ポンコツ天使が有給とって地上にやって来た

秋之瀬まこと

第1話

 大学に慣れてきた、六月の初めの帰宅途中に俺は『ソレ』に遭遇した。

 空から一筋の強烈な光が差す。

 強烈ではあるが、暖かくそれでいて神々しい。


 そんな光の道を『何か』が降りて来た。

 降ってきたのではなく――降りて来た、俺の目の前に。


 その『何か』は人の形をしていた。

 目の覚めるような美女、なんて事が陳腐に感じる程の美貌。


 風になびく、腰まで届く黄金色の髪。

 髪と同じ金色の瞳で目尻は長くきれ、鼻は高い。

 透き通るような白い肌。

 そして、均整の取れた――くびれる所とふくらむ所がはっきりした身体。


 世のどんな画家ですら、その魅力を描き表わす事が出来ずに嘆き悲しむであろう圧倒的な美。


「――女神さま、なのか?」

 思わず呟く。

 呟いた後で、その行為ですら目の前の美を汚す行為の様な気がして後ろめたい気持ちになる。




 価値観を一瞬で変える出会いから三ヶ月が経ったのだが――。

 今、俺は天使を連れてカラオケ店に来ていた。

 

「~♪~~♪」

 透き通った、リアル天使の歌声である。歌っている曲は最近流行のアイドル曲なんだけどね。




「――女神さま、なのか?」

 思わず呟いてしまった。


「いや、私は天使だ」

 俺の呟きに対して、鈴の音の様な声が降ってくる。

 それにしも、天使。確かに翼?羽?もあるし、頭上に金の輪が浮いている。

 テンプレートな天使の姿ではあるが……あれは人間の妄想じゃなかったのか。


「おい、人間よ」

 思考の海に浸っていた俺をエンジェルボイスが引き戻す。

「は、はいっ」

「お前はここら辺の人間か?」

「そうですけど……何かこの辺に用事があるんですか?」

「うむ。有給が取れたので地上に遊びに来たのだ」


 ん?何か神々しさの欠片もない単語が聞こえてきたような。

「あの……今、なんと?」

「有給が取れたので地上に遊びに来た、と言った」


 あんなに神々しさを感じた天使が一気に庶民染みて感じてくる。

 というか、有給って。

 天使も給料もらってんのかぁ……。


「人間よ。お前は時間があるか?」

「はぁ、大学の講義もさっき終わったので少しならありますが……」

「そうか。それなら私の案内役を任せよう」

「え?どういう事ですか?」

「私は人間界に疎いのだ。なので、有給を満喫するために案内役を探していた。そんな時にこの道を歩くお前を発見して姿を現した。というわけだ」




 『天使が有給をとる』などと言う、誰に話しても妄言だと一蹴されそうな事実を知ってしまった俺も、三ヶ月でこの天使の扱い方に慣れてきた。


「ーー♪ーーー♪」

 その天使さまは今、メンバーが全員歯科医師の某バンドの曲を歌っている。

 俺もその曲、好きなんだよなぁ。

 多分、うちでCDを聴いていたんだろう。




「それで、天使さんはどこか行きたいところあります?」

「とりあえず、地上界のご飯が食べたいな。お前は普段、どういったものを食べているんだ? 人間の文化に触れるのも良い経験だからな」

「ん~そうですね……ところで、天使さんはその……人前に出て大丈夫なんですか?」


 羽生えてるし、頭上に輪っかが浮かんでるし。

 何より服装も白い布を巻いただけのような格好なんだよなぁ……。

 しかも、絶世の美女。

 繁華街なんかに連れて行ったらどんな状態になるか。考えただけでも恐ろしい。


「む? それはどういう事だ?」

「いえ……普通、人間には羽も生えてないですし、頭の上に輪っかが浮いてる事も無いですし。服装も街中に出たら凄く浮きますよ?」

「――ふむ、お前のいう事は正論であるな。羽と輪っかは消せるが、この服は天界の支給品だから消せないのだ」

「なるほど。では、姿そのものは消せないんですか?」

「それは出来るぞ」


 それなら、ファーストフード系でテイクアウトにすれば良いか?


