二巻 2話 彼と彼の路地裏同盟

「一体なんだんだよ」


 人々が目の前から瞬時にいなくなったあの後、孝太はこのまま外にいては騒ぎになると、一旦ホームへと引き返していた。

 扉を背中越しに閉めて自分を落ち着かせる。

 一声掛けただけであの反応。孝太はその時点で自分の扮するグラムがこの世界でかなり有名であることを理解していた。

 しかも、それがあまり良くない方向でだ。


 このままゲームをログアウトしてしまっても良かったが、孝太はせっかく始めたゲームを文字通り玄関だけ覗いて帰ることなどしたくはなかった。

 それに加え、雄二叔父さんが一体この世界で何をやらかしたのかと、俄然がぜん興味が湧いていた。

 しかしそのためにはやはり先程の問題にぶち当たる。


 窓ガラスに写ったグラムは岩石のように鍛え上げた筋肉と長身、赤いたてがみという遠目からでもかなり目立つ格好をしていた。

 このまま外に出れば、仮に誰に声をかけなかったとしても、また同じような事態を招きかねない。

 初めて触れる世界で孝太はなるべく悪目立ちはしたくなかった。


 そこで孝太はまずこの格好をなんとか隠すことができないかと考えた。

 この身長は無理にしてもローブやフードで全身を覆えば、ある程度は誤魔化せるかもしれないと思ったのだ。


 システム上確認しようと思えば相手の名前とレベルは簡単に表示できるのだが、孝太はもちろんその原理を知らなかった。

 そして原理どころかその方法すら知らなかったことが、この問題を大きくしてしまう。


 孝太は手始めに胸当てを外そうと体に触れ違和感を覚えた。装備が外れないのだ。

 鉄の胸当てを両手でいくら引き剥がそうとも、体の一部のようにひっついてまるで離れる気配が無かった。

 あぁでもないこうでもないとしばらく悪戦苦闘し、孝太は一つの結論を導き出していた。

 それはつまりこれはゲームだということだった。胸当ては体に着ているのではなく、装備している状態なのだ、と。

 これを外すには力付くではなく、装備を外す命令をシステムに送らなければならないのだろう。

 そう思ったとき、孝太はハッとした。


 フルダイブでシステムを呼び出すにはどうすれば良いんだ?

