四章 心の庭に咲く花は

四章 心の庭に咲く花は ➀




 途中経過をゼウスに報告するため、ヘルメスは冥府を辞し、空を駆けて宮殿のあるオリュンポス山に向かった。


 宮殿奥の私室、長椅子に腰掛けた偉大な主神は、ヘルメスの入室を笑顔で出迎えて、


「おお、待ちかねたぞー。

で、どうだった、ハデスとペルセポネの様子は」


 と、すかさず聞いてくる。


 ヘルメスはできるだけ簡潔に冥府での出来事をまとめて報告する。

 うまく真相をごまかしてペルセポネを冥府に滞在できるように仕向けたこと、ペルセポネはハデスに対して好印象を持ったようだが、肝心のハデスの態度が消極的なこと、ヘカテが協力を申し出たこと――一通りの報告を聞き終えて、ゼウスは意地の悪い笑みをヘルメスに向けて言う。


「やっぱりお前に頼んで正解だったな。

口から出任せでペルセポネを地下に引き止めておくとはね。さすが嘘つきの神だ」

「誰が嘘つきですか、人聞きの悪い」

「だって、嘘つきは泥棒の始まりと言うだろう。

お前は泥棒の神なんだから、嘘つきの神とも言えるんじゃないか」

「勘弁してください。

僕のことより、今はもっと大事なことがあるでしょう」


 そうだった、とゼウスは笑って言う。


「ハデスの気持ちはもうはっきりしてるし、ペルセポネもハデスにいい印象を持ってるんなら、後はもうガンガン攻めてものにしてしまえばいいわけなんだが……」

「それができるなら、そもそも僕が出しゃばっていないわけで。

やっぱりゼウスさまは、ペルセポネさまを冥府の妃にするおつもりですか?」

「当然。だからこそ、一世一代の大計画なんだよ、これは」

「でも、ハデスさまは、ペルセポネさまにはその気はないだろう、とか言って乗り気でないようですが」

「何言ってんだ。

その気がないのをその気にさせるのが、男の腕の見せどころだろうに。

やっぱり、お前にはもう少し出張ってもらうことになりそうだ。

ハデスをうまく誘導してペルセポネに対して行動を起こさせてやってくれ」


 荷が重い――ヘルメスは無理矢理に背負わされた荷物の重みに耐えかねて溜息をつく。

 他人事のように気軽に任務を積み重ねてくるゼウスに、ヘルメスは心の中で恨み言をつぶやいた。

 そして更に、ハデスとペルセポネの恋模様の他に、ヘルメスは気がかりなこともあった。


「ゼウスさま、僕、ずっと気になってることというか、心配なことがあるんですが」

「なんだ? 

ヘカテのことなら信頼していいぞ。

あの姐さんは、気に入った相手にはとことん親身になってくれるからな」

「いえ、僕が言っているのは――」


 一瞬、逡巡するように間を置いて、ヘルメスは思いきってその名を口にする。


「デメテルさまのことなんですけど……」


 デメテルの名を聞いて、ゼウスの表情が一瞬で凍りついた。


「母君であるデメテルさまに無断でペルセポネさまを娶らせたりして、知られたら大変なことになりますよ。

デメテルさまは一人娘を溺愛されてますし。

今度のことは全て、ゼウスさまが計画して実行したと知ったら、あの方はどうされるでしょうね」

「…………」

「まさか、デメテルさまのことを考えてなかったなんてことは、ないですよね?」

「いやー……考えてなかったわけじゃないけど、あえて考えないようにしていたというか……考えてもどうしようもないことが、世の中にはあることもあるというか……」

「ゼウスさま……」

「……いいんだよ、主神である私が許すって言ったんだから、ハデスがペルセポネを娶るのを、誰にも文句は言わせないさ……」

「声が小さいですよ」

「いいの。

デメテルには……まあ、そのうち私からちゃんと話すから。

彼女だって、話せばわかってくれる……はず、たぶん」


 普段の自信あふれる態度はどこへやら、視線を明後日の方へ向けて言い訳めいたことをぶつぶつつぶやくゼウスを、呆れ顔でヘルメスは見つめる。


「それはともかく、お前はハデスとペルセポネの方を気にしてやってくれよ」


 気を取り直した様子で、ゼウスは青い瞳を光らせてヘルメスに向き直る。


「地上のことは、とりあえず私が何とかするから。

ヘカテが協力してくれるって言うなら頼って問題ない。

この計画がうまくいくかどうかは、お前の働きにかかってるんだぞ、ヘルメス」


 調子よくそう言うと、ゼウスは青い双眸にふと真剣な光を宿して、まっすぐにヘルメスを見つめた。


「お前にしか頼めないんだよ」

「……わかりました、行ってきます」


 結局、いつもこの目力に負けて言うことを聞いてしまう。

 ヘルメスは自分の性をこっそり恨めしく思った。




 銀の燭台に灯った青白い炎を見つめて、ハデスは静かに思案に暮れていた。

 今度は何を悩んでいるのだろう――差し入れを届けに来たヘルメスは、窓の外から悩める王の様子をうかがっていた。


 館の正面からでなく、窓から来訪するのが癖になってしまったヘルメスである。


 ヘルメスは拳で軽く窓枠を叩く。

 振り向いたハデスがかすかに驚いた表情を浮かべているので、ヘルメスはいたずらっ子の顔つきで笑う。

 この驚いた表情を見るのが、ちょっと楽しいのだ。


「こんにちは、ハデスさま」


 窓を開けてもらって部屋に上がり込んだヘルメスは、神酒ネクタルの酒瓶と、黄金色の木の実――アンブロシアがたっぷり入った籠をハデスに差し出す。


「頼まれていたオリュンポスの神酒とアンブロシアです。

ペルセポネさまに差し上げてください」

「ああ、助かる――」


 ペルセポネのために地上の食べ物を用意してほしいと、ハデスに頼まれてわざわざヘルメスはオリュンポスから持ってきたのだ。

 差し入れの籠を受け取って、ハデスは中身を確認しながら言った。


「後でエリニュスに届けさせよう」

「……ご自分で渡してあげればいいと思いますけど」


 ヘルメスが言うと、ハデスは視線をそらしてうつむいてしまった。


「差し入れをきっかけに、お話ししてきたらいいじゃないですか」

「……いや、私はいい――」


 ああもう、じれったい――頼りない物言いにヘルメスは困り果てて前髪をかき回す。

 せっかく舞台は整っているのに、こうも主役が消極的では何のために苦労したのかわからない。


 ささやかなきっかけを利用して会話を重ねていけば告白の機会もあるだろうに。

 今のところ、王とその客人という関係から全く進展していない。


 ペルセポネが地下に滞在するための口実は作った。

 館に客人として向かえ、後はいくらでも機会を作って、誰にも邪魔されずに親交を深めることができるというのに。


 当のハデスは、どういうつもりかペルセポネを避けてしまっている。

 逆にペルセポネは、エリニュスやケルベロスたち、他の冥府の住人たちとは順調に交流を重ねて、すっかり打ち解けている様子だというのに。


 このままでは、ハデス一人が仲間はずれになってしまう。

 それではそもそもの意味がない。


「ハデスさま、お言葉ですが、そんな調子じゃ進む話も進みませんよ」

「……放っておいてくれないか。

まったく……お前といい、ヘカテといい……」

「ヘカテさまが、何か?」


 溜息と共につぶやかれた名前を聞きとがめて、ヘルメスは首をかしげる。

 ハデスは深紅の双眸を困惑にかげらせて、


「彼女に……庭を案内してほしいと頼まれた」

「庭?」

「ヘカテが彼女に、何か吹き込んだらしい。

それで、庭を見てみたいから、ぜひ私に案内してほしいと……」


 ヘカテは協力すると言ったが、早速それを実行してくれたらしいことにヘルメスは感心して目をみはる。


 何かペルセポネの好奇心を刺激することを、ヘカテは話して聞かせたのだろう。

 興味津々にヘカテの話に耳を傾けるペルセポネの姿が容易に想像できた。

 明るい緑色の瞳を輝かせた、期待に満ちあふれたあの表情を向けられると、それを裏切って失望に沈ませることなどできはしない。

 面と向かって頼まれてしまえば、間違っても断りの返事は口にできないだろう。


 だが、ハデスはペルセポネとの交流を避けている。

 先程まで何か悩んでいたのはこのことだったらしい。


 ヘルメスは考え込む。

 これは願ってもない機会だ、充分に活用して二人の距離を一気に縮めてやりたいものだが――。


「――よし!」


 不意にヘルメスが手を打って声を上げたので、ハデスは驚き、目を瞬かせる。

 ヘルメスは勢いよく振り返って、


「ハデスさま、いいですね、それ。行きましょう」

「何だ、突然……」

「だから、ペルセポネさまを案内するっていう話ですよ。

いいですか、あなたは冥府の王で、ペルセポネさまは地上からな大事なお客さまです。

冥府を代表して、あなたが直々にお客さまを案内しもてなすのは、当然のことだし大切ですよ。

お客さまの方から希望があれば、それは最大限叶えて差し上げないと。

客人への饗応に不足があったとなれば、冥府の威信に関わりますし、外聞も悪いでしょう。

ハデスさまの評判にもよくないですよ。

ただ案内して差し上げればいいだけじゃないですか。

ハデスさまも、ペルセポネさまのささやかなお願いを叶えて、喜んでもらいたいでしょう? ですよね?」


 ヘルメスはハデスの目をしっかりと見据えてまくし立てる。


 ハデスはその必死な形相と語気に気圧されて、


「わ、わかった……お前がそこまで言うなら」

「よし!」


 力押しで同意の台詞を引き出して、ヘルメスは勝ったと言わんばかりに拳を握った。


「それじゃあ、ハデスさま、早速出かけましょうか」

「今からか……?」

「そうですよ。

善は急げ、思い立ったが吉日、歳月人を待たず、です。

ペルセポネさまは部屋にいらっしゃるんですか?」

「いや……外に出かけているはずだ」

「じゃあ、迎えに行って差し上げないと。

さあ、ハデスさま、気合い入れて行ってらっしゃい」


 そう言うと、ヘルメスは力強くハデスの背を押した。

 扉に向かって歩き出した足は、しかし途中で止まって、ハデスは肩越しに振り返る。


「ヘルメス……お前も来てくれないか?」


 僕が一緒に行ったら意味ないんだけど――ヘルメスは呆れて思ったが、しかしここで手間取っている内にハデスの気が変わっても面倒だ。

 ヘルメスはとっさに一計を案じて、ハデスの言葉にうなずいてみせる。


「わかりました、僕も行きますから。

ともかく、今は行動あるのみです」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る