二巻 11話 ぽんちょぶの角煮と軍畑の決意

――かくに、かくに、かくに……。


 場面は再びノワールのギルドに移る。ぽんちょぶは未だ正座の姿勢を崩さないままずっと好機の兆しが訪れるのを待ち続けていた。


――かくに、かくに。かくに……。


 二人に聞こえないような小さな声で呪詛の如く祈りの言葉を唱え続ける。

 正座を続けること更に20分。現状は得てして何も変化はなかったが、そんな中でぽんちょぶはついにこの場から脱出する方法を閃いていた。


 曰く事故による強制ログアウトである。

 ぽんちょぶは露店での出来事を思い出し、あの方法ならばもっとも穏便かつ安全にこの場を立ち去ることが出来るはずだという結論に辿り着いていた。


 強制ログアウトはハチロウに抱かれ消えていったゲンさんからも分かるように、それが故意なのか事故なのかは見た眼で分かるものではない。

 そのことをぽんちょぶ自身知らないわけでは無かった。


 だがそんなことは彼にとって些細な問題なのだった。

 ようは後々相手に、そして自身に言い訳がたてば良かったのである。

 もちろんそれならば意図的にログアウトを行い、のちにあれは回線落ちだったのだと嘘を付く方法も無い訳では無かった。


 しかしその辺はぽんちょぶである。

 そんな嘘を付くことは彼の良心が許さなかった。あくまで全てが事故の元に起きたことだと自身にも相手にも納得が必要だったのだ。


 された側にすればどちらにしろ証拠が無い以上、心象は対して変わらないのだがそこで一線を引いてしまうのがぽんちょぶの性格の良さであり要領の悪さだった。


 かくしてぽんちょぶは強制ログアウトのため、こうしてしくしくと呪文を唱え続けていたのである。


――かくに、かくに、かくに……。


 先ほどから必死に自身の好物を頭に浮かべるが中々そのワードが効果を発揮するに至らない。

 ぽんちょぶは自身の経験から強制ログアウトが急激な空腹によって引き起こされる現象だということは分かっていた。


 しかし分かっていることを実際に行えるかというと話は別である。

 ましてや空腹などという生理現象。先ほど臨時で食事を済ましてしまったぽんちょぶにとってはどだい無理な話だった。


 憧れのセルを前に気合いを入れるために豆腐だけでご飯を二杯も食べてしまったことが今更ながらに悔やまれる。

 今のぽんちょぶは珍しく腹は一杯に満たされていたが、それと同じぐらい心は後悔の念で一杯に満たされていた。


「ん? 何用だ」


 そんなぽんちょぶが不毛の努力を続ける中、先程からずっと沈黙を貫き通していたノジールがピクリと眉をひつかせた。軍畑いくさばたも後ろを振り返り、それと同時に居間の扉が開かれる。

 長時間暗闇にいたためぽんちょぶは外の眩しさに思わず目を細めた。


(あれは、お姉さん?)


 開かれ扉の向こう、逆光の先に立っていたのはぽんちょぶが先程話していた相手であり、最近ほんのり彼が思いを寄せる人物、立飛たちひだった。


「用が終わるまで開けるなと言っていたが」


 ノジールが不服そうに髭をなで上げる。しかし立飛は全く動じるところを見せない。ため息混じりに腕を組む。


「用って……もう、どんだけ引き籠もってるつもりなんよ? いい加減期限切れやわ」


「何かあったのか?」


 今度は軍畑が立飛に鋭い眼光を向ける。立飛は軍畑とノジールの顔を見渡し困ったように口を開いた。


「お二人さんが籠もってる間に外はもうシッチャカメッチャカのお祭り状態や。今もあんさんにコメントを求めようとぎょうさん人集りがうちの前に出来とる」


 早くどうにかしたってや、と立飛は軍畑をうながす。状況を全く飲み込めない軍畑は声を低くする。


「どういうことだ。俺はまだあのグラムが俺との決着を付けにきたとこいつから聞かされてるだけだぞ」


「けっ、決着っ?」


 突然話を振られぽんちょぶは小さく跳び上がった。実際ぽんちょぶが聞いたのは「グラムが帰ってきた」という話だけだった。その目的が「軍畑いくさばたとの決着」とは一言も聞いていない。