 そもそも、装備の変更だけでなくこのゲームの終了方法、つまりログアウトの仕方も分からない。

 孝太の顔に自然と青みが差す。


 本来ワームギアは初めて装着した際や新規アカウント作成時にシステムの使用方法の説明が行われる仕様となっていた。

 しかし孝太のものは叔父さんのお古であり、またIDも既存のものを使用したためその説明はスキップされていたのだ。


 孝太は昔友達にすすめられたアニメでオンラインゲームの中に閉じ込められて出られなくなった少年の話を思い出した。

 彼は結局どうやって脱出したのだっけ? もしや自分も同じ境遇に置かれてしまっているのでは……と背中に嫌な汗が流れる。


 誰かに助けを求めなくては、と孝太は考え、そこでさらに不味い状況に置かれていることに気が付いた。

 ここはオンラインゲームの世界なのだ。なので本来であれば困ったことがあればすぐにでも聞くなりすることが出来る。


 ところが肝心のログアウト方法を聞こうにも今はこの姿だ。

 街行く人は声を掛けただけで逃げ出してしまう。到底助けを求めることは出来そうになかった。

 つまり孝太がこの世界から脱出するためには街中を歩き回りグラムの知り合い、あるいはグラムと対等に渡り合える強者を見つけ出すほかなかった。


 孝太は状況を整理し、ため息と共に窓越しに外を見つめた。孝太扮するグラムが表からいなくなったことで段々と通りに人々が戻り始めていた。


 また、どうやってもあそこに出なければならないのか。

 孝太はさきほどの人々の悲鳴を思い出す。あれは一人のプレイヤーに会った反応とはとても思えなかった。まるで殺人鬼か化け物でも見たかのようだった。

 本当に雄二叔父さんはこの世界で何をしていたんだ? ゲームをする雄二叔父さんの懐かしい姿が頭を過る。


 ログアウトも出来ず、右も左も分からない世界でグラムと対等に話すことの出来る存在を見つけなければならない、絶望的とも思える今の状況。

 だがそんな中でも孝太の心は折れていなかった。むしろその逆の状態とも言えた。


 雄二叔父さん、久々だってのになかなか難易度の高いゲームを貸してくるじゃないか。

 孝太は雄二叔父さんの姿を思い浮かべ、ため息混じりにニヤリと笑う。


 孝太は今の自分自身を楽しんでいた。与えられた苦難を一つのクエストのように認識していた。

 孝太は元々それほどポジティブな考え方をするタイプではない。

 雄二叔父さんとの過去にあるように言葉の一つ一つを悪い方悪い方へと思い込みがちだった。


 そんな孝太がこうして前向きに立ち向かえているのは、やはり雄二叔父さんの存在が大きかった。

 フルダイブは初めてだったが、この体が馴染み初めることにより孝太は理解していた。

 これは雄二叔父さんのやっていたゲームだと。


 雄二叔父さんが何を思いこのゲームをやっていたのか知りたい。雄二叔父さんの軌跡きせきを辿りたい。

 その思いが孝太の心を前へ前へと押しやっていた。


 このままホームにいては埒が開かない。孝太は意を決する。

 胸当てを外すことを諦め、被れそうなものを探す。幸いなことに手で押さえていれば装備しなくとも布を被ることが出来た。

 孝太は白いカーテンを外し、それで全身を覆う。


 準備が整い、再び扉の前で息を整える。

 そうすることで孝太は急になんだか懐かしい気持ちになった。それは雄二叔父さんから借りたゲームを初めて起動させた時のワクワクした気持ちと同じだった。

 扉を堂々と開く。表にその姿を表すことで何事かと人々が注目したり逃げ腰になったり小規模な騒ぎが起きる。


 だが今度の孝太は慌てたりしなかった。

 カーテンのローブを着込んだまま人気の無い路地裏へと目標を決め、一気に駆け抜ける。

 そのまま後ろを振り向くことなく孝太は街の裏へと姿を隠した。



  ♯



「ひ、お、お助けぉぉぉぉ」


 四つん這いになりながら鬼の形相を持つ大男は、その姿に似合わず情けない声と共に逃げていった。

 去った後にはなぜか金貨や金目のものであろうアイテムが投げ出されていた。

 このままでは勿体無いのと孝太はそれをそそくさと拾う。


 また違った。これで何回目だろう。

 そして路地裏の壁に囲まれた狭い空を見上げため息を付くのだった。



 孝太がホームを出てからすでに二時間が経過していた。

 孝太は人に見付からないように人気の無い路地裏を慎重に選んで進んでいた。そのため再びあのような騒ぎを繰り返すという事態には至らなかった。この街の路地裏は広く、道も無数に延びていた。

