二巻 15話 ハチロウの猿まね、当時のこと
「その戦い、受けて立とうっ」
仁王立ちに構え正々堂々とした口調できっぱりと言い切る。
そこには一切の迷いは無い。まるで他人事かといったような、或いは冗談を飛ばしただけかのような、ある種の軽快さと歯切れの良さがあった。
「この悪魔将軍グラム。
杯を掲げる高さまで片腕を持って行きもう一方を臍のあたりに構える。そしてその両の手を
相手の首根っこを掴み、文字通り血祭りに上げているイメージを伝えようとしているのだろうが、生憎両手を体の前でわちゃわちゃさせているようにしか見えない。
「軍畑なんぞ口うるさくてすぐに切れて、声だけがやたら大きくて……つまりはだだの小心者。狂犬ならぬワンコに過ぎぬ。我の手にかかれば……」
「へぇ~ハチロウは軍畑さんのことそう思ってたんだ。今度言ってやろう、そうしよう」
いい加減ハチロウの猿芝居に見飽きたのかアイが頬杖を付きながら指摘を入れる。
「あ、あの、叔父さんってゲームの中だとそんなキャラしてたんですか。悪魔将軍って……。しかもなんか口調とキャラが定まってなくて凄く痛いんですけど」
「んやぁ、そんな感じ全くなかったなぁ。怒ると確かに凄みがあったけど、普段はなんつーかあんま喋んなくて、
俺は直接関わったことあるわけじゃねぇから良く知らねーんだけどよ、と孝太の質問にゲンさんが呑気に答える。
ゲンさんは先程から話半分に耳の掃除に熱心していた。耳をほじっては指先に付いた耳滓をふぅふぅとその辺に飛ばしている。グラムの顔を見ただけで怯えていたのが嘘のようだ。
「んまでもハチロウがそうだって演じてる訳だし。実際はこんな感じっだのかもなぁ」
そこんとこどうなんだ? とそこでやっと皆の視線がハチロウへと戻る。しかし等の本人は先程までの熱演とは打って変わって
「おっと邪魔してすまんな。今は怒ったときの演技ってわけか」
「全然ちげーよ。本当に怒ってるんやい」
ゲンさんの突っ込みにハチロウがすかさず顔を上げる。
「なんだよ。皆がやれって言うからやってやってるのにその反応は。もっと真面目に聞いてくれよ」
あとゲンさんはいい加減それ止めて下さい、とハチロウは唾を飛ばす。
ゲンさんはそこでやっと自分の行動に気付いたのか空中で止めた手をそのまま下へと降ろした。しかしそれだけだ。三人の浮かない顔は未だに変わらない。
「つってもよぉ」とやがてゲンさんがため息を付きつつアイと孝太に目を配らせる。
「だってねぇ」
「努力していただいているハチロウさんには悪いんですが」
アイは苦笑いを浮かべながら、孝太は申し訳なさそうにそれぞれ合わせる。
「「「その顔で言われても迫力が」」」
「うっせいやい。この顔はゲームを始めた頃からの生まれつきだい」
両端が癖毛のようにはねた焦げ茶色の頭にたれ気味の目。世間を舐め腐った学生然とした容姿。それがハチロウの今の姿だった。
見た目は親から受け継いだ訳では無く自身でエディット出来るものの、一度生んでしまえば変えられないという仕様は残念ながら現実と一緒だった。
「つーかようそれは本当にグラムの物まねなんだよなぁ。俺は攻略組にいたわけじゃねぇし深く関わったこともあるわけじゃねぇけど、流石にちょっと聞いててイメージと違う気がするんだよなぁ」
いじけて肩を落とすハチロウにゲンさんが納得いかないといった感じにぼやきを入れる。頭の後ろをぼりぼりと掻きながら何か引っ掛かりを感じているようだ。
そう言われてハチロウの肩がぴくりと反応する。
「ゲンさんそこは疑っちゃ駄目だよ。だってハチロウは『悠久の黄昏』なんだよ」
ところがハチロウが何かを言う前にアイが反論に出た。腕を必死に伸ばしハチロウを、ハチロウの奥に見える『悠久の黄昏』の影を目一杯に指差す。
「グラムさんだって一番近くで見てたはずだよ」
そうだよねぇハチロぉ? とアイはハチロウへと視線を移しムッと喉を
肝心のハチロウと視線が重ならないのだ。それどころか真実から目を逸らすかのようにその瞳は完全に真横へと向けられていた。
「ハチロウ。そうなんだよねぇ?」
「さ、さぁそれはどうだろうなぁ」
アイの強気な催促にも煮えたぎらない答えが返ってくる。アイはそれを聞いてため息をついた。流石にこれだけ一緒にいればハチロウの思考は嫌でも分かってくる。
「別に俺は……皆がやってくれっていうからやっただけだ」
これ以上しらばっくれないと観念したのかハチロウが開き直り半分、いじけ半分で口を開く。それに対し「やっぱりそうだよなぁ」と今度はゲンさんが額に手を当てた。
「えっと? どういうことですか?」
一人状況を理解できていない孝太がおろおろと周りを見渡す。すかさずゲンさんが孝太に船を出す。
「ようはただの見栄だったってことよ。さっきのグラムの演技もハチロウの勝手なイメージだった訳だ」
「全部が全部って訳じゃ無いっすよ。それに会ったことだってないわけじゃねぇし」
遠目で何回か見たことくらいはある、と小声になりながらぽつりと呟く。
そんなハチロウのぼやきにアイが不満の声を上げる。
「え~ハチロウは『悠久の黄昏』の一員でしょ。何でそれで知らないの?」
「なんだぁアイ。攻略組が前線を走ってたとき『悠久の彼方』がどれだけ手前を右往左往していたことか。そんなに英雄譚が聞きたいのか? そうかぁ、そんなに知りたいのかぁ」
「い、いいです」とアイはハチロウの笑顔に気圧され引き下がる。しかしハチロウはここぞとばかしに当時のことを話し始めた。
実際そうなのだ。ギルド『悠久の黄昏』は確かにこのゲームをクリアし終了させたギルドではあった。
しかし所謂、攻略組の一員だったかと言えばその答えはノーだった。
当時順調に歩みを進めていた攻略組も最終階層を前に壁にぶつかり、長い間苦汁を飲まされ続けることとなった。そのため追走していた数多くのグループがその段階になって続々と合流してきたのだ。
『悠久の黄昏』もそんなグループの一つに過ぎなかった。
もっとも何も情報の無い新雪をひた走りボスドロップを占有する攻略組と、その足跡を辿るだけの後追いグループとではその技術もアイテムも大きく差があった。
いくらレベルを揃え足並みを揃えたとしてもその差は簡単に埋められるものでは無く、彼らは攻略組以上の苦戦の強いられることとなった。
やはりクリアを成し遂げるのは古参の攻略組であると予想され、そうであって欲しいという期待の雰囲気が徐々に広がりつつあった。
そんな空気の中、番狂わせにも後追いグループの最後尾付近を走っていた『悠久の黄昏』がようやく最上階に到達したかと思いきや、その勢いのままに最上階をクリアしてしまったのである。
ずっと開けられることの無かったパンドラの箱の中に彼らが棚のぼた餅を見たのか、火中の栗を見たのかは分からない。ともすれその結果この世界はこうして終わりを迎えたのだった。
そうして多くのプレイヤーが箱の中から失われ、底には彼らのような物好きと『悠久に黄昏』への遺恨だけが残ったわけである。
「なるほど。そんなことがあったんですね」
なんとも難しい話ですね、とぼた餅なのか栗なのかを孝太は難しい顔で保留する。
当時のグラムも含め多くのプレイヤーがそうであったならどれだけ救われたことか。
しかし正に渦中にいた彼らが烈火の如く燃え上がり、『悠久の黄昏』そのものが焼き栗になってしまったのではと感じたのが当時のハチロウの感想である。
「だから最後の最後、しかも怒り心頭のときぐらいしか実は知らないんだ。すまん」
事情を話し終えハチロウは「もういいぞ」と最後にアイへと声をかける。アイは部屋の端で
『悠久の黄昏』の幻想が解けたとはいえ、やはり格好悪い話は聞きたくないのがアイの心情だった。
「しかしそうなると誰も当時の叔父さんのことを知らないってことですよね」
どうしましょう、と孝太がポツリと呟く。結局話しは振り出しに戻ってしまった訳だ。その問いに誰もが口を開こうとするも結局案が固まらす口を閉ざしてしまう。
部屋の中にう~んという唸りのカルテットが響き渡る。
突然開かれたハチロウのモノマネ大会。はたして彼らが今一体何をしているのか。それを知るには少し時間を遡る必要がある。
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