二巻 9話 グラムの訪問 その2
こうして、この瞬間をハチロウ視点で捉えればまるで破壊と終焉の始まりのようであった。
しかしグラムないし孝太にはもちろんそんな気はさらさらも無かったのは言うまでもない。
終わった、これで全部終わった。
孝太もまた自身の行いを目の当たりにし、気が遠くなる思いなのだった。
トレイとカップが己に飛んできたとき、孝太はそれを咄嗟に振り払おうとしたのは確かだった。ゲーム内で痛みの感覚がないことは分かってはいたものの、頭が理解するより先に体が動いていた。
孝太はフルダイブシステムのゲームを始めてまだ短い。
その間、なんとか不自由なく体を動かせるようになっていたが激しい運動や咄嗟の行動にはまだ慣れていなかった。
その結果が、あれだったというわけだ。
気が付くと自身の想像以上の速度で手をフルスイングしていた。
そのお陰で危うくカップが自身に降りかかるという事態は避けられていたが、いくらなんでもトレイを壁に突き立てるのはやりすぎだった。
突然の事態に発端であるアイは驚きに顔を染めている。
だが向かいに座るハチロウは分かっていたとでも言いたげに、その笑顔を一切崩さずにこちらに向けていた。
このままではいけない、なんとしても誤解を解かねば……。
孝太は別に攻撃ではないのだと、戦う意思はないのだと咄嗟に立ち上がろうとした。
そう、再び咄嗟の行動に出てしまったのだ。
立ち上がろうとテーブルに乗せた手はやはり加減を知らず、孝太がしまったと思ったときにはすでにテーブルを叩き割ってしまっていた。
激しい音を立てテーブルは木片へと姿を変えていく。
割れた固まりは左右に回りながら飛び跳ね、細かな破片がテーブルに着く二人の間で紙吹雪のように舞い上がった。
その光景はさながら舞い散る桜を前にした主人公とヒロインのようであり、コイン落下の合図を待つ早打ちのガンマン同士のようでもあった。
しかしそのどちらとも違ったのは、その後二人が何も動きを見せなかったことだ。
木片は床にぶつかり二、三回バウンドしたのち止まる。
このときお互いに目をひんむき、頭の中で思い思いの走馬灯を描いていたことは言うまでもない。
やはりどちらかに少し余裕が残っていれば、と悔やむ気持ちが沸き上がってくるが、ここまですれ違いを見せた今、それは無粋というものだった。
こうして完全な偶然と思い込みで生まれた勘違いはさながら線路に引かれたレールのごとく平行線の一途を辿るかと思われた。
しかしそこに交点はここだと指差す一筋の光があった。
アイである。
彼女は良い意味で『悠久の黄昏』の栄光もグラムの威圧も受けていなかった。
またそれ以前に事の発端が自身にあったために負い目を感じていた。
そういった事情により今の出来事を、驚きを覚えながらもこの二人より冷静に見ることが出来ていたのである。
「あ、あの、すみませんでした」
二度の激しい衝撃からアイはいち早く立ち直った。カップを壁に突き刺し、テーブルを叩き割ったグラムにおずおずと声をかける。グラムの威圧が無いにしても、さすがにその声は震えていた。
「いや、違……僕はそんな……」
話かけられたことによりグラムもとい孝太も意識を取り戻す。とはいえ冷静さは完全に失ったままだった。首を小刻みに横に振りながら怯えるようにアイから距離を取ろうとする。
そして、無意識に後ろに下がったがためその背中が意図せず壁にヒヤリと触れた。
孝太はその感触に驚き、後ろを振り返ろうとした。結果、叩き壊すというまではいかなかったものの、壁に腕を強く叩き付けてしまう。
もうこれでは完全に言い訳がたたない。グラム
「いや、これも、その」
「あの……もしかして」
壁にすり寄り追い込まれたかのような仕草を見せるグラムにアイは不思議そうに声をかける。
突然のことに驚きはしたものの、元を辿ればアイが悪いのだ。それなのに相手は叱られる前かのように怯えきっている。
さらには先ほどからの挙動。
自らの意思で暴れているというより、まるで体がいうことが効かないかのようにアイには感じられていた。
訪問時の対応。そしてこの違和感。不自然さ。
ここでアイは自身の経験からある仮説。答えに辿り着く。
アイは閃きのまま怯えるグラムの前に歩み寄った。後の無いグラムは少女を警戒の目で見つめる。
それはまさに蛇に睨まれた蛙の様であった。本来はここにナメクジが加わることで三すくみの図が完成するのだが、等のナメクジは絶賛走馬灯の彼方を遊泳中だった。
「じゃんけんぽんっ」
否、そうではなかった。
丁度アイがその言葉を発したとき、地中から這いずり出るかのごとくハチロウは目を覚ましたのだ。
誰の言葉だったか、ヒーローは必ず遅れてやってくるものだという。
この物語の主人公であるハチロウはそんな資質に導かれ、絶好のタイミングに間に合うことが出来たのだ。
「アイっ」
ハチロウは顔を上げ、何が起きたのかをすぐさま確認する。
アイはハチロウに背を向けて立っていた。さらにその奥、壁を背にアイと対峙するグラムは今にもその太い腕を振り下ろさんとしている。
そんな状況にハチロウの体は意識するより早く動いていた。椅子を後方へと蹴りだし、勢いのままアイとグラムの間に割り込もうとする。
しかし腕を振り下ろすのと走り寄るのでは断然前者の方が早い。
