一巻 3話 彼の伝えるべき言葉と逆転のバグ技 そしてレース決着へ

ここで時間は少しさかのぼる。


 レース開始前、軍畑いくさばたに完全KOを喰らったハチロウはそのまま草原に伏し、立ち直れずにいた。

心に深い傷を負ったハチロウは風に揺れる稲穂を死んだ魚のような目でいつまでも眺め続ける。口からは途切れることなく呪詛を吐き、それは目の前の草原を枯れ地へと変えんばかりの勢いだった。


 ようはハチロウはいじけていたのだ。軍畑とここにいた当初と同じく、ひざを抱えたまま丸くなっている。


 軍畑のあまりに的を得た意見に、ハチロウは一切口を挟むことが出来なかった。軍畑の言ったそれが全部事実だったからだ。


 本当のことを言われ、それを否定するほどハチロウは子供ではなかった。


 しかし、ハチロウ自身もそのことには薄々、本当に数ミクロンほどの薄さで気付いていた、いや、気付きつつあったのだと自負していた。


 だから、本心だったことは否定はしないが、それを他人から、しかも軍畑から言い当てられたということがハチロウにはしゃくだった。

 その程度にはハチロウの精神がまだ成長しきっていなかったのだ。


 このまま稲穂に溶け込みたい、そして誰からも気付かれない、そこにあるだけの存在になりたい。


 ハチロウの呪詛じゅそは続く。中々の重症だった。


 そんなハチロウの隣には軍畑が放った水色のクックロビンがいた。クックロビンは新たな飼い主の指示を従者として背筋を伸ばし待っていた。

 ところが指示は一向に発せられない。乗るどころか触れられもせず、主人は何かをぶつぶつと喋りながら、稲穂と一緒に体を左右に揺らしているだけだった。


 そんな状態が続き、いい加減に待機の指示すらも無いことにしびれを切らしたのか、従者が反逆者へと姿を変えてしまったのは仕方ないことかもしれない。


 クックロビンは突如としてハチロウを攻撃し始めたのだ。真面目で熱心な従者ほど、反旗をひるがえした際に狂乱な反逆者へと姿を変えるものだ。


 しかし、今回そのことは関係しない。

 飼われているクックロビンは一定期間、指示を受けないと自然と野生にかえる習性があった。

 水色のクックロビンはシステムに従い野生に還り、目の前のハチロウを敵としてエイムしたまでに過ぎないのだ。


 ハチロウはガツガツとそのクチバシで頭をつつかれた。

 その都度激しく頭が揺れたが、それでハチロウが何かをしたわけではなかった。ただされるがままにする。


 クックロビン程度の中級モンスターの攻撃が高レベルのハチロウに通るダメージなどたかがしれていた。

 打撃音が響く度に空中に一桁代の数字が浮かび上がり、ハチロウのHPゲージは目視では分からないほど僅かながら削れていった。


 ガツンガツンと頭を揺さぶられながら、今度はこのままクックロビンの餌になってしまいたいとハチロウは思うようになっていた。


 どうしようもないほどに重症のようだった。


 その重症度を計るかのように、その時ハチロウのチャットに連絡が入った。相手はゲンさんからだった。

 チャットには、複雑な事情の上、アイがロビンレースに参加することになったという内容が書かれていた。


「アイが……」


 そのチャットを見たときハチロウは一瞬だけ落ち込んだ状態から我に帰った。

 こんなことはしていられないと、腰を上げようとする。だがそんな気持ちも、今の俺にはどうしようもできないと、すぐにえ再び座り込んでしまう。


 ハチロウはゲンさんにトークを入れた。


「ばじろぉぉぉ、ずばねぇぇぇ」


 通じた瞬間、ゲンさんの嗄れた声での謝罪がハチロウを迎えた。自分とのテンションの違いに戸惑いながら、ハチロウはゲンさんに事情を確認する。


 案の定、アイは逃がしたブラックスワンの罪をつぐなうつもりでレースに参加しているらしかった。

 そういった事態を含めゲンさんにアイの様子を見ているように頼んだんだが、ゲンさんもアイの熱心な態度を前に心を折られたのだという。


「はじろぉぉぉ、おばえだけがだよりなんだぁぁぁ、あいじゃんをずぐってくれぇぇぇ」


 ゲンさんは涙ながらの願いに、ハチロウは冷たい答えを返す。


「アイが自分で責任を感じ、それを償うっていうなら、いいんじゃないですか」


「はっ、おばえ、はじろぉ、何いってやがるっ」


「だって、あいつは俺じゃない。あいつがそうしたいっていうんら、俺には止める権利はないっすよ」


 普段のハチロウならばそんなことを言わなかったかもしれない。

 しかし今、地の底まで落ち込んでいたハチロウにはアイを助けたいとも、水を指すような真似をしたいとは思わなかった。


 アイを騙そうとしていた自分にはそんな資格がないと思い込んでいた。


「例え、アイがそれで恥をかいたとしても、それが原因で『悠久の黄昏』に傷が付くと思っても、それは全部アイがやったことで、アイの責任で、俺が負うような、負えるようなものじゃないんすよ」


 それに、とハチロウは最後に一言を加える。


「こんな俺が行ったところで、今さらどうしようも出来っこない」


「ごんの、はじろぉぉ、てっめぇぇぇ」


 とゲンさんの叫び声が終わる前にハチロウはトークを切った。


 ゲンさんのうるさい声が無くなり静寂せいじゃくに包まれる、と思いきやそうではなかった。

 トーク中も今も野生化したクックロビンはハチロウへの攻撃を続行しており、メトロノームのような規則正しい打撃音が草原に響き渡るのだった。


 アイは未だに『悠久の黄昏』には守るべきものがあると、威厳いげんがあると思い込んでいた。


 そもそもそれ事態が間違いだ、とハチロウは心の中で思う。


 『悠久の黄昏』に威厳なんてものは残されていなかった。最初からそんなものを持てるほど、ちゃんとしたギルドですらなかった。

 ふざけた連中が集まり、行き当たりばったりの冒険とどんちゃん騒ぎを繰り返していた、ごく普通のギルドの一つに過ぎなかったのだ。


 あれを成しげたのだって、ただの偶然に過ぎない。


 アイはそれを知らない。すっかり伝説のギルド気取りになっていた。

 アイはこの世界に着た当初から『悠久の黄昏の』ことを勘違いしていた。


 それを訂正するチャンスはいくらでもあった。しかしハチロウはそれをしなかった。

 しない所か、アイの勘違いに自尊心じそんしんをのせて勝手に膨らましたのだ。


 アイのやつを喜ばしたくて、なんて言うとまるでアイに責任を押し付けるみたいだな、とハチロウは首を横に振る。


 ハチロウのアイに対する嘘、それは全てハチロウ自身のためのものだった。

 ハチロウはただずっと一人でここにいることに、誰にも認められるわけでもなく、ただ未練だけで残っていることに耐えられなくなっていた。

 だからアイを通して自分のいたギルドが凄いギルドだったと思い込もうとしていた。


 その結果がこれだった。

 全力で空回りして怖くなって逃げだして、結局一番伝えたかった相手のアイでさえこうして放り投げてしまっていた。


 『悠久の黄昏』の奴らが俺を見たらどう思うんだろうな。すっかり呆れ返るか、はたまた、バカなやつだと笑い飛ばされるのか。


 ハチロウは頭の中で、さまざまなことを振り返るうちにだんだんと、彼らのことを思い出しつつあった。

 仲間の顔が頭に浮かび始める。


 空気も読まずにでかい声で豪快ごうかいに笑うやつ、ねちねちとずっと嫌な思い出を引きずるやつ、暴力でしか自分をうったえられないやつ、本当に今思い出してもダメなやつばっかりだった。


 でも、だからこそ俺みたいなやつがいられたのかもしれない。

 皆、不器用で不完全だったからこそ、あの場所は心地が良かったのだ。


 そういえば、とハチロウは頭にある人物を浮かべる。


 中二病丸出しのやつもいた。名前を『悠久乃彼方ゆうきゅうのかなた』と言った。


 最初それを聞いたときは何か聞き間違えたかと思って、思わず聞き返してしまったが、そいつは真面目な顔で「悠久乃が姓で彼方が名だ」と答えた。


「どうだ、格好良いだろう。何日も考えた力作だからな」


 とそのあと照れることなく堂々と胸を張るものだから、俺は思わず笑ってしまった。


 そうしたら、そいつは本気で怒って斬りかかってきた。


 周りが止めに入って事なきを得たが、その後、こいつがここのギルドマスターだと聞いて驚いたものだ。


 ハチロウは自身が『悠久の黄昏』に入団したキッカケを思い出す。


 そうだ、俺は悠久乃彼方に誘われて入団したのだ。あの時、俺は嫌なことがあり今回と同じようにこうして草原で座り込んでいた。



 ♯



「何この世の終わりみたいな顔でしゃがみ込んでるんだ?」


 一面に稲穂の広がる草原、そこに一人座り込むハチロウに声をかけるものがあった。


 この時はまだゲームの全盛期でこの地にも多くのプレイヤーがいた。だがハチロウの周りには避けるように誰も寄り付かなかった。


 この頃のハチロウはゲーム内きっての迷惑行為を繰り