二巻 14話 孝太の思い、孝太の衝動

「グラム、ちょっとここに隠れてろ」


 ここで時間は少し戻る。グラム扮する孝太はそのハチロウの言葉に従いキッチンの物陰に身を潜めていた。


 ハチロウの反応から来客はどうにも気を許せる相手という訳では無さそうだった。部屋に緊張した空気が流れる。


 扉が開き、二人が何やら会話を初める。幸いにもその頃には隣で暴れていたゲンさんも大人しくなっていた。とは言ってもそれは空気を読んでというよりは空気に呑まれて再び気を失い欠けていただけに過ぎないのだったが。


 キッチンから玄関までは一部屋分のへだたりがあり、二人の会話はここからだと途切れ途切れにしか聞こえなかった。それでも会話の端々から来客がこのグラムを探しており、それをハチロウが必死に誤魔化そうとしていることだけは察しが付いた。


 孝太がここを訪れた際、周りに人の気配がないか気にしていたものの誰にも見られていない保証は無かった。そうでなくても幾人もの人間にこの場所を聞いて回っていたのだ。グラムがここにいるであろうことが分かっても別におかしくはない。


 皆が怯え逃げ出すほどの存在に態々会いに来た人物。最初はグラムの、叔父さんの旧友かと思いはしたが、ハチロウの対応からどうにもそういう相手では無さそうだった。

 そうとなればそれこそ先程話に出ていた決闘相手だろうか。


 孝太は耳をそばだてながら来客と叔父さんの関係を推測しため息を付いた。やっと最初の問題が解決したというのに次から次へと問題が飛び込んでくる。


 そもそも先程「決闘」と聞いたときには思わず頭を抱えそうになった。叔父さんがゲームを止めたのはいつだか分からないが、それだけ恨みを持って待たれていたのかと思うと心が重くなる。


 孝太は当時叔父さんがどのようにこのゲームをしていたのかと像と推測を巡らせ始める。


 これまでの経験からグラムが恐れられている存在。当嫌われ者であることは分かりすぎるぐらい分かっていた。

 叔父さんはリアルでは俗に言う引き籠もりであり親族とも上手くいっているとは言いがたかった。それにゲーム慣れしているとはいえ、オンラインゲームに関してはまったくの初心者だったはずだ。


