五章 白ポプラ秘話 ④



 ヘカテの館を出たところで、たたずむ細い後ろ姿を見つけて、アレクトは羽音を立てて側に近づいていった。


 音に気づいて、ペルセポネは手のひらで目元をぬぐうと、赤くなった瞳でアレクトの方を振り返る。


「アレクト……」

「はい」

「あなたは知っていたのでしょう? 

ハデスさまとレウケのお話、あの方が今までどれだけの心配りをしてくれていたのか」

「……はい」


 アレクトの返事に、ペルセポネは唇をかみしめた。

 今までどれだけのものを、自分はハデスから受け取ってきたのだろう。

 差し出されるものを当然のように受け取るばかりで、自分はその意味を何も思ってはいなかった。

 まるで子供で、無邪気に考えなしで。


 ペルセポネは見えない相手の方を見つめて、訴えかけるような口調で言う。


「話してくれなかったのはなぜ? 

命令だから? 私が地上の者だから? 

他所者だからと思われていたのでしょうか。

私はもうずっと、皆さんと親しくなれたと思っていたのに……」

「そのようなことは……」

「壁を作らないでください。

私は、あなたたちともハデスさまとも、親しい者でありたいのです。

どうしたらそうなれますか? 

どうすればあなたたちの、ハデスさまの優しさに報いることができますか? 

受け入れてもらえるのですか?」

「ペルセポネさま――」


 言いつのりながら、感情が高ぶってくるのを抑えられなかった。

 アレクトの声に困惑している様子がわかる。

 まるで子供がだだをこねて、八つ当たりをしているのを、大人が持て余しているような。


 自分の態度がアレクトを困らせているとわかっていても、ペルセポネは感情を止められなかった。

 どうしてこんなにも寂しく感じるのか、自分を情けなく思うのか、わからないというのに。


 胸からこみ上げてくるものが、瞳にあふれようとしている。

 その瞳で、ペルセポネは真っ直ぐに虚空を見つめて言った。


「……姿を見せてください、アレクト」

「それは」

「私は恐がったりしません。

壁を作られるのが悲しいのです。

距離を取られるのが寂しいのです――」


 そして、そうさせてしまっている自分が情けなくなる。

 自分は本当には、彼らに受け入れてはもらえないのだろうか。

 彼らの信頼を得られないのだろうか。


 自分はそれに値しないのだろうか――。


 こみ上げてくる思いが熱い雫となって瞳からこぼれた。

 胸苦しさに顔を上げていられない。


 涙をこぼしながらうつむいたペルセポネの頬に、ひやりとしたものが触れた。


「どうか……そのように泣かないでください」


 目の前でアレクトの声がそうささやく。

 頬を流れる涙をアレクトの指先がぬぐった。

 高ぶる感情に火照った頬に、そのひんやりとした指は心地よかった。


 ペルセポネが顔を上げると、目の前には異形の女が立っていた。

 浅黒い女の顔の中で、金色の蛇の双眸が光っている。

 頭は髪の毛の代わりに蛇の鱗で覆われており、肩やペルセポネの頬をぬぐう手の甲も、乾いた鱗が並んでいた。

 しなやかな筋肉をまとった身体、その背中には大きな鴉の両翼が備わっている。


 これがエリニュス――原初の神の争いによって流れた血より生まれた、異形の女神。


 はじめてその姿を目にして、ペルセポネは軽く目をみはった。

 そして、涙に濡れたままの顔で微笑んで、


「……やっと、顔を見ながらお話しできますね」


 そう言って、ペルセポネはアレクトの乾いた手を両手でしっかりと握った。


「アレクト、メガイラとティシポネも呼んでくれませんか?」

「お望みとあらばそのように。

しかし、二人を呼んでどうされるのですか」

「手伝ってほしいことがあるんです。

ハデスさまのためにできること、ひとつ思いついたことがあるから……」




 気ふさぎな思いを抱え込んだまま、ハデスはたっぷりと時間をかけて館への帰路についた。


 ペルセポネに会うのが辛い。

 しかし、同じ館で過ごしていれば、顔を合わせないわけにはいかない。

 だから、少しでも顔を合わせずにすむよう、帰宅の時間を遅らせた――子供じみた自分の行動に溜息が出る。


 そんなことをしても仕方がないとわかっていながら、いざ館の門前に到着してももたもたと時間稼ぎをしてから、ようやくハデスは扉をくぐった。


 そこでハデスは、帰り着いた自分の館がいつもとどこか様子が違うことに、廊下を歩きながら気がついた。

 不思議な違和感に、最初はその正体がわからなかったが、歩みを進めつつ辺りを見回していてそれに気づいた。


 花だ。


 殺風景だった館のそこかしこに、さりげなく野花が飾られている。

 素朴な色彩、可憐な香りに出迎えられてハデスは困惑した。

 自分の配下にこんな気を回すものはいない。


 一体誰が――考えながら、ハデスは自室へとたどり着いた。


 そして戸惑いながら部屋に入ると、そこで意外な遭遇が待っていた。


「あっ――」

「これは……」

「見つかってしまいました……びっくりさせようと思っていたのに」

「いや……充分、驚いた」


 思いがけないはち合わせに、ハデスとペルセポネはお互いの顔を見つめ合って立ちすくんだ。


 自分の部屋にペルセポネがいることにも驚いたが、三人のエリニュスたちがその姿をさらして側にいることにもハデスは驚かされた。


「エリニュス、これはどうしたことだ」

「申しわけございません。主命に背きました」


 とっさに詰問めいた口調になってしまった。

 畏まって、そろって頭を下げたエリニュスたちをかばうように、ペルセポネが慌てた様子で進み出てくる。


「アレクトたちを叱らないでください。

私が無理を言ってお願いしたんです。

彼女たちとは、もう友人同士なんです。

お友達の顔を見られないのはいやだったから……」

「…………」


 そう話すペルセポネとエリニュスたちとを、ハデスは意外な思いで見つめた。

 ペルセポネは恐がる様子もなく、むしろ昔からの友人であるかのように、エリニュスと腕を組み、親しげに寄り添っている。


 そして、彼女たちは腕の中に、それぞれ野花で作った鮮やかな花束を抱えていた。

 ペルセポネは上目遣いに、ハデスの表情をうかがいながら言った。


「あの、勝手にお部屋に入ってごめんなさい」

「いや、それは構わないのだが……」

「ハデスさま、お花、見てくださいましたか? 

エリュシオンに咲いていた花を摘んできたんです。

アレクトたちも手伝ってくれたんですよ」

「これを、全部?」

「はい、きれいなものを見ると心が安まるでしょう? 

花の香りは気を和ませてくれますし。

ハデスさまはいつもお仕事で忙しくしてらっしゃるから、これで少しは疲れを癒やしてもらえるかと思って」

「なぜ、突然そんなことを……」


 困惑しきっているハデスの顔を真っ直ぐに見つめて、ペルセポネは柔らかく微笑みながら言った。


「お礼がしたかったんです。

ハデスさまはいつも私に優しくしてくださるのに、私はそれに甘えてばかりで、何もお返しができていなかったから」

「そのようなこと、気にしてもらう必要は……」

「いいえ、私がそうしたいと思ったんです。

受け取ってはもらえませんか? もし、ご迷惑でなければ」

「迷惑など、とんでもない」

「よかった! 

お部屋の飾りつけ、もうすぐで終わりますから、少し待っていてくださいね」

「ああ……」

「明日も摘んできますね。

館の中に、いつもお花があるようにしたいんです」


 そう言って、ペルセポネはエリニュスたちと共に花を飾り始める。


 楽しそうにこまごまと立ち振る舞う様子を見つめながら、ハデスは心の中にも暖かな色の花がほころぶのを感じていた。


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