Love メン!!!

ガジュマル

第1話

 僕は知っている。

 この世界には本物の錬金術師がいるということを。

 あらゆる秘術を駆使して現実世界に奇跡を生み出す人々。

 僕も彼らのような錬金術師になりたいと思っている。

 僕の言うところの錬金術師。

 人はそれを料理人と呼ぶ。



「てッめえぇ……何ボケっとつっ立ってんだ!手ェ止まってんぞ!」

 どすのきいたセリフと同時にグォンと鈍い音がする。

 僕の頭蓋とオッサンの振り下ろしたおたまが接触して奏でた音だ。

 おたまとは言ったが、どうか一般的な家庭用のおたまを想像しないで欲しい。

 振り下ろされたモノはプロが使う中華用のおたま。

 大げさにたとえるならゴルフのアイアンクラブだ。

 それをプロレスラーのような腕を持つおっさんが振り下ろしたのだ。

 結果は推して知るべし。

 僕の頭頂部にはマンガで出てくるようなたんこぶが形成されつつある。

 だが、おっさんもプロだ。

 接客もする僕に対して目立つところに打撃は加えない。

 僕の頭に巻かれたタオルをめがけておたまを振り下ろしている。

「すいません」

 うめき声を押し殺して答え、僕は手早く洗い場向かいつつ、心の中では『イツカブッコロシテヤル』といつもの呪文を繰り返す。

 まぁ、僕の悪癖である妄想癖が出てボーッとしていたのは事実なのでしょうがない。

 だが朝の八時から動きっぱなしですでに五時間経過しているのだから、おっさんも少しは大目にみてほしい。

 おっさんは「ケッ、使えねぇ」と小声でつぶやきながら中華鍋を動かし始めた。

 だが、チラチラと視線はこちらに向いてくる。

 一般の人が道路で向かい合ったら顔をそむけるような視線だ。

 分かっている。

 あと数秒で麺が茹で上がるタイミングなのだ。

 僕は急いで洗い物に区切りをつけると、手をすばやく洗いゆで麺機へとダッシュする。

 着くと同時に鳴り出したタイマーのストップスイッチのボタンを押して止める。

 ボワッ。

 茹で麺機の蒸気が体全体をつつみこむ。

 僕は茹で麺機にささっている九つの網(テポ)のうち手前の三つを一気に引き上げる。

 ぐらぐら煮え立つお湯がある程度きれたらテポをゆで麺機からはずす。

 左手にテポを二つ持ち、右手で一つのテポを振りザッザッとお湯を完璧にきる。

「ん」

 おっさんの合図で並べられた丼へと次々に湯切りしながら麺を落としていく。

 三つの麺を落とし終えると、すぐさま茹で麺機に向き直る。

 そして残り6つのテポを手前に移動すると、空いた3つのテポに麺をいれ菜箸で麺がほぐれるようにすばやくかき回す。

「やれ」

 続いての合図で再び丼へと体を向ける。

 この時、壁に張り付かせてあるタイマーのスタートボタンを押し忘れたのに気づき、急いで向き直りスタートボタンを押した。

 気配を感じて横を見ると、おっさんが予備のおたま(店員殴打用とも言う)を振りかぶったところだった。

 おっさんの口からは凶暴な大型肉食獣の唸り声がもれてている。

 その姿を見ておっさんが何に似ているかに気づいた。

 ロードオブザリングに出てきたトロールだ。

 棍棒ではなく中華用おたまを持っているのが愛らしい。

 残念そうに調理用のお玉をつかみ直すと、おっさんは次にだす坦々麺と半チャーハンセットにとりかかり始めた。

 僕もはじかれたようにスープを注がれた丼に向かい合う。

 頭にあるトッピングをなぞりつつ、三つのラーメンにメンマ、チャーシュー、刻みネギ、味玉といった具材をのせていく。

 ただ、最後のひとつだけはネギ抜きだったのでネギを入れずに完成させる。

 具材がきれいにならんでいるのを確認しつつ、山のように並んだ食券で最終確認をするとラーメンを差し出す。

 だが、案の定バイトの女の子は目の前にいなかった。

