二巻 18話 グラムの三つの条件 ノジールの悩み その2
「全くそれにしてもだ」
ノジールはこれまでの祭り騒ぎの経緯を振り返り、再び大きなため息を付いた。
決闘がここまで大々的に知れ渡ってしまってはもう止めることは出来ない。否、無理矢理となればそれも不可能ではないかもしれないがそれこそこの世界に生きる者としてそれは野暮というものだった。
しかしだからといって現状全く打つ手が無くなったというわけではなかった。開催が遅延したことでもう一つの可能性が見えてきていたのだ。
それが
あの時は緊急であったがためろくすっぽ話し合うことも出来なかった。だが今、その時間は十分に残されていた。
しかしそのためには、とノジールは目の前の空席へと目を向ける。
(軍畑め。一体何処をほっつき歩いておる。いや、それが言うまでもなく分かっていることなのだが……)
囲炉裏を挟んだ向かい。そこにはくたびれた紺色の座布団だけが持ち主の帰りを待つようにぽつねんと置かれていた。
座布団からはとうに温もりが失われすっかりと冷たくなってしまっていた。それでも長年使い続けた綿の為か座る際に曲げられたであろう癖は中々戻らず、まるでそこだけ時間が止まっているかのように見えた。
(既に四日か。これほどまでに顔を合わせなかったのはいつぶりとなることか)
肘掛けに頬杖を付き、斜めになった視界で今一度正面の空間を見つめる。そこに待ち人の姿を思い浮かべるもその輪郭に別の像が重なり出すとイメージは壁の向こうへと霧散していってしまった。
(そしてこうして軍畑がワシに逆らったのは一体いつぶりとなることか。それこそ思い出せそうにない)
いや、これまでも意見が食い違うことは多々あった。しかしその度に二人で話し合い、解決してきていたのだ。こうして話し合いの場を設けることもなくすれ違ってしまうのはそれこそ初めてのことかもしれない。
それほどまでに奴との決着を
そんなことをしてみても既に結果は明らかなのだ。軍畑がここを飛び出していき、今もこうして戻ってこないことが全てを物語っている。
ノジールは首を幾度か横に振り、再び重いため息を吐くのだった。
決闘も大勢の観客も避けられないとなった現在、ノジールに出来ることは
そのためにノジールはいつでも軍畑が戻ってきても良いようにとこうして馴染みの茶室でじっと帰りを待っていたのだ。
だが結果は見ての通りだった。
軍畑はあの日から四日もの間、ギルド『ノワール』の敷居を
ギルド内や個人へのチャットを送るがそちらにも反応がない。
しかしチャットに関していえば軍畑が意図的に無視している訳ではないということだけは明らかだった。それはギルドシステムの彼のログイン履歴を見れば一目瞭然だった。
軍畑のログイン履歴は四日前から止まったままとなっていたのだ。
つまり軍畑はここ四日間。自身のギルド以前としてこのゲームにすらログインしていなかったのである。
(あくまで軍畑として、ということではあるが……)
せめてそっちとも連絡先を交換しておけば良かったとノジールは今更ながら後悔する。
だが聞いたとして教えてくれたかは半々だったろうとも同時に思う。軍畑はこの計画をまるで子供が秘密基地を作るかのような、そんな真剣味半分、無邪気さ半分で挑んでいたのだから。
(秘密基地。いや、それを言うなら秘密兵器か)
しかしその兵器がグラムだけでなくこのギルド。果てはこの世界の住民にも激震を走らせることとなるとは軍畑はまったく思ってもいないのだろう。だからこそ危険なのだ。
故意であれば無意識下であれ良心が歯止めをかけてくれる。だが無知ゆえの行いにはそれがない。ブレーキが壊れた暴走車そのものだ。
(せめてこの出回っているチラシを見て、己の存在の大きさに気付いてくれれば良いのだが……)
そう思いながらノジールは自身の脇に積まれたチラシの山へと手をかける。
それは街中を舞っているチラシを組員に集めさせたものだった。
その山の大半が誇張と嘘に塗れたデマばかりであることは確かなのだが、生憎今のノジールに
ノジールは山の上から適当な枚数を手に取り、必要な情報とそうでない情報とで二つの山に分けていく。その手つきはここ四日間でだいぶ
(しかしいくら祭り好きな暇人の集まりとはいえ、どうしてこうも見当違いな方向へとずれていってしまうのか)