「なら僕が食べ物買ってきますので、姿消してついてきて下さい」

「そうか?よろしく頼むぞ」


 全世界にチェーン展開している某ハンバーガ屋で今晩の夕食を確保した。

 さて、どこか人が来ないところは無いだろうか――。


「どうした? 早くそれを食そうではないか!」


 いつの間にか姿を現した天使が、俺の右手に持つ紙袋をロックオンしながら声をかけてくる。

 金色の瞳がもの凄く輝いていて綺麗だし神秘的なはずなのに、どこか残念な雰囲気が漏れている。

 主に口元。ヨダレ垂れてますよ。


「いえ、人目があるとこだと天使さんは目立って食事どころじゃなくなりますから……どこか良い場所ないかな、と考えているんですよ」

「ん? そんなもの、お前の家に行けば良いじゃないか」


 さも当然のように、真顔でそんな事を言う。

 確かに、それが一番現実的に楽なんだよね。一人暮らしだし。

 

「まぁ、天使さんが良いんでしたら……」

「うむ! ではお前の家に向かおう」

「あ、うちに着くまで姿は消して下さいね?」

「わかっている」


 本当かなぁ?

 俺が言わなきゃ、そのままフワフワと空を飛んだままの状態でついて来たんじゃないかな……。


「もう姿見せても大丈夫ですよ」

「ふむ、ここがお前の家か。人間というのは狭い家に住んでいるのだな」


 一人暮らしでワンルームって普通だと思うんだけどなぁ。

 ――まぁ、天使に人間の常識が通じる訳も無いか。


「さぁ! 早く食そう!」

 部屋の真ん中に設置しているローテーブルの前に座り、食事を催促される。

 何ていうか、見た目は超絶美女なのに少しポンコツ臭がする。


 とりあえず突っ立っていても仕方がないので、天使の向かい側に座りつつ買ってきた袋をローテーブルに置く。

 目の前の天使は好物を待つ子供のような表情で某ハンバーガー屋の紙袋を凝視している。イタズラ心を刺激されなくもないが、天使さまを下手に刺激して天罰なんて与えられたら溜まったものじゃない。

 好奇心は猫をも殺すんだ。


 紙袋の中から手早く紙ナプキンを取り出し、テーブルに二つ敷く。一つは天使の前、もう一つは俺の前だ。

 バーガーをナプキンの上に置き、ドリンクもお互いの前に。最後に紙袋を破き、フライドポテトを取りやすいようにセットする。

 うん、我ながら素早く用意が出来た。上出来なタイムだろう。


「さ、食べましょう」


 その言葉を待っていました。とばかりにバーガーに手を伸ばす天使。しっかりと手で掴み――そのまま口に入れようとした。


「ちょっ! ストップ、ストップ!!」

「む? なんだ?」

 不機嫌そうに黄金の双眼でこちらを睨む。

 怖い、怖いから……。


「いえ、ハンバーガーはその紙を取って食べるんですよ」

 そう言いながら、自分のハンバーガを手に取り包装紙を半分ほど剝く。

 実演しながら一口。うん、チープな味がクセになるよね。

 

「ほう……そうやって食すものなのか」


 目を真ん丸くし、感心した様子で天使が呟く。


「えぇ、半分残せば手も汚れませんからね」

「なるほど。良く出来ているものだな」

「天界にはこういったものはないんですか?」

「うむ、食事は食堂で皿に乗ったものが出てくるだけだな」

「へぇ、天界にも食堂ってあるんですね」


 そんな会話をしながら、天使も見よう見まねで包装紙を剥きバーガーに口をつけた。

 ファーストフードのバーガーなのに、小さな口で上品に食べている様は大変絵になる。

 やはり美人は何をしても絵になるんだな……。


「なかなか素朴な味付けで美味であるな」


 素朴な味とは言い得て妙だな。

 そんな感想を良いながら天使はドリンクに手を伸ばす。


「んく……この飲み物は口の中で弾けて喉越しが爽やかだな」

 コーラもお気に召したようだ。

「ハンバーガーに良く合うんですよ、コーラは」

 天使の感想に答えながら、フライドポテトに手を伸ばす。


「その食べ物は手づかみで食すのか」

「人によっては箸で食べますよ」

「箸とはこの国で使われている食器だったか」

「そうですよ。天界にもあるんですか?」

「あぁ、あるぞ。大半はナイフとフォークで食しているがな」

 あーそれはイメージ通りだな。


「どれ、私もそれを頂こうかな」

 白魚のような指でフライドポテトを摘まみ口にする。

「これは少ししょっぱいな」

 綺麗な形をした眉をしかめて感想を述べる。


「あーフライドポテトって場所によっては塩がかかりすぎたりするんですよ」

 そういうものか、と呟きながら二本目に手を伸ばしている。


 その後は会話も特に無く、黙々と食事をした。



 バーガーとフライドポテトを食べ終わり、ちょっとした雑談になった。

 気になっていたことを訊いてみようかな?


