第5話 義務教育法改定
梅雨が終わり、いよいよ本格的に夏が始まる頃、憲法改正後初の衆議院選挙が行われようとしていた。
衆議院議員の定数は、今までの475人から比例代表180人を除いた295人となった。
政府もまた、少数精鋭かつスピーディーな決断をして改革を進めるために変わろうとしていた。
国の改革は、選挙運動にも多大な影響を与えた。
立候補者の名前を連呼しながら走る選挙カーはもう存在しない。
人気タレントを擁立して話題作りに励む政党も存在しない。
国内にわずか13%程度しかいない有権者からの支持を得るには、それらの活動は無意味だった。
立候補者たちは、テレビで、インターネットで様々なテーマについて議論し、自身の思想を語り、その活動と実績を証明し、支持を訴えた。そうしなければ少ない議席を勝ち取ることはできないからだ。
国民の義務を果たしている有権者の目は厳しかった。彼らは、立候補者が如何に自分に、企業に、そして社会に貢献するかどうかに注目していた。
選挙の立候補者の公募が始まった頃、龍崎は新庄に、政治家にでもなったらどうだ、と言ったことがあった。もちろん、新庄が政治家になどなりたいと思うことはないと知った上での冗談だった。
しかし、それに対して新庄が返した言葉は龍崎が全く想像していなかったものだった。
「お前、投票権すらない俺が立候補できるわけないだろ」
新庄は事も無げに言った。
「新庄、何を言ってるんだ?お前は働いているじゃないか」
驚きを隠せない龍崎に対して、
「納税額が足りないんだよ。給料が半分になっちまったからな。アンドロイドのメンテナンス費用に多少色がついたくらいの金額だ」
「それでお前は…生活は大丈夫なのか…?」
新庄の首はゆっくりと、しかし確実に絞められている。龍崎は心配でならなかった。
「家賃の多少安いところに引っ越したしな。親は住みやすい田舎に引っ越て年金暮らしだし、俺ひとりだからどうとでもなるさ」
「…」
…そうだろうか…
この先も、どうとでもなるんだろうか…
龍崎は漠然とした不安を抱えていた。
結局選挙は与党の圧勝だった。
もっとも、政権交代したところで政策が大きく変わるはずもない。結局、金持ちの、金持ちによる、金持ちのための選挙なのだから。
続投を決めた総理大臣が勝利演説を行っている。龍崎はそれをぼーっと眺めていた。
「国民の皆さん、我々は今、この日本こそが、世界をリードしていきたいという皆さんの願いを強く、強く感じています。かつて日本は世界トップレベルの技術を持ち、教育を受けていました。それにも関わらず、海外との自由競争に敗れ、教育水準も低下してしまった。それは何故か。現状に満足し、更なる高みを目指すことを我々が、そして皆さんが忘れてしまったからです。現状に、そして与えられることに満足してはいけない。私たちは進まなければならない。そして、新たな挑戦をし続けなければならない。そしてこの思いを、素晴らしい日本を、次の世代に、子どもたちに、引き継いでいこうではありませんか」
…総理の言葉が間違っているとは思わない。
しかし…何か違和感を感じる…
なんだろう…
龍崎がテレビを観ながら考えていると、
「社長、本日の注文書及び納品書です」
いつものようにアンドロイドが社長室に入ってきた。
「デスクに置いてくれ。あと、例のリストは記憶したか?」
龍崎が尋ねた。
「はい」
アンドロイドが答える。
「そうか。ならもう少しここで待ってくれ。もうすぐ始まるから」
「はい」
しばらくするとニュースが本日の自殺者に変わった。
龍崎は画面を指差し、アンドロイドに
「あのリストとこの画面に表示される名前、年齢が一致した人間がいたら教えてくれ、これから毎日だ」
「了解しました」
「本日の自殺者は54人です」
ニュースキャスターが告げるとともに、画面に自殺者の名前と年齢が流れていく。
龍崎とアンドロイドは黙ってそれを見つめていた。
自殺者は一段と増えている。
恐らく失業保険が切れた人間がいるのだろう。
それに…
龍崎はふと思った。
幼い子どもが時おり混ざっている。
自殺を考えるような年齢ではないことを考えると、恐らく一家心中だろう。
子どもまで巻き込まれているのは…
「該当者はいませんでした」
アンドロイドが口を開いた。
龍崎の思考はその声に遮られ、
「そうか。明日からもこの作業を頼む」
良かった…。安堵しながらアンドロイドに告げた。
「わかりました」
そう言って、アンドロイドは社長室から出ていった。
アンドロイドに記憶させたリストは、新庄の職場の人間と、その家族だった。
新庄の職場でリストラが実施される前の状態のものを龍崎は手に入れた。
…知ったからといって何ができるわけでもないが…
新庄の哀しみのそばにいたかった。
…それにしても…
龍崎はデスクに置いてある注文・納品書に目を通しながら先程の思考に戻った。
なんで子どもを連れて逝くんだ?
