第1話 少年たちの夢

 2015年ー


 埼玉県の緑豊かな街。近所付き合いまで昭和の面影を残したこの街でのびのびと育つ2人の少年がいた。


龍崎慎一郎と新庄優也ー


 端正な顔立ちにもかかわらず、内向的でおとなしく、どこか他人を遠ざけてしまう癖のある龍崎と、常にクラスの中心にいて、リーダーシップを発揮し、誰に対しても別け隔てなく明るく優しく接する新庄ー対照的な性格だが、2人はお互いを「親友」と呼ぶ間柄であった。

彼らの共通点は、知的好奇心が旺盛なこと、そして、2人もまだ気づいていない、心の奥底に、爆発する時を静かに待っている熱い情熱を秘めているところだった。

中学一年生の2人の興味関心事は、アニメやマンガ、ゲームよりむしろ、歴史や社会、技術にあった。

2人は議論を好み、お互いがお互いを必要とした。他の生徒では到底理解し合うことができないことを、彼らは共有していた。


 梅雨が終わり、いよいよ夏が始まろうとしていたある日、新庄の家で遊んでいた2人は、その後の人生を変える衝撃的な出来事に出会う。


「おい!おい龍崎!ちょっとこれ見てみろ!」

新庄の興奮した声に、本を読んでいた龍崎が顔を上げる。


新庄が指差したのは、テレビだった。

そこには、デパートの店員が映っている。

だがその店員は…


「…ロボット…?」


「そう!そうなんだよ!人の形をしたロボットが、洋服売ってるんだ!すっげーよ、これ!」

新庄は今まで見たことがないくらい興奮していた。


龍崎は、何も言わず、ただただ画面を凝視していた。人の形をしたロボットが、人間に洋服を勧めている。人間と会話をしている。


「…すごい」

心の中に熱い何かが流れてくるようだった。


「だろ?すっげーよ、これ!俺もロボットと話してみたいよ、な?龍崎もそう思うだろ?」


「新庄、話しにいこう。このロボットはどこにいるんだ?」


「えーと…東京の…ちょっと待て」

新庄はスマホで調べ始めた。


「銀座ってところだな、ここからだと電車で2時間半ちょっとだ」


「そうか、なら週末に行こう、行ってロボットと話をするんだ」

龍崎がひとつの事象に熱くなるのは珍しい。

こんな龍崎も悪くないー

新庄はそう思いながら、


「よし、行こう。行ってこの目で確かめよう」

そう言った。



そして週末ー


 紅葉が見事な彩りを魅せる頃、新庄が調べた電車に2人は乗っていた。2人とも、外の景色など見る間もないほど、話に夢中だった。


「だからさ、アンドロイドって呼ばれるロボットなんだよ。俺、あれからいろいろ調べたんだ」

新庄が得意気に龍崎に話し掛ける。


「アンドロイドは、ただの人の形をしたロボットだろ?ディズニーランドのアトラクションにもアンドロイドはいっぱいあるよな」

龍崎は事もなげに答えた。


「ああ、確かに定義はそうだが、それはひと昔前の話だ。今科学者が″アンドロイド″という言葉を使うときはただの人型ロボットじゃない。A.Iっていう人工知能を搭載しているんだ」


「A.Iは知ってる。将棋とか打つロボットだろ。でも、将棋を打つロボットは将棋しかできない。それがどうして人間と会話ができるんだ?」


外の景色はいつの間にか高層ビル群に変わっていた。


「将棋を打つロボットがいるなら、人間と会話ができるロボットがいても不思議じゃねーじゃん」

新庄は少しふてくされたように言った。


「そもそも、A.Iって、どうして将棋を打ったり、会話をしたりできるんだ?どうやって考えてるんだろ…」


「龍崎、そこが重要なんだよ!」

新庄が再び熱く語り始めた。


「A.Iってのはさ、人間みたいに″考える″能力はないんだ。A.Iができるのは、人間が与えた情報を学習して、自分のルールを作りその結果を表現するんだ。例えば将棋なら、将棋のルールを教えたら将棋が打てるってもんでもない。将棋の板の状態と、そのときの打ち手のあらゆるパターンを多く教えれば教えるほど、A.Iは将棋上手になるんだよ。パターンマッチングと推論って考え方だ」


