二巻 13話 セルの計画、セルの賭け

「グラムが決着を付けに帰ってきた? それはどっから出た情報なんだ?」


 グラムの名前を出した瞬間、今までより食い気味にハチロウが反応を示す。セルはそんな微かな変化をもちろん見逃しはしなかった。


(これは既にグラムさんとは接触済みのようですね。それなのにそのことを隠し通すどころか情報を得ようとしてきている。これは何かありそうですね)


 グラムの帰還や周りの反応には一切興味を示さず、ただ情報の出所だけに噛み付くその態度。これは少々厄介そうだとセルは身を引き締める。


 実際にグラムがここにいる、或いはここに着たであろう事にセルはおおよそ当たりが付いていた。噂と真実が行き交う混沌の中からセルは的確に必要な情報をすくい取ってみせていたのだ。



 セルはその背格好や発生時期から街中で噂となっている『路地裏のカーテン男』とグラムと同一人物であることに推測を立てていた。

 ただその事に関して言えばセル以外にも同じ結論に辿り着く者は少なからず存在していた。

 しかしセルをも含め、「なぜカーテンを被っているのか」「なぜ追い剥ぎのようなことをしているのか」という点まで予想が立つ者は誰もいなかった。


 そんな不可解な疑問が残る中での「カーテン男が『悠久の黄昏』を探している」「カーテン男が『悠久の黄昏』に入っていく所を見た」という噂。


 セルの情報網にももちろんこれらの噂は引っかかってきていた。しかしその段階では数多に引き揚げられる噂の一つ過ぎず、確証どころか検証にすら至れていなかった。

 実際いくらあの『悠久の黄昏』が世界を終わらした元凶だとはいえ以前のグラムとの関係性の薄さからその線はないだろうと思い込んでいた。


 これらの情報の信憑度を高めたのは他でもない。ゲンさんという存在だった。


 セルがあぁでも無いこうでも無いと計画と平行してグラム捜索に奮闘する時、ふと視界の端に住民と話し込むゲンさんの姿が映り込んだのだ。


 セルとゲンさんはハチロウ経由の顔見知りであれ関係はそれほど深くない。いつもであれば軽く会釈をする程度の所なのだが、ゲンさんの異変にセルの直感が警告を鳴らしていた。


 顔が血の気の引いたように真っ青だったのだ。全身も心なしか小刻みにガタガタと震えている。


(あれは状態異常。或いは……)


 セルが足を止めてゲンさんを観察していると丁度話が終わったようだった。相手と別れ都合よくこちらに向かって走ってくる。


 セルはゲンさんに話を聞こうと片腕を上げた。しかし余程慌てていたのか、ゲンさんはそんなセルに気付くことなく全速力で真横を駆け抜けていってしまった。


 セルはそんなゲンさんを追わずあえてその背中を見送った。代わりにとゲンさんの話し相手へ会話の内容を確認しに行く。


「そうですか。グラムさんが帰ってきた理由を聞いて心底首を傾げていたと……なるほどありがとうございます」


 相手はそんなゲンさんをただ不思議に思っただけのようだったがセルは違っていた。

 街の中でセルだけが唯一握る情報。それがゲンさんこそが探し人への道標であると強く示していた。


(まさか軍畑いくさばたさんとの決着以外が目的だとは思いもしませんでしたけど。さてさてゲンさんの走って行った方向にあるものは……)


 そこでセルは自身の持つ情報との交点を導き出す。


(なるほど。そっちが本命でしたか)


 セルの細い目がにんまりと半円を描く。

 そうしてセルは確信を持ってゲンさんの向かった先。ここ『悠久の黄昏』のホームへと足を運んできたのだった。



「どっから出た情報? と言われましても私も噂で聞いただけでして」


 口調を強めるハチロウにもあくまで平然と対応する。

 交渉ごとで大事なのは自身の手札を隠し相手の手の内を探れるかだ。その点、目の前のハチロウもその後ろで終始そわそわとしている少女も手札が透けて見えるようで実にやりやすい。


「それにもうなんでも決闘場も決められているようですし。過去の彼らを知っている者ならばそう思ってしまうのは当然のことじゃないですかね」


「じゃあ誰かがグラムから直接聞いたってわけじゃないんだな。そんじゃその噂とやらだけで決闘場を先走っちまった奴は何処のどいつなんだ?」


 一般論を並び立ててもハチロウは止まらない。グラムが白と知っていることをまるで隠そうとしない。それどころかグラムの潔白を証明しようというような勢いだ。

 手札が見え透いたとしても何故そこまでハチロウがグラムに肩入れするのか。セルにはそこが謎のままだった。


「そんなこと私が知るわけないじゃないですか。これも一般論ですがそれこそグラムさんかノワールさんのとこなんじゃないですかね」


 ハチロウの剣幕を突き放すように距離をとる。あきれ口調でその言い草を咎めにかかる。


「ノワール、いや軍畑なら確かに……」


 それが効いたのかハチロウは納得したかのように頷き眉をひそめた。これで一安心と思ったのも束の間、ハチロウからの鋭い視線がセルに突き刺さった。


「そういや今回の件、いくら何でもお前にしちゃ知らなすぎやしないか。噂だの一般論だの言って。本当は何か隠してる。いや何か企んでるんじゃないだろうな」


 ハチロウのその疑いは推理でもかま掛けでもない。純粋な直感によるものだった。

 それはセルにも分かっていた。分かったからこそ僅かばかりに動揺し息を飲み込んだ。もちろん悟られない程度にではあるが。


(いやはや。長年のお付き合いとなるとこういうところが怖いですね)


