二巻 4話 アイとざくろちゃんの出会い
幾重もの片道切符の散歩を繰り返した結果、アイはオートエイムを備えるモンスターとそのエイム範囲が何となく分かるようになってきていた。
こいつは見つかると追ってくる、こいつは匂いで察知するから風上へ回るなど、死に戻りのためレベルも上がらず森のマッピングも進まなかった訳だが、何も成果が無いわけではなかったのだ。
そして今日もそんな、役に立つのか分からない彼女特有のスキルを駆使してアイは森の奥まで進んでいた。
アイが森を散歩することに特に深い理由はなかった。アイにとって散歩は行けるところならば何処でも良かった。ただアイはこの世界を、待ち人の生きたこの場所を歩いて回りたかったのだ。
アイは散歩の所々で立ち止まっては、ここにも彼方が来たのかな、とその姿を想像したり木や植物の感触を楽しんだりしていた。
だから今日は北に行ってみようというのも、棒切れを倒すようになんとなく決めたにすぎない。アイは散歩を行う毎に目的地を定めていた。その方が散歩にもやる気が出るからだ。
ただ、その目的は死なないでどこまで進めるかという身投げのような計画ではあったが。
このことをあの黒服が知ればまたある種の衝撃を受け、うち震えていたに違いない。しかし思いの外モンスターに見付からず森の奥へと進めたアイの周りには黒服どころか、すっかり誰の気配も無くなってしまっていた。
そんな彼女が森に違和感を覚えたのは散歩に出て一時間ほどたった頃だった。
アイは草木や地面が先程より幾分濃くなった様なそんな感覚に囚われた。それはあたりに生えていた木が広葉樹から針葉樹に変わったことによるものだったが、アイにはそこまで考えが至らなかった。
ただ雰囲気が変わったことにより警戒心が高まり自然と歩幅も小さくなる。どうやら霧も出てきたようだった。薄くではあったが視界がボヤけてきているような気がしていた。
それでも止まることなく奥へと進み続けるとすっかり視界は白一色に包まれ、数メートル先を確認するのも困難な状態となってしまった。
今日はこれだけ奥に進めたんだからたまには歩いて帰るのも良いかもしれない、アイはそう思いながら後ろを振り返り、眉を潜めた。
行きとは違い戻りのルートは複数に別れていたのだ。霧の中をただ闇雲に歩き続けていたため、アイにはどの道筋から来たのかさっぱり分からなくなっていた。
ようは迷子になったのである。
マップを確認するもやはり自身がどこにいるか分からない。アイは直感に頼り、えいやと適当な道を進み始めた。
そしてさらに森をさ迷うこと数十分。このままでは埒があかないとアイが頬を膨らましたとき、不意に首筋にピクリと何か走るものを感じ取った。
幾度の経験でアイはこの感覚がなんであるか理解していた。
それは死の予感だった。
いつの間にかモンスターに見つかってしまっていたらしい。せめて殺される前に姿だけでも確認しておこうと、アイが体ごと後ろを振り返る。
目に飛び込んできたのは巨大なカマキリのようなモンスターが今にも腕の大鎌を振り下ろそうとしている瞬間だった。
アイにとってこの世界での死に対する恐怖はすでにひどく
しかし、今さらアイに抗う理由も
その死は瞬時に訪れるはずだった。
暗闇の中に僅かながらの閃光を感じアイは恐る恐る目を開ける。
本来であれば死亡を告げる音声が流れ、目の前には転移先の神殿の光景が広がるはずだった。
だが目の先に見えたのは、三等分に両断されたモンスターの死骸とその奥に高所から着地したかのように背を向けてひざまずく少女の姿だった。
アイが呆然としていると少女の襟元で切り揃えられた黒髪がはらりと揺れ、顔がこちらに振り向く。
和服姿におかっぱ頭、そして両手に握られた短刀。
まさか、とアイは手を口許に当てる。
何度も記事で見ていたのだから見間違いようがない。そう、それは話題のあの人物、ざくろちゃんだった。
「こんなところで何してる?」
少女はアイの方へ近づきつつ尚も続ける。
「お前のレベルだとこの辺は危険だ。さっさと戻った方がいい」