「だとすると、人間との会話はどうやるんだ?言葉を教えれば会話ができるってものでもないだろ?パターンマッチングってやつで会話になるのか?」


「それは…俺もわからん。とりあえず見てこようぜ。アンドロイドを」


2人は銀座に到着した。


「このデパートだ。しかし…ビルばっかりだな、落ち着かねえ」

新庄はそう言いながら、案内係の店員にアンドロイドの設置場所を聞いた。


「5階の紳士服売り場になります」


2人は緊張と昂る鼓動を押さえつつ、エレベーターに乗った。


 5階に着くと、アンドロイドの設置場所はすぐに分かった。そこにはアンドロイドと話そうと人々が行列を作っている。

紳士服売り場ということもあり、大人の男性客が大半で、2人の少年は明らかに違和感のある存在だった。


「龍崎、あれだ!アンドロイドだ!」


新庄が示した行列の先に、ひとりの女性のようなアンドロイドが笑顔で立っている。

アンドロイドだけあって、その美しさは人間離れしている。

「恐ろしくキレイな姉ちゃんだな」

新庄はそう言って龍崎と列の最後尾に並んだ。

行列が進むにつれ、客とのやり取りが聞こえてくるようになった。


「いらっしゃいませ。本日は何をお探しですか?」


「薄手のセーター」


「かしこまりました。ご希望の色、柄、素材はありますか?」


「黒で無地、素材はカシミア」


「色は黒、柄は無地、素材はカシミアですね、少々お待ちください」


1分も経たないうちに、アンドロイドの胸部に取り付けられているモニターに商品が写し出された。


「こちらの商品はいかがですか?」


モニターには客の要望に沿った商品が順番に写し出されていく。


「いいね。ありがとう」


「ごゆっくりお買い物をお楽しみください」


会話を済ませた客が立ち去り、次の客がアンドロイドの前に立った。


「いらっしゃいませ。本日は何をお探しですか?」


…似たようなやり取りが続いていく。


「龍崎、すげーな。アンドロイドが話してるぞ。すげーよ」

新庄が小声で囁く。


「…」

龍崎は黙ったままアンドロイドと客のやり取りを見つめていた。


しばらくして、新庄の順番になった。


「んじゃ、先に行くぞ。龍崎」

まるで戦いに行くかのように言い捨てて、新庄がアンドロイドの前に立った。


「いらっしゃいませ。本日は何をお探しですか?」


「えーっと、俺の親友に似合うパーカー」


「かしこまりました。ご希望の色、柄、素材はありますか?」


「えっ?それを俺が決めるの?」


「申し訳ございません。そのご質問にはお答え致しかねます」


「えーっ、もう終わりかよ!ちょっと待て!」


行列から笑い声が起きている。


「他にお探しのものはございますか?」

どうやら首の皮一枚繋がったようだ。


「あるある!俺の親友に似合うパーカー」


「かしこまりました。ご希望の色、柄、素材はありますか?」


「そうだな…真っ赤なゼブラ柄!生地はシルク!」


再び行列に笑いが起こる。


「色は赤、柄はゼブラ、素材はシルクですね、少々お待ちください」


1分…2分…アンドロイドからは返答がない。


「おい…」

新庄が言いかけたと同時にアンドロイドが応答した。


「申し訳ございません。該当する商品はご用意がございません。類似した商品をご紹介させていただきます」


アンドロイドの胸部のモニターに一枚の写真が写し出された。

それを見た新庄は思わず声を出した。


「おい!俺は真っ赤って言っただろ!これは赤紫だろ!パーカーしか合ってねえじゃねえか!違う違う!」


行列は爆笑に包まれた。その姿は、まるで漫才でもしているのようであり、アンドロイドにからかわれているのようでもあった。


「ご期待に添えず、申し訳ございません」


「他にお探しのものはございますか?」


「ん?まだやる気か?それじゃ…」

新庄が言いかけたその時、デパートの店員が声を掛けた。


「お客様、申し訳ございませんが、他にお待ちのお客様もいらっしゃいますので…」


「あっ、すみません。ありがとうございました」


新庄が店員に頭を下げると、何故か行列から拍手が送られた。

新庄は照れながら、行列に一礼して場を譲った。

行列の中でただひとり、龍崎だけは笑うこともなく、新庄のやり取りの一部始終をじっと見つめていた。


そしていよいよ龍崎の番になった。


龍崎は静かにアンドロイドの前に立った。


「いらっしゃいませ。本日は何をお探しですか?」


「今日の天気に最適な上着を」


「現在の東京の天気は、晴れ、気温15℃です」


行列が一瞬ざわめいた。

アンドロイドの応答が予想外であったからだ。


龍崎はそのまま黙っている。

アンドロイドも何も言わない。

新庄も、待ち行列の人々も、静かにやり取りを見守っている。


3分が経過すると、アンドロイドが動いた。


「いらっしゃいませ。本日は何をお探しですか?」


「君は、誰?」


「私は、丸大百貨店のタチバナです」

再び周囲がざわついた。

ひとりの少年が、アンドロイドと会話をしている。


そしてまた、沈黙の時間が流れた。

3分後、再びアンドロイドが話し始めた。


「いらっしゃいませ。本日は何をお探しですか?」


「僕は、タチバナ、君が欲しい。いくらかな?」