「あの、天使さん。質問があるのですが」

「なんだ? 答えられる範囲で答えよう」

「えっと……天使さんには名前ってないんですか?いつまでも天使さんって呼ぶのも変だな、って思うんですけど」

「なるほど。残念ながら天使の大半には名前がないんだ。中に名前を持つ天使もいるが、それは上位の天使達だけだ。私のような下っ端には名前はないのだ」

「へぇ、そういう感じなんですか」


 なかなか天界も世知辛いようだな。


「じゃあ、有給で地上界に遊びに来たって言ってましたけど、天使さんは天界ではどんなお仕事をしているんですか?」

「私は転生課で死んだ魂の生前の記録を作成している。いわゆるデスクワークだな」

「え? 転生って本当にあるんですか?」

「もちろんあるぞ? どこかの宗教に輪廻転生という概念があるではないか」

 てっきりWeb小説特有の妄想かと俺は思っていたんだけど。


「じゃあ僕も死んだら転生出来るんですか?」

「そうだな、今のところ悪事も働いていない様だし、あっさりと転生の許可が下りるだろうな。この世界に転生するかはわからんがな」

「この世界? 他にも世界があるんですか?」

「もちろんあるさ。平行世界と呼ぶのか? この世界とは違う理で動いている世界も沢山ある」

 へぇ……なんだか凄くファンタジーな話だな。

 知らず知らずのうちに世界の秘密の一端を知ってしまった。誰かに話しても信じてもらえないだろうけど。


「ちなみに有給って、どれくらいの期間なんです?」

「この世界で言えば半年だな」

「凄く長いんですね……」

 半年も有給が取れるって凄いな。

「人間にとっては半年は長いだろうが、寿命の無い天使からすればそうでもないぞ?」

「え。天使って寿命がないんですか!?」

「あぁ、ないぞ。有給も百年ぶりに取ったからな」

「――百年!? 天使さんは一体何歳なんですか!」

「そうだな、私は創られてから大体、一万年と二千年といったところかな?」

 え? 何それ。どこのアクエ〇オン?




 天界の話や世界の秘密の一端を知ってしまった俺だが、機関や組織に狙われる事も無く生活している。


「~~♪~~~~♪」

 天使は、沖縄出身の某バンドの女性ボーカルが歌いあげた失恋ソングを熱唱中である。




 天使にこの街を案内するようになってから早くも一ヶ月が経った。

 何故か天使は俺の部屋で寝泊りしている。正直、ウチに泊まると天使が言い出した時はドキドキした。

 超弩級の美女と同じ部屋で寝泊り出来るなんて、健全な男子大学生にとって筆舌に尽くしがたい、夢のような経験ではなかろうか。


 食費は倍になったが言葉に尽くせない生活を送っていたある日、天使は急に料理を作ると言い出した。


 ――天使いわく。

「この国には『一宿一飯の恩義』と言う言葉があるからな、料理くらいしてやろう」


 美女の手料理。これほど心が躍るものがあるだろうか?いや、ないだろう!

 そう思った時期が俺にもありました。


 ワンルームの真ん中に設置されたローテーブルに並ぶ皿。

 その皿の上には名状しがたい物体が載っていた。

 仮にこの物質を『物体X』と名付けよう。暗黒物質でも可。


「あのぉ……天使さま? これは一体なんでしょうか?」

「ハンバーグに決まっているだろう! 午前中に観ていたテレビでやっていた作り方の通りに作ったのだ。見た目が少々違く見えるが、大丈夫であろう!」


 ドヤ顔で自信満々に胸を張る天使。抜群のプロポーションでソレをされると健全な男子大学生は前屈みになってしまう。

 しかし、目の前にあるハンバーグと言い張られている物体Xを見ると前屈みどころか仰け反ってしまう。


「どうした? 感動で言葉も出ないか?」

 いいえ、違います。

 それでも穢れない無垢な笑顔を見ると食べないという無難かつおそらく正解である選択肢が潰される。

 ――ええい、ままよ! 男は度胸だ!