 これでは慎重に慎重を重ねてフェイクのジョーカーを仕立て上げたのに最後の最後で当てずっぽうに本物を引き抜かれてしまったものだ。騙し合いも駆け引きもあったものではない。

 何かを企んでいるというハチロウの直感。それは正にセルの隠し持つジョーカーそのものだった。


 企んでいるどころの話しでは無い。街にグラムと軍畑の決闘の噂を流布るふし、更には会場を整えたのもセル本人だった。

 グラムと軍畑いくさばたを自分の整えた会場で戦わせること。それこそがセルの推し進めていた計画の正体だったのだ。



 セルはぽんちょぶからグラム帰還の噂を聞いたあの時、二人をアリーナで戦わせるというビジョンをすでに頭に描いていた。

 因縁の二人の決闘とならば話題性は十分。そこで賭け事を起こせばロビンレース以上の儲けが出るとセルは見込んでいたのだ。


 そこでセルはぽんちょぶを遣いに一方の軍畑に嘘の噂を流させた。これに軍畑が乗り、グラムを挑発してくれればそれで計画は成立する手筈だった。

 嘘の噂が発端とはいえ、実際どちらが先にふっかけたかなど犬猿の二人あれば有耶無耶に出来ると思っていた。

 それに仮にぽんちょぶが失敗したといても何れにしろ勝手にそうなっていただろうと。


 セルはグラムの帰還理由を十中八九決着だと確信しきっていた。

 一見この判断は早急過ぎる気もしないでは無かったが、彼らを知っている者ならば誰でもそう思うほどに二人の犬猿っぷりは公然の事実だった。

 現に街で立っている噂も数割はセルの情報操作によるものの、残りは自然発生によりものが大きい。


 しかしそんな当たり前が油断となりセルの計画に二つの歪みを生んでいた。


 一つは遣いを出したにも関わらず軍畑いくさばた率いるギルド『ノワール』が長い間沈黙したことだった。

 会場を手配したことでようやく軍畑から声明を引き出せたものの、本来であれば軍畑に主導で動いて貰いそれを影からサポートするという目論見は大きく狂った。


 しかしこちらは声明が出ただけまだ修正が効く。計画そのものを崩壊させかねない問題はもう一つの方だった。


 肝心の軍畑の対戦相手であるグラムが声明どころか姿すら現さなかったのだ。

 そもそもグラムの帰還事態が根も葉もない噂だったのではないかという憶測が浮かんだが、それは不特定多数の目撃談からすぐに否定された。


 グラムは確かにこの世界に存在しているのだ。しかし何らかの理由で隠れようとしている。しかもセルの推測が正しければカーテンを被った不可解な姿で。


 このグラムの行動をセルは全く予知できなかった。予知どころか話しを聞いた今でもその意味を理解できていない。

 このままでは計画そのものが破綻しかねない。セルはハチロウを前に余裕の素振りを見せているが実のところ後の無い状態まで追い込まれていた。


 自らの足でグラムを探し回りこうしてハチロウにいらぬ腹を探られているのが良い証拠だ。本来であれば裏から糸を引く予定がこうして表舞台に引っ張り出されてしまっている。


(自らの生んだ油断とはいえこうしてハチロウ君に優位を取られてしまうのは癪ですねぇ)


 セルはハチロウ問いにすぐには答えず不意に咳払いをした。その一瞬でハチロウから優位を取り戻す手段を、グラムの情報を引きずり出す手段を模索する。


 グラムの帰還理由は? ハチロウ君がグラムを匿う理由は? その時、先程覗き込んだ光景がセルの頭を過った。


 ハチロウの後ろにはゲンさんの姿は見えず、何故か部屋の真ん中にアイという少女が一人腰掛けていた。

 セルは自分が何故そこに引っ掛かりを覚えたのかすぐに気付く。


 部屋の中央に椅子が並べられただけの配置。これではとても部屋としての機能を果たしてない。本来有るべきであるはずのテーブルがどこにも置かれていなかったのだ。


 まるで待合室か囚人の面会室のようだとセルは思い浮かべ、そしてそれがあながち間違っていないのではないかと即座に考え直す。


(そういえば、先程から二人はちらちらと後ろの方を気にしてましたしねぇ、ということは……)