 孝太は何もただ闇雲にここへ逃げ込んだわけではなかった。

 あくまで路地裏にいるのも身をひそめるためでなく、グラムの知り合いを探すためだった。


――見つけた。


 角から向こうに見付からないようにこっそりと顔を出す。

 丁度曲がった先の細い路地。そこに如何にも悪そうな面構えをした三人組がたむろって何やら話していた。


 グラムに対するあの街の人々の反応。あれはどう見繕うとも悪評としか言いようがなかった。

 孝太には雄二叔父さんがそのようなプレイをするとはとても思えなかったが、現状がそうである以上、認めなければならない事実だった。

 加えてこの顔である。今は孝太も自身の顔に慣れてきてはいたが、最初の一時間は硝子ガラスに写る自身の顔を見る度にビクついていた。

 この鋭い眼光と険しい皺の数々。これらの顔のパーツは相手を威嚇するためだとしか考えられなかった。


 あの世間の悪評っぷりと、威圧感のあるこの姿。

 雄二叔父さんが追い剥ぎ、もしくはヤクザのようなことをしていたのかもしれない。

 孝太はそのような結論に行き着いていた。

 そして、それならば、とさらに推測を進ませる。

 連中のいそうなところに行けば、或いはグラムの仲間を見つけられるのではないか、と。


 悪い奴は人目を避け路地裏にいる。安直な思考だったが、孝太の思惑通り少なからずそういった連中を見付けることが出来た。

 だが思惑通りにいったのはあくまでそこまでだった。


「おい、そこのお前ら」


 孝太はカーテンを全身に巻いたまま三人の前に姿を表した。普段は使わない強気な口調を心がけ声をかける。悪そうな輩を相手取るのだし、何よりこの野太い声ではいつもの喋り方では格好が付かなかった。

 最初は慣れなかったものの、この体で動くにつれ段々と自然に発せられるようになってきていた。

 声をかけられ三人は面倒臭そうに視線を投げる。


「俺たちに何か用か? てかなんだそのふざけた格好は」


 孝太の異様な姿を前に、そのうちの一人が明らかな喧嘩腰で立ち上がった。残り二人はショーを前にした観客のようにニヤニヤと笑っている。

 その一人はそのままふらふらと孝太に近寄り、眼前で立ち止まった。顎を精一杯付きだし牽制けんせいにかかる。


 普通ならその反応にビビるなり威嚇いかくし返すなりしたかもしれない。ところがこの時孝太は、これなら可能性が出来そうだ、と心の中で期待を膨らませていた。


「こちとら取り込み中なんだよっ、道化がしてえならあっち行きやがれ」


「時間は取らせない。俺の聞きたいことは一つだけだ」


 相手の威嚇をものともせず孝太は顔の部分の布を取り払う。フードに押さえ込まれた赤いたてがみがもっさりと立ち上がった。


「俺のことを知っているか?」


 そう言いながら相手の顔をうかがう。その表情の変化を見て、孝太はすぐにまた失敗したと察した。この後の展開が手に取るように分かった。


「す、すすすすす……」


 あれだけ意気がっていた相手はその場にへたれ込み、孝太を見上げたまま後退りを始める。観客を決め込んでいた奥の二人も巻き込まれては堪らないと、すでにこちらに背を向けていた。


「すみませんでしたぁぁ、許してくださぃぃぃぃい」


 そうして何度目か解らない光景が孝太に目の前で繰り広げられた。

 三人は一目散に孝太の前から逃げていったのである。

 もちろん金目の物をその辺にばらまいて。


 孝太は黙って彼らを見送ると、ため息を付き散らばった金銭を回収し始めた。

 しゃがみこんで一枚一枚を拾うその姿はなんとも似つかわしくなく、この光景を見れば 彼らも少しは心に余裕が生まれたのかも知れないが、等の本人達はすでに何処かへ消えており、二度と現れることはないのだった。


 孝太は一回目の経験で落とされた金やアイテムが時間と共に消えてしまうことを知っていた。

 消えてしまっては返すことが出来ない。これらの投げ出された金銭は何かの勘違いなのだ。そこで孝太は毎回落とされたものを全て回収することにしていた。

 すでに手元には抱えきれないほどのアイテムや金貨が貯まっていた。もちろんこれらもシステムを通せば手に持たずとも仕舞うことが出来るのだったが、孝太はシステムの呼び方が解らない以上、それは無理な願いだった。