「いただきます!」

 箸を手に取り謎の暗黒物質を口にする。


「んんん!?」

 一噛みした瞬間に口内の中で弾ける暗黒物質。

 不味いとかそういう次元ではない! 断じてそんなちゃちなもんじゃねぇ!

 二噛みした瞬間、視界がブラックアウトした。



「――はっ!」

 一昨年死んだはずのじいちゃんと会話していた気がする。


「目が覚めたか?」

 頭の上から鈴を転がすような声が降ってくる。

 なにやら頭が柔らかなものに乗っている様であるが、思考と視界が安定しない。

 俺は何をしていたんだ?


「うぅ……俺は、一体……」

「私の手作りハンバーグを食した瞬間倒れたんだ。覚えてないか?」

「え? あれ……」

「ふふ、今まで僕と言っていたのに一人称が俺になっているぞ?そっちが本当のお前なかのか?」


 段々と思考がクリアになっていくと共に物体Xの存在を思い出す。そして、思考と同時に視界もクリアになっていく。


 あれ? 目の前には目を見張るような美人の顔。女性的なふくらみがその顔を少し隠している。

 これは、俗に言う膝枕という代物ではないか?


「――うわぁ!」

 慌てて起きようとした。いや、半分は起きたんだ。

 しかし……ふよんと柔らかなモノが当たったんだよ、ほっぺたに。

 天国なんだが、ほっぺただけなのが残念だ。本当にマジで。

 

「何を複雑そうな顔をしておる?」

「は!?」

 いかんいかん。顔に出ていたか。

 と言うか、まだほっぺたがパイタッチしたまんまだった。

 そろそろ腹筋がプルプルしてきた……もう少し堪能したかったんだけど。 

 よっこいしょ、と身体を起こして天使に向き合う。


「あの……質問してもいいですか?」

「ん? なんだ?」

「天界では料理しなかったんですか……?」

「うむ。料理課の天使以外は、ほとんど料理を作った事がないだろうな」

「料理課なんていうもあるんですね」

「朝昼晩、彼女らの常駐している食堂で食べるのだ」

「へぇ、学食の凄く広い版みたいな感じですかね」


「それで、私の料理はどうだった?」

 黄金の瞳がキラキラと輝き、もの凄い笑顔である。

 ――何て答え辛いことを訊くのか、この天使さまは。


「気を失うくらい、美味であったのだろ?」

 黙っている俺に何を勘違いしたのか、金髪の天使は豊満な胸を張って良く分からないことを言い出した。

 ここはガツンと言ってやろう……。

 また料理を作るなどと言い出した日には、俺の命が心配だ。

「いや、あの……失神するくらいマズかったです」

 

 その日から、天使は料理の猛特訓を始めた。

 俺は特訓の過程で消えていった食材のことを思い、そっと涙を拭いた。




 天界は思っていた以上に分業の進んだ世界だという事実にビックリしたわけだが、それ以上に超絶美人の天使が段々とポンコツに見え始めた時期だった。

 飯マズヒロインとか物語だったらテンプレだよな。


「――ッ♪―――ーッ♪」

 今度は某ヘビメタバンドの柑橘系の歌かぁ……

 何故か採点で高得点出るんだよね、あの曲。




 料理の特訓を始めて一ヶ月半くらいすると、食べられるようになってきた。

 まだまだレパートリーは少ないが、家に帰ると美女の手料理がある状態と言うのは、健全な男子大学生からすると胸が躍るシチュエーションである。


 一ヵ月半前まで、電気の付いていない部屋に帰るのが俺の日常であったが今は違う。

 存在は天使で、ただの居候ではあるが客観的に見れば完璧に、完全に、圧倒的に、俺は勝ち組である。

 気分良くマンションの扉を開けると――俺の部屋は台風に直撃されたかの様に荒れ果てていた。


「なんじゃこりゃーっ!」

 なんだコレ? え? どういう状況なの?


「おぉ、帰ってきたか。おかえり」

「えっ? あぁ……ただいま」

 部屋の中心で神々しい見た目の天使に声を掛けられ、反射的に返事を返す。

 返事は返したが、この惨状は一体なんなんだ?


「あのぉ……つかぬ事をお伺いしますが、一体何があったんですか?」

「うむ。食事を作るだけでは泊めって貰っている恩義に答えられないと思ってな。掃除にも挑戦してみたのだ」


 えー? 散らかしているだけだと思うんですけど。これで掃除したのだとすれば、世の中の汚部屋も普通の部屋になるんじゃないか?

