転校生


 引越しの準備をしていたら、押し入れの奥から中学の卒業アルバムを見つけた。


 友人からは、あの頃と全然変わらないな、と言われる僕のすました顔写真に、ふと懐かしい思い出がよみがえってきた。


 中学2年の2学期。

 僕のクラスに、突然の転校生がやってきた。

 小柄な彼女はよく陽に焼けていて、南国の男の子のような印象だった。


 彼女は帰国子女で日本語も問題なく話せた。だけど、なぜかクラスの女子たちは、彼女と距離を置いて遠巻きに眺めるだけ。打ち解けない重たい空気は、僕でさえ気づくほどだった。


 10代の、それも女の子同士の人間関係は複雑だ。

 詳しく何があったかは知らない。ただ、英語の時間に、転校生が帰国子女だと知った教師が、おもしろ半分に教科書を読ませるという余計な事をしたのがいけなかったのだと、僕は思っている。


 彼女は最初、露骨に嫌そうな顔をしたが、やがて諦めた顔をして流暢りゅうちょうに英文を読んだ。やけに静まった教室に、彼女のきれいな発音が響いたのを覚えている。今思えば、それは女子の嫉妬心をかきたてるには、じゅうぶんな出来事だったと思うのだ。


 一方で男子はといえば、当時の僕らはとんでもなくガキだった。

 たまにアイドルの話題になることもあったが、僕らの興味のほとんどは、昼休みのサッカーかゲームの攻略法で、彼女に興味を持つ者はいなかった。


 たぶん、クラスで最初に話しかけた男子は僕だったと思う。


 その頃、僕は英語クラブに入っていて、顧問の先生から、ぜひ彼女をクラブに誘うように言われていたのだ。どんな言葉で誘ったかは覚えていないが、彼女が、びっくりするくらいの笑顔で、うなずいてくれたのだけは覚えている。


 英語クラブに入るくらいだから、僕の英語の成績もよかったのかというと、それがそうでもなくて、たぶん真ん中より下だったはず。僕がクラブに入ったのは、ビートルズの曲が好きで、クラブでは英語の歌が歌えるという理由からだった。


 しかし、英語クラブは20名のうち男子はたったの2人。

 話し相手は1人しかいないし、グループを作るときには、いやいやながら引き取られるという、居心地の悪い環境だった。


 ところが、彼女がクラブに入り、女子にはもちろん僕らにも好意的に接してくれたおかげで、他の女子たちの僕らへの接し方も、だいぶ優しくなった。


 彼女と話せると思うと、僕はクラブにいくのがますます楽しみになった。

 クラスではお互い話すことがなかったけれど、クラブではいろいろな話をした。例えばビートルズの好きな曲とか、彼女が暮らしていた外国の話とか。


 彼女は、相変わらずクラスでは浮いた存在だったけど、あまり気にしている様子はなかった。僕も、まわりを気にしてクラスで話しかけることはしなかったけれど、授業中に斜め前に座る彼女をふと見ていたりして、今思えばそれは、恋だったのかもしれない。


 もちろん、当時も恋という言葉は知っていたけれど、その頃の僕は、何が恋かもわからず、それがどんなものかも知らなかった。そして、どうしていいかもわからなかった。


 ただ、僕と話している時の彼女はいつも笑顔で、そうしている時間がとても楽しかったし、それはたぶん、彼女も同じだったと思う。それだけで僕は幸福だった。


 そして季節は秋から冬、そして春へとうつりかわり、進級を目前にした3学期最後の日。帰りのホームルームで、彼女の急な転校が発表された。


 両親の仕事の都合で、また海外にいくのだという。ようやく風も暖かくなって、空も気持ちいいくらいの快晴だというのに、最悪な日だった。おまけに、クラブのない日というのが、さらに最悪だった。


 結局、クラスで浮いたままだった彼女は、先生に呼ばれてみんなの前に立つと、転校してきた時と同じような静けさの中で、短く別れのあいさつをすませた。拍手がクラスに響く中で、拍手をしていないのは僕だけだった。


 何か一言、言いたいと思った。

 でもなんて言っていいか、全然わからなかった。 


 大人となった今なら、考えるまでもない。

 でもあの頃の僕は、言うべき言葉を何ももっていなかった。


 何事もなかったように帰り支度をするみんなを見ながら、僕はただ呆然と座っていた。そして無意識に彼女を探し、あせった。

 もう、彼女は教室にいなかった。


 あわてて廊下に飛び出すと、そこに英語クラブの女子に囲まれる彼女の姿があった。何人かは泣いていて、僕はその光景にちょっとほっとした。でも、輪の中心にいる彼女は、嬉しそうでも悲しそうでもなかった。


 やがて彼女は、女子に囲まれて階段を降りていった。

 僕は、何か言いかけて口をあけたまま、彼女の背中を見送った。


 僕の視線を感じたのだろうか。

 階段を降りてゆく途中で、彼女は突然振り向いた。

 視線があった。


 彼女は立ち止まると、僕の方へ階段を数歩戻りかけ、そして何かを言いかけて、やめた。そして、初めて話しかけた時のような笑顔で

 「ううん。なんでもない。じゃあね」

 とだけ言った。


 僕は、相変わらず何かを言いかけたまま、何も言う事はできなかった。


 卒業アルバムにはのっていない、一人の少女。

 その後、彼女がどうしているかは知らない。

 消息は一切、知ることはなかった。


 あの時、彼女は、僕と同じだったのかもしれない。

 つまり、何も言葉が見つからなかったんだ。


 大人になって、僕はいろんな言葉を知った。

 恋という言葉の意味を知り、何をすべきかを学んだ。

 そして何度か恋をした。


 だけど、大人になって言葉を知った今でも、あの時の僕が何を言いたかったのかは、まるでわからない。わかるのは、あの時それが、僕の精一杯だったというだけ。


 だからこそ。

 言葉にならなかった思いだけが、強く今でも残っているのかもしれない。


 久しぶりに、ビートルズでも聴こうかな。

 僕はアルバムを閉じると、それをそっとダンボールの奥へとしまった。


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