二巻 20話 決戦の舞台、会場の裏手にて その2
「それでは皆さんお待たせしました! グラム選手の入場です!」
お馴染みとなったノワール司会役の黒服の声が東門を通して聞こえてくる。
それとほぼ同時に先程のざわめきの数十倍はあろう歓声が波となり門へと押し寄せてきた。
その後ろでは他の組員があたふたと右往左往を繰り返している。
耳に手を当て必死に連絡を取ろうとする者。ホームや街中の探索結果を報告する声。その誰もが焦りを顔に浮かべていた。
いつもマイペースな立飛でさえその頬には一筋の汗が流れている。
「イクちゃんも親分もこんな大事なときの何処をほっつき歩いてるんや」
心から溢れた悲鳴が声になって漏れ出す。
ここはアリーナ内部へと続く東門の前。今か今かと最後の登場人物を待ち望む歓声の中、しかしその人物は未だ不在のままとなっていた。
立飛は今日だけでもう何百回目かも分からないシステムを起動させ、ギルド欄を開く。
あの日から今に至るまで
更に今日に限ってはノジールの名前も灰色のままとなっている。
ノジール、軍畑。ギルド『ノワール』のツートップはこんな大事な時期にも関わらずどちらも不在のままとなっていたのだ。
ただノジールがいないことに関して立飛には思い当たる節があった。というよりは先日、直にそれを聞いていた。
「ワシはぜ~たい行かんぞい」と。
まるでノジールからは到底想像しえないような子供染みた口振りだったが、その日のノジールは正にそんな子供のようにふて腐れきっていたのだ。
♯
軍畑がいなくなった最初の一週間。ノジールはしょぼくれてはいたものの、話し掛ければちゃんと反応を返してくれていた。
だからこそ立飛は暇を見ては足げにノジールの元へと顔を出していた。
例え邪険に扱われようとも少しでも気が紛れてくれるならそれで良いと思っていた。
それに軍畑がいない今、唯一面を割って話せるのが自分だけなのだとも。
表だった変化があった訳ではなかったが、組員の誰もがノジールのことで気を病んでいるのが明らかだった。
ノジールは気付いていなかったかもしれないが、立飛は何度も縁側の影や果ては屋根裏からノジールの様子を窺う組員達を目撃していた。
ゲームがクリアされ共通の目標を失った今でも、ギルド内におけるノジールの求心力は衰えることを知らない。誰もがノジールを慕い、ノジール中心にまとまり続けているのだ。
マイペースな立飛とてそんな空気を肌で感じとることが出来ていた。いや、立飛自身もまた気に病む組員の一人だったということが大きかったのかもしれない。
ともすれ立飛はノジールの、組員達の、はたまた自身のためにとそうして人肌脱いでいたのだ。
しかし結局ノジールがそれに応えてくれることは無かったのである。
それどころか軍畑がいなくなって一週間が経つと、いよいよノジールは反応すら返さなくなってしまっていた。
茶室に籠もり日がな一日ぼんやりと目の前の茶釜を眺め続ける日々。声を掛けようにも目の前で手を振ろうにも一行に反応は返ってこない。
以前のオンラインゲームからすれば寝落ちしているようにも見えたが、意識が途絶えると強制ログアウトされる仕様のフルダイブシステムでは“寝落ち”という現象そのものが存在し得なくなっていた。
だから意識は確実にこのゲーム内にあった。
しかしその意識を上の空まで飛ばすことは
反応を示さなくなった最初の数日は頭を揺らしたりうわごとを呟いていたが、その数日後にはいよいよそれすらもなくなり、微動だにもしなくなった。
それはまるでノジールという巨石を添えた茶室がまるごと
即席パーティーあるまいし、何年一緒にいると思ってるんだと。
そうして決闘の前日。
半開きになった襖をビシャリと叩き付けるように開ける。
その音にノジールが動じることはなかったが、瞳を微かにこちらに向けるのが分かった。
意識がここにあるのを確認し、立飛は挨拶もなく捲し立てる。
「もう決闘の前日やで。いつまでそこで日陰ぼっこしとるつもりよ」
「そうか……もうそんなに経ったのか」
まさかこんな簡単に反応が返ってくるとは思わず立飛は言葉を詰まらせる。そんな立飛に構わずノジールは尚も続ける。
「して、あの馬鹿者から連絡はあったのか」
「なんやプライベート事で忙しいんやろ。今のところなんも無しや」
「そうか」とノジールは意味を噛み締めるように何度も頷く。「そうか」とまるでテイスティングでもしているかのように。
「そんで親分は当日どうするんよ? なんや主催の意向で特等席を用意してくれるらしいんやけど――」
とそこで立飛は口を止めた。ノジールが何やら小声でブツブツと呟いていたのだ。
「……ワシは……か……ぞ」
「何? よう聞こえんよ」
立飛は耳に手を当てノジールの側へと寄る。その瞬間、ノジールはカッと目を見開き立ち上がった。
突然の起伏に立飛は思わず尻餅を付く。それを引き金に立飛の怒りもいよいよ弾けそうになったが、そうして睨み上げたお山が放った台詞が例のあれだったのである。
「ワシは……ワシはぜ~たい行かんぞい!」
顔を真っ赤にして全身をワナワナと震わしている。トドと言わしめたその風貌は、まるで巨人の赤子のように見えた。
それを目にした途端、立飛の破裂寸前の怒りは何処か気が抜けたように萎んでいった。それでも何とか行き場を失ったシワシワのそれを片手に質問を投げかける。
「そ、それはどうゆうことや?」
「行った通りだ。ワシは、ワシはあやつの決闘なんぞ絶対に見に行かんっ」
そう言い切るやいなやプイプイと肩を揺らして、あれだけ立て籠もっていた茶室から、いとも簡単に出て行ってしまった。
執念深くぶつくさと呟きながら。
そうしてノジールは敷居を潜るやいなやそのままログアウトしていってしまったのだ。
立飛はその場にへたれ込みながら、その背中を見送ることしか出来なかった。
ノジールの怒鳴り声に腰を抜かしたのではない。
その子供っぽさにただただ呆れ、気が抜けて力が入らなかったのである。
♯
「全く。子離れ出来ん親でもあるまいし」
門の横に設けられた小窓からそっと顔を出す。
会場の中央ではグラムが観客に応えるように拳を掲げ、それを司会の黒服が盛大に煽っているところだった。
司会は主催が違うとはいえ当事者との関わりの深さからノワールから選出していた。
まさか
ところが時刻を確認すればグラムは予定通りの時間に入場している。
こともあろうにこの状況において黒服が裏切ってきたのだ。
『何で勝手に時間通り始めとるんや』
立飛は窓の縁に爪を立てながら黒服に個人メッセージを送る。黒服は瞬きの後、こちらに気付き返事を返してきた。
『姉さんの言いたいことも分かりやす。しかし観客が、空気がそれを許してくれねぇんでさ』
それを承知の上で頼んでいるんだと、立飛は爪で窓の縁をトントンと鳴らす。怒りのメッセージを書いていると次のメッセージが飛んできた。
『それに仮に軍畑の旦那が間に合わなかったとしてもそれまた一興。それもまた人生。
こっちが読み終えたであろうタイミングを見計らい、肩を竦めながらニヒルな笑みまで投げかけてくる。
以前の彼はこんなではなかったがログインが減っていた一時期を境に度々こうしたやさぐれた態度を取るようになっていた。
本人曰く「俺は真にドロップアウトしちまったんだ」とのことだったがその意味を理解できるものは残念ながらこのギルド内には誰も存在しなかった。
最近は以前にも増して精力的に雑務を引き受けてくれるようになっていたが、こうも土壇場で暴走するとあっては任せられる内容にも限りが出てくる。
司会進行ならば無謀なことも出来まいと安心して送り出していたものの、流石にこの状況までリスク計算しろというのはどだい無理な話だった。
『つうわけで姉さん。もうタイムリミットでさぁ』
そのメッセージを最後に司会の黒服はこちらへと背を向けた。観客の声援に応じているグラムの元へと歩み出す。
待った、と
「それでは皆さんお待たせしました。続きまして。軍畑選手の入ー場ーでーす!」
(続きましても何もないやろっ)
立飛の心の中のツッコミも空しく、黒服を合図に弾けんばかりの歓声が会場を一杯に満たす。しかしその声に応えるべく対象は未だ不在のままとなっていた。
立飛は一類の望みをかけてシステムを呼び出すものの、やはり軍畑の名前に変化はない。
(イクちゃん。本当どうしたんや)
どうしようもない状態に立飛は目を閉じ、胸に添えた拳を強く握りしめる。
そのまま神にでも祈りかけそうになったとき、後方で何やら騒ぎが起きていることに気付いた。
何事かと後ろを振り向く。それと同時に組員達の隙間を小柄な影がスルリと抜け出すのが見えた。
影は勢いを殺すように前転した後、立飛の目前に跪いた。暗がりで見えにくいだけだと思っていたそれは全身を黒いローブで覆っていた。
その身のこなしに立飛は一瞬軍畑の影を見たが、しかしと伸ばしかけた手を止める。
ローブの影がその場でぬすりと立ち上がる。その身長は軍畑とは違い、立飛の胸元までしか届いていなかった。
「ちっと調整に時間がかかっちまった。でもまぁぎりぎりセーフってとこみたいだな」
ローブの影はフードの隙間から小さくもどう猛な歯を覗かせる。
その台詞を、その口調を耳にした瞬間、立飛はようやくノジールが隠していた事実を察した。
(そういうことやったんか)
全身に電撃が走り、立飛は驚きのあまりその場にへたれこんだ。
ローブの影はそんな立飛を見てドッキリ成功とでもいうようにニヤリと笑い、門扉へと手を掛けていた。
「これが秘策ってわけだ。そんじゃお呼ばれされたんで行ってくるぜ」
そうして止める間もなくローブの影は扉を開け放ち、嵐のような騒がしさと速さで歓声と光の彼方へと消えていってしまった。
そこに残されたのは困惑で立ちすくむ組員達と力が抜けてへたれこむ立飛。
そして凜とした少女の木霊だけだった。
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