二巻 過去話 孝太と叔父さんの過去
「このゲーム、終わったからやるよ」
その言葉を聞くことが
孝太は子供の頃から根っからのインドア派だった。そのため外で遊ぶことや友達の数も少なく、また頭もあまり良くなかったため本を読むこともしなかった。
クラスに何人かいる体育でも勉学でも影の薄い、そんなタイプだった。
そういった人間が大体行き着くように、孝太もまたゲームの世界に自身の活路を見出だそうとした。
しかし孝太にとってゲームを始めるには一つの問題があった。
それは彼の家が厳しくゲームを買うことを許してくれなかったことだ。
周りの同じタイプの友達が新作ゲームを買って貰えるのを
この頃小学生だった孝太にはバイトという選択肢はない。またお小遣いやお年玉は全て親に管理されており、必要なものがあれば報告しなければならなかった。
だから孝太には買う以外の方法でゲームを手に入れるしかなかった。
周りへの憧れと嫉妬が高まり、いよいよ盗むという選択に
それは正月の親族会でのことだった。
孝太のところでは朝のうちに初詣を済ませ、昼間からおせち料理とお酒で席を囲うのが常となっていた。
孝太の家系はあまりお酒には強くなく、父や叔父はすぐに顔を赤らめ、女性陣のため息と愚痴の中、その宴会は夜まで続いていた。
大人たちはそれで良いかもしれないが、子供たちはもちろん途中で飽きてしまう。
「ほら、向こうの部屋で遊んでおいで」
だからタイミングを見計らって叔母から発せられるその一言で、子供たちが隣の部屋に遊びにいってしまうのは例年のことだった。
もちろんいつもならば孝太もこれに参加するはずだった。
しかしその時の孝太は従兄弟の中で最年長で中学一歩手前だということもあり、その仲間に入るのは子供っぽいとその場に留まっていた。
これくらいの年齢の時は誰でもそうであるように、孝太もまた大人ぶりたい年頃だったのだ。
「お、孝太。大人だなぁ」
孝太がそこに残っているのを見ると顔を赤らめた叔父が茶化しを入れた。
それをそうとは気付かず誇らしげに照れる孝太に、周りの大人達はいよいよテンションを上げる。
「ほら、大人ならこれでも飲んでみぃ」
その時、誰が孝太の前に酒を差し出したか孝太自身は覚えていない。
ただ彼が気付いたときには見知らぬ天井を見つめていた。
知らない場所だと思った瞬間、孝太は体を起こし辺りを見渡した。
ここはどこかの六畳間の部屋らしく辺りには必要以上に色々な雑貨が散らばっていた。
そして孝太はいつも友人の家で聞き馴染んだ独特の音を耳にする。
その方向を見ると、そこには30第手前くらいと思われる男がコントローラーを手にゲームをしている姿が目に入った。
「よう、目が覚めたか」
その男は孝太が起きたのを横目で確認すると、画面を見つめたまま彼に声をかけた。
それが孝太と雄二叔父さんの出会いだった。
孝太は昔から父親は四兄弟だと聞いてはいたが、今まで一番下にあたる叔父とは一度も会ったことがなかった。
正月やお盆の時期、親族が一同に集まる場でも一番下の叔父は決まって顔を出さなかったのだ。
この一番下の叔父、つまり雄二叔父さんは別に遠くに住んでいるわけではなかった。
叔母の家の土地の端にプレハブ小屋のような小さな家を建てそこに暮らしていた。理由は知らないがいつの頃からか仕事は一切していないらしかった。
いつでも会う気になれば会えたのだが、孝太がそのことを口にすると大人たちは決まって口を
そうしてあまり触れていい話題ではないのだと察してから今日まで、孝太は雄二叔父さんについて会うことも聞くことも止めてしまっていた。
孝太にとって、始めて対面する雄二叔父さんは予想と違っていた。
家に引き
ところが実際に目にすると髪の毛が目に届きそうになっていたり無精髭が生えているものの、汚いという印象からはほど遠かった。
孝太は雄二叔父さんからことの
孝太はあの後、母親たち女性陣が止める中、出された酒を一気飲みし、その10分後に顔を真っ赤にして倒れたのだという。
