二巻 16話 打倒軍畑の作戦会議と孝太の願い

「さぁ、答えを聞かせて貰いましょうか」


 玄関でセルを前にしたあの時、孝太は真っ白な頭ながらもその問いに承諾していた。相手の目を見てしっかりと頷き返す。もっともそんな相手がこちらを見ていたかは目が細すぎて分からなかったが。


 ただ返事をした瞬間、その目尻が僅かばかりに弓なりにしなるのだけが分かった。


「その返事しかとうけたまわりましたよ」


 セルが目元だけでなく口元をもニヤリと歪ませる。その時孝太にはその顔がなぜか心なしかホッとしているように見えた。


「ではこれで」


 そしてセルは表情を瞬時に戻し体を反転させた。これで用事が済んだとばかしに足早にこの場から立ち去ろうとする。


「おい待てっ」

 ぽかんと見つめる孝太の横からハチロウが一歩遅れて手を伸ばす。


 しかし既にセルは白い光に包まれつつあった。転送アイテム『転移の羽』を使用したのだ。

 発動を確認しセルは再びこちらに視線を向ける。


「ではでは。場所と時間については追って連絡します」


 私も二人の決着楽しみにしていますよ、そう言い残しセルは三人の前から姿を消していったのだった。

 ハチロウはそんなセルの残り香をいまいましそうに見つめていた。


「えっと、つまりどうなったの?」


 重い空気の中、玄関からそのやり取りを見ていたアイが恐る恐ると尋ねる。

 実際頭が真っ白だった孝太自身はもちろんのこと部屋の中で待機していたアイも何が起きたのか分かっていなかった。


「不味いことになったのは確かだな」


 ハチロウが仕方なしにと首を鳴らす。そこでようやく孝太は我に返り、その巨体を縮こませながらハチロウに頭を下げた。


「すいません。勝手にあんなことを」


「あんだけ煽られたんだ、仕方ない。それに俺の方こそすまん。セルが大声を上げたときのすぐに止められてりゃ良かったんだが」


 まさかあんな手に出るとは思わなかった、と苦笑いを浮かべる。セルの焦り故の行動だったわけだがハチロウの裏を掻くことには功をそうしていたようだ。


「それに仮にセルが直接煽りに来なかったとしてもどうにも外堀は埋められちまってたみたいだ。どっち道返事を求められるのは時間の問題だったんだろうよ」


 外堀、と聞いて孝太はそれが先程の男が言っていた「皆の期待」の事なのだろうと察する。ハチロウをも認める事実に孝太は思わず言葉を漏らす。


「やっぱり叔父さんは、グラムは有名だったんですか。悪い方だけでなくその強さ的な意味でも……」


「そりゃなんたって攻略組の一人だったからな。怯えてる人も多かったけど影で憧れた奴も少なくなかった筈だ」


 その即答に孝太は顔をうつむかせた。そんな孝太を見かねてハチロウが声を大きくする。


「まぁともかく済んでしまったものは仕方ない。もう返事をしちまった手前、決闘は避けられない訳だ。課題は山のようにあるが何とかこの場を乗り切る手段を考えようぜ」


 あの軍畑をぶっ飛ばしてやろう、とハチロウは孝太の胸に拳を当てる。その横ではアイも、おう、と事情を理解しないままに元気よく両手を上げていた。


 二人の予想だにしていなかった反応に孝太は思わず顔を上げる。


 二人は孝太の問題であるにも関わらず、当たり前だと言わんばかりに協力を申し出てくれていた。

 空気を読むときは読み乗るところ盛大に乗れ。それが今この世界に流れる一体感だ。二人が単純にそれにならったという部分もある。だがそれ以上に孝太の気持ちを考えてのことだった。