 しかし、と孝太はふと思う。

 路地裏で布を頭から被り、片手には金目のものをどっさり。

 これはグラムの知名度や顔の恐ろしさ云々をおいてしても、強盗や追い剥ぎに見えてしまうのでは、と今更ながら孝太はこの方法の問題点に気が付いた。


 何気なく後ろを振り返ると、孝太の予感を証明するように一人のプレイヤーが足早に去ろうとしているところだった。


「ひっ」


 見られたことに気付くとそのプレイヤーも他と同じく金目のものを投げ出して全力で逃げていってしまった。孝太はその背中を見送りながら肩を落とす。


 手段を変えた方が良いかもしれない。

 そうしてトボトボと当てもなく歩いていると、その先で路地は途絶え、大通りに面しているようだった。多くの人が行き交っているのが見える。

 そして咄嗟とっさに方向を変えようとした孝太の目にあるものが止まった。


「あれはなんだ?」


 大通りの中央、そこには巨大な石碑のようなモニュメントが建っていた。街の人はそれを気にすることなく前を通りすぎていく。


「何やら文字が刻まれているようだけど」


 人に見つからないようにこっそりと角から顔を出す。遠くてよく解らないが名前が書かれているようだった。

 またその横にはリストのように数字が振られており、数字は下からの連番となっていた。


 孝太そこである予感から、雄二叔父さんに説明されたことを思い出す。一番上に書かれた数字は教えてもらった階層数と確かに一致していた。


「ということは……」


 孝太はもう一つの手段を閃きにんまりと笑う。

 そう、何も見付けるべく相手は知り合いに絞る必要はないのだ。話を聞いてくれるグラムと渡り合える存在であればそれで良い。

 孝太は一瞬顔を出し、一番上に刻まれた名前を確認した。


「悠久の黄昏」


 そして、その名を忘れぬよう頭に刻んだのだった。




  ♯ ♯ ♯




「ふっ、この街も薄汚れちまったな」


 壁に覆われた狭い空の下に一人の男の姿があった。

 彼は全身を黒い装備で固めていた。しかしそこに中二病的な漆黒しっこくへの憧れのようなものはない。

 装備は全体的にくたびれており、その姿はさながら疲れきったチンピラかヤクザの体をかもし出していた。


「昔はこんなんじゃなかったのによ……」


 そう言いながら新しい煙草に火を付ける。

 目の前には多くの吸い殻が散らばっていると思いきや、吸い殻はきっちりと手前の携帯灰皿に仕舞っていた。その辺抜かりはない。

 山積みとなった吸い殻を前に、もとい吸い殻の溜まった携帯灰皿の重みを確かめ、黒服はため息を付く。


「違う、こうじゃない。一体何が違うんだ」


 黒服はそうして大きく頭を振った。

 その瞬間、くたびれたチンピラの空気は霧散むさんしていく。残ったのはすれ違っても印象に残らないようなごく普通の男の姿だけだった。


 この黒服はリアルで役者を生業なりわいとしていた。いや、しようとしている道の途中だった。

 黒服は過去にその夢を無謀だと諦めていた。しかしこの世界でのある少女と出会いによって再び夢を追いかけると決意したのだった。


 そんな彼がこの世界で何をしているかというと、まさに演技の練習であった。

 黒服は昔に辞めた劇団に、再度入団出来ないかと頭を下げに行っていた。一度道を諦めたものにチャンスがあるほどこの世界は甘くはない。そのまま話を聞いてもらえず門前払いにあうと思いきや、彼の真剣な態度を前にし、劇団は一つの入団テストを出したのだった。