「家に返すか悩んだんだが。ほら、こういうときはあまり動かさない方が良いって言うだろ。それにお前も大きいし、いくら兄貴でも背負って帰るってわけにはいかないからとさ」
ほら、と言われた内容が孝太にはイマイチ分からなかったが、とりあえず頷いておいた。
叔父との初対面ということもあり、どのように接すれば良いか分からなかった。そして何より寝起きで頭が酷くボーっとしていた。
「それで母屋に寝かすってもいつ起きるか分からんし場所もなってことで、俺のとこにお前が押し付けられたって訳だ」
まったく迷惑だ、と視線を投げる。そうして雄二叔父さんはそこに座る孝太を尻目に再びゲームに没頭し始めた。
その姿を孝太はぼんやりと眺めた。自分と年の離れた大人がこうして熱心にゲームをする姿が孝太には物珍しかった。
自分もこんな風にゲームがやれたら。
やがて意識が回復し、叔父さんへの羨ましさを覚え始める。孝太が握りこぶしを固くすると、雄二叔父さんの口からまるで心を読まれたかのような問いが飛び出した。
「なんだ、お前、このゲームやりてぇの?」
それを聞いたとき、孝太は完全に目を覚ました。
あまりのピンポイントな
「う~ん、ちょっと興味あるかな」
ここでがっついてはいけない。数少ない経験の中から孝太は少し関心のあるフリをする。
「ふ~ん、まぁでも貸さねぇけどな」
そんな孝太に雄二叔父さんはマイペースに残酷な一言を浴びせかけた。
チャンスが転がっていたと思っていたばかりに孝太のショックも大きかった。
「チッなんだよ、やっぱりやりてぇんじゃねぇか」
孝太の顔を見て雄二叔父さんは舌打ちをする。気持ちが表情にそのまま出てしまっていた。
これで終わった、いや、そもそもチャンスなんてあったのか。この意地悪な叔父が僕に嫌がらせをしようとしただけなのでは。
孝太の思考がショックから立ち直り、理不尽への怒りに姿を変えようとしていたその時、画面からひと際大きな音楽が鳴り響いた。
あまりゲームの経験がない孝太にもその音がなんなのか分かった。
これはゲームクリアの音楽だ。
その孝太の予想通り、音が鳴りやむと雄二叔父さんはコントローラーを片手に座ったまま大きく背を伸ばした。そしてコントローラーを脇のタンスの上に置くと初めて孝太に顔を向けた。
今まで横顔しか見ていなかったが、その顔は彫りが深くかなりの美形であることが孝太にも分かった。
「そんな落ち込むなって、ほら」
そう言いながら雄二叔父さんはタンスを開け、何やらゴソゴソと探し始めた。孝太はその骨の浮き出た後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
「ほら、あったあった」
雄二叔父さんはタンスから見つけたものを孝太の前に差し出した。それは丸い円盤のようなものだった。
孝太は最初それがなんだか分からず、まるで野球を知らない民族が初めてグローブを見たような、恐る恐るといった形で受け取った。
「なんだよ、新作じゃねぇと嫌だってか」
孝太のその反応に雄二叔父さんは苦い顔をする。孝太は雄二叔父さんのその声を聞いて、初めてこれがなんであるかを理解した。
「あの、これ」
やっと気付いたか、と驚きの顔を見せる孝太に対し雄二叔父さんが自慢げに笑いかけた。
「このゲームはもう終わってるから、お前にやるよ」
♯
こうして中学に入学してからの三年間、孝太はかけがえのない二つのものを手に入れていた。一つはゲームをする手段だ。
「あぁ、お前ん家、ハードが無いのか」
「通りでこれがなんだか分からないわけだ、兄貴の嫁さんは中々厳しい人だからな」と孝太から事情を聞いた雄二叔父さんは苦笑いし、最初に渡したディスクの代わりに二世代前の携帯ゲーム機とソフトを孝太に渡した。
これもずいぶん昔にクリアしてるからな、と。
携帯ゲーム機ということと世代が古いということもあり、それは画質が荒くゲームもシンプルなものだった。