 後ろで座り込む少女は確かに待ち人とも囚人とも考え辛い。しかし人質と考えればどうだ。

 これ見よがしとばかりに部屋の中心に座らされ身動き一つとらない少女。外で聞き込みを行っていたゲンさん。更にはハチロウが必死にグラムを庇う姿勢。


 グラムは少女を人質にこの場所に立て籠もっている。

 そう考えればこの状況にも説明がつく。


 グラムはこの部屋の中に存在しているのだ。セルは心の中でほくそ笑み、それならばやることは一つだとすぐさま行動に出る。


「何かを企んでいる? 流石はハチロウ君ですね。その通りです」


 ハチロウの疑りに態度を一変させわざとらしく声を大きくする。一見開き直りにも取れる姿勢でハチロウの優位を崩しに掛かる。


「折角こんな二度と訪れないチャンス。動かない訳にはいかないじゃないですか」


 えぇそうです、会場を手配させて頂いたのは私です、と札の一枚だけをひっくり返してみせる。噂をでっち上げたという札はここでは明かさない。こちらの札にはまだ隠しておく価値がある。


「会場の手配って……今の段階で動くのはちょっと急ぎすぎなんじゃないのか。二人が断ったらどうするつもりなんだ?」


 やっぱりお前が犯人か、とハチロウはため息を付いたものの、セルの手のひら返しっぷりにまだ何か企んでいるのではないかと警戒を緩めない。セルにはどちらでも良かった。既にその企みとやらは実行中なのだ。


「はて断る? すでにノワールの軍畑さんからは声明を頂いていますよ」


 それに、とハチロウの肩越しに部屋の奥を覗き込む。


「確かにグラムさんからの返事は頂いていませんが皆さんがそれを望んでいるのは事実。

仮にグラムさんの帰還理由が違ったとしても、まさかこの状況で彼が断るはずないですからねぇ」


 声をさらに大きくし一言一句区切りを置いてゆっくりと発する。目の前のハチロウに、更には奥に潜んでいるグラムに聞こえるように。


「おい何を言って……」とそこでハチロウもセルのやろうとしていることに気が付く。セルを玄関の外へ押し出そうする。

 だがそんなことをしたところで今更セルは止まらない。寧ろハチロウの行動に確信を持って露骨に声をあら上げる。


「街中が二人の決着が遂に見られると心躍らせていたのに。ここまで期待させておいて歴戦の戦士。伝説とまでうたわれたあのグラムさんが仮にこの決闘を断るなんて事態があればそれこそ名声も地に落ちてしまう。いや、臆病者だと後ろ指を指されかねませんからねぇ」


 出てこないのであればあおってでも引っ張り出す。そして返事を出さざるを得ない状況を作り出す。それがセル作戦いや、最後の賭けだった。


 実際、目的を失ったこの世界ではもはや名誉や尊厳などというものは皆無だ。

 仮にここでグラムが断ったとしても住民はがっかりするだろうがそれ以上のことは何も起こりようがない。

 しかしエピローグと共にこの場を去ったグラムがそのことを知るよしもない。十分に勝算はあるとセルは踏んでいた。

 現にあおりに対するハチロウの慌てようがそれを示している。


「最大のライバルであり戦友でもある軍畑さんもさぞ落胆するでしょうね。なんせその為にずっとここに残り続けていたんですから」

「いい加減にしろっ」


 最後にセルの放った台詞は完全に口から出任せだった。だがそれが効いたのか部屋の中で遂に動きがあった。


「ゲンさんに用があったんじゃないのか。もういないのが分かったから良いだろ。さっさと帰ってくれ」


 玄関からセルを外に押しだしハチロウがまくし立てる。その時セルはハチロウを一切見ていなかった。

 玄関の隙間の奥。そこから誰かが出てくるのを期待の眼差しで見ていた。


「いやいや失礼。実はゲンさんに用があった訳ではなく、ゲンさんが会いに来たであろうある人物に用があったんですよ」


 ハチロウの後ろから表れた影へと視線を移しセルはにんまりと笑う。振り向いたハチロウがその姿に体を強ばらせた。


「私は止めようとしたんだけど……」


 少女が巨体の後ろから申し訳なさそうに顔を出す。


「お前。隠れてろって言っただろ」


 玄関に現れたグラムにハチロウは言葉を零す。しかしグラムはそんなハチロウに構うことなく横を通り過ぎ、セルと真正面から向き合っていた。


 セルの細身の長身を持ってしてもグラムは頭一つ分高い。それでもセルは威圧されることなくその顔にはやっと目的の相手に会えたという笑みをたたえていた。


「さぁグラムさん。そういうことですので返事を聞かせ頂けますね」


 そうしてセルは舞踏会へ淑女しゅくじょを誘うかのように、グラムへと手を差し伸べるのだった。

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