加速度をつけて進むかと…」
「ダメだ」
龍崎は教授の言葉を遮った。
「将来的に、自殺者から、死後自身の身体を研究対象としてもいい、と遺言を残してもらえるならそれは可能かもしれない。だが、自殺者の大半はアンドロイドを恨んでいるだろう。そんな彼らの人体を研究目的で切り刻むなど、僕の倫理観に反することはできない」
龍崎は言い切った。
「ですが、死んでしまった彼らにはもう意志などありませんよ。死んでなお、社会貢献するのだと思えば…」
教授は食い下がる。
「ダメだと言っているだろう!それは死者を冒涜する行為だ!あなた方は脳を解剖しないと研究が進まないのか?生きている脳から仮説検証していくことが本来の筋だろう。科学者としての誇りを忘れないでもらいたい」
「…」
これ以上言っても無理だと教授たちも気付いたらしく、
「わかりました」
そう言って、社長室を後にした。
龍崎はため息をついて椅子に腰掛けた。
教授たちにはああ言ったものの、仮説検証では限界がある。
脳を解剖するのが手っ取り早いのは龍崎だってわかっていることだし、性格形成や感情はまだまだ未知数なところなのもまた現実だ。
それでも…
龍崎は正当な科学者でありたかった。
アンドロイドが普及したことで、毎日人間が亡くなっている。
龍崎の関心は実際のところ、新庄の身内だけだったが、彼らを解剖するなどと言ったら新庄は激怒するだろう。それは他の人間も一緒だ。皆大切な誰かがいる。龍崎は人の心を忘れたくはなかった。
そんなことを考えていると、再び内線が鳴った。
「社長、八木さんがお見えです」
八木か…
八木は龍崎の大学院の研究室の後輩で、今や龍崎のプロジェクトの実質的リーダーとしてその才能を遺憾なく発揮している優秀な社員だった。
「通してくれ」
今日は来客が多いな…
そんなふうに思いながら龍崎は言った。
「社長、お疲れっす」
部屋に八木の元気な声が響き渡る。
「お前は社員として用事があってきたのか?プロジェクトじゃなくて?」
龍崎は笑顔で八木をソファーに促した。
「あっ、先輩、お疲れっす!」
八木も笑顔で言い直した。
八木は、龍崎にとって数少ない心を許せる人物だった。
付き合いが長いこともあり、その明るさは新庄に少し似ていた。
「まさかお前もプロジェクトの進行は無理だと言いにきたのか?」
アンドロイドにお茶を頼んで龍崎が話しかけた。
「は?プロジェクトが無理だと?誰ですか、そんなヘタレは?」
八木の言葉に龍崎は思わず笑ってしまった。
「ま、大体想像はできますけどね。最近、アンドロイドを作りたいのか、人間を創造したいのかわからないメンバーがいますからね」
八木は事も無げに言った。
「まあ、究極のアンドロイドは人間であるって気持ちはわからないでもないけどな」
龍崎はお茶を飲みながら言った。
「そうですか?僕にはわかりませんね。アンドロイドはアンドロイド。人間は人間。そうじゃないなら人間が生存している意味がないじゃないですか」
「…人間が生存している意味…か。俺もなんだかわからなくなってきたよ」
龍崎は肩を落とした。
「先輩、やっぱり疲れてるんじゃないですか?アンドロイドはあくまでも、人間の生活を便利にするためのツールですよ。なんだか最近先輩の様子がおかしいから、様子を見に来たんです」
八木が心配そうに龍崎を見る。
「そうだったのか。すまなかった、俺は大丈夫だ。それより、高田はどうしてる?」
龍崎は話題を変えた。高田は新庄の後輩で、今は新庄の残した研究を引き継いでいる。八木の同期だ。
「あっちは…なかなか進まないみたいですね。さすがに高田も参ってますよ。新庄さんがいたら、あと10年は進んでるはずだってこぼしてますからね。うちだって実際、先輩がいなければ自由会話はあと10年は遅れてたと思いますよ」
八木は続けた。
「大体、なんで新庄さんはあの研究を辞めたんでしょう…アンドロイドに花子とかセンスない名前つけて夢中になってたのに…龍崎さんは、橘でしたね」
そう言って少し笑った。
「なんでだろうな…花子にフラれたのかな」
龍崎は笑えなかった。
なんで新庄がアンドロイドの研究を辞めたのか、未だに分からずにいたからだ。
なんでだ…新庄!
龍崎の険しい表情を感じ取ったのか、八木が話題を変えた。
「ところで先輩、あれは何です?」
八木の視線の先には、大きなガラス張りの棚があった。
そしてそこには、たくさんの仏像が並んでいる。
龍崎は我に返って、
「ああ、あれか。あれは…阿修羅像だ」
龍崎もそれらを見つめながら応えた。
「それは僕にも分かりますよ。先輩って、そんな趣味や信仰ありましたっけ?むしろ無縁なような気がして…」
八木はまた心配そうに龍崎を見た。
「あれは…話すと長くなるからな。そろそろ行こう。ミーティングの時間だ」
二人は阿修羅像を眺めながら部屋を出た。
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