だがそれでもそれは孝太が初めて手に入れたゲームということには変わりはなかった。
「いやいや、家帰ってからやれって」
嬉しさのあまりその場で始めようとする孝太を雄二叔父さんは
兄貴達も心配してるだろうから先に元気になった姿をみせてやれ、と。
少し残念がる孝太に対し、しかし雄二叔父さんの次の言葉は彼を元気よく家へと走らせるものだった。
「そのゲームに飽きたらまた来ていいぞ。そしたらまた別のやつを貸してやる」
そう、このとき孝太はかけがえのない二つのものを手に入れていた。
一つはゲームをする手段。
そして、もう一つは雄二叔父さんという無二の親友だった。
最初の頃は両親に隠れてこっそりと部屋や外でゲームをし、しばらくすると雄二叔父さんの家でゲームの感想と新しいソフトを借りるという生活を続けていた。
雄二叔父さんの貸してくれるゲームにはどれも当たり前だがクリアデータが入っていた。
孝太は新規から始めるのではなく、そのデータを使うことをいつも選んでいた。
雄二叔父さんからも「スロットが空いてるなら使っても良いし、なんならデータを消しても構わない」と言われていたが、孝太は頑なにクリア後の続きからプレイし続けた。
叔父さんが作り上げた歴史を消すのに気が引けたし、何より叔父さんがどのようなことを考えゲームをしていたのかを見るのが好きだったのだ。
「なんで、そんな古いゲームしてるんだよ、新作やろうぜ、今はネトゲの時代だよ」
もちろん外でゲームをするときは二世代前のゲーム機ということもあり、友達から心無い言葉をかけられたりもした。
それでも孝太は構わなかった。ゲームがクリアされてようが初めからだろうが、新作だろうが旧作だろうが、彼は最初誰もがそうであるようにゲームが出来るということ、そして何より雄二叔父さんとそのゲームの話が出来ることを楽しんでいた。
♯
そんな生活を二年ほど過ごし、孝太もまた携帯機では物足りないと思い始めていた頃、ある変化が訪れた。
「ほら見ろ孝太、格好良いだろう」
いつものように子供のように自慢げに笑い、ゲーム機を手で
この頃にはすっかり関係も打ち解け、叔父と甥という関係から同じゲームを愛する同士にまでなっていた。
雄二叔父さんが孝太に自慢げに見せているもの、それは新作のゲームハード、ワームギアだった。
このゲーム機は従来のものとはコンセプトが大きく違い、これを頭に装着することで五感全てを利用してゲームが出来る、つまりは夢のゲームの世界をそのまま体験できるバーチャルリアリティを取り入れた画期的なシステムを採用していた。
最初の頃、雄二叔父さんはその新作ハードでいつものようにジャンル問わず様々なゲームをプレイしていた。
しかしある時からそのゲームの一つ、MMOオンラインゲーム『ダイアモンドフラグメンツ』に異常なまでののめり込みを見せ始めたのだ。
これまでも様々なゲームに熱中していた雄二叔父さんだったが、今回のこのゲームは今までのはまりようが嘘であったかのような程のやりこみようだった。
それは今まで話相手であった孝太にすら目を向けなくなるほどのレベルだった。
「こっちのゲーム機、今度から家に上がって勝手にやってて良いぞ」
ある日、孝太が雄二叔父さんの家へ遊びに行くといの一番にそう言われた。
頭には先程までプレイしていたのか、ワームギアを斜めにかけられており、その間からは寝癖なのかどうか分からない油で鈍く光る髪の毛が所々飛び出していた。
目が虚ろなのは昔からのことだったが、最近はその目の下のクマが順調に増殖しており、孝太は不安を覚えた。
「え、どういうこと?」
言った通りの意味だ、と戸惑っている孝太に対し雄二叔父さんはそのまま部屋の奥に戻ろうとする。
「ちょっと待ってよ」
すかさず孝太は雄二叔父さんの腕にすがり付いた。
このまま腕を掴まなかったらそれこそゲームの世界に消えてしまうのではないかと孝太恐れていた。
「なんだよ」
雄二叔父さんは面倒くさそうに振り返る。どれだけ風呂に入っていないのかすえた臭いが辺りに広がった。