 というよりそれ以前に、ぽんちょぶは軍畑にそんな意味を伝えたつもりは毛頭も無かった。


 ぽんちょぶが伝えたのはあくまで「グラムがやり残したことに蹴りを付けにきた」ということだけだったのだ。それがセルから直々に依頼された『噂の尾びれ』だった。

 事情を知らないぽんちょぶはずっとその『ひれ』の意味を計りかねていたが、ここに来てようやくその意味を悟った。


 グラムのやり残したこと。それは軍畑との対決だったという訳だ。

 つまりぽんちょぶば何の警戒もせずのライバルである軍畑の元にのこのこと情報を運んでしまっていたことになる。

 いや、見方を変えればあおりにきたと思われてもおかしくない。


 ぽんちょぶの背筋をぞくりと冷たい物が落ちていく。

 流石が師匠の依頼なだけあってやはり一筋縄ではいかなかった。

 いかないどころか、ここで嘘だとばれればそれこそ何枚おろしにいや、角煮に切り刻まれての文句は言えない。


――かくにかくにかくにかくにかくかくに……。


 ぽんちょぶはいち早くこの場から脱出するため呪文を高速で唱え続けた。

 しかし先程とは違い、角煮を口にする度に自身の切り刻まれた姿が頭に浮かび、体から血の気が引いていく思いなのだった。



 ところがそんなぽんちょぶの恐怖と焦りはおいてけぼりに話は進んでいく。


 彼らにとって悲しいことながらぽんちょぶはただの部外者だった。

 関係ないのならばそれこそ退場を願われても良いものだが、それすら気付かれないほどに今や存在は空気となってしまっていた。


「せやから決着つけるんやろ。戦う気はバッチリってことやん」


 立飛たちひもぽんちょぶを無視して軍畑いくさばたに尋ねる。無視と言うよりは存在に気付いていないという方が正しい。


「俺はまだあいつと戦うとは一言も言ってないが」


「言ってないだけで気が無いわけではないんやろ」


 分かってるという顔で頷き腰に手を当てる。そこには長年の付き合いからくる信頼が感じられた。


「とにかく外の野次馬どうにかしたってや。あんさんの返事がどうにしろ。向こうはやる気満々みたいやから」


「そうか。もう準備万端ってわけか」


 立飛の台詞に軍畑は目に輝かせる。そこには一つの決意が籠もっていた。


「ワシはまだ許可を――


「親分っ」と慌てるノジールの声を軍畑の一喝いっかつが遮る。

 そのまま再びノジールの方を振り返り、綺麗な土下座を決める。


「どうかいかせてくだせぇ、ここで行かなきゃ俺は俺で無くなっちまう」


 先程とは違い今度は立飛も助け船を出す。


「親分がそんだけ答えを先延ばしにするってことはどっちがいくちゃんのためになるか悩んでるってことやろ。だったらここはいくちゃんの好きなようにやらせてくれんか」


「しかし、そう簡単なことでは……」

 と二人を前にしてノジールは口籠もる。


 このとき事情を知らない立飛たちひが微妙に勘違いしていようだとノジールは感じていた。ノジールは何も軍畑いくさばたとグラムの決着を反対している訳では無いのだ。

 あくまで軍畑が『あれ』を使うという一点において反対なだけなのだ。


 『あれ』に関して軍畑と二人だけの秘密にしていたこと。更にはこうして長く答えを保留にしていたことで微妙な行き違いが発生しているようだった。

 そんな行き違いを正すチャンスも無く立飛が叱咤を飛ばす。


「もう焦れったいで親分。いくちゃん、ここは私が説得しよるからさっさと行ってきっ」


「すまねぇ恩に着る」

 と軍畑は立飛の言葉を合図に外へと飛び出していく。


 待て、とノジールは止めようと立ち上がったが立飛が片手を広げてそれを制した。


「親分が何をそんなに意固地いこじになってるか知らんけど、これはいくちゃんとグラムはんの問題。男と男の戦いや。うちらが口をはさめることやないやろ」


 男と男の戦いか……。本当にそうなれば良いが。

 ノジールは立飛の肩越しに光の彼方へと消えゆく軍畑の背中をそのまま見送った。

 後ろを振り返ること無く走り去るその姿は、己の信じた道をひたすらに突き進んでいるかのように見えた。


 ノジールは大きくため息をつき、肩を落とす。

 もうこうなってはどうしようもない。あれだけ粘って駄目だったのだ。それだけ軍畑の意志が堅かったということだろう。

 二人の戦いは止められない。それならばせめて、とノジールは次の策に出る。


「うむ、軍畑がワシに逆らう日がくるとはなぁ」


「親分が頑固すぎるのがいけないんよ」


 今日の親分ちょっとおかしいで、と立飛が口を尖らす。

 この時ノジールは立飛に本当のことを話し、協力を得るべきかどうか一瞬悩んだ。

 しかし結局は話がややこしくなりそうだと口を閉ざしたままにした。今は何より場を整えるのが先決だった。


「だがこうなっては仕方あるまい。このノジール。ノワールのギルドマスターとして戦いの場を預かろうではないか」


 肝を据えたという風に仁王立ちで腕を組む。

 ノジールの作戦。それは戦いが止められないのならばせめて人目の無いところで戦って貰うということだった。そうすれば軍畑の『あれ』の目撃者も最小限で済む。


「二人の戦場はそうだな。ここなんてどうだ。広さ的にもここなら問題なかろうて」


 そう言いながらたった今思いついたとばかりに居間をぐるりと見渡す。

 実は前々からこうなることを想定してノジールはこの場所に目星を付けていた。

 ここならば自分一人が立会人になればそれで済む。


 どうだろう、と同意を求めて立飛に視線を促す。しかし立飛は眉を潜ませたまま黙ったままだ。


「何かこの場所では不都合でもあるかの?」


「う~ん、そうやないんやけどなぁ」

 と立飛は言い辛そうに口元を濁した。そのまま視線をノジールへと向ける。


「実はもう決闘場所が誰かに予約されてるみたいなんよ。そのせいで噂だけじゃ話しが済まなくなってもうてな。外に仰山の野次が沸いてしまったんよ」


 ノジールの中に嫌な予感が過ぎる。まさか軍畑が返事を出す前にそこまで手配を進めてくるとは。


「して、その場所とは?」


「それがなぁ、あの愚直なグラムはんからは想像できんのやけど」


 まるで秘密を打ち明けるように立飛が耳元で囁く。予想外の答えにノジールは思わず目を見開いた。


「アリーナだとぉっ」


 その声は居間全体に響き渡った。立飛たちひもその音量にぴくりと身を震わす。


「そ、そんなに驚くことかえ?」


 立飛の心配を余所に、これでノワールは終わりだ、とノジールは思わず空を仰いだ。

 しかしそこには開かれた空があるわけでは無く、己の命運を暗示するかのようにただ行き詰まった天井が暗く視界を遮っているのだった。


 この時二人の後ろで薄白い光が床に円を描いていたのだが、そのことに二人が気付くのはまだ先のことだった。

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