第7話 馬と迷子
「どうやら筋書きが読めてきたぜ」
律は膝をたたいて、
「伝の字をはじめ、違う殺され方をした連中は、よくねえやつらの恨みをかっていたに違えねえ。そいつらに三日ばかりいたぶられて、這う這うの態で逃げたはいいが、とうとうヤサをつきとめられたんだ」
「ほう。そうみるかの」
「でなきゃ伝一郎たちだけが、違う殺され方ってのに合点がいかねえ。しばらく様子がおかしかったのは、悪いやつらに脅えてやがったんだな。聞いてみりゃあ、伝一郎にしろ茶問屋にしろ、若い連中ばかりじゃねえか。そいつら、どっかでつるんでたんじゃねえか」
「さすがは親分だの。目のつけどころがいい」
「それで悪いやつらと悶着をおこし、恨みをかって殺られたんだろうぜ。家族や使用人はその巻き添えだ」
「いや、そこは恨まれたのではなく、ただ目をつけられたのであろうな」
初栄は腕を組みなおして、
「いたぶられてもおるまい。むしろ大事にされたはずだ。脅えていたのでもなかろう。ことによると、その逆かもしれぬ」
「大事にされたやつが、ぼろ雑巾みてえな半死半生になって、帰ってきたっていうんですかい?」
「うむ」
「疑うわけじゃあありませんが、いったいどんな筋書きなのか、教えてくださいませんかね」
「そうしたいところだが、ちと急ぐ。あとで説明するゆえ、さきに江戸市中の地図を貸してもらえぬか」
「地図、ですかい?」
律は怪訝な顔をしたが、
「見そこなっちゃいけません。このあっしが地図みてえなもんで」
と胸をはった。
「では富岡屋より一里から一理半。山谷堀に臨むか程近く、少なくとも土蔵か穴蔵がふたつあり、奄美や薩摩の黒砂糖ではなく、また讃岐などではなく唐物(輸入品)の白砂糖を扱い、それでいて商いは昔より下火になっている。このうち三つ以上あてはまる薬種問屋に、心あたりはあるかの」
「薬種問屋、でございますか」
「断言できぬが、蘭方医とつきあいがあるやもしれん」
蘭とはオランダをさす。
この時代、中国伝来の漢方が医学の中心ではあった。
一方、長崎・出島のオランダ商館が西洋医学を日本につたえ、これを蘭方医学、略して蘭方らんぽうという。
杉田玄白の「解体新書」が世にでて八十年。
蘭方への感心も、たかまりつつあった。
「それでしたら――仁河町の楠屋」
「ふむ。それから?」
「張方町の豊後屋」
「あとは甲西町の市川屋といったところが思い当たりますが」
「近いのは?」
「市川屋、楠屋、豊後屋の順で」
「さすが親分。よし、日暮れまでの勝負だ。善八、背負え」
初栄は立ちがった。
※ ※ ※ ※ ※
初江は、ふたりを急ぎに急がせた。
律も日頃から健脚を自慢にしていたが、
「こいつは、また――」
子供とはいえ、人ひとり背負った善八の足腰には、舌を巻くしかなかった。
(こいつ、ひょっとして馬なんじゃねえか)
呆れかえるほかはない。
なにしろ、ついて行くのがやっとなのだ。
ともあれ、急いだ甲斐あって、ほどなくして市川屋に着いた。
なるほど、大店の名に恥じない店構えではある。
「さて」
初栄は、店構えから裏木戸までぐるりと見てまわった。
屋敷の裏手は山谷堀にあたり、舟をつけられるようになっている。
薬種問屋の多くは砂糖商もかねており、どちらも江戸後期まで輸入に頼っていたので、長崎、大坂を経由して江戸に運び入れていた。
江戸に着くと、大型の廻船から小舟に積みかえて、運河をつかうことになる。
そうなると舟着き場は、自前のをもつか、近いほうがよい。
「ふむ」
初栄は、塀の向こうに白壁の蔵が見える場所で、立ち止まった。
「ここしかあるまい。善八、また背を貸してくれるかの」
「どうなさるんで」
「肩の上に立って、壁の向こうを覗く」
こともなげに言う。
善八は渋ったが、
「急ぐと言うておろうがの!」
一喝されて、渋々、壁際に身を屈めた。
ところが、善八の肩にのった初江は、彼が立ちあがるさいの反動を利用して、
「ゆるせよ」
と、そのままひょいと壁を越えてしまったのである。
「あっ」
見あげたが、もう遅い。
うろたえる善八だが、幸いにも、さほど長くはかからなかった。
ほどなくして壁のむこうから、
「うわあぁぁぁん――」
と、子供の泣き声が聞こえた。
裏木戸へ突進した善八が、戸を壊さんばかりに叩きまくると、やがて男が初栄の手を引いて、
「まったく、どこから入り込んだんだか。困りますよ、本当に」
ポロポロと涙をこぼし、大きな口をあけて泣きじゃくる初栄は、驚くほど幼く見える。
「まったく、迷子になるような子から、目をはなすからですよ」
「まあまあ、そのくらいにしといてやんな」
律が仲裁に入った。
「おいらは、置網町で十手を預かる律ってもんだ」
「ああ――お噂はかねがね」
「こいつら親子には、この俺がようく言ってきかせるよ、今日のところは、それで勘弁してやってくれねえか」
「まあ、親分さんがそうおっしゃるなら――」
ぶつぶつ言いながら男が戸が閉めると、初栄は途端にけろりとして、
「シロだった。ここは違う。つぎは楠屋であったな」
と、またもや善八の背に飛びのった。
「いやはや、こいつはまったく、たいした姫さんだ」
苦笑しながら律も走りだす。
「時に親分。実に時宜をえた仲裁で、時を稼げてたすかった」
「そいつは何よりでした」
「しかし親子はないであろう」
「はあ、そうですかね」
年格好からすれば、親子でちょうどいいだろう、とは思うが、
「じゃあ、次はどう言っておきましょうかね」
「兄妹ということにしている」
むせかえるほど律が笑うので、さすがの初栄も憮然とした。
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