「急にどうして」
「いや、だってお前、据え置き機のゲームやりたがってたじゃないか」
確かに以前、孝太は雄二叔父さんにそんなことを言ったことがあった。
しかしそれまで雄二叔父さんが孝太に据え置き機を触らせるということは無かったのだ。それ故にその提案はあまりに唐突だった。
それを言うに足りる何か明白な理由があるはずだった。いや、理由は孝太にも痛いほど分かっていた。
「それにほら」と雄二叔父さんが言いずらそうに口を濁らせる。
今拒絶しているのは何もゲームがやりたくない訳だからじゃない。ただ雄二叔父さんからその言葉を聞きたくないからだ。孝太は自身の気持ちを
「もうこれにかかりっきりで、こっちのゲームはやらないからさ」
聞きたくなかったその雄二叔父さんの言葉を前に、孝太はただ曖昧に頷くことしか出来なかった。
今まで大事にしていた、それこそ孝太に触らせもしなかったゲーム機を易々と手放してしまう雄二叔父さんに対し、失望を覚えながらも、それでも孝太は雄二叔父さんの家に通うことを止めなかった。
それはゲームがやりたかったからという理由ではなかった。孝太はいよいよネトゲの世界に熱中する雄二叔父さんを心配でならなかった。
それにもしかしたら、もしかしたらここで自分がゲームを続けることで、過去の雄二叔父さんが帰ってくるかもしれないと孝太はそんな希望を抱いていた。
「最近、あいつの調子はどうだ?」
夜遅くにトイレに起きた孝太に父が声をかけてきたことがあった。
ゲームをしていたことや雄二叔父さんの家に通いつめていたことを孝太は隠していたつもりだったが、父には全て筒抜けだったらしい。それでも息子に厳しい母を知っている父は知らないフリをしてくれていたのだという。
「どうか、あいつの様子を見守っててくれないか」
受験を控えている息子に言う
「ほらこれ叔父さんが途中までやってたやつ、クリアしたよ」
孝太は雄二叔父さんワームギアを外したタイミングで積極的に話しかけた。
なるべく明るく、そして雄二叔父さんが興味を持ちそうな話題を。
ワームギアを外したばかりの雄二叔父さんは焦点の合わない目でぼんやりとしているが、それでも「あぁ」とか「良かったじゃないか」と返事をしてくれた。
それが上の空だと分かっていても、返事をしてくれることが孝太は嬉しかった。
「続編も確かその辺に積んであったから、こっちもやっていい?」
叔父さんがワームギアを外すのは最小限の用事に限られ、話せる時間はごく僅かに限られていた。
「あぁ、がんばれよ」
「うんっ」
再びワームギアを装着し、ゲームの世界に行ってしまう雄二叔父さんを孝太は笑顔で見送った。そうして雄二叔父さんが完全にゲームの世界に溶け込んだのを確認すると孝太は無表情でゲームを再開する。
雄二叔父さんの持っていたゲームの中にはまったく手の着けていない俗に言う積みゲーというもの多く存在した。
『New Game』
画面に点滅するその文字を孝太はぼんやりと見つめる。
以前に借りていたゲームはどれもクリア済みでこんな文言が浮かび上がることはなかったが、すでにこの画面を見ることにも慣れてきていた。
プレイ済みのゲームだったら良かったのに、と孝太は思う。
そうであればその世界で過去の叔父さんと出会うことが出来たのに、と。
この頃は以前と違いゲームに対する
「よしっ」
それでも自身を奮い立たせて孝太はスタートゲームを始める。
もしかしたら、このゲームの先で以前の雄二叔父さんを取り戻せると信じて。
♯
こうした
雄二叔父さんがワームギアを着けて横になっている隣で、孝太はがむしゃらにゲームをクリアし、空いた時間を見つけて懸命に話しかけ続けた。
それでも状況は改善されることはなかった。
それどころか雄二叔父さんがゲームを続ければ続けるほど、その状況は悪化していくように思われた。
「じゃ今日は帰るね、叔父さん」
孝太は玄関から雄二叔父さんに声をかける。しかし返事はない。
