月と踏み切り
踏み切りの鐘がなる。
高く低く。
それは道を
あの時、もし僕が何かを言っていたら。
その先の未来は今と違ったものになっていただろうか。
「さよなら、だね」
放たれた彼女の一言が、胸に鋭く突き刺さる。
僕は、本当に胸に痛みを感じた。
幼い顔だちに、寂しそうな表情を浮かべ、彼女は背を向ける。
そして、ゆっくりと確実な歩調で、線路のこちら側に僕を置き去りにした。
動けない僕の前に、遮断機がゆっくりと降りる。
列車が通り過ぎると、線路の向こう側に彼女はもういなかった。
彼女は、いつも悲しそうな目をしていた。
その声は、いつも震えるように小さかった。
いつも丁寧な言葉で話し、笑う時は子犬みたいに鼻から息を漏らした。
座っていると、猫背だった。
歩く時は、胸を張るようにして歩いていた。
カバンの中には、選んで買った個性的な物が整理されて入っていた。
過去形でしか、彼女のことを語れない。
僕はフラれたのだから。
「私は、この世界も、あなたの事も好きだけど。あなたは、違うみたいだから」
僕らを踏み切りが切り分けてしまう前、彼女は珍しく大きな声でこう言った。
世界は希望に
でも、それは認めたくない現実と必死に戦っているように見えて、僕にはちょっと痛々しく見えていた。
なぜなら僕も、同じだったから。
だから、彼女の悲しそうな目も、僕は好きだったのだ。
※
眠れない。
目を閉じれば、あの踏み切りでの光景が脳裏に浮かぶ。
何度目かわからないため息をついて、起きあがった。
眠れないのなら、あきらめて起きていよう。
僕は着古したダウンを着て、近くのコンビニへ向かう。
空には一面、冬の星座。
ひときわ明るく月もでている。
こんなロマンチックな夜は、ちょっと痛くて寂しい。
「いっちばん大きな鏡って、なーんだ?」
ふと、よみがえる言葉があった。
花火をして、堤防の上で夜の海を見た、あの夏のことだ。
鼻の奥に潮の香りを感じた気がして、息を吸いこむ。
真冬の冷たい空気に、鼻がツンとした。
そういえば、答えを聞いていなかった。
空を見上げる。
冬の星座がチカチカと瞬き、真っ白な月が悲しげに輝いている。
ああ、そうか。
答えは唐突にやってきた。
月は、自分では光らない。
太陽の光をはねかえす、大きな鏡だ。
きっと「いちばん大きな鏡」とは、月のことだったんだろう。
そして、そんな天空の鏡は、見る人の想いをもはねかえす。
月を見て寂しくなるのも。
月を見て嬉しくなるのも。
見ている者の心を映しているだけなのだから。
月は、ただそこにあるだけだ。
だから、彼女の瞳が悲しかったわけじゃない。
僕が、悲しかったんだ。
絶望していたのは、彼女じゃなくて僕だった。
僕は、彼女という鏡に映った自分に恋をしていただけだったのだ。
世界は、ただそこにあるだけで、意味なんてない。
そこに生きている僕の中に、希望も絶望もある。
それなら、彼女の中には何があったんだろう。
それを知らないことに驚いて、僕はなんだか泣きたくなった。
どこかで、踏み切りの鐘がなりはじめる。
知らない誰かを乗せて、始発電車が過ぎ去っていく。
これは始まりの鐘か、それとも終わりの鐘か。
答えはない。
世界に意味を与えるのは、僕なのだから。
踏み切りの鐘はまだ鳴っていた。
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