「あ、えっとはい」
二言目でようやくアイは自分に話しかけられているものだと気が付く。しかしまだ現状を飲み込めず、しどろもどろだった。
少女がアイの目の前へと立つ。少女の身長はアイより少し高い程度のものだった。そのため自然とお互いの顔を正面から見つめ合う形になる。
霧に包まれた森の中で見つめ合う黒髪と金髪の二人の少女。絵画を思わせるその神秘的な光景に、割り込むことは無粋だというように森も静まり返っていた。
アイは何か言わなければと思った。だがその口許は乾いたように重く、先に動いたのはざくろちゃんの方であった。
ざくろちゃんの腕が上がりバサリと裾が音を立てる。アイは思わず肩すくめ目を閉じた。そして恐る恐る目を開けると森の一方を指差すざくろちゃんが目に入った。
「何ボーッとしてる、帰りはこの先を道なりに進め」
道中のヤバそうなのは一通り刈っといてやるから、と
「は、はい」
アイは雰囲気にのまれ、背中を押されるように道を歩き始めた。そこで今さらながら自分が救われたこと、さらには今も助けられようとしていることに気が付いた。
進めていた足が自然と止まる。
ざくろちゃんがどうしたのかと眉をひそめる。アイはそんなざくろちゃんに構わず彼女の方をくるりと振り返った。アイには伝えるべきことと聞きたいことがあった。
「どうした? さっさと行け」
「あの助けていただいて、ありがとうございました」
アイはさきほどの感謝を伝え、頭と両手をペコリと下げる。
「あぁ」とざくろちゃんも今更気付いたかのように頷く。
アイはその返事を聞くか聞かないかの間で立て続けに質問を重ねる。お礼以上に頭の中はある疑問で一杯だった。
「あの、なんで私を助けたんですか?」
その疑問は至極当然だった。アイはざくろちゃんのことを一方的に知っているとはいえ完全な初対面なのだ。加えてざくろちゃんが誰かを助ける、それどころか口を開くということすら初めてかも知れなかった。
その返事はすぐに返ってくると思いきや中々返ってこなかった。
アイは顔を上げざくろちゃんの顔を見つめる。当のざくろちゃんはアイの言葉に驚きの表情を浮かべた。そしてその顔は何故かだんだんと罰の悪いものへと変わっていく。
「まぁなんだ……その……何となくだ、何となく」
その答えは顔の変化と同様、ひどく煮えたぎらないものだった。
「何となく」
アイも良く分からないという風にざくろちゃんの台詞を拾い上げる。
「そうだ何となく気の迷い、いや、思い違いのような……」
口ごもるざくろちゃんにアイはもしかして、と名案とばかし手を叩きに自身を指差した。
「もしかして私が『悠久の黄昏』だからですか」
だから助けてくれたんだ、そうに違いない、と提案なのか決定事項なのか分からない顔でアイは一人うんうんと頷く。
レースの経験で自身のギルドが特別でも何でも無かったことは理解していたはずだったが、新規で訪れたざくろちゃんなら自分と同じ勘違いをしているかもしれないとアイはそう思ったのだ。
「誰があんなギルド……あ、いや、あぁそうだ。つまりそういうことだ」
ざくろちゃんは危うく何かを言いかけその場を
「そっかぁ、そっかぁ、でもなんか照れるなぁ」
えへへへ、と不気味な笑いを浮かべ妄想の世界に浸っていた。
このまま話続けても埒が明かないと感じたのか、ざくろちゃんは照れるアイの前から瞬時に姿を消した。森の茂みが音を立てて揺れる。
「光栄なんだけどでもね、ざくろちゃん実は……」
あれ、とアイが気付いたときにはすでにざくろちゃんの姿はどこにも見当たらなかった。きょろきょろと辺りを見渡すアイに森のどこからか声が響く。
「とにかく助けたぞ。あとは指示通りさっきの道を進めば見慣れたところに出るはずだ」
助けた命、無駄にするなよ、という声を最後に気配は完全に消え、辺りには来たとき同様アイ一人だけとなっていた。
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