そうであることは孝太にも分かっていたので別に落胆はしなかった。ただ、この状況に対する不安は募るばかりだった。
孝太が夕方から夜にかけて部屋にいる間、雄二叔父さんがゲームから一度も帰ってこないという日がだんだんと増えてきていた。
以前は夕食の機会には起きてきていたが、ここ最近はその時間すらも惜しむようにゲームにのめり込んでいた。
いつ食べているのか、部屋の片隅にはカップラーメンの器がうず高く積み上げられるようになっていた。
「また明日も来るからね」
ドアの隙間から孝太が声かけてもそこに反応するものはない。部屋の暗がりには赤く点滅するワームギアの光があるだけだった。
そうしてだんだんと孝太が雄二叔父さんと話す機会が失われ言った。
しかし機会が減っただけで雄二叔父さんが完全に目覚めなくなったわけではなかった。
時おりトイレなどの休憩に起きることはあったし、また今までとは別の理由で戻ってくるようにもなっていた。
「くっそ!」
孝太がゲームをプレイしていると後ろから叔父さんの小さな
孝太が振り向くと雄二叔父さんが起き上がり、手に持ったワームギアを強く握りしめていた。
「くっそっ、あと少しで。あと少しで俺の物だったのに……」
手に持ったワームギアを今にも叩きつけそうな剣幕でぶつぶつと小声で何かを喋る。その目は虚ろなまま壁を見つめ、まるで壁の向こうにいる誰かと話しているようだった。
「叔父さん」
孝太がそんな雄二叔父さんの肩を揺さぶる。雄二叔父さんはハッと我に帰ったように自分の部屋を見渡し、最後に孝太に視線を合わせた。
「孝太……来てたのか」
喉に何かつっかえたような、たどたどしい口調で雄二叔父さんは孝太に話しかけた。顔には苦々しい笑みを浮かんでおり、さっきまでの虚ろな瞳には若干の生気が戻っていた。
「うんそうだよ」
孝太はその瞳を見てまだ大丈夫だと安心する。まだ雄二叔父さんはこっち側に帰ってきてくれたと。
それでもこうしてゲームに当たる雄二叔父さんを目の当たりにしていると孝太の中に、ある悪い予感が浮かんでしまう。それはいつかゲームへの怒りが自分に向けられるのではないかということだった。
どんな理不尽のことがあろうと学校の友達とは違い、雄二叔父さんは決してゲームに当たることはしなかった。それだけゲームを心から愛しているのだと思っていたし、そんな雄二叔父さんが孝太にとっては誇りだった。
だが最近はこうしてゲームの怒りを
「また次のゲームやらしてね」
「あぁ」
孝太がゲームディスクを見せると雄二叔父さんは弱々しく言葉を返した。
怒りでワームギアを外した時の雄二叔父さんは、
孝太はその際、ゲームの話や父が心配していること、普段は話さない学校のことなど様々な話題を持ち出すようにしていた。
そういう時の雄二叔父さんは、絶え間なく喋り続ける孝太の話を邪険にすることなく、
時には、もうオンラインゲームを止めるか、と言ってくれることすらあった。
しかしそんな努力も結局、実を結ぶことはなく、次の日にはワームギアを着けて横になる雄二叔父さんを孝太はまた見つけてしまうのだった。
♯
こうした二人の関係は孝太が三年に上がると同時にだんだんと短くなっていった。孝太の母親が彼を受験のため塾に通わすようになったからだった。
それでも孝太は塾を雄二叔父さんの家の近くと決め、塾帰りになるべく叔父さんの家へ寄るように心掛けた。
前のように放課後の全てを雄二叔父さんの家で過ごしていた時とは違い、塾帰りのほんの短い時間だけあって雄二叔父さんと会話する機会はさらに数を減らしていた。
またクリアするゲームの速度も格段に落ちていた。いや、ゲームのクリアに関しては別の理由かもしれなかった。
この時、孝太にとってゲームは娯楽ではなく、すでにただの
「ふぅ」
ゲームをしながらその日何度目になるか分からないため息を付く。学校と塾で
昔は、いや数年前の自分はこれがやりたくて仕方なかったはずだ。それに実際にゲームを手にし、プレイしていたあの頃も楽しかったはずなのだ。それなのに今は。
