第8話 女剣士、怒る

 楠屋の店構えは市川屋に負けず、なかなかの豪商にみえる。

 しかし、ぐるりと見てまわった初江は、



「くさい」



 と、緊張の面持ちを強めた。



「おいらじゃねえですぜ。なあ善の字、お前、やったか?」



 思わず律は鼻をつまみ、善八は尻をおさえて首を振る。



「ちがう」



 初栄は小声で、



「往来にふたり。路地にもふたり。それ、そこの男も――顔を向けるな。目だけで見よ」



 そこには男がひとり、風呂敷包みを背にウロウロしていた。



「あの野郎がなにか」


「袖口に入れ墨が見える」


「あ――なるほど、こいつはくせえ」



 律は合点して、



「どうします。ちょいと締め上げますか」


「いや、あやつらはただの見張りだ。相手をしている暇はない」



 言いつつ横目で善八を見るが、



「いけません。今度は肩も駄目です」



 と、彼にしては珍しくきっぱり断った、そのとき――。



「ぐあっ」



 善八がもんどりうって倒れた。

 一瞬、身構えた初栄と律だったが、相手の姿をみとめると、



「おぬしか」



 そう言って、初栄は緊張を解いた。


 それは大小を差した若い女だった。

 しかも精悍な顔つき、隙のない佇まい、さらには動作のひとつひとつが機敏でムダのない《もののふ》である。


 ただ、散々、走り回ったとみえて、さすがに肩で息をしていた。

 もちろん、老同心・佐々木のひとり娘にして、神林流抜刀術の達人、千冬にほかならない。

 そんな彼女が、陽炎のような怒気を全身からたちのぼらせている。



「千冬。不意打ちは、さむらいのすることではないぞ」


「初栄さまをかどわかす、不埒な輩には、これで充分」


「私が連れだしたのだ。千冬の当て身をまともにもらっては、善八も堪るまい」


「禽獣のごとき奴と思えばこそ。相手が人間なら、斬り捨ててござる」


 千冬は、地べたで身悶える善八をひと睨みすると、律に目をうつした。

 殺気を感じて、さすがの親分も身をすくませている。



「こやつは?」


「置網町の親分だ。手伝ってもらっている」


「同心のマネゴトはやめて、お屋敷に帰るのです」


「そうはいかん。件の押し込みまであと一歩なのだ」


「お戯れを」


「そうだ。どのみち善八が頑固なので、どうやって入り込むか思案していたが、千冬がいるなら話が早い」



 そう言った初栄がくるりと白目を剥いて、



「あれえ――」



 と、その場に倒れ込んだ。



「は、初栄さま」



 悶絶していた善八が、よろめきながら駆け寄ったが、



「ええい、貴様は手を触れるな!」


「姫さん!どうしたんですかい」



 初栄は喘ぎながら、



「走り回ったせいで、どうも立ち眩みのようだ」


「いえ、走り回ったのは私――痛てて」



 内股をつねられた善八が口をつぐむ。



「千冬。少し休めば大丈夫だから、そこの薬屋で休ませてくれるよう、頼んでくれんかの。できれば気付けを少々、調合してくれると助かる」


「初栄さま。本当に気分を悪くされたのでありましょうな?」


「これも、千冬の言いつけを守らなかったせいだ。反省しておる」



 あからさまな懐疑の目をむける千冬に、



「少し休めばきっと帰るが、このままでは帰らぬ人になるやもしれん。思えば、みじかい人生であった――」


「こいつはいけねえ。おい善の字、そっち持て。おさむらいさん、こういう場合によくねえのは、お天道様の下に放っておくことですぜ」


「さらばだ、千冬――父上と母上には、会いたかったと伝えてたもれ。では、達者でな」


「ああ、もう!」



 憤然としながらも、千冬は立ちあがって、



「半時ほど休んだら、きっと帰るのですぞ!」



 そう言い残して、橘屋の暖簾をくぐっていった。



「へへ、うまくいきましたね。おさむらいに頼まれちゃあ、店のもんだって断れませんぜ。おまけに商売が商売ときてやがる。店先の病人を放っとくわけにゃ、いきませんや」



 律が、こっそり舌をだした。

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