「これで掃除は終了ですか?」

「いや、昼間からやってはいるのだが、一向に終わらないのだ。あっちを片付ければこっちが散らかり……いやはや、清掃課の連中は凄いものだな」

 清掃課? まさか、この天使さまは天界で掃除をした事が無いのか?


 部屋を見回すと、お皿が三枚とグラスが二個割れていた。

 ――どれも百均で買ってきたものだから損失的には五百円×税ではあるが。

 それよりも気になる発言があった。


「清掃課がある。って事は天使さんは掃除した事が無いんですか?」

「うむ。初めて掃除をしてみた! この掃除機というモノは使いづらいな……コードは絡まったり引っ掛かったりするし、吸い口も長くてあちらこちらにぶつかるし」


 天使の台詞を聞き、思わず頭を抱えて座り込んでしまう。

 さっきまでの浮ついた気分は、あっという間に急降下して地面にめり込んだ。


「夕食はもう少し待っておれ。先に掃除を終わらせてしまいたいからな」

 そんな事をのたまい、天使は掃除機を手に取る。

 いやいや、ちょっと待て。こんなに物が散乱した室内で掃除機を使えばどうなるか?結果は簡単、床に散らばった物を吸い込み変な音がした。


「ストップ、ストップ!」

「む? なんだ」

「床にも物が散らばってるのに掃除機なんてかけたら吸い込んじゃうでしょ! まずは床に落ちれる物を片付けるところからですよ!」

「なるほど。確かに言われてみればその通りかも知れんな」

 流石、存在自体が常識から外れている天使さまだ……ちょっと考えればわかることだと思うのだが。


「では、まずは床の物を片付けるかの」

 そう言いながら、片付けを再開する。

「俺も手伝いますかね」

 と、近くに散乱しているところに手を伸ばす。

 ――お気に入りのバンドのCDケースに大きなヒビが入っていた。


「あの、天使さん。コレを見て下さい」

「コレはお前が良く聴いていたCDだな。それがどうした?」

 そんな言葉に俺はスッとCDケースのヒビを指差す。

「ここだよここ! こんな大きなヒビが入っちゃって! 中身が無事だったから良かったけど、下手したらCDまで傷が付いて聴けなくなったらどうするんだよ! このCD、結構古いから売ってるお店探すのも一苦労なんだよ! マジで気を付けてくれよな」

「う、うむ……それは本当にすまなかった」


 綺麗に整っている眉尻が下がり、しょんぼりとしている。

 美人にそういう顔をされると、何故かこちらが悪い気がしてくるのは男の性なんだろう。ついついフォローの言葉を口にしてしまう。

「いや、今度から気をつけてくれれば大丈夫だからさ」

「そうか……? すまんな」

 こちらを見ている金色の瞳が少し潤んでいて、それがまた神秘的な輝きをしていた。

 ――つい、魔が差した。と言うのだろうか?気が付くと俺は天使の頭を撫でていた。


 その日から、天使は床を片付けてから掃除機をかけるようになった。




 絹のような髪だと思ってはいたが、触り心地が最高だったなぁ……。

 とにかく柔らかくて滑らかで。それに、撫でるたびに良い匂いがしたし。


「~~~♪~~♪~~~♪」

 そんな天使が今歌っている曲は、ケース割ったCDに入っていた曲かぁ。しかも、カップリング曲を選ぶとは良い趣味をしている。




 ベランダで真っ赤に染まる夕焼け空を眺めながら物思いに耽る。内容はこんな感じだ。

 最近のシングルCDはアルバムと同じサイズのケースに入っているけど、俺が小学生の頃は紙で出来た細長いケースだった。サイズがアルバムと同じになって棚に整理しやすいなぁ。

 特に意味はないのだけど。意味が無いというよりは現実逃避に近いのではないだろうか?