 分かってはいたが絶望的な気分になる。

 ホールは大混乱に陥っていた。

「オイッ!水まだかよ!」

 客の怒りを含んだ声が響きわたる。

 当然だ。

 バイトのホール担当は新人で飲食未経験。

 おっさんが高校生の可愛い女の子という理由だけで選んだのは明白だ。

 しかもこの店に入ったのは昨日が初日。

 さらに最悪なのは週の中で一番客が混む土曜の昼間。

 客は店外にも列をなしている。

 この状況は、慣れたやつでもギリギリこなせるかどうかというレベルだ。

 サポート役にもう一人古株のバイトが入るはずだったのだが、今朝方おっさんとケンカをして帰ってしまった。

 理由は……いや、今はそれどころじゃない。

「ホールにでます」

 おっさんに短く声をかけてホールに出る。

 後ろで小さくおっさんの舌打ちが聞こえた。

 動きながら大きく深呼吸する。

 僕自身が爆発しないように。

 ホールにでると同時に作り笑顔を作り上げる。

 掛け値なしに爽やかで完璧な笑顔を。

 僕の短い飲食の経験上、苦しい顔をしてホールを回るより楽だからだ。

 出来上がった三杯のラーメンを配り終わると、お冷がないと声を荒げていた客へ謝りながら冷水の入ったコップを渡す。

 腹が減ってイライラしている客はこちらを完全に無視。

 それでもすいませんと再び謝り、女の子がいるはずの店外へと足をむける。

 女の子は店外に並んでいる客から食券をもらっているはずだ。

 外に出ようとした瞬間、入口の自動ドアが開き彼女が入ってきた。

 彼女の後ろには列をなす何人もの客が不安げにこちらをのぞきこんでいる。

 不安の理由はすぐにわかった。

 振り向いた彼女の顔を見た瞬間、僕の体中から血の気がひいた。

 冷たい汗が体中からふきだす。

 かわいくメイクをほどこされた目にアニメのような涙が盛り上がってきたのだ。

 胸の内でこらえてくれと絶叫したが、女の子は赤ん坊のような泣き声をあげ始めた。

「だめです……できないですぅ……」

 嗚咽をまじらせながら女の子がつぶやく。

 長いつけまつげの下、滝のような涙が流れている。

 食券の順番や麺のあがるタイミングといった大事な記憶が消えていく。

 かわりに、僕の頭の中では絶望という名の怪物君が楽しげにハミングをつけて歌いだした。

『おまえはもう終わりだよ~♪だって~今日はあと五時間もあるんだよ~♪たった二人で~この店はまわせない~♪しかも相手は~おたまを持ったトロールだ~♪』

 絶望くんの麗しい歌声が頭を満たす。

 体が動かない。

 こんなの無理だ。

「副店長、どう……」

 おっさんに聞いても無駄だとわかっているのに、思考停止した頭が勝手に言葉を発する。

 案の定、おっさんはいつものようにこちらを無視した。

 僕が使い物にならないと、本社であるブラック企業のお偉いさんに苦情を言うおっさんの姿がありありと脳裏に浮かぶ。

 何よりこんな状況になっても自分の仕事しかしようとしないおっさんに腹が立つ。

 いや、腹が立つというより純粋な怒りが腹の底からわきおこってくる。

 この状況に対処すべきなのは副店長であるおっさんなのだから。

『ヒャッハハハァ!なぁ、あのバカ副店長ぶん殴ってこのまま外へ逃げ出そうぜ!ヒーッヒヒィ!』

 泣きながら大爆笑している絶望くんがささやく。

 そうだよなと思う。

 限界。

 ジ・エンド。

 もう終わりだ。

 灼熱のマグマにも似た怒りが腹の底からわきあがり口から噴き出しそうになる。

 刹那、自動ドアが開いた。

 女が立っていた。

 口元にはニヤニヤとしたチェシャキャットの微笑み。

 女、保科未来ほしなみきが立っていた。

 偉大なる錬金術師の娘。

 本物の魔女だ。



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