 それがさきほど黒服の演じようとしていたチンピラの役である。

 丁度劇団側も次にやる劇の人手が足りず困っていたのだ。


 そのチンピラはメインどころかものの五分も出ないようなちょい役であったが、黒服は心から喜び役に真剣に取り組んでいった。

 昔の彼は自分の演技に自信を持ち、その分プライドも高かった。そのため、以前であればメイン以外の役に目を向けようとはしなかった。


 そんな過去を知っている団員達は黒服の心変わりように驚きを隠しきれなかった。

 最初の抵抗感もどこかへ消え、一緒に練習を始めて数日にも関わらず、団員達は彼を再び仲間として受け入れる心構えが整い始めていた。


 だがそこに待ったをかける人物がいた。

 この劇団の団長である。団長と黒服は昔からの無二の親友であった。そんな関係だったからこそ、簡単に許すわけにはいかなかったのだ。


「ダメだ、お前の思いが全然伝わってこない」


 黒服の演技に団長から叱咤しったの声が飛ぶ。

 団員達が何も問題はないではないか、と困惑の空気を見せる中、団長は彼の前に歩みより尚も続ける。


「お前はなんのために一度この道を諦めたんだ? その時何を思い、何を得たんだ?」


「俺の得た……もの?」


 黒服は放心しながら己の手のひらを眺める。


「俺がお前に求めてるのはそんな普通のチンピラじゃあない。まさに一度道を踏み外したお前にしか出来ない、お前だから出来るチンピラを求めているんだ」


「俺は俺は……」


 そのまま団長に肩を叩かれる。黒服の体は震え、声は涙混じりとなっていた。団長も目元に溜まるしずくを堪えるように目をぎゅっと閉じている。


 そんな緊迫した二人のやり取りを、団員達は何処か懐かしむように見守っていた。

 この二人は昔から感情に流されやすい、というよりはありがちな場面に遭遇すると、過剰にその場の役を演じてしまう面倒な癖を持っていた。

 片方ずつならば問題は無かったが、二人揃うとお互いに演技を増長させてしまうきらいがあった。

 だからこそ馬が合い、無二の親友でいられるのかもしれない。


「いいか、やさぐていた頃の気持ちを思い出すまでここに戻ってくるな。それが出来ないなら、二度とこの敷居をまたげると思うな」


 団長の言葉に黒服は出口に向かって一直線に走り出していた。団長は誰も追いかけようとしていないにも関わらず、制するように片手を横に広げる。


「お前達の気持ちはよく分かっている。だけどここは追わないであいつを信じてやってほしい。あいつは絶対に戻ってくる」


 そう言いながら、もう片方の腕を目元に押し当てていた。

 少しの間その姿勢でいたかと思うと団長は団員達へと振り返った。その目と鼻はもちろんのことながら赤く腫れていた。


 二人の迫真の掛け合いを見届けた団員達は、黒服が帰ってきたときに団長と抱き合い、それでこの茶番劇もとい入団テストが終演するのだなと一安心するのだった。



 一方そんな劇団の空気をつゆ知らず、困り果ててしまったのは劇団を飛び出した黒服であった。

 劇団を辞めたときに得たもの、気持ちといっても何も浮かばなかったのである。


 演じることを辞めたのも潮時かなと思っただけで深い理由は何も無かった。

 また、そうしたことで生活が一変したかというと、そんなことも特に無い。ただ劇団に通っていた時間をそのまま全てゲームにつぎ込んだだけだった。


 夢を諦めゲームに没頭している。それだけ聞けば、確かに破綻はたんへと物語が走り出しそうな予感がしなくもない。

 しかし、残念なことに黒服がプレイしていたのはエピローグを迎えた此処、ダイアフラグであった。


 新しいものは何も生まれず、ひたすらに続いていく日常の世界。


 プレイ時間が増えることで受付や司会などの雑務を任される機会は多くなったが、それ以外に変化があったかとすれば答えはノーだった。

 黒服はゲームの中の日常を平凡に生き続けていただけなのである。


 このままでは団長に会わす顔がない。

 行き詰まった黒服が救いを求めたのはやはりダイアフラグの中だった。

 こうしてこちらの世界で、やさぐれた雰囲気を味わえば何か掴めるかもしれないとそう思ったのだ。


「何かが違う。しかし何が違うんだ」


 そう呟きながら頭をき、狭い路地裏をぐるぐると回る。

 路地のあまりの狭さに上手く円を描くことが出来ず、遠目からだとまるで床屋のポールのように体を回転させているだけに映るのだが、今の彼にそんなことを気にする余裕は無いのだった。