 何故かって?それはね……我が家の居候天使がまたやらかしてくれたのだ。

 料理、掃除と来たらあれですよ、洗濯。

 確かに、俺も一人暮らしを始めるまでは使い方なんて全然知らなかったし、慣れるまでは結構時間が掛かった。だから、最初から全てを上手くこなせるなんて露ほども思っていなかった。



 気持ち良く晴れた土曜日の朝。天使は言い出した。

「うむ、見事なまでの快晴だな! 実に洗濯日和だ」

「そうだな、最近は雨が続いてたし一気に洗濯しちゃうわ」

 コーヒーを飲みながら休日の朝を爽やかにエンジョイしていた俺は、何の気になしにそう答えた。

 持っていたカップを部屋の真ん中に設置しているローテーブルに置き、洗濯機を回しに洗面所へと向かう。否、向かおうと腰を浮かせたところで天使から声が掛かる。

「まぁ、待て」

「ん? どうかしたか?」

「私が洗濯もしてやろう」


 この天使がうちに居候し始めてから約三ヶ月。料理に始まり最近では掃除もしてくれるようになった。最初は絶対にやらかすのだが、一人暮らしをしていた時は面倒臭くてしょうがなかったので、正直助かっている。ここはお願いしてみよう。

「そうか。ならお願いしようかな」

「うむ! 任せておくとよいぞ」

 腰に手を当てて、豊満な胸を張る天使。うむ、眼福である。

 天気も良いし、休日を満喫させてもらおうかな。


 天使が洗面所に向かい、しばらくすると洗濯機が動き始める音が聞こえてくる。

 洗濯機の音をBGMに窓から差す日差しにまどろみながらコーヒーを口に含む。うん、熱い。俺、猫舌なんだよね……。


「うわ! なんだこれは!」

 洗面所から天使の叫び声が聞こえる。嫌な予感しかしないのだが……。

「ちょっと来てくれ!」

 あーなんでしょうね。よっこいしょ、と腰を上げ洗面所に向かう。

 なんだろうなぁ、どういう事態になっているのか想像がついてしまう。


「どうした……って? おわっ!」

 洗面所に設置してある洗濯機の周りが泡だらけになっている。想像通りであった。

「とりあえず、泡を掃除しようか」

「……すまん」

「いや、俺もついて行って使い方を教えるべきだったから」


 泡だらけの洗面所を掃除して、洗濯機の使い方――主に洗剤の入れる量――を説明し、改めて洗濯をする。全部終わって洗濯物を取り込む頃には、青空は真っ赤な夕焼けに染まっていた。

 洗剤は沢山入れたからってより綺麗になるわけではないのだ。何事も用量を守らないといけないのだ。過ぎたるは及ばざるが如し……とは少し違うか。とにかく!説明書は読んどけよ。という話である。


 当の天使はというと、初めて料理や掃除をした時ほどではないが失敗してしょんぼりしていた。美人はどんな表情をしていても絵になるけど、やはり楽しそうにしているのが一番だと俺は思っている。

 明日はカラオケでも連れて行ってやるか……。




 昨日は洗面所が泡だらけになったわけだが、次からはきっと上手く洗濯もやってくれると信じている。むしろ、料理や掃除と違い指定の分量の洗剤を入れてボタンを押せばほぼ終わる洗濯である。


「~~♪~~~♪~~~~♪」

 最近、深夜に放送している某日常系田舎アニメのOPかぁ!

 にゃ〇ぱす~って言ってる子が可愛いんだよな、マジで。あれは天使だな、うん。目の前には本物の天使がいるのだが……それはそれ、これはこれ、だ。

 あのアニメ観て、天使が田舎に行きたがっていたのを今思い出した。機会があったら聖地巡礼に連れて行っても良いかも知れないな。




 天使がうちに居候するようになってから色々ドタバタもした。だけど、地上界の案内をするという事で普段なら行かないであろう所にも行こうかなんて考えるようにもなった。聖地巡礼なんて、俺は一人では行く気にならないだろうし。

 普段行くところでも、こちらの常識を知らない奴と一緒に行くと反応が面白かったりするのでそれも楽しい。


 天使の取った有給が半年。今三ヶ月経ったから、あと三ヶ月はこの見た目は絶世の美女、中身はポンコツの天使と一緒に居るだろう。ポンコツといっても今までやらなかったってだけで、着実に出来るようになっているんだけど。


 三ヶ月、天使に話せる範囲で天界の事を訊いた。他の課に所属する天使たちにもあってみたいなんて少し思っているが、同じ人間のところに案内を求めてくる確率は限りなく低いだろう、との事だ。

 個人的には料理課の天使の作った料理が食べてみたい。天界の料理人なんて文字面だけで絶品の料理を作れそうだしね。いや、地上界に有給で来てまで料理は作りたくないか。


 何はともあれ、天使なんていう非常識の塊との生活は、思いのほか悪いものではないと俺は思っているのである。

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