子どもには子どもの夢があり、未来があるだろうに…
俺だってタチバナに会って人生が変わった。
新庄だってそうだ。
自分が死ぬから子どもも一緒にってのは、ただの親のエゴだろう。自殺じゃなくて殺人だ。
…子どもは助けたい。
龍崎は素直にそう思った。
子どものための財団法人でも作れば、親は子どもを道連れにせずに済むだろうか…
そこまで考えて、龍崎はふと新庄の言葉を思い出した。
「お前が諸悪の根源だ」
…そうだった、死んでいく奴らは俺を恨んでいる。恨んでいる人間に、自分の子どもを託すことなどするだろうか…
仮に表向き別の人間を立てたとしても、財源が俺だとリークされれば、その瞬間財団法人の信用は失墜するだろう。
…結局、俺は新庄との約束を果たすしかない…
龍崎の思考はひとりの研究者に戻った。
そしてそのまま研究室に向かった。
その頃、龍崎が感じた問題を解決しようとする機関があった。
政府である。
ただでさえ少子化が進んでいるにもかかわらず、子どもが死んでいく。
そして、何不自由なく育てられた子どもが皆有能であるとは限らない。
そうだとすると、日本の未来を背負うこととなる人材が不足するのは明らかだった。
政府は「教育」に関する政策を打ち出した。
1点目は学校教育法第16条、
″保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。″
これは「九年」から「十二年」に改正される。つまり、実質的に高校までが義務教育となる。
2点目に、国公立学校については、高校までの義務教育の他に、大学も含めて、学費だけでなく、給食費、教材費等も全て無償となり、場所によっては親を失った子どもたちのために寮を併設する。寮費も、そこでの食費、諸経費も全て無償とする。これらの費用は全て、企業や個人から未来の人材を育てるため、という名目で寄付を募ってまかなうことを決めた。
これにより、親に経済力がなくとも、親の身に何かあっても子どもは生活と教育が保証されることとなる。
更に3点目、文部科学大臣により、学校の教育課程は大きく変更された。「記憶する」より「考える」ことを重視し、授業とは、教師の話を聞くものではなく、ひとつひとつのテーマについて子どもたちが考え、議論することが最も重要視された。″労働″をアンドロイドが引き受けるようになれば、人間は″創造する″ことが仕事になる。政府が考えた日本の近い未来の姿だった。
最後に、これらの改革に伴い、政府は2年間で子どもたちの教育にふさわしい教員を各学校に動員すると発表した。それには当然、現教員のリストラも含まれる。政府は国民に対して、文部科学省が実施している教員資格認定試験を受験するよう推奨した。この試験と面接で合格すれば、大学で教員免許に必要な単位を取得していなくとも、教員になることができる。
富裕層のほとんどの子どもは私立やインターナショナルスクールに通っている。彼らと同レベルの教育が国公立学校でも受けられるよう、優秀な教員を集めることが目的であった。
子どもたちには平等にチャンスを与え、競争しながら学ぶことによって、より優秀な未来の人材を育てる。それが政府の狙いだった。
政府のこの政策に龍崎はいち早く賛同し、自身の資産の中から多額の援助をし、龍崎アンドロイド研究所からも多額の寄付をするとともに、自社の社員にも教員資格認定試験を受けるよう推奨した。アンドロイド研究をしながらでも教員を勤めることができるようなワークスタイルも提案した。
龍崎の頭の中には懐かしい記憶が甦っていた。タチバナに会ったときの龍崎自身と新庄の姿だった。
あんな経験を子どもたちにしてもらいたい、そして夢を、約束を見つけてほしい。そこに未来がある。龍崎はそう信じていた。
そして、誰よりも教員に向いているのはあいつしかいない…
龍崎は電話をかけた。
「よお、龍崎。久しぶりだな」
コールしてすぐ、新庄と繋がった。
「新庄、今から飲みに行こうぜ」
龍崎はいつになく楽しそうだった。
「お前、どんないいことがあったのか知らないが、人の都合くらい聞けよ」
新庄が笑いながら答えた。
「都合が悪かったか?それならいつ会える?」
早く新庄と話がしたい。龍崎は自分の思いに夢中だった。
「悪かねえよ。俺だって結構忙しくしてるのに、なんでいつもタイミングがいいんだ、お前は。監視でもしてるんじゃねえか?」
龍崎の楽しそうな声に、自然と新庄もトーンが上がった。
「良かった。それならいつもの居酒屋で。俺はもう研究所出るからな」
