月と踏み切り


 踏み切りの鐘がなる。

 高く低く。

 それは道をさえぎる無情の音。


 あの時、もし僕が何かを言っていたら。

 その先の未来は今と違ったものになっていただろうか。



「さよなら、だね」

 放たれた彼女の一言が、胸に鋭く突き刺さる。

 僕は、本当に胸に痛みを感じた。


 幼い顔だちに、寂しそうな表情を浮かべ、彼女は背を向ける。

 そして、ゆっくりと確実な歩調で、線路のこちら側に僕を置き去りにした。


 動けない僕の前に、遮断機がゆっくりと降りる。

 列車が通り過ぎると、線路の向こう側に彼女はもういなかった。


 彼女は、いつも悲しそうな目をしていた。

 その声は、いつも震えるように小さかった。 

 いつも丁寧な言葉で話し、笑う時は子犬みたいに鼻から息を漏らした。


 座っていると、猫背だった。

 歩く時は、胸を張るようにして歩いていた。

 カバンの中には、選んで買った個性的な物が整理されて入っていた。


 過去形でしか、彼女のことを語れない。

 僕はフラれたのだから。


「私は、この世界も、あなたの事も好きだけど。あなたは、違うみたいだから」

 僕らを踏み切りが切り分けてしまう前、彼女は珍しく大きな声でこう言った。


 世界は希望にあふれている、というのが彼女の信念だった。

 でも、それは認めたくない現実と必死に戦っているように見えて、僕にはちょっと痛々しく見えていた。


 なぜなら僕も、同じだったから。

 だから、彼女の悲しそうな目も、僕は好きだったのだ。




 眠れない。


 目を閉じれば、あの踏み切りでの光景が脳裏に浮かぶ。

 何度目かわからないため息をついて、起きあがった。


 眠れないのなら、あきらめて起きていよう。

 僕は着古したダウンを着て、近くのコンビニへ向かう。


 空には一面、冬の星座。

 ひときわ明るく月もでている。

 こんなロマンチックな夜は、ちょっと痛くて寂しい。


「いっちばん大きな鏡って、なーんだ?」


 ふと、よみがえる言葉があった。

 花火をして、堤防の上で夜の海を見た、あの夏のことだ。


 鼻の奥に潮の香りを感じた気がして、息を吸いこむ。

 真冬の冷たい空気に、鼻がツンとした。


 そういえば、答えを聞いていなかった。


 空を見上げる。

 冬の星座がチカチカと瞬き、真っ白な月が悲しげに輝いている。


 ああ、そうか。

 答えは唐突にやってきた。


 月は、自分では光らない。

 太陽の光をはねかえす、大きな鏡だ。

 きっと「いちばん大きな鏡」とは、月のことだったんだろう。


 そして、そんな天空の鏡は、見る人の想いをもはねかえす。


 月を見て寂しくなるのも。

 月を見て嬉しくなるのも。

 見ている者の心を映しているだけなのだから。


 月は、ただそこにあるだけだ。


 だから、彼女の瞳が悲しかったわけじゃない。

 僕が、悲しかったんだ。

 絶望していたのは、彼女じゃなくて僕だった。

 僕は、彼女という鏡に映った自分に恋をしていただけだったのだ。


 世界は、ただそこにあるだけで、意味なんてない。

 そこに生きている僕の中に、希望も絶望もある。


 それなら、彼女の中には何があったんだろう。

 それを知らないことに驚いて、僕はなんだか泣きたくなった。


 どこかで、踏み切りの鐘がなりはじめる。

 知らない誰かを乗せて、始発電車が過ぎ去っていく。


 これは始まりの鐘か、それとも終わりの鐘か。


 答えはない。

 世界に意味を与えるのは、僕なのだから。


 踏み切りの鐘はまだ鳴っていた。

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