第2話 リストラ法案可決
2036年、日本ー
国民の貧富の格差はますます広がり、収入不平等指数(ジニ係数)は、国内の騒乱危険レベルとされる60%を超えた。
国会議事堂前を始め、至るところで毎日のように格差是正を訴えるデモや集会が開かれ、犯罪は増加、自殺は年間推定4万人を超え、死因別ランキングは4位となり、国はヘイト(憎悪)に満ちていた。
政府が数年前から経済政策の柱としてきたのは「トリクルダウン」という考え方で、「大企業が潤えば、上から水が滴り落ちるように、末端の零細企業の労働者まで行き渡り、景気が回復する」、というものであった。
そのため、大企業に対する大幅な減税や、成長率の高い企業への投資などが政策として実施されているが、実際にその恩恵を受けるのは政府が支援する企業に留まり、末端の労働者まで恩恵が滴り落ちてくることはなかった。トリクルダウンは机上の空論でしかなかったのだ。
国民がその事に気がつく前に、政府は当然のことながら、その事実を予測していた。
それでもこれらの政策を政府が執り続けたことには理由がある。
それは、政府と一部の大企業、一部のIT企業、限られた研究者だけで秘密裏に進められている政府のプロジェクト「日本再生」のためだった。
「日本再生」プロジェクトは、日本企業の更なる発展を目指す一方で、資本主義の大きな課題である「格差」の問題を、「強制的に」解決しようとするプロジェクトだった。
そのスローガンは、
「社会的価値を生み出す者だけが、その恩恵を受ける」
もはやこのプロジェクトの始動が目前に迫っていることを、大半の国民はまだ知らない。
そして、このプロジェクトを始動させるための前提となっているのが、「アンドロイドの労働力としての普及」だった。
龍崎慎一郎はアンドロイド研究の第一人者として、このプロジェクトをリードしていた。
龍崎が少年の頃、何千万と高額であったアンドロイドは、数年前にイノベーションが起こり、その後の進化を経て、日本人の平均年収と同じくらいの金額で購入可能となった。しかし、これもまだ、国家の機密情報だった。
龍崎の任務は、アンドロイドをひとつでも多くの職に就かせるべく、ひとつひとつの職業に、より適したアンドロイドを産み出していくことだった。
一見気が遠くなりそうなそれは、龍崎にとっては大した研究ではなかった。
アンドロイドは学習する。必要なデータを与えれば与えるほど、アンドロイドは進化する。
人間の役割は、アンドロイドがある業務を行うために必要な情報を精査し、大量のデータを収集することだ。
ひとつひとつの職業を分析し、アンドロイドが作業可能か否かを判断する。可能であればそのために必要な情報を精査する、それが龍崎の主な作業だった。
その後、龍崎らの考えに基づいてアンドロイドに膨大な学習をさせ、テストを行い、間違えを訂正するために学習を繰り返す。
1号機を完成させるまでは膨大な時間がかかるが、それさえ完成すれば、あとは量産するだけだ。
より多く、より早く、予算はいとわないという政府の後ろ楯のもと、1万人を超える人間がこのプロジェクトに関わり、複数の職業アンドロイド開発が同時平行で進められた。
そして今年の春、10数年の開発期間経て、いよいよアンドロイドの販売が開始となった。
これまでベールに包まれていたアンドロイドが国民の目に晒された。
その完成度の高さに多くの国民は驚き、衝撃を受けた。
ショップの店員、コンビニの店員、スーパーのレジ係、飲食店の店員、銀行の案内係、企業の案内係には、皆美しいアンドロイドが揃っている。
一方、工場の部品組み立てや仕分けなどには人の形を成していない、作業をより効率的に進められるロボットが作られていた。
メディアはこれを大きく報道し、更に、安価になったことが追い風となり、あらゆる企業が集客のため、とりあえず試しに1台設置しようと、買い注文が殺到した。
いち早くアンドロイドを設置した企業や店には一目見ようと客が集まり、″アンドロイドムーブ″となった。
″アンドロイドムーブ″はしかし、単なるムーブでは終わらなかった。
アンドロイドの仕事は正確で、ミスがなく、その上仕事に必要なサービスまで学習しており、時に不快な思いをする人間のサービスよりも喜ばれた。
市場は、人間よりアンドロイドを求めていた。
これを受けて、企業は次々とアンドロイドの追加購入を決定した。
″こんなアンドロイドを″といった要望も後を立たなかった。
アンドロイドは「革命的」とも言えるスピードで普及し、この年の秋にはアンドロイドがいない場所を見つける方が大変だった。
逆に人間は、アンドロイドの裏でひっそりと、片付けや整理などの裏方にまわるようになった。
この革命的な変化の中で龍崎は、その仕掛人として、日本中にその名を知られることになった。
そろそろ…いけるか…
龍崎がそんなことを考え始めた頃のある日、電話が鳴った。着信を見ると新庄だ。
「もしもし」
「よお、龍崎。元気にしてるか?」
昔から全く変わらない、明るい声がする。
「ああ」
「なんだよ、しけた声してんなあ。働き過ぎじゃないのか?」
けなしているようで心配している。新庄はそういう奴だ。
「仕事ってよりは趣味だけどな」
「お前らしいな。今たまたま近くまで来ててさ。良かったら飲みにでも行かねえか?」
たまには飲みに行くのもいいかもしれない。
それに…新庄に話したいことがあった。
「一時間後くらいでいいか?」
「おう。前に行った居酒屋、覚えてるよな?先に始めてるぞ」
新庄はそう言って電話を切った。
ちょうど一時間後に龍崎は店に着いた。
週末ということもあり、店は大にぎわいだ。
店を見渡すとカウンターの端に、体格のいい男がひとりで座っている。
「よう。待たせたな」
そう言って新庄の隣に座った。
「いや、そこの姉ちゃんに見とれてて時間忘れてたよ」
「いらっしゃい。何をお飲みになりますか?」
新庄が見とれていたという姉ちゃん…アンドロイドに声を掛けられた。
「生ビール」
「生ビールひとつ…ただ今お通しお持ちします」
姉ちゃんが去っていった。
「すっげー世の中になったもんだな。どこに行ってもあんなんばっかりだぞ。龍崎先生様様だな」
「まだまだだよ…受け答えも何か違和感感じないか?マニュアル通りに言えればいいってもんでもないし…」
「生ビールひとつとお通しお持ちしました」
姉ちゃんがカウンターに置いた。
「姉ちゃん、サンキューな」
新庄が言う。
「Not at all.」
「あれ?何で英語なんだ?」
「お前のサンキューに反応したんだよ。誰かがジョークでも学習させたんだろ。…ったく、くだらないこと教えやがって」
思わず頭を掻く龍崎を見て、新庄が笑った。
「なるほどな。だけどあれはアメリカンジョークだな。俺ならオヤジギャグ教えるけど。まあ、乾杯しようぜ」
新庄と乾杯してビールを煽った。
アルコールが身体に染み渡る感覚は久しぶりだ。
「お前、相変わらず仕事ばっかしてんのか?いつか狂うぞ。たまには人間と遊べよ」
ビールを飲みながら新庄が言う。
「ああ。でもまだ完成してないからな…」
「…自然会話か?」
「ああ」
「アンドロイドと普通に会話をする…お前の夢…」
「夢じゃない。約束だ」
「…」
新庄は何も言わなかった。
「新庄、俺、そろそろ独立しようと思ってるんだ」
「いよいよ出るか。お前はいつかそうすると思ってたよ」
新庄は特段驚いた様子もない。
「でさ、新庄、俺が作る企業の共同経営者にならないか?」
新庄は飲みかけのビールを吹き出しそうだった。
「お前、バカも休み休み言え。俺は今の仕事が好きでやってるんだ」
「車メーカーの修理屋だろ?趣味でやればいいじゃないか。俺たち大学院で一緒にアンドロイドの研究してたろ?俺よりお前の方が…」
龍崎の言葉は遮られた。
「龍崎。さっきも言ったが、俺は今の仕事が好きなんだ。お前と研究していたときは確かに楽しかったよ。でもそれは…俺の中では終わったんだ。未来を作るのは人間だろ?おやっさんがいて、仲間がいて、お客さんがいて…人間と関わって、人間と歩いていくことが、俺の未来なんだ」
「だけど新庄、お前のアンドロイドはまだ完成していない。お前がやらなければ10年遅れるぞ」
「俺は…戻らない。すまない、龍崎」
龍崎はふぅとため息をついた。
「俺に謝る必要なんてないさ。お前がそう決めたんだ。よっぽどの理由だろ」
「龍崎、俺な、結婚しようと思ってる女がいるんだ」
新庄が話題を変えた。
「そうなのか?めでたい話じゃないか。いつ結婚するんだ?式は?」
「いやいやいや、まだちょっと先の話なんだ。俺がおやっさんくらいの立場になれれば、もしかしたら家庭を持てるくらい稼げるかもしれないから、そうなったらってね」
照れながら笑う新庄は本当に子どもみたいだ。
「お前なら、いくらでも稼げるのに…分かってるだろ?女のためにも…」
「龍崎。俺は戻らない。お前ががんばってくれ。そして証明しろ。人間には、人間にしか持ち得ない素晴らしいものがあるんだ、と。アンドロイドの限界点までたどり着け。お前ならできる」
新庄の言葉は胸に染みた。
だが、俺は違う。俺は超える。アンドロイドの限界点をー
そしてこの年の12月、「日本再生」プロジェクトが正式に始動した。
アンドロイドが急激に増加する中、政府の新法案が可決したのだ。
「社内リストラに関する規定」及び「参議院廃止」である。
「社内リストラに関する規定」では、3ヶ月より前に該当社員に通達すれば、企業側の理由により社員を解雇することができるというものだ。
また、「参議院廃止」については、今年度を以て参議院を廃止し、新たに民間有識者による「分野別議会」なるものを設置し、経済、ITなどあらゆる分野別に有識者を集め、政府と協力しながら政策を立てていく、というものだ。
この突然の法案可決に国民は驚愕し、ただちに抗議デモが行われ、メディアも痛烈に批判した。
これを受けて、政府与党は緊急記者会見を行った。日本国民が見守る中、政府は次のように述べた。
「日本国民の皆さん、我々は今、革命の時を迎えています。アンドロイドが労働力の中心になりつつある今、我々人間に、いや、人間にしかできないことはなんであるか、それぞれが考え、実行するときが来たのです。リストラを悲劇と捉えるべきではない。むしろチャンスなのです。我々は新しい価値を産み出すことができる。政府も企業も、あなた方の新しい価値への投資は惜しみません。そして更に、政府も参議院廃止という血を流します。参議院議員もまた、あなた方と同じように新しい価値を創造するのです。我々の未来が明るいものになるように、ひとりでも多くの国民が新しい価値を産み出すことを心より願います」
この法案可決直後、龍崎は独立し、政府と企業から莫大な投資を受けて「龍崎アンドロイド研究所」を設立し、それと引き換えに、政府が新設する予定である、「分野別議会(アンドロイド)」の議長を引き受けることとなった。
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