ノジールは仕分けしながらのその見出しに頭を
もちろんのことながらチラシの大半は軍畑とグラムの決闘についてことだった。
決闘に至った流れ。グラムと軍畑の武勇伝と戦歴。決闘時の職業相性。勝敗予想とオッズなどから始まり、グラムの空白の2年間に迫ろうとするものや路地裏のカーテン男とグラムの関係性を示唆する記事。
果ては「クリアを成し遂げたのは実はこの二人だった」などと事実と虚像とが好き勝手に書かれていた。
その中でも一際ズレを見せていたのが著名人のコラム欄だ。
グラムと軍畑が参加表明後すっかり姿を隠してしまったため為、決闘についての分析や意見が代わりにとこの世界の有名なギルドや個人に求められていた。
最初は各ギルドの意見や感想を載せているだけだった。
だがヒートアップしていく記事がそれだけでは足らぬと、やがて他のギルドの感想についてどう思うか等と、感想に対する感想、意見に対する意見までをも載せるようになっていった。
その結果、軍畑に深意としてくれるギルド『美酒鍋』とカーテン男ことグラムの威圧に対面したのだと言い張る『路地裏学級』とがどちらが勝つのかで意見を真っ向から対立させたのだ。
そして今や意見に対する意見を載せるという名目の果て、コラム欄はこの両ギルドの嫌味悪口の応戦、罵り合いの場へと発展していた。
すでにどちらのコラムにも『軍畑』と『グラム』の文字が躍ることはなく、もはや「決闘へのコメント」という意味はとうの昔に失われてしまっている。
しかしそれを端から見て楽しめないかというと、それはまた別の話である。
もちろん心の広い住民達はそれを娯楽の一つとして受け入れていた。
二人の決闘の前に彼らが紛争を起こすのではないか、いやいっそのこと起こせ、とやんややんやと
(だが全てが偽りというわけでもない、か)
ノジールはそんなデタラメの山の中かから一枚の記事を拾い上げる。
そこには「
知っての通りこの記事は当を得ていた。
当事者である自身や軍畑はもちろんのこと、その場に居合わせた
となれば情報源は連行されてきたあの丸っこい青年だろうとノジールは当たりを付ける。
当日、気が付いたときにはあの青年は姿を消していた。切羽詰まった状態だったため何の謝罪も出来なかったが機会があれば謝ろうとノジールが考えていた。
(しかしこれは……)
とノジールは記事を読み進め首を傾げた。
記事の中央付近、そこには太文字の目立つフォントで「出るか秘技『角煮斬り』!」と銘打たれていたのだ。
何でも自身が使用を禁止し、軍畑が許可を求めまで欲したもの。それがこの秘技『角煮斬り』だということだった。
ノジールは当日のことを思い浮かべる。
軍畑と許可の有無を話していたことは確かだ。しかし『角煮斬り』など、そもそも食べ物を話題に上げたことすら全く覚えが無かった。
他の単語と聞き間違えたのかとも思うがそれすらも心当たりがない。
ノジールが「角煮、角煮……」とぶつぶつ連想していると廊下からこれまたぶつぶつと呟く声が聞こえてきた。
「全くもう全然人手が足らんわ。斬っても斬っても仰山沸いてくる」
こんなん猫の手だけやなくて杓子の手も必要やわ、と廊下から姿を表したのは
軍畑がいつでも戻ってきて良いようにと開け放たれた
「いるやん。こんなところに杓子」
「杓子ではない」
ポンっと手で茶請けと湯呑みを作る立飛をノジールは静かに
「大体、杓子の意味を知っていっとるのか」
「『猫も杓子も』の杓子やろ。そいやどんな意味なんやろ」
そもそもよく考えたら『猫も杓子も』の意味も分からんなぁ、とぼやきながら立飛はノジールの向かいへとそそくさと座り込んだ。
「そこはあやつの……」とノジールが注意しようとするも立飛は有無も言わさぬ笑顔を向けてくる。
「別にええやん。減るもんでなし。少しくらいここで休ませてや」
それに兄ちゃんより若い娘っこの方がええやろぉ、と狙ってなのかわざとなのか足を崩し、着物の胸元をパタパタと扇がせていた。
立飛はこのギルド内でノジールにタメ口を張れる唯一の存在だった。
実際にこのギルドの財布を握るだけあり、その実権は
気性の荒さとノジールを中心とした団結力からギルド『ノワール』は度々警察だのヤクザ集団などと例えられているが、そんな中で立飛はかなりの変わり者と言えた。