ハチロウの足が二歩を数えたとき腕はすでに振り下ろされていた。幸いその一撃はアイの手前に落とされ事なきを得たが、いつその衝撃がアイを襲うか分からない。
――あと少し。
ハチロウは腕を精一杯に伸ばし距離を縮めようとする。その指先がアイへと触れようとしたとき、二人もまた同時に動いていた。
「あっち向いてホイっ」
アイがその言葉を合図に指を左に振る。それに合わせグラムが体ごと左へと吹き飛んだのだ。
一人の少女が自身の二倍はあろうかという巨体を投げ飛ばせるはずがない。それはまさに何かの魔法を使ったかのようだった。
その光景をハチロウも目でしっかりと捉えていた。何が起きたのか考えようとし、思考を中断する。今は何よりもアイを助けるのが先決だった。
今助ける、そう思った瞬間、ハチロウの横っ
直後グラムの拳が鼻先を掠める。あまりの勢いにハチロウの前髪の数本がはらりと舞った。
鞭を振るったような風切り音が中空を横切る。
グラムはその勢いのまま床へと倒れこんだ。だが顔には怒りや怯えはなく、何をされたか分からないという驚きの表情だけを浮かべていた。
「やっぱりそうだ」
アイはその様子を確認し、満足そうにうんうんと頷く。
アイはグラムの言動や行動にある種の懐かしさを感じていた。最初はただの偶然だと思っていたが、怯えたグラムを見たことによりその懐かしさの正体に気が付いたのだ。
所謂フルダイブシステムの不慣れである。
コントローラーを使う従来とは違い、脳で操作するフルダイブではその勝手が大きく違う。
慣れてしまえば平気であるものの、最初のうちはゲーム酔いや現実との誤認など色々と問題を抱えることも少なくなかった。
そしてそんな『初心者あるある』の一つに「無意識による突発的行動」というものがあった。頭で意識している分には思い通りに動かせるが、驚くなどの咄嗟の動きをとろうとすると必要以上に体が反応してしまうというものだ。
グラムに感じた懐かしさ。それは正に自身が半年前に経験したものと同じなのではないかと、アイはそう思い至ったのだ。
アイはそれを確認するためグラムに『あっち向いてホイ』を仕掛けた。
そしてその結果、思惑通りグラムはものの見事に横に吹き飛んでいったという訳である。
アイは頷き終えると確信めいた声で言い放つ。
「ハチロウ、この人まだ咄嗟の動きに慣れてない。ワームギアの初心者さんだよ」
その言葉にグラムはハッと顔を上げる。起き上がらせた体をピクリと震わせたかと思うと真剣な面持ちとなりアイに再度向き合った。
その顔にはすでに怯えや驚きはなく安堵に包まれていた。
「はい、その通りです」
答えは短く簡潔だった。その言葉の響きには厳格さや重みはなく、一息付いたような安心が感じられた。
ログインしてからここまでの長い道のり。紆余曲折、山あり谷ありではあったがようやく彼は辿り着くことが出来たのだ。
孝太の中に長いこと忘れていたクリアの喜びとある種の寂しさが呼び起こされていた。それらが今このときと混じり合い、複雑な面持ちを作り出す。
グラムの厳しい表情は今やどこかへ消え、そこには親しみのある表情が生まれていた。
アイはそんなグラムの顔を見つめ、満足そうにハチロウの方へ振り返った。
「そういうことみたいだけど……ハチロウ聞いてる?」
うわっ、といつの間にか真後ろに立っているハチロウに気付きアイは思わず飛び退いた。しかしハチロウはそんなアイに反応一つ返さない。
「ハチロウ?」
アイは
ハチロウは今回決して逃げなかった。足を踏ん張り歯を食い縛り、震える体をも押さえつけて何としてもこの場に残り続けようとした。
レースの頃とは明らかに違う。今回のハチロウには強い意思があった。
アイをなんとしても守り抜く。
そしてそんな決意はハチロウにある種の奇跡を呼び起こしていた。
「き、気絶してる!?」
アイは驚きのあまりその場にへたれこむ。
ハチロウは仁王立ちのまま、完全に気絶していたのだ。アイを見つめていただろう瞳は白目を剥き、生気がまったくない。
その姿はさながら弁慶を思わせたが、顔はすっかりビビった表情で固まっているためそこに凛凛しさや迫力というものは皆無だった。
グラムが吹き飛んだ際に見せたフルスイング。あの一撃は間一髪のところでハチロウに直撃することはなくライフを削り取るということはなかった。
だがその迫力はハチロウの意識を奪い去るには十分だったのだ。
本来ワームギアはぽんちょぶやゲンさんの事例を見て分かるように、外的要因や意識が途切れれば自然と強制ログアウトされるようにプログラムされていた。
しかしなんとしてもここに残り続けるというハチロウの覚悟がそれを拒み
そして意識が途切れるその瞬間、ハチロウのその強い決意がシステムを凌駕したのだ。
結果ハチロウはこうしてログアウトされず仁王立ちのまま気絶するに至ったという訳である。
それはハチロウが、この物語の主人公が、やっとの思いで掴み取った奇跡であることには変わり無かった。
「ハチロウ、目ぇ覚まして」
アイはハチロウに必死に揺さぶる。グラムもとい孝太はそんな二人をポカンとした顔で眺めるのだった。
そう、例えその奇跡の姿がダサく情けなかったとしても……。
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