「そんなこと考えちゃ駄目だ」
孝太は自身の中から涌き出た疑念を言葉に出して打ち消す。
自分は雄二叔父さんを救い出すためにゲームをプレイしているんだ。とにかく今はこれを続けるしかない。続けていくしかないんだ、と。
孝太は再度ゲームに意識を注ぎ始める。そんな孝太の思考の迷いを隣にいる雄二叔父さんは気付くことはない。
手を伸ばせば届くところにいるはずの雄二叔父さんは、孝太の変化に気づかないほどに遠いところまで旅立ってしまっていた。
孝太にとってゲームは楽しむものから目的に代わり、雄二叔父さんは孝太の存在を感じ取れなくなるほどにゲームに深く潜り始めていた。
二人を結ぶ糸は限りなく細くなり、それはいつ切れてしまってもおかしくない状態となっていた。
そして終わりは八月の夕暮れ時、突然として訪れた。
それは孝太が一週間ぶりに雄二叔父さんの家に顔を出したときのことだった。
孝太はこの頃、三年の夏休みという受験勉強真っ只中であり、母親に強制され短期集中の夏合宿に参加していた。
ここ一年くらいは毎日顔を出していただけあって、一週間ぶりとなる訪問は孝太にあの頃に気持ちを少し取り戻させていた。
孝太は久々に見るプレハブ小屋を懐かしく思いながら合鍵を取り出してドアを開けようとした。丁度その時、ガチャリと内側から扉が開いた。
「叔父さん」
孝太はその顔を眺め、自然と声を上げていた。雄二叔父さんが丁度外に出ようとしたところに出くわしたのだ。
雄二叔父さんは風呂に行くところのようで脇に着替えを抱えていた。
ギリギリまで風呂に入らない雄二叔父さんは全身から酸っぱい臭いを漂わせていたが、孝太は一週間ぶりに嗅ぐその臭いを不快とは思わず、寧ろ《むし》懐かしく感じていた。
「おぉ、孝太」
雄二叔父さんもすぐに孝太に気付き言葉を返す。その目には光が点り、まるで昔の雄二叔父さんを見ているようだった。
これは良い傾向だと孝太は思った。入り口で会う機会なんてほとんど無かったし、何より通常の状態の叔父さんというだけでとても稀なことだった。
もしかしたら、今度こそ叔父さんを救うことが出来るかもしれない、そう孝太は胸を膨らます。
しかし現実はそう上手くいかない。それどころか次の雄二叔父さんの言葉に、孝太は絶望に落とされることとなる。
「おぉ、孝太。今日も着たのか」
雄二叔父さんは自分の言葉に疑いを持つことなくその言葉を孝太に言い放ったのだ。
――今日も?
それを聞いたとき、孝太は何かの冗談だと自分に言い聞かせようとした。もしくは雄二叔父さんが寝惚けていて意識がはっきりしていないだけなのだと思い込もうした。
それでもダメだった。
雄二叔父さんと長い年月付き合っていた孝太にはそれが本心で言っているのだと分かってしまっていた。
「叔父さん、何言ってるの?」
孝太のただならぬ声と雰囲気に雄二叔父さんも自身が何か間違えたことに気が付く。
「あぁ、そうだったな」
雄二叔父さんは顔を伏せる孝太の頭に軽く手を載せ、その場を取り繕うとした。
「そうだな、昨日は来なかったもんな。すまんすまん」
雄二叔父さんは自分が何かを間違えたことは分かっていた。しかし、それが何であったかまでは分からなかった。
「っ」
孝太はその言葉を聞いた瞬間、雄二叔父さんの優しかった手を無意識で払い飛ばしていた。
「孝太っ」
雄二叔父さんの声が後ろの方から響く。
その後も雄二叔父さんは何かを言っていたが、その声は風に掻き消え孝太は聞き取ることが出来なかった。
そしてその段階になって孝太はようやく自分自身が雄二叔父さんに背を向け走り出していたことに気が付いた。
孝太は立ち止まり後ろを振り返った。ここはどこかの公園のようですでに雄二叔父さんのプレハブ小屋もおばあちゃん家も見えなくなっていた。セミの声がやたらに
夏の夕暮れはまだ暑く、孝太は息を整えながら
これほど体をちゃんと動かしたのはいつぶりだろうと孝太は思った。息は苦しかったが全身が何かから吹っ切れたように気持ち良かった。
