第9話 悪徳、語るに落ちる

 店の者も数名でて、ぐったりした初栄を座敷に運びこむと、よく肥えた男があらわれて、店主の橘屋庄右衛門と名のった。



「まことに、かたじけない」


「どういたしまして。薬売りの冥利につきるというものです」



 庄右衛門は、鷹揚に笑った。



「今でこそ、こうして店を構えておりますが、私どもも先祖は行李をせおった行商でしてな」


「さようか」


「病に苦しむ人々の、もとめに応じて薬をお分けする。この庄右衛門、やっと先祖に顔むけができる思いです」



 そう言いながら、庄右衛門はぽんぽんと手をうって、手代を呼んだ。手代が捧げる盆には、丸薬と水差しがのっている。

 初栄は、ふるえる指で薬を口にふくみ、水で流しこんだ。



「雨上がりに、この陽気ですからな。若い娘さんには堪らぬことでしょう」



 庭を見やりながら、庄右衛門が眩しそうに目を細めた。池端に咲く白い花に、あたたかい陽光が降りそそいでいる。

 昨夜の雨にさしたのか、雨傘をみっつ、土蔵の脇に広げて干していた。

 その向こうには、やや水かさを増した山谷堀が流れている。



「して。この娘さんとは、どういうご関係ですかな。失礼ながら、ご身分が違うように見うけられますが」



 にこやかな笑顔の下で、相手を探っている。それが商売人の習性なのか、それとも別の理由があるのか――まだ、わかりかねた。



「うむ」



 千冬は渋い顔である。

 へたに素性を明かして、主君の家名が傷つくことを、おそれているのだろう。

 下座に座る律は、目だけで周囲を探っていた。襖の向こうに数人いて、物珍しそうに、こちらを覗いている。



「それがしは、池田播磨守の家臣にて、佐々木千冬と申す。散歩をしておったら、たまたま、この娘が行き倒れたところに出くわしたのだ」



 下手な嘘だが、すべてが嘘ではない。散歩をしていたのではなく、必死に探してまわっていたわけだ。



「ほう。お知り合いでは、ないのでございますか」


「む、知り合いでは、ある」


「詮索するようで、何でございますが」


「うむ――世話になった方の、ご息女でな」



 どうにも、しどろもどろになってきて、



(こいつはいけねえ――)



 と、律が首をすくめた時だった。

 初栄がむくりと起き上がって、



「世話になったの」


「おや、もうよろしいので?」


「うむ。用事は済んだ」


「用事?」


「立派な津軽だの、主人」



 そう言って庭を指さす。

 庄右衛門の顔色が変わった。



「はて、何を言い出すやら」


「さすがのわたしも、凶行の証拠をこうも大胆に、庭先へ放り出してあろうとは、さすがに思わなんだわ」


「あの白い花は、たしかに芥子でございますが――芥子など、今はそれほど珍しくはないというのに」


「語るに落ちたな、悪党め。しかし証拠というのは、そちらではない。親分、そこの雨傘を、一本、もって帰ろうか」



 それを聞いた律が、干してあった傘に気がついて、



「あッ!と、と、富岡屋ッ!」



 それは宣伝がてら、得意客にくばるものだろう。雨傘にはたしかに『富岡屋』の三文字と、屋号が描きこまれていた。



「ち、しまった」



 庄右衛門が舌打ちをした、その時――。

 音もなく開いた襖から、浪人風の男が疾風のように駆け寄って、ものも言わずに腰の大刀を抜きはなった。



「む!」



 一閃した刃を、千冬が鞘で受けた。

 その寸前、善八は初栄を抱えて、ひととびに庭まで跳んでいる。



「ほう。よく防いだな」


「こ、こやつらは――」


「うかつだったな、庄右衛門どの」



 刃を押し返した千冬も庭に降り、慌てて続く律とともに、初栄を護るべく肩を並べた。

 屋敷の奥からは、見る間に三人、五人とあらわれて、短刀を手に庭の四人を囲みにかかる。

 いずれも商人の風体ではなく、ならず者のそれであった。

 その囲みを静かに割って、



「富岡屋の得意客だったとでも言えば、とりあえず、この場はしのげたかもしれんがね。もっとも――」



 そう言いながら、浪人も庭におりてきた。



「その娘、呑んだとみせかけて、こっそり袂に丸薬を隠すなど、なかなか抜け目のないことよ」


「な、なんだと」


「おそらくは噂にきく、町奉行の娘だろう。子供ながら目端が利くと耳にしたが、なるほど侮れん」


「こやつらは、いったい――」



 浪人は千冬をみた。



「鬼同心・佐々木といえば、その道で知らぬ者はいまいよ。その名を聞いただけで、江戸中の悪党どもは、眠れなくなるだろうさ」



 浪人は、刀の峰で肩を叩きながら、目を細めた。



「その娘もまた、神林流の達人という。さらに、その隣はにいる姐御は、置網町の十手持ちだろう。女だてらに、なかなかの肝っ玉と評判だ。これだけ顔が揃って、ただの行き倒れもなかろうな」


「密偵――?」


「まあ、斬り捨てるほか、ないだろう」



 ところが、初栄は涼しい顔で、善八をちらりと見ながら、



「ふん。ひとり忘れておるわ」



 そう言うと、袂から丸薬をとりだして、



「ひそかに持ちかえり、漢方医にみせようかと思ったが、あからさまな証拠が庭にあるので、これも無駄になったの」



 と、池に投げてしまった。

 律は油断なく十手を構えながら、



「今のは、なんですかい?」


「一粒金丹の、まがい物でも扱ってはしないかと、思ったまでじゃ」



 当時の津軽藩が製造していた、芥子を主成分とする沈痛・強壮薬を『一粒金丹』といった。



「成分の割合がちがえば、独自に阿片を調合している、という証拠にもなろうがの。粗忽にも富岡の雨傘などを持ちかえっているので、手間がはぶけた」


「アヘン――アヘンってなんでしたかね?」


「まあ、そのあたりは、あとで話そう。親分はわたしの隣で、護っていてくれればよい。あとは善八と千冬が片づける。そこの浪人は、善八が相手いたせ」



 それを聞いて、及び腰の橘屋庄右衛門も、どうやら腹を据えたらしい。



「殺せ!けっして帰すでないぞ」

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