 二人は孝太が叔父さんのために一肌脱ごうとしているのだろうと考えていた。セルに煽られて出てきたのも叔父さんのことを思ってのことなのだと。


 実際のところはそうではない。しかし張本人である孝太自身、あの瞬間何が自分を突き動かしたのかまだ理解できていなかった。

 だからこそ孝太もまた無意識の先を、自身の思いの先を確かめに行く必要があった。


「協力してくれるんですか?」


 孝太は驚きと確認を込めて言葉を紡ぐ。求めていた答えは不安を感じる間もなくすぐに返ってきた。


「もちろん」「だよ」


 これも何かの縁、乗りかかった船だ、とハチロウはニヤリと笑い意気込む。アイは孝太を安心させるように何度もうんうんと頷いていた。


 孝太はこの時、ここに来て本当に良かったのだと心の底から思うことが出来たのである。




 そうして部屋に戻り、決闘に向けての作戦会議を行われることとなった。


 その間に三人がキッチンで死んだ魚のような目で横たわるゲンさんを発見し、そんなゲンさんが孝太扮するグラムを見るやいなや陸に揚げられた魚の如く暴れ出したという一悶着があったがここでは省略する。


「なるほどなぁ。そっかぁそりゃ大変だったなぁ」


 ともすれ元々人情と人の良さが売りのゲンさんである。落ち着きを取り戻し、いざ孝太から事情を説明されると手元のハンカチは水浸しになっていた。


 そして説明が終わるやいなやゲンさんもまた孝太への協力を申し出たということは言うまでもないことかもしれない。


 そんなこんなで打倒、軍畑いくさばたへ向けた作戦会議はそんな三人の協力のもと開かれることとなった。


 三人寄れば文殊もんじゅの知恵という。孝太を乗せた作戦会議という名の船は彼らの知恵を借りて順調な出航を迎えるものと思われた。がそうはならなかった。


 果たして孝太が信頼して乗り込んだ船が大船だったのか泥船だったのか。それすら確認出来ぬほどの早さで彼らの船は暗礁に乗り上げてしまったのである。


 彼らは打倒軍畑に向けて作戦を立てようとしている最中、ある根本的な問題に気付いてしまっていた。


 そもそもに何故軍畑と戦う必要があるのか。それはあくまで街中の期待に応え、叔父さんの名誉を守るためだった。

 孝太が叔父さんに成り代わり軍畑と対峙しあわよくば勝利を収める。そうすることで叔父さんの、グラムの面子を保つという算段だった。


 つまりは勝利云々以前に軍畑を含めた住民全員に中身が別人であるとバレないようにする必要があったのだ。


 こうして勝利という岬を目指していた船は暗礁を迂回するかのようにその進路を曲げ、グラムの仕草や口癖の回想、はては今のようなハチロウの物真似に至ったわけである。


 『船頭多くして船山に登る』という諺がある。彼らの中に船頭を務められる人物がいたとは思えないが、つまるところ船頭がいない船もまた、同じくして山を登る道を選んでしまうようである。


「もういっそ決闘中に一言も喋らなきゃいいんじゃねぇ? そうすりゃバレることもねぇだろうし」

 とこれは悩んだ末に出たゲンさんの案。それにハチロウが意義を唱える。


「それじゃ幾ら何でも不自然じゃ無いっすか」


「っても元々あんまり喋る人でもなかったんだろう。どうにか誤魔化せねぇかな」


「あれだよ。風邪で声が出ないってことにすれば良いんじゃないかな」


 こうマスクとか付けてってさ、とアイが指先で作った長方形を口元に当てる。


「その手があったか」「いやでもそれだと……」とああでもないこうでもないと三人は意見を並べ立てる。


 軍畑に勝つ方法を→バレないようのするには→喋らない理由、と話の論点は悪い会議の見本とでも言うようにゆっくりとその本筋から舵を切っていくのであった。




 そうした最中、孝太は再び心の中の衝動へと向かい始めていた。


 四人の話し合いは現在進行形でその矛先を変えつつあったがその目的の原点は叔父さんの名誉を守るということだった。

 それは孝太の願ったことではない。あくまでハチロウやアイが孝太を見て感じとった『そうに違いない』という想像を元にしてのものだった。


 その方針について孝太は何も言わなかった。というより言えなかった。それは孝太自身が己の衝動の原因を未だ理解出来ていなかったからだ。


 だからこそ孝太はこうして客観的な視点へと一度身を委ねることにしたのだ。

 自身があの男に叔父さんのことで挑発され、それに怒りを覚えたのだという一番シンプルな理由に。


 本当にそうであったならどれだけ救われたことだったか、と孝太は今にして思う。


 いざ話しを進めていくと鳩尾みぞおちに雫を垂らしたような違和感がぽつりと生まれ始めた。そしてそれは今や無視できないほどの量にまで溢れかえっていた。


 ボタンを掛け違えたどころではない。まるで高さの違う靴を左右に履いて出掛けてしまったかのような、最初から何もかも間違っているかのような、そんな感覚が孝太の全身を包み込んでいた。


