二巻 17話 グラムの三つの条件 ノジールの悩み その1

 ここはギルド『ノワール』の一室。茶室を思わせる和室作りの一間に静かにお茶をすする音が響いていた。


「ううむ」


 ノジールは湯飲みから口を離すと小さなうなり声を上げる。テイスティングを行っているように見えるがその表情は芳しくなく、味の評価に大変苦労している様子が伺えた。


「ううむ」


 再び小さくも確かなうなり声を上げる。しかし今度はお茶を口に含んだ様子は無い。というより既に湯呑みの中は全て飲み干され空となっていた。

 その空になった湯呑みへとノジールはおもむろに手を伸ばす。


「はぁ」


 そして湯呑みを口に当てるとそこでやっと中身が無いことに気付き、疲れ切ったため息を吐くのだった。


 ノジールは別にお茶に関心を持っている訳では無かった。むしろ空であることに気付かない程度には心ここにあらずの状態だった。

 だから今ノジールを悩ましているのは別の問題なのだ。


 ノジールは湯呑みを茶請けに戻さずその表面をぼんやりと眺める。表面に塗られた上薬が陶器の凹凸を鈍く光らせていた。だがそれだけだ。そこにノジールの求める答えが書いてあるはずも無い。


「はぁ」


 ノジールの重いため息はその終わりを知るところなく、どこまでも続いて行くのだった。




 軍畑いくさばたがここを飛び出して行ってから既に四日の日時が経過していた。

 その間ギルド『ノワール』へと軍畑の情報を求める人の波は途絶えるところを知らなかった。むしろその波は次第に大きくなっているのではないかとさえ思えた。


 今も正門へと耳を澄ませば応戦の声がここまで響いてきている。

 街の中では号外だの速報だのとチラシが紙吹雪のように空を飛び交いさながら凱旋パレードの体を為していた。

 あちこちでは早くも露店が並び初め、何を祝ってなのだか時折打ち上げられるバルーンや祝砲がチラシの空に色を添えていた。


 これだけの盛況ながら肝心の主役達が今だ不在のままだというのだから驚きである。

 彼らが顔を出したものならばそれこそどのような事態に陥ってしまうことか想像もし得ない。

 もっともそうであってくれたのならば『ノワール』に対する波も幾分穏やかになっていてくれただろうが。


 今この世界は二人の決闘を前に熱狂の真っ只中にあった。


「これではまるで祭りのようではないか」


 ノジールはそんな現状に対し独りごちる。そして一間を置いて「祭りなのか」とまた一人納得してしまう。


 実際そうなのだ。本人達にとっては雌雄を決する大事な一戦なのかもしれないが周りにとって、しかも無関係な赤の他人にとっては決闘など所詮見世物の一つに過ぎないのだ。


 一見酷い言いようかもしれないがこの世界のロビンレースに現実のスポーツ。果ては古代ローマのコロッセオに至るまで。人々は自身に無関係な真剣勝負を常に娯楽として消費し続けてきていた。野蛮だとか非人道的だとかという話ではない。それが人の性であり歴史なのだ。


 そしてその裏では必ずと言っていいほどギャンブルが行われていた。しかし生憎今回の運営は『ノワール』ではなかったが為ノジールはその辺の事情について詳しくはなかった。

 しかし現状を見る限り仮にその立場にいたとしてもとても口を挟める余裕があったとも思えないが。


 真剣勝負という見世物は当事者達にとって大事であればあるほど、そして部外者にとっては無関係であればあるほど盛り上がりを見せる。

 問題なのはその条件においてノジールが当事者に近すぎたということだ。


(確かに今のこの世界においてこれほどの見世物は中々存在せぬだろうよ)


 しかしだ、とノジールは考える。仮にそうであったとして今回の対決を娯楽に落とし込む必要がどこにあったのだろう、と。


 グラムがこの世界に帰還し、軍畑がこの場所を飛び出していったあの日。決戦場となるアリーナの予約はその当日のみとなっていた。


 決着を付けるためにログインし、かつ軍畑もその時間に居合わせていたのだ。そしてアリーナの予約。そんな状況でその日その場所で決闘が始まらないと誰が考えるだろう。


 実際に軍畑もそうだと確信したが故あれほど強引にノジールに許可を求め、ここを飛び出すに至っていたのだ。ノジールも不安の中、せめてもの救いは目撃者が今のログインユーザーだけなのだ、と気休めを懐いていたりもしていた。


 しかし結果はそうはならなかった。

 グラムは決闘への声明を出すと共に三つの条件を突き付けてきていた。


 その一つが日時の指定だった。

 グラムは決闘の日程を二週間後への引き延ばしを求めてきたのだ。


 その理由としてグラム曰く、ゲーム感を取り戻すためということだったがノジールはそれを口実とするには流石に期間を設けすぎではないかと内心疑っていた。

 別段このゲームに複雑な操作があるわけではない。倒したボスが復活しないという特殊性が好評を呼んだだけでシステムとして見れば他のファンタジーものと大きな違いはないのだ。


 それに仮にフルダイブが久しいからとしてもそれは自動車や自転車を久々に運転する事と大差ないことだろうに、と。 


 一見この疑念は日々ログインを続ける重度ゲーマーだからこそ持ち得る偏見のようにも思えた。そういった点で考えればノジールがそのような感想を懐くのは幾分イメージと乖離するような気がしないでもない。しかしそれもまた仕方ない節があるのだ。

 ノジールは延長の理由を第二の条件にこそあるのではないかとそう考えていた。


 二つ目の条件。それがこの決闘の宣伝だった。

 開催までの期間。アクティブユーザーであるないに関わらずこの一世一代の決闘を宣伝しまくってくれと、グラムはそう触れ込んできたのだ。


 理由は聞くことなかれ、単純に決闘を盛り上げて欲しいというものだったがこの要求は昔のグラムを知っている者であれば流石に首を傾げざるを得ない内容だった。


 一つ目の条件は武を重んじるグラムであればと思えば、いささか慎重過ぎるとしても十分に納得することが出来た。だが宣伝してくれとなると人と馴れ合うことを嫌いイベント事にも見向きもしなかった過去のイメージとは大きくかけ離れる。


 そのためこの事に関して言えばノジールだけでなく少なからず疑問を懐く声が上がってきていた。


 しかしそれは結局のところ少数に過ぎなかった。

 多数決ということではないがその小さき声は大多数の向けるある熱気の中へと簡単に埋もれていってしまっていたのである。


 グラムの要求した二つ目の条件。それが現在のこの世界の風土と反発し合い面倒な事態を引き起こしていた。

 なんとこの世界の住民はそれを依頼ではなく挑戦と受け取ってしまっていたのだ。


 何も起きず何も生まない世界。人々は日々のログインの中でイベントやニュースに酷く餓えていた。

 そのため街には普段から些細なことでも速報が駆け巡り、はたまたそれだけでは足りぬと憶測や出所の分からない噂までもがまさに江戸時代の妖怪のようにそこらかしこに蔓延っていた。


 火のない所に煙は立たないという。だがここの住民は噂や迷信を「そこに馬鹿には見えぬ煙があるのだ」と無心に追いかけ、挙げ句火元が見付からないとなれば自ら火を付けてしまえという厄介極まりない気質と文化を持っていた。

 ようは極度の暇人なのだ。または馬鹿な祭り好きの集まりとも言えた。


 そんな連中に対し最高の見世物を用意しておきながら更には宣伝を頼むという行為。

 グラムの奴はこの騒ぎでは足りぬと言うのか。これほどの屈辱、これを宣戦布告と取らずしてどう取れというものか。

 この依頼が彼らのプライドを刺激し燃え上がらせるに理由は十分だった。


 そこに煙も火も上がっていた訳ではないが地中には暇人という火薬が十分にくすぶっていた。グラムはそこに見世物という火種を与え、更には油まで注ぎ込んで行っていったという訳である。


 その結果が現状通りの昼夜問わずの祭り騒ぎという事態を招いていた。

 また住民達はそれだけに留まらずグラムの要望に応え、現実でのメールにブログにSNS。ありとあらゆる手段を使い、知人だろうが初対面だろうが誰これ構わずこの決闘のニュースを拡散していった。


 その成果あってかこの決闘の知らせはゲーム情報を取り扱う情報サイトに小さくではあるが記事として載るにまで至ったのである。


 これだけやればグラムのやつも満足するだろうと住民が親指を立て合う中、やはり頭を抱えたのはノジールだった。

 ノジールは決闘が避けられないのであればせめて人目が付かないようにと画策していた。


 しかしそんなノジールの思惑もグラムの二つの要求を前にその目的を完膚なきまでに瓦解させられていたのである。


 そんなわけで仮にグラムが純粋な気持ちで条件を持ち出していたとしてもノジールにはそれに裏があると疑わざるを得ない心境があったのだ。


 ちなみに三つ目の条件は決闘の視聴を当日のログインユーザーに限定するというものだった。つまり録画はおろか未ログインユーザーへの生放送を禁止してきたのである。


 これに関してはライブ感を大事にしたいということだったが、すでに二つ目の条件の時点で過去のグラムの思考からは逸脱していたこと。更にはその制約によってアクティブユーザーが増えるのではないかと云う住民達の期待から疑問を投げかけるものは誰もいなかった。


 ノジールとしても未来永劫その醜態が残される訳ではないと思えば気休めにもなりはした。だがそれによって更に当日の参加者が増えるのかと考えると微妙な面持ちだった。


(これほどまでに人を集めて奴は何を考えているというのか。それほどまでに軍畑いくさばたを打ち倒す自信があり、それを大勢の観客に目撃させたいというのか)


 一体グラムは何を企んでいるのか。ノジールは向かいの空席をやることなしにぼんやりと見つめ思考を巡らせる。

 いや、すでに決闘を三日前に控えた今ノジールは「何かを企んでいてくれ」とすら願うようになっていた。


 これで何も考え無しだったとするのならばそれこそ画策しようとしていた自分も、そして醜態覚悟であれだけ努力を続けた軍畑も報われないではないか。

 そうノジールは思っていた。

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