「ははは」
気付くと自然と変な笑いが込み上げてきていた。孝太はベンチに座り込み顔を伏せながら笑った。しかしその声は段々と
雄二叔父さんは僕が一週間もいなかったことに気付きもしなかった。
その事が孝太にはショックで堪らなかった。そして受け入れなければならない事実だった。
つまり、自分がいてもいなくても雄二叔父さんには関係なかったってことだ。自分が雄二叔父さんとしてきたことやってきたことは意味がなかったんだ。
そうして孝太はゆっくりと一つ一つの思いでと事実を確認していき整理していった。
気付けば、夕暮れの日が沈み。電灯に光が差していた。さきほどまで
孝太は顔を上げベンチから立ち上がった。それから自分の現在地を確認し家へ向かって歩き出した。
夏と言っても夜はだんだんと肌寒く感じる時期へと差し掛かっていた。
孝太は自分の細い腕をさすりながら、それでも一度も後ろを振り返ることはしなかった。
♯
それ以降、孝太は雄二叔父さんと会うことは無かった。
孝太は決して雄二叔父さんを恨むようなことはしなかった。ただ、必死にもう関わらないように、忘れるように努力した。
雄二叔父さんもそのことが分かっていたのか、親族での集まりがあった時などタイミングを合わせたようにその日だけ何処かへ出掛けるようになっていた。
孝太はまたゲームにも必要以上には関わらなくなっていった。思い入れの深いゲームをして、雄二叔父さんを思い出すことを避けたかったからだった。
友達とゲーセンに遊びに行く際も見ているだけに
孝太は高校に入ることにより、今まで避けていた運動部の門を叩いた。
これまで運動をまともにしていなかったことが
そうすることで今まで少なかった友達も自然と増えていった。
こうした努力と孝太の身の回りの変化もあり、高校の生活に溶け込むほどに孝太は雄二叔父さんのことを思い出さなくなっていった。
孝太はそのようにして人となりの幸せな高校三年間を過ごしていった。
大学は地方の地元を離れ都心のものを選んだ。そこの大学に学びたいことがあったわけではなく、ただ環境を変えることによりまた新しい世界が見えるのではないかと考えたからだった。
独り暮らしの住まいは大学の近くの家賃の安いボロアパートを選んだ。仕送りだけでは足りず、大学に入学すると共にバイトを始めた。孝太は大学でもまた多くの学生と同じようにバイトと勉学とサークルと忙しい大学生活を送っていた。
孝太が大学二年の時、『ダイアフラグ』がクリアされたというニュースを友達から聞きはしたが、この頃には雄二叔父さんのことを中学時代の思い出の一つとして懐かしめるほどになっていた。
孝太が次に雄二叔父さんのことを思い出したのは、大学四年に上がった時のことだった。
卒業するのに必要な単位も取りきり、あとは卒論を書き上げるだけという段階だった孝太は一つの問題を抱えていた。
それは就職先だった。
高校、大学を選ぶ際も将来の選択を未来の自分に
この不況の時代、中々に苦戦を強いられているようだったが、それでもそれぞれ自分のやりたいことを探し将来のために歩みだそうとしていた。
しかし自分がどうしたいか分からない孝太はその一歩を踏み出すことが出来ず、一社も面接に行けないまま四年生の春を迎えていた。
自分はどうしたいのだろう、自分のやりたいことはなんなのだろう、と孝太は明け暮れていた。
そんなとき、孝太のアパートに一箱の段ボール箱が届いた。
送り主は父親からだった。
箱を持ち上げるとずっしりと重かった。孝太はそれを狭い部屋の真ん中に置き、ガムテープの封を切った。
段ボールを開けると埃っぽい臭いが部屋に広がった。
孝太は咳き込みながら中身を覗きこんだ。そこには父親からの一通の手紙。そして。
「なんで」
孝太はそれを見たとき無意識に呟いていた。
使い込まれたゲーム機、そして慣れ親しんだゲームソフトの数々がそこにあった。
それらを孝太が見間違えるはずがなかった。