のんびりとしてマイペース。団員が総力を上げて何かを成し遂げようにもいても立飛は常に自分のペースを崩さず、外でそれを見るに止めていた。
一見それは輪を乱すかのように思われるがそうではない。
ギルド『ノワール』はギルマス、ノジールへの忠誠心の高さから度々冷静さを失い暴走してしまいがちなきらいがあった。
立飛はそれを一歩離れたところから
もちろん荒くれ者を止めるにも気弱であれば成り立たない。しかし立飛もまたノワールの一員なだけあり芯の強さと肝っ玉を持ち合わせていた。
立飛は怒鳴ったり暴力に訴えることは殆どないが、その笑顔には誰をも黙らせるほどの有無を言わさぬ凄みがあった。
しかしのところ、そういった自身の役割や特性を本人が自覚しているのかと言えば、甚だ疑問でもある。
今も「親分代わりに野次馬の相手したってや」と愚痴ったと思えば「やっぱり駄目や。親分が出たらもっと大変なことになる」と凝った体を伸ばしながら好き勝手に唱えていた。
「そいや親分はさっきから何をやっとるん?」
ストレッチに飽きたのか立飛が囲炉裏越しにノジールへと顔を近付けてくる。
「こら勝手に見るでない」
「ははぁん。親分も隅に置けんねぇ」
ノジールは選別したチラシの束を隠そうとするも伸ばされた立飛の手の方が一歩早かった。一番上のチラシをつまみ上げ口角をつり上げる。
「別にこそこそせんでも好きならそうと言えばええのに」
見出しを一舐めしそのままノジールへとチラシを向ける。
――『ざくろちゃん速報 SP号』――
見出しには果物のそれを意識したかのような淡い赤文字でそう銘打たれ、その下に和服姿で凜々しくも短刀を振るうざくろちゃんの写真が掲載されていた。
「違う。それはそういう意味では」
ノジールは目の前にざくろちゃんを晒され唸りを上げる。
「ほら違うも何もないやん」
螺旋階段状に広がった束を見て
『週刊ざくろちゃん』『マッド高原にざくろちゃんを求めて』『ザ・クロック 一時間毎の生息分布』『ざくろちゃん観察日誌』……etc
ノジールは必死にそれを隠そうとするものの、そこに広がったチラシの全てに『ざくろ』という文字が躍っていた。
「確かに何でだか知らんけど最近向こうさんも活発みたいやしなぁ。記者さんもあっちへこっちへ大変やね」
その記事の量に立飛は納得といった様子で頷く。
実際そうなのだ。街中が決闘を前にしたお祭り状態である中、それに呼応するようにあるニュースが話題を呼んでいた。
それがグラム帰還までこの世界で最も注目を集めていた存在『ざくろちゃん』である。
話題のお株を取られたことに腹を立てたのかグラムの帰還以降、その目撃回数と活動範囲は激増していた。
野生動物の絶滅危惧種レベルだったはずの目撃数が今や遊園地のマスコットレベルにまで跳ね上がっていたのだ。
そう、人目を避ける野生動物ではなく会いに行けるマスコット。この変化が大きかった。
以前であれば見付かっただけで逃げていたのだがグラムの帰還を前後して何をそんなに必死になっているのか、追いかけたり話し掛けたりしない限りはその場でレベル上げを継続するようになっていたのだ。
手を振ったり愛想をまいたりなどのサービスは相変わらず皆無だったが、一心不乱に戦闘をこなす健気さとその短刀の華やかな舞いはマスコットとはまた別の愛らしさ、そして見物客を呼んでいた。
また目撃情報の少なさから推測にすぎないのだがどうやらログイン時間も以前より増しているようだった。
そんなこともあって情報の乏しさ故、週刊での発行を余儀なくされていた『週刊ざくろちゃん』は日刊紙、朝刊に夕刊と姿を変え、それだけでは足らぬと現在ではさまざまな『ざくろちゃん』情報誌が乱立する事態となっていた。
絶対数で言えば決闘関連の記事には遠く及ばないがそれでも『ざくろちゃん』関連の記事は全体の2割ほどを占めていた。
「いっそもっと騒ぎ起こしてくれればこっちの記者さん達を減っていいんやけどねぇ」
内容に興味があるというよりはそうすることでのノジールの反応を確かめようとしているようだ。
ノジールにもそのことが分かったのですぐには手を出さない。散らばったチラシを重ね、横目で立飛の様子を伺う。
「ワシがその娘を調べてるのがそんなにおかしいかの?」