 孝太自身もゲームが久々でありオンラインゲームもこれが初めてであるものの、その短時間でさえオフラインとの感覚の違いを強く感じていた。


 人とのコミュニケーションが苦手でオンラインゲームのノウハウは無し。

 そのくせ人一倍にゲームはクリアしてきたものだからプライドだけはめっぽう高い。


 叔父さんがこの世界に馴染めず、爪弾きにされていたであろうことは容易にイメージできた。


 そういえばこのゲームを始めてから叔父さんが荒れ出したのだったと孝太は思い出す。

 あれは自身のプレイへの苛立ちではなく、人間関係への苛立ちだったと思えばしっくりくる。


 そうしていざその考えに行き着けば、叔父さんの旧友を求めて街を練り歩いたことが如何に自殺行為だったことか。

 運良くここにたどり着けたから良かったものの、先に恨みを持った仇に出会っていたらと思うと孝太は我ながらに呆れてしまう。


 皆に恐れられ、多くの人に恨みをかいながらもそれでも決して辞めることなく全てを捨てる覚悟でゲームに挑んでいた叔父さん。


 辞める気になればいつでも辞められたのに。きっと始めたゲームを途中で投げ出すのは自身のプライドが許さなかったのだろう。


 自らの愛する物の為に自らの精神を蝕んでいく。なんて愚かしい、可哀想な人なんだろう。


 孝太は叔父さんのことを安直にそう思い込むことも出来た。

 しかし本当にそうだったんだろうか、と孝太は自身に出したその答えに違和感を覚える。


 本当にそうだったのだろうか。確かに叔父さんは機嫌が悪かった時も多かった。しかし全部が全部そうだっただろうか。機嫌が良いときだってあったはずだ。


 ここの住民にしてもそうだ。皆グラムに恐れをなしながらもその姿や名前を知らない者など誰一人としていなかった。悪名とはいえ幾ら何でも知れ渡りすぎている気がする。


 それにそうだ。そもそも叔父さんは父に頼んでまでしてこのゲームを自分に託しているのだ。

 それこそプライドの高かった叔父さんが世界から爪弾きにされた自らを見せるためだなんて到底思えない。

 叔父さんは自分に何か。別の何かを見せるために、教えるためにこれ託した筈なのだ。


 自然と頭に浮かんだ、この世界に馴染めず一人で黙々とプレイしていたであろう叔父さんの後ろ姿。それはただの推測なんかではなく、もしかしたら――。


「確かにグラムさんからの返事は頂いていませんが皆さんがそれを望んでいるのは事実。仮にグラムさんの帰還理由が違ったとしても、まさかこの状況で彼が断るはずないですからねぇ」


 孝太がそこまで考えたとき、突然部屋の中に声が響き渡った。

 その声質からハチロウではなく来客が発したものだとすぐに分かった。恐らくは自分がここに隠れている事を見越してわざと声を上げたのだろう。


 そんな単純な手に炙り出される訳にはいかなかったが、しかしそんな思い以上に発せられた内容に孝太の心は大きく揺れていた。


(皆が決着を望んでいる?)


 来客の言う『皆』とは誰のことだろう? 自分のあった住民は誰もが怯え逃げていた筈だ。そんなグラムに、叔父さんに誰が何を望むというのだろう。


 ハチロウが来客を止めようとする声が聞こえる。しかしその声は尚も止まらない。


「街中が二人の決着が遂に見られると心躍らせていたのに。ここまで期待させておいて歴戦の戦士。伝説とまでうたわれたあのグラムさんが仮にこの決闘を断るなんて事態があればそれこそ名声も地に落ちてしまう。いや、臆病者だと後ろ指を指されかねませんからねぇ」


(街中が二人の決着を? 心躍らせている? 歴戦の戦士?)


 やはり先程の皆とは街中の住民を指していたのだ。あれだけ恐れられながらもその裏で叔父さんは一人のゲプレイヤーとして皆に認められていたのだ。


 学校で耳にした会話でもそうだったがゲーム内では『プレイが上手い』『誰よりも先に進んでいる』というのはそれだけでステータスになる。それはオンラインゲームの中でもそうなのだろう。いや協力を前提にしている分、それ以上の意味を持つのかもしれない。


 ハチロウの話では叔父さんはこのゲームのトップを走っていた一人だという。

 つまり叔父さんはうとまれながらゲームをしていた訳じゃない。畏怖の対象で有りながらもこの世界にちゃんと馴染んでいたのだ。


 床に付けていた指先がぴくりと震える。その事実に孝太はどんな感情を抱いて良いのか、自身が今どう思っているのか、それすら分からなくなっていた。ただ喉の奥に酷く粘つく何かを強く感じていた。

 それを奥に押しやるように無理矢理唾を飲み込み、深呼吸で息を整える。


 叔父さんが求められているという事実。それを認めれば最後に見えてくるのは『街中が二人の決着を』というワード。


 叔父さんに一緒に冒険する仲間がいたのかどうかは分からない。それでもこの言葉はすでに先程予想した仇とはもっと別の意味、叔父さんと対等に向き会ってくれる相手がいたことを示していた。


 そう言うならば――


「最大のライバルであり戦友でもある軍畑いくさばたさんもさぞ落胆するでしょうね。なんせその為にずっとここに残り続けていたんですから」


 その時、孝太は自分の閃きが先か来客の言葉を聞いたのが先か分からなかった。

 しかしそんなことを考える余裕はどちらにしろ無かった。孝太の頭の中はその瞬間真っ白になっていた。


 無意識の動きに不慣れなはずの体はごく自然に声の聞こえた玄関へと向かってく。


「さぁグラムさん、そういうことですので返事を聞かせ頂けますね」


 そうして孝太が意識を取り戻したのは、目の前に立つ年齢不詳の糸目の男に対して強く頷きを返した後のことだった。

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