段ボール箱の中は雄二叔父さんのゲームで満たされていた。
父の手紙には雄二叔父さんからこれを孝太に送るように頼まれたこと、短くそれだけが書かれていた。
そういえば、雄二叔父さんは今どうしているのだろうと孝太はふと気になった。あれ以来ずっと会っていなかったのだ。
孝太は定期の連絡も
電話に出た母には大学での近況や学業について話した。その口ぶりから段ボール箱のことは知らないようだった。
「そういえば、今父さんいる?」
いるわよ、と言う短い母の声のあと、少し置いて父に変わった。
「どうやら届いたみたいだな」
父の第一声はそれだった。
そうして孝太はこれが父と、そして雄二叔父さんの二人だけでこっそりと行われたものなのだと知った。
孝太は父に雄二叔父さんが今どうしているかを聞いた。その答えは孝太にとって意外なものだった。
雄二叔父さんは二年ほど前にあれほど熱を上げていたゲームを突然止めてしまったらしかった。
そうして自身のゲームを孝太に渡してほしいということを父に頼み、それから少しして姿をくらましたのだという。
「どうにもどこかで働きだしたらしいんだが、詳しく教えてくれなくてな。まぁ、あいつもいい加減良い大人だし、大丈夫だとは思ってるんだが」
あの叔父さんが働いている? そう聞いて孝太はますます意外に思った。あの頃の姿を知っているととても想像出来なかった。
それから父はこれが送られてきた時期がなぜ今になったのかという経緯を教えてくれた。
最初、雄二叔父さんはすぐにでもこれを渡してほしいと頼んだらしい。
ところが以前に雄二叔父さんのためだったとは言え、孝太もまたゲームにのめり込んでいたことを知っている父は、これを渡すことで勉強が
だったら、と
まともな学生なら四年の時は多少時間があるだろうし、今さらゲームで学業を
「それにもしかしたらお前がゲームを必要としている時期かもしれない。あいつはそんなことも言ってたな」
それとこんなことも言っていたな、と父は最後にこう付け足した。
「『もし、お前があの頃のことを無かったことにしたいのなら、そのまま捨ててしまって構わない』だそうだ」
その言葉にじんわりとした痛みのようなものを孝太は感じた。そしてそれ以上に雄二叔父さんがあの時のことを気にしていてくれたことに対する安堵感を覚えた。
「ありがとう、じゃ父さん体に気を付けてね」
「お前もな」
必要なことを聞き終えると、最後に定例の言葉を互いに並べ合い、孝太は電話を切った。
孝太は再び段ボール箱の中身を確認した。それらはあの頃の記憶通りのものがそのまま入っていた。
『ゲームが必要としている時期かもしれない』
『あの頃のことを無かったことにしたいなら捨てても構わない』
孝太は今、この二つの言葉が気になっていた。
どういうことだろう。叔父さんはなんで今更大事にしていたゲーム僕に送り付けてきたのだろう。
「やっぱりあった」
ゲームが全部入っているなら、と孝太は一つの予感をあてに段ボール箱の中に手を突っ込みそれを見つけ出した。それは箱の一番下に隠れるように眠っていた。
ワームギア。
僕がいたとき、最後に叔父さんが遊んでいたゲーム。
そして、叔父さんを狂わせた元凶。
孝太はワームギアを手に取ると強く握りしめた。
見ると中にはしっかりとディスクが差し込まれていた。取り出すとディスクにはダイアフラグの文字が刻まれていた。
幸いにも孝太のいた部屋にはネットに繋ぐLANがあった。そして今の孝太には雄二叔父さんの予期したように時間もたっぷりとあった。
「よし」
ここに全ての答えがあるかもしれない。孝太は迷うことなくワームギアを装着した。
雄二叔父さんのしていたように布団に横になり、ワームギアの電源をオンにする。
ゲームスタート。
そうして、孝太はダイアフラグの世界へと飛び込んでいったのだった。
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