「申し訳ございません。そのご質問にはお答え致しかねます」


「そう。残念だな」


「他にお探しのものはございますか?」


「ないよ」


「ごゆっくりお買い物をお楽しみください」


周りが静かに見守るなか、龍崎は同じくこちらを見つめている新庄に向かって歩いていった。


「龍崎、お前…」


「話は後だ。新庄、帰ろう」


歩き出した2人の少年に向かって、待ち行列から声が聞こえた。


「少年!おもしろかったぞ!」


「また来い!」


新庄は軽く頭を下げ、龍崎は聞こえないかのように黙って歩いた。


 デパートを出て、電車に乗ると、ようやく龍崎が口を開いた。


「…不十分だ」


「…ああ、足りないな」


「龍崎、お前いつ気づいたんだ?」


「お前とのやり取りだよ、新庄。推論していたのはタチバナじゃない、お前だろ」


「…ああ、俺は知りたかったからな。タチバナがどこまでついてこれるのか。だけど、とんだ期待外れだ」


「そうだな。客がタチバナのキャパを考えて話をしなければならないなら、アンドロイドの意味がない。逆であるべきだろ」


「ああ、だけど龍崎、お前はタチバナの可能性に賭けたな」


「ムダに終わる可能性もあったけどな。洋服以外の話なら、タチバナに踊らされる可能性はないと思ったんだ。タチバナが持っていそうな話を振ってみた」


「タチバナはまんまと乗せられたわけだ。まさか名前があるなんてな」


「人間が作るものだ。名前くらいついてるだろ。自己紹介してくれるかどうかは疑問だったけどな」


「それにしても作りが適当だったな。あれが今の技術の限界か?それとも店の名物にするためだけにいい加減に作ったのか?」


「どうだろうな。タチバナはお前の言葉をほとんど理解できてなかった。それは、タチバナの学習が足りなくて、パターンマッチングも推論もできなかったってことだろ?」


「そうだな。そのくせお前が言った″上着″って言葉より″天気″に応答した。優先順位もおかしいし、関連性にも気づけない」


「単純にもっと学習すれば解決するのかはわからないけど、アンドロイドにたくさん学習させるってのは、恐らく金がかかるんだろ。タチバナっていくらするんだろうな。買ってるのか借りてるのかもわからんけど」


「そう考えると、タチバナはレベルが低いって可能性が高いな。最新の技術を駆使したアンドロイドはもっと賢い…が、百貨店が簡単に設置できるような金額じゃないってことか」


「そうなるな。タチバナはおもちゃくらいのレベルじゃないか?…見たいな、最新のアンドロイド…」

龍崎はそう言って押し黙った。

新庄も何も言わない。


 沈黙を破ったのは新庄だった。

外の景色はいつの間にか紅葉に変わっていた。


「龍崎、見られるぞ。最新のアンドロイド。いや、完成されたアンドロイドを俺たちは見るんだ」


「えっ?見られるのか?完成されたアンドロイドってなんだ?」

龍崎は驚いて新庄を見た。

新庄はまっすぐに遠くを見つめている。

その瞳は燃え盛る情熱を映していた。


「俺たちが作ればいい。完成させてやる、アンドロイドを」


「だけど、俺たちには金もないし、技術も知らない。どうやって作るんだ?」


「龍崎、急ぐな。いいか、アンドロイドは今まさに研究中だろ?ってことは、まだ完成されていないはずだ。しかも、俺たち庶民に見せられるのはタチバナレベル。まだまだ研究は続くはずだ。…アンドロイドは俺たちを待っていてくれると、俺は思う」


新庄の言葉は、龍崎の静かな熱を引き出した。

「俺たちが研究者になるまで、アンドロイドは待ってくれるのか…。おもしろい。おもしろいじゃないか、新庄」


「誰も見たことのないアンドロイドを、2人で作ろうぜ。これは夢なんかじゃない、約束だ。俺とお前の」


「人生を賭けるような約束だな。だけど、アンドロイドとお前には、人生を賭ける価値がある。約束しよう」


「よし、決まったな。今日とこの約束は、タチバナと一緒に覚えておくよ」

新庄がようやく笑顔を取り戻した。


「ところで新庄。気になることがあるんだけど、いいか?」

龍崎が声を掛けた。


「ん?まだ何かあるのか?」


「ああ。さっきの話なんだけど、真っ赤なゼブラ柄ってなんだ?まさかとは思うが、俺に着せるつもりじゃないよな?」

新庄が爆笑した。


「そんなもの、お前以外に誰がいる。タチバナがもう少し賢かったらそう提案したはずだ。親友の方には、真っ赤なゼブラ柄がお似合いですってね」

ニヤニヤしながら新庄が答えた。


「アホかお前。よりによってそんな希望をタチバナに言うから漫才みたいになってたんじゃないか。全く、その場から逃げたかったよ…」

龍崎がわざとらしくため息をついた。


「バカ、お前。そういうお前は何なんだ?″タチバナ、君が欲しい″って。かあちゃんが見てる昼のドラマか?タチバナももったいないことしたよな。龍崎の初めての愛の告白に気づかなかったんだから」

そう言って新庄はまた笑った。


「それはお前、俺はいろいろ考えて…」


こんなふうに話をしていると、どこにでもいる普通の少年にしか見えない。


やがて電車は、彼らの駅に到着した。

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