 チンピラ、やさぐれ。それらワードから彼が思い至ったのは路地裏でこうしてそれらしく振る舞うことだった。

 現実のそれでも良かったのだが、向こうでは本当に危険な目に合わないとも限らない。

 その辺ここダイアフラグは安全だった。クリアという目的の消滅と人口の低下により、わざわざ危険を犯してまでプレイヤーを襲う人物もメリットも無くなってしまっていたのである。


 まだクリアされる前のテイルズの時代であれば、こうして一人で路地裏に出向くことは何をされても文句の言えない無謀な行為であったが、今は整備された観光地よろしく、どこを歩くのにも危険な目に合う可能性は皆無だった。



 しかしそれで路地裏から人気が無くなったかというとそういうわけではなかった。


 グラム扮する孝太が幾人かと出合えたことから分かるように、この世界の路地裏はエピローグを迎えたときから、ある一定層の人気スポットと化していた。

 道を外れたことの無い真面目な、悪い言い方をすれば気弱な年頃の学生達からである。


 誰にでも反抗期があるように、彼らは道を外れるということに人なりの興味を持っていた。

 しかし悪いことをするのも危険なところに踏み入れるのも、その一歩を踏み出す勇気がなく悶々もんもんとした日々を過ごしていた。

 そんな彼らにここはうってつけの場所だったのだ。


 幾重にも入り組み迷宮のように続く狭い小道。高いへいに囲まれ、日の指すことの影の世界。

 彼らの中二心が擽られないはずがなかった。


 当初、彼らは悪さを求めて当てもなくふらついたり、意味もなく数人で集まって座り込んだりしていた。しかし、その楽しさも意味も見出だすこと出来なかった。

 そして道を外すふりをするために集まったとはいえ、やはり彼らの根はひどく真面目だった。

 路地裏が悪の巣窟そうくつから勉強会の場へと姿を変えるのにあまり時間は掛からなかった。

 青空教室もとい、路地裏教室はこうして誕生したのである。


 二年の月日を越え、学業を終えた者も離れることなくOBとしてサポートに回っていた。

 春になると新たに受験シーズンを迎えた悩める学生の肩に手を回し、恐喝の如く路地裏へと引き連れていくその姿は、もはやこの世界の風物詩とまでなっていた。


 孝太は路地裏には悪いやつが集まっていると予想していたが、その点、的を大きく外れていたのである。

 孝太が声を掛けた三人も意味もなくたむろっていた訳ではなかった。悩める学生の性分として恋の相談をしていただけだったのだ。

 路地裏教室は学生の集まりである以上、学問と言う知識の泉をうるおす以外にも、時にはそうして恋話に水をやり、花を咲かせることも少なくなかった。

 彼らがからんできたのも立ち聞きをされていたと勘違いしたからに過ぎない。


 もっともこの三人が半年間、路地裏教室に、というよりはこのゲームに戻らず、それによって志望校を下げるはめになったことはまた別の話である。



「あー考えるのは俺の性に合わん。頭がくらくらしてきた」


かくしてこの黒服は、そんな路地裏教室の軒先で体を回転させながら頭をうんうんとうならしていたのである。


「そこのもの、ちょっと訪ねたいのだが」


 そんな黒服の奇妙な行動を教室の面々がスルーしていく中、声をかける変わり者があった。

 黒服は回るのを止め声の方へと顔を向ける。そこには全身に白いカーテンを巻き付けた長身の人物が立っていた。

 黒服には分からないだろうが、グラム扮する孝太である。

 これまでこの姿を見た者はその奇怪な出で立ちに警戒心を強めていた。しかし黒服はその姿に妙な親近感を覚えていた。


「どうした。そこいく旅人よ」


 黒の装備で固める自分に対し、全身を白いローブで覆う色のコントラスト。何よりも何かが生まれそうなこの路地裏での邂逅かいこう

 黒服の中の演技スイッチが入らない訳が無かったのだ。


「なにか困り事があるならこんな俺で良かったら相談にのろう。これも何かの縁だ」


 そう言っておもむろに煙草を取りだし、火を付ける。カーテン男は黒服が一服するのを待って口を開いた。


「『悠久の黄昏』、俺は今そのギルドの場所を探している。場所を知っていたら教えてほしい」


 カーテン男は単語を選ぶようにポツリポツリと言葉を発していた。黒服は瞬時にこの男が演じ慣れていないのだと察する。

 そうであるなら演技の真髄しんずいを教えてやれねば、と親切心もとい先輩風から黒服は大げさに振る舞う。


「『悠久の黄昏』だとっ、あぁなんてことだ」


「名前を聞いただけでその反応。それほどまでに恐ろしいギルドなのか」


 黒服の演技にのりカーテン男も良い反応を見せる。黒服は尚も過剰な演技を続ける。


「あぁやつらは伝説のギルドだ」


「伝説……」


「そうだ、そんなやつらに会おうとはあんたもなかなか変わり者だな」


 実際、『伝説のギルド』という単語には『昔は』という前置きが付くのだが、そこはこのカーテン男も承知の上だとスルーする。今は細かいことよりも勢いが大事だった。


「伝説のギルド……そうかそうなのか」


 カーテン男はそれを聞いて小声で何やらぶつぶつと呟き始めた。

 先程の物言いと違い今の反応はやけに素っぽく演じられているな、と黒服は妙に感心していた。


「そうか、そうかぁ、ハハハハ」


 そのためカーテン男の呟きが段々と笑い声に変わっていくことに一瞬気付くのが遅れた。

 唐突過ぎるその変わりように思わず素で反応してしまう。


「どうした、何が可笑しいんだ」


「いや可笑しいというよりは、安心したんだ」


「安心だと」


「そうだ、やっとこのグラ……いや俺と渡り合えそうな存在に会えそうだからな」


 黒服はそこで自分の背中に一筋の汗が流れるのを感じた。それが演技なのか本能なのか、彼自身分からなかった。


「ならば教えてもらおうか。その『悠久の黄昏』のアジトを」


 カーテン男の口許が歪む。

 黒服が現実ではなくゲーム世界の路地裏をシチュエーションとして選んだのはあくまで安全の為だった。

 しかし彼はそもそもなぜこういった場所が危険なのか、悪い奴が集まるのかという発想までは至っていなかった。


 黒服は辺りを見渡す。

 道は狭くここまで接近されては逃げようがなかった。そして助けを呼ぼうにも辺りにはまったくとして人気が感じられなかった。


 黒服はここでようやく気付く。何も路地裏だから危険という訳ではないのだ。

 ハンターが獲物を罠に誘うように、逃がさないということに置いて路地裏と云う場所は打ってつけの狩場だから危険なのだと。


「さぁ」とカーテン男が凄味すごみを増す。片手を彼の顔の真横の壁に当て体を傾ける。

 それは所謂、壁ドンというやつだったが黒服がそれに思い当る余裕はすでに無くなっているのだった。



  ♯



「うん、ようやく理解した。ありが、いや礼を言おう」


 結果的に黒服はカーテン男に『悠久の黄昏』への道を教えていた。

 途中で脅されているような状況となり、簡単には口を割ってはならないような気持ちにおちいったが、そもそも相談にのると言ったのは彼自身の方だったのだ。


「そりゃ良かった」


 道案内の一仕事を終え、煙草に火をつける。

 そしてよくよく考えれば『悠久の黄昏』の場所を教えたところで黒服自身になんのデメリットも無いのだ。躊躇う理由など何処にも無かった。


 カーテン男は先程からもごもごと口許を動かし、道順を何度も暗唱あんしょうしている。

 マッピングの機能を使えば一瞬のことなのだが、カーテン男は何故か口頭での説明 にこだわっていた。そのことを不思議に思ったが、この世界には腕時計を付けるなど現実と同じ不便を粋とする考えが浸透しており、カーテン男もそれに倣っているのだと一人納得していた。