そう言って電話を切った。
絶対に自分の方が早く着くと思っていたのに、店に入ると既に新庄がカウンターに座っていた。
「あれ?新庄、早いな」
隣に座って龍崎が声をかけた。
「ああ、たまたま近くにいたんだよ」
新庄が手にしているジョッキはもう空になりそうだった。
龍崎はアンドロイドに生ビールを2つ注文すると、いきなり本題に入った。
「新庄、お前、中学校の先生になれ」
「は?なんなんだ、いきなり。お前が珍しくテンション高かったから、てっきりお前の話かと思ったよ」
アンドロイドからビールを受け取りながら、龍崎は続けた。
「ニュース見たろ?先生大募集の」
「…ああ」
新庄は浮かない顔をしている。しかし龍崎はそれにすら気づかなかった。
「先生って、お前にぴったりの仕事じゃないか。俺に夢を見せてくれたように、今の子どもたちに夢を見せてやれよ。子どもたちを育てるってのは、未来を創ることと同じだろ?」
そう語る龍崎は、まるであの頃の龍崎だ…
新庄は懐かしそうな眼差しを龍崎に向けていた。
「…ああ、そうだな」
「だろ?試験なんてお前なら全く問題なくパスできるだろうし、何より…」
楽しそうに話す龍崎の言葉を新庄が遮った。
「龍崎。楽しそうな話だが、恐らく俺には無理だ」
新庄が憂鬱な顔をしていることにようやく龍崎は気がついた。
「なんでだ?今回の教員募集は納税額とか関係ないだろ?」
龍崎は聞き返した。
「龍崎。俺は政府の要請を断り続けてる人間だ。仮に教員免許を取っても、政府は俺を認めないだろうし、百歩譲って認めてもらえるとしたら、それにはアンドロイドの研究をするって条件が付いているだろうな」
「新庄…」
龍崎は遅々として進まない新庄の研究テーマを思い出していた。
「俺たちが大学院を卒業してもう何年になる?いつまで俺は追いかけられるんだ…」
新庄はため息をついた。
…そんなに…
…そこまでやりたくないなんて…
なんでなんだ、新庄…
″いつか話す″、新庄の言葉を信じて龍崎は待ち続けていた。
「それなら」
龍崎は気持ちを切り替えて言った。
「それなら、アンドロイドの研究をしてるふりをすればいいじゃないか。例えば俺の研究所で、適当に研究結果を出しながら先生をやれば…」
「ふざけるな!」
いきなり新庄がジョッキをテーブルに叩きつけた。
驚く龍崎に向かって新庄は続けた。
「アンドロイドの研究を適当にやるなんて、できるわけないだろ!どんな気持ちで…どんな気持ちで俺がアンドロイドの研究をしてたと思ってるんだ!それを一番分かってるはずのお前が、そんなこと言うのか!」
…ああ、そうだ、分かってた。
分かってたさ、新庄。
ならなぜ辞めた?
なんでなんだ!
龍崎はそれら全ての言葉を飲み込んだ。
「…悪かった」
「謝るのは俺の方だ。龍崎、すまない。お前の言いたいことは分かってる」
新庄は落ち着きを取り戻した。
「いや、俺が舞い上がってたんだ。ついあの頃を思い出して…」
龍崎は静かに言った。
「俺もだ、龍崎」
新庄もまた、独り言のように言った。
「えっ?」
「俺もあのニュースを観たとき思い出したよ。楽しかったな、あの頃…」
そう言う新庄の瞳には懐かしさと寂しさが浮かんでいた。
「ああ、俺たちは確かに夢を見てた。お前は、″約束″って言ってたけどな」
龍崎の言葉に新庄は敢えて触れず、
「夢ってのはさ、未来がわからないから見れるんだろうな。未来がわかってたら、そこに夢はないよな…」
諦めるように新庄は言った。
新庄は今、何を見ているのだろう…
新庄の心の中の風景は、龍崎には見えなかった。
「ところで新庄、前にお前が言ってた結婚したい女って、なんて名前のどんな女なんだ?うまくいってるんだろ?」
龍崎にとってそれは大切な情報だった。
新庄は優しい表情に戻って、
「ああ。金がなくて結婚は遠のいたけどな。いい女だぜ。アンドロイドよりキレイな女だ。今度紹介するよ」
そう言った。
「そうか。楽しみだ」
また聞きそびれた。新庄の一番大切な相手…
その理由だけで、龍崎にとっても何としても守らないといけない存在だった。
新庄と会った数日後、龍崎が恐れていたことがついに起こった。
「湯川圭介36歳、湯川瑞穂33歳、湯川浩一6歳」
アンドロイドの声に龍崎は全身が震えるのを感じた。
「一致…したのか」
「はい」
「…行け」
アンドロイドが社長室から出ていった。
龍崎はそのままテレビの前で崩れ落ちた。
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