二巻 19話 決戦の舞台、会場の裏手にて その1
始まりの街『グース』より西。山を二つ超えたその先に第二の街『コーモス』は存在する。
グースの街並みを中世ヨーロッパと例えるのならばここコーモスはそれより更に以前、古代ローマをモチーフとして作られていた。
様々な高さの建物が乱立するグースに比べここコーモスの建物は一様に低く、また屋根の角度も浅いものが殆どだった。
建築に詳しい者であればその様式からテーマの違いに気付くことが出来ただろうが、例えそうでないとしてもここが古代ローマを元に造られていると分かる建物が街の中心に存在していた。
この世界最大の収容数を誇る
それは現在に残る崩れかけのイメージでも造られた当初の再現でもなく、より高度に発展させられた姿をしていた。
巨大な500円玉を重ねたような円柱の建物はどこも欠けたところは無く、柱も窓も几帳面に等間隔に配置されていた。それはコーモスのどの方角から見上げても一様に同じに見えた。
内部にはすり鉢状の観客席の他にネジ受けの溝のように2階席、3階席と上部にも観客席が設けられていた。屋根は開閉式となっており照明を完備。また中央の窪みもサッカーグラウンドほどの広さを誇り、決闘だけでなく様々なイベントに対応出来るようになっていた。
なぜここがコロッセオではなく『アリーナ』と呼ばれているのか。それはこのように効率化された内部とその使用用途に由来していた。
運営はここを古代ローマの決闘場に模しながらも実際には様々な追加コンテンツなどの発表の舞台として利用していたのだ。歴史を軽視するような収容数と設備の拡張は寧ろその為だったと言っても良い。
発表内容は公式サイトや生放送、SNSなどを通して従来通りリアルタイムで受け取ることも出来たのだがフルダイブゲームが全盛期となった現在。運営もユーザーも共にゲーム内で
過去最大の人気を得ていたこのゲームでもそれは例外ではなく、これだけの拡張をもってしても新規イベント発表時には入場制限を必要とするほどだった。
当初は「運営のコンテンツ追加や調整はまさにユーザーとの戦いだ」などと『コロッセオ』の呼び名をそのままに支持する声もありはしたが、やがてアイドルライブやギルド主催のフェスなどに利用され始めると自然と総合施設的な意味合いでの『アリーナ』という呼び名が浸透していった。
ゲームクリアの通知を最後に運営側がこの施設を利用することは無くなったが、今も『アリーナ』はイベント会場として様々なフェスの受け皿となっていた。
ただ『エピローグ』を迎えたコーモスは総人口の低下と住民のグースへの集中化。それらによってフェス利用時を除いてひどく閑散とした街となってしまっていた。
行き交う者はNPCばかりとなり、朽ちることのない低い屋根も、無尽に走り回るつむじ風と砂埃に
フェス利用時こそ街も若干の活気を取り戻しはするもののアリーナの2階席、3階席はここ何年もの間利用されることはなく封鎖状態が続いていた。
誰が仕組んだ訳でもないがここコーモスは古代ローマの、そしてこのゲームの栄光と衰退の歴史をまさに体現しているかのようだった。
しかし今日この日、街を包む活気と熱はまるであの頃にタイムスリップしたかのようだった。
街の入り口からアリーナへと延びる街道には余すところなく露店が建ち並び、風になびく暖簾や旗は遠目から見ればさながらカラフルなレッドカーペットのようだった。
アリーナの入場数もここ数年で最大数を記録し、久々に開かれた2階席、3階席は物好き達が優先して席を埋めていた。
観客の中には懐かしい面子もチラホラと見受けられ、彼らを中心に酒と歓声の輪があちこちに広がっていた。
活気も人々もまさにあの頃に戻ったかのような雰囲気に、低い屋根の隙間から酒を片手にアリーナを見上げた誰かがふと昔のことを口にする。
「コロッセオ。ここは見た目通りそう呼ばれていたこともあったな」と。
いつかはきっと忘れ去られてしまうこと。それでも誰か一人でも覚えている限りそれは存在し続ける。
この街と施設はかつての古代ローマを模して造られていた。しかしいつしか人々はそのことに慣れ親しみ、ここをただのイベント会場としか思わなくなっていた。
だが今一度景観をぐるりと見渡せば、今回のイベントにおいてここ以上に相応しい場所は無い。
古代ローマ都市『コーモス』。そしてこの世界最大にしてコロッセオを元にデザインされた中央施設『アリーナ』。
今日この日この場所で、二人の戦士による雌雄を決する闘いが繰り広げられる。
♯ ♯ ♯
ここはアリーナ内部。決戦の舞台へと続く西門の裏手にてひそひそとした話し声が響いていた。
ブロック状に積み上げられた石壁の所々には燈台が配置されているものの灯りは点されておらず、門扉から漏れる淡い光だけでは薄らとした影しか見て取ることが出来ない。
ただその影と話し声から複数人の男女がいることだけは分かった。
「結局おじさんから連絡はきませんでした」
一人の影が肩を落とす動作を見せる。それに対してもう一人の影がその肩にぐるりと腕を回す。
「なーにまだ作戦が終わったわけじゃない。希望を捨てるには早すぎるんじゃないか」
「でも出来ればこの手は使いたくありませんでした。皆さんにご迷惑もかかりますし」
これも乗りかかった船だって言ったろ、と腕を回した影が答える。
「どうしても叶えたいんだろ。だったら突き進まなきゃ駄目だ。それに俺たちは別に迷惑なんて思ってない。寧ろ楽しんでるくらいだ」
うちのギルドには絶対守らなきゃいけない方針があってだな、とくどくどと語り始める影に隣にいた小さな影がそのズボンの端を引っ張る。「そういうの、今はいいから」と。
「こほん。とにかくだ。ここまできた以上、退くことは出来ないし多分これ以上の名案も出てこない。だったら行くとこまで行くまでだ。こっちのことは任してくれ」
その時「もうすぐ時間みたいだぞ」と隣の小窓から外の様子を伺っていた最後の一人が声をあげる。小窓から差す光によってその人物が真っ暗にも関わらずなぜかサングラスをかけていることが分かった。
「それじゃ手筈通りに。健闘を祈る」
「そちらもお気を付けて」
「うん、頑張ってね」
サングラスの言葉を合図に四人の影は二手に別れた。サングラスを含めた三人は暗がりの奥へと。残りの一人はその場に佇み、光が差し込む扉に前で仁王立ちを決め込んでいた。
やがて三人の足音が聞こえなくなり、その場に残った一人は大きく深呼吸をする。
いざそうして一人となれば扉越しの喧騒と熱気とが嫌でも伝わってくる。
プンッ、という息を呑む音が突然スピーカーから響き渡る。その瞬間、扉向こうのざわめきが文字通り音を消した。
ドクンと誰かの心臓が脈打つ束の間。
「それでは皆さんお待たせしました! グラム選手の入場です!」
野太くしっかりとした声がこの空間に、この会場全体へと木霊する。それと同時に西門は開け放たれ、伝播された観客が弾けんばかりの歓声を上げた。
そこに残った一人はその眩しさと声量に思わず目の前を腕で塞ぐが、それでも観客に応えるようにとその腕をゆっくりと天高く掲げた。
赤い
すり鉢状の観客席から響き渡る無数の声は円状の壁を反射してこの巨大施設を一つの楽器へ変える。
その連なる音は全て彼を、彼らをここへと歓迎していた。
彼は眩しさに目を細めながらも、もっとも光の集まるその中心舞台へと、ゆっくりとその足を進めて行った。
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