「それではこれで」


 暗唱を終えるとカーテン男は白い布をひるがえしこの場を立ち去っていった。

 最初の印象とは打って代わり、妙に丁寧な口調で話すカーテン男に黒服は興味が沸いていた。若干無理はしているが以前より自然な喋り方になっており、そっちが素なのだと見当も付く。


 かたくなにカーテンを脱ごうとしない姿勢に演じ慣れていないキャラクター。そして目的地『悠久の黄昏』を求め路地裏をさ迷う。

 会った段階で薄々感付いていたが、やはり何か事情があることは明白だった。


 そこで黒服はカーテン男との会話を何気なく思いだし、その事情に思い当たる。

 自身のあまりに衝撃的な予想に、黒服は煙草の燃えカスが落ちるのにも気が付かなかった。


 カーテン男は確かにこう言っていたのだ。「俺と渡り合える存在に会えそうだからな」と。

 つまりカーテン男は何も『悠久の黄昏』という単体のギルドに用があるわけではないのだ。カーテン男が求めているもの、それは……


「お、おい、あんた」


 黒服は角に消えた男の姿を追った。このまま行かせてはならない。彼の予感がそう告げていた。

 カーテン男はそれほど急いでいないのか、ゆっくりと歩を進めていた。角から聞こえた彼の呼び掛けに何事かと振り返る。


 黒服はその姿を認め一息着いた。カーテン男の行く先の通りから光が差し込む。

 すでにこの時、黒服にはこのカーテン男が死地へおもむく兵士に見えていた。


「あんたは、あんたの目的はなんなんだ?」


 そういえば言ってなかったな、と慌てる黒服にカーテン男は一瞬愛くるしい口許を見せる。


「俺はこの世界からログアウトする方法を探している、ただそれだけだ」


 そして、カーテン男はさも当たり前のようにそう言ってのけたのだった。


 カーテン男、つまりはグラム扮する孝太にとってそれは当初からの目的であり、伝えることになんら躊躇ちゅうちょする理由も無かった。

 しかし、そのさらりとした口調がこの黒服に余計な勘違いを呼んでしまっていた。


(この世界からの死ぬ方法ログアウトだとっ)


 黒服はその台詞に雛ロビンに乗った少女以来の衝撃を受けていた。

 孝太の言った『ログアウト』に深い意味はない。だがまさか本当にゲームの止め方が分からないなどと黒服が思うはずも無かった。


(なんという狂気……いやこれが、これこそがそうなのか……)


 落雷に撃たれたかの如く黒服はその体勢のまま固まってしまっていた。動かなくなった黒服を前に孝太は眉を潜める。

 少しの間、返事が無いことを認めると孝太はそのまま彼を置いてその場を去っていった。きっとこれが回線落ちという現象なんだなと勝手に納得する。


 『悠久の黄昏』の場所を訪ねず、この親切な男にログアウトの方法を直接聞けば良かったのでは、と孝太が気付くのはそれから少し後のことだった。



 孝太が立ち去った後、一方の黒服は妄想を加速させカタルシスを得るに至っていた。

 自身の死地のため、強き者を求め彷徨さまよい歩く。そしてなにもおくすることなくその事実を堂々と言ってのけるその姿。

 黒服の目に写る孝太はまさに求めていたドロップアウト像そのものだったのである。


 黒服は先程のカーテン男の一挙動いちきょどう一挙動を思い返す。自身にあれを演じることが出来るのかと何度も自問自答する。


(いや、やらねばならないのだ)


 黒服には、一度は演技を諦めた彼には退くという道は残されていない。もう行くところまで行くしかないのだ。

 黒服は覚悟を決める。そのまま脇目も振らずダイアフラグからログアウトし、劇場へと駆け出したのだった。脇に白いカーテンを抱えて。


 それは孝太が求めていた真の意味でのログアウトだったが、二人の物語は勘違いのまま交差し、すれ違っていく。

 そうして孝太の物語はこれから多くのものを巻き込み、まだまだ続いていくのであった。

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