 自分は叔父さんの助けになりたいんじゃない。叔父さんの作り上げた名誉を守りたい訳じゃないんだ。


 孝太は己を否定する言葉を心の中でそっと呟く。

 その響きは孝太の中心をストンと落ちていく。そして鳩尾の違和感にぶつかると打ち消し合うように波紋を広げ消滅していった。


 自分の衝動は叔父さんの為なんかじゃない。自分の都合。もっと利己的な感情によるものだ。


 孝太は自身の中でその事実をしっかりと受け止める。その瞬間、空いた鳩尾が僅かばかりにきしみを上げた気がした。


 それじゃ結局自分の思いは、願いは一体何なんだろう? 孝太は目を閉じる。心の更に深みへと一歩踏み込んでいく。


 自身を突き動かした衝動。あれが怒りであったことは確かだ。しかし叔父さんのことをあおられたからではない。

 会話の中に自身の怒りに触れる何かがあったのだ。

 あの時商人は何を話していた? 叔父さんをどのように煽っていた? 確か街の皆の期待に応えるべきなどと騒いでいたはずだ。


 皆の期待。そう思ったとき孝太の閉じた視界に細い閃光がパチリと走った。孝太はその痛みの先へと手を伸ばす。


 そうだ。叔父さんはこの世界で恐れられながらもその裏では一人のプレイヤーとして期待されていたんだ。皆に認められていたんだ。

 避けられていたと思っていたのに。蔑まされていると思っていたのに。


 そのことが自分はたまらなかったんだ。叔父さんはニートで。落ちこぼれで。自分しか。自分だけが叔父さんの理解者だったはずなのに。


 それでも自分は叔父さんの手を離してしまっていた。僕は叔父さんを待つことが出来なかった。それなのにこの世界には今も――


 孝太は商人の言葉を振り返りながら怒りの源流へと上り詰めていく。その答えはもう目の前だった。


 自分のなし得なかったこと。出来なかったこと。街の期待。そして今もこの世界で叔父さんを待ち続けるライバルの存在。


 そうか。つまり自分のしたいことは。自分の願いは……



「――おい大丈夫か?」


 ハチロウの声掛けに孝太はガバリと顔を上げる。どれだけ潜っていたのか皆心配そうな顔を見せていた。


「すいません。少し考え事をしていて」


「いや大丈夫ならいいんだ。慣れないうちは長時間プレイで具合悪くなる奴もいるからさ」


 それでなんだが、とハチロウは本題を口にする。


「とりあえず軍畑いくさばたには機嫌が悪いつうことにして話し掛けられても基本無視で。んでどーしても話さなきゃならならん時はここに来たときみたいな、あんな堅い口調で手短に頼む」


 そんな感じになったんだけど大丈夫か? と同意を求めてくる。アイとゲンさんもその横でじっと孝太の反応をうかがっていた。


 孝太は一瞬何の話かときょとんとしてしまう。それでもすぐに内容を思い出し頷こうとするが、ふと考えるようにその動作を途中で止めた。


「それじゃ不味かったか?」とハチロウが尋ねてくる。


 孝太はその問いにすぐには答えず再び目を閉じて大きく息を吸った。

 自分のしたいことは見えた。それを叶えるには。孝太は頭の中で自身の思いを整理する。


 そして再び目を開き協力を申し出てくれた三人の顔を見渡した。三人とも孝太の真面目な表情を前に次の言葉をただ黙って待っていてくれていた。


 図々しいかもしれない。自分勝手かもしれない。それでも彼らなら。孝太は覚悟を決める。


「皆さんに相談が、協力して欲しいことがあるんですが――」


 その声に異議を申し出る者は誰もいなかった。皆その言葉を待っていたとでもいうように笑顔で孝太の意見を受け入れてくれる。

 孝太はそんな彼らにぽつりぽつりと自身の思いを打ち明け始めた。


 そうして作戦会議はようやく孝太の願いへと向けて静かにその船を漕ぎ出したのだった。

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