第5話 津軽の謎
こってり絞られた伝一郎。
そのおかげか、それからは夜遊びもやめていた。
番頭以下、皆も胸をなでおろしていたのだが――。
やはり、どうも様子がおかしい。
「あの、どこか、お悪いんですか」
そう呼びかけられても上の空、三度目にやっと気がついて、
「えっ?な、なんでしょう?」
と、慌てふためくというありさま。
いつも、そわそわと落ちちきなく、食事もろくにノドを通らない。
寝ていても急に叫んで跳ねおきるといった具合で、やはり医者でも呼ぼうか、と話をしていた矢先に――。
ふい、と姿を消してしまった。
しかも、今度はただの夜遊びではない。
熱をだした手代にかわり集金にいき、そのまま売掛金もろとも消えたのだ。
「あきれたやつめ」
さすがの当代も頭から湯気をたて、
「これからはもう、親でも子でもない。番頭さん、これはもう決めたことだよ」
と、勘当を宣言した。
だが、放っておくわけにもいかない。
その日は看板をおろし、皆で手分けして探すことにした。
なにしろ店の評判にかかわることなので、大っぴらに訪ねてまわるわけにもいかない。
だが、そこは番頭もかつては若い衆、すこしは遊んだクチである。
昔の仲間から、口のかたいのをえらんで、
「まあ、どうせ賭場か岡場所だとは思うが、ひとつ、みつけておくれ」
と、小判をにぎらせた。
だが、それでも伝一郎はみつからない。
よもやと思い、沼や池まで見まわったが、
「はて、どこへ行ったものか――」
そう首をかしげるしかなかった。
※ ※ ※ ※ ※
「こっからは、私がじかに見聞きした話になりやす」
律はエヘンと咳払いをした。
「ふむ。富岡屋から届けがあったのだな」
「左様で。看板に傷がつかぬよう、内密にさがせぬか、と頭を下げられました」
「ふむ」
「そこで、まあその、ちょいとひと肌、脱いだわけでして」
「冨岡ほどの大店となれば《付け届け》も楽しみというわけだの」
「姫さんにゃ、かないませんや」
岡っ引きに給料はない。
ただ裕福な町人からは、たまに金銭が贈られて、これを《付け届け》といった。
賄賂というほどの目的はなく、謝礼というほど理由が定かでもない、いわば慰労手当という意味合いの贈答金だった。
「いや、こちとら金で目があいたり、つむったりする外道じゃありませんぜ」
「親分のことだ。そうであろう」
「まあ人捜しくらいなら、きいてやってもと思ったまででさ」
「で、どこから手をつけたかの」
「縁日で、伝一郎にそっくりなやつが、婆さんがさげてる巾着を、かっぱらったって話にしときました」
初栄は吹きだした。
「なるほど。きいたか善八、さすが置網町の親分だ」
「おだてちゃいけません」
「で、伝一郎によく似た掏摸を見なかったかと、自身番にふれまわったのだな」
自身番は、こんにちでいう交番のようなものだが、そこにいるのは、警官ではなく町人自身だったので《自身番》といった。
「姫さんとは話が早いや」
出会って早々に心服してしまった律は、初栄に《姫さん》とあだ名をつけたらしい。
「伝の字も迷惑してるから、そいつを見かけたら、すぐ知らせてくれ――そう言ってまわりました」
「しかし、本人なら見たが――とは、誰もいわなんだかの」
「そうなんでさ。いったい、どこへ消えちまったんだか」
と、いかにも悔しげに、
「ところが野郎、三日目の晩になって、ひょっこり帰ってくるんだから馬鹿にしてやがら」
その姿というのが、すごかったらしい。
ほつれて逆毛立った髪。
だらしなく伸びた髭。
ぎょろりと落ちくぼんだ目。
半開きの口からヨダレ。
はだけた、ぼろぼろの着物。
そんな伝一郎が、すり傷だらけの裸足で、店先に立っていたのだという。
「まあ、乗りかかった船ですから、あっしもすぐに駆けつけました」
目立たないよう裏から入った律は、伝一郎が寝ている離れに通されたという。
「ああいうのを半死半生っていうんですかね」
律は腕組みをして、
「さすがに着替えちゃいましたが、もう目の前にいる相手も、よくわからねえような有り様で。ぼんやり天井を見上げてたと思うと、急に跳ね起きて出て行こうとする。押さえつけても泣くやら、わめくやら。からっ傘みてえに痩せほそってるくせしやがって、いやに馬鹿力なもんだから、こちらも骨が折れました」
「何か言ってはなかったかの。どこに行っていたとか」
「それが、さっぱり要領を得ないんで。ただ時々『津軽、津軽』とうわ言みてえのを言ってましたが」
「津軽――?」
さすがの初栄も怪訝な顔で、
「みちのくの津軽のことかの」
言うまでもないが、津軽はこんにちの青森県西部にあたる。
「さあ、そう思うんですがね。薮から棒に津軽と言われても、三日で行ってこれるわけじゃないが、まあ他に手掛かりもねえもんですから、とりあえずは街道筋は、あたってみましたが」
「なにも出てこなんだかの」
「板橋どころか本郷でも、伝一郎を見かけた奴はいねえんでさ」
「津軽に縁のある親戚とか、知り合いは?」
「富岡の初代は近江だそうで、江戸より北に縁のある奴は、いねえって話です」
「ふむ」
初栄が考えこんだときだった。
「親分、てえへんだァ!」
律の配下である下っ引きが、挨拶もはしょって駆けこんできた。
「なんだ熊公、朝っぱらから騒々しい。客がいるのが見えねえのか」
「おっと、いけねえ。こいつはとんだ失礼を」
「まあ、来ちまったもんは仕方ねえ。どうした、何があったんだ」
「そいつ、そのことよ。親分、富岡に、富岡屋に――」
「なんだ。あの馬鹿が、また津軽にでも、いっちまいやがったか」
「そうじゃねえ。富岡屋に、例の押し込みが入りやがった。みな殺しだ!」
「な、なに?」
律が思わず腰を浮かした。
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