「別におかしくないで。実際うちの団員にもファンは多いみたいやし。人気なんやろこの子」
確かに立飛の顔には蔑んだり見下したりという表情は表れていなかった。
しかしそこには「意外だった」という文字がでかでかと書いてあった。更にはそれを面白がっているとも。
「ええやんええやん。アイドルを好きになるのに年齢は関係ないやろ」
うちも応援するで、と言いながらも手にしたチラシは放さない。ここを出たらそのチラシを片手にギルド中に言い触らそうとしているのが目に見えて分かった。
(アイドル……か。更にはワシもそのアイドルの追っかけということか)
それは完全に勘違いだ。
腰を半分浮かしてうずうずとしている立飛を後目にノジールは肘掛け頬杖を付く。このままでは良くないと意を決し、口を開く。
「そういえば最近、
「そうみたいやね。大事な時期やっていうのになんかプライベートが急がしいんかね」
このギルドに限らずこの世界では現実世界についての言及や推測は基本タブーとされていた。
もちろん互いの了承の元、情報を交換し合う者やオフ会を開くアクティブなギルドも存在しはしたがその数はごく少数だった。
オンラインゲームでのこうした情報交換やオフ会の減少傾向はフルダイブシステムが導入されてからだと言われている。
例えそれが擬似的なものだとしてもそこに存在を感じ、触れることが出来るようになったのだ。
画面とキャラクターを通してやるとりしていた頃とは違う。フルダイブの先で出会った相手こそがリアルなのだとそう考える人々が多くなっていた。
そんな事情もあり圧倒的団結力を誇った古参ギルド『ノワール』としても軍畑のプライベートを知るものは殆どいなかった。
「でもまぁイクちゃんのことやし。決闘の日にはばっちり準備して現れてくれるやろ」
立飛も軍畑の事情を知らない一人だ。しかしそこに不安は微塵も感じられない。
信頼していると言うよりは疑う余地すらないといった様子だ。
「そうであろうな」とノジールも短く答える。
こちらは信頼というより事情を知っての上なので何とも歯切れが悪い。
「そこを疑ってのことではないのだが」と言葉を続ける。
「
軍畑の計画はノジールと軍畑だけの秘密にするという約束だった。だからこれはグレーゾーンすれすれの行為だった。
頼む気付いてくれ、とノジールは立飛を力強く見つめる。その視線が届いたのか届かなかったのか、立飛は顎に手を当て首を傾げた。
「イクちゃんがログインしなくなって、この子の目撃が多くなった理由なぁ……」
「そうだ」
う~ん、と唸りながら傾げた首の角度をゆっくりと倒していく。
ノジールは珍しく頭を捻らせる立飛に期待の眼差しを送った。
一分か二分か。その首が水平まで傾いた倒したとき立飛の顔に一点の光が差した。「そうや」と掛け声と共にクイッと顔を起こす。
「分かったで親分。つまりイクちゃんこそがこの『ざくろちゃん』のファンだって言いたいんやろ。そのチラシもイクちゃんが戻ってきた時の為に集めてると」
(違う。そうではない)
ビシッと自信満々に指を立てる立飛とは裏腹に、指を向けられたノジールは悔しそうにこめかみを押さえた。
その構図は探偵と当てられた犯人の図にも見えなくないが実際は真逆だ。事件は何も解決されてない。
「なるほど。隠れファンはイクちゃんの方やったか」と立飛はふんふんと唸っている。
つまるところノジールがチラシをこそこそと隠していた時点で立飛の興味は黄色い話にしかなかったという訳だ。言いふらしてここ数日間の鬱憤を晴らしてやろう、と何やらぶつぶつと画策している。
祭りは止められん。軍畑は帰ってこん。団員は気付いてくれん。
(えええええい、どうにでもなれぇぇぇい)
ノジールは目の前の囲炉裏をひっくり返し、天に向かって叫びたい気分だった。
しかし大の大人であるがため叫ぶのも暴れるのは心の中だけに納める。
耳を澄ませば相変わらず人集りの声は止まず、軍畑が帰ってくる気配は一向に無かった。
何も変わらない。何も変わらないがそれでも時間だけは流れていく。
(当日みな軍畑の”あれ”を見て後悔すればいい!)
ノジールの奮闘空しく決闘という祭囃子が、その音を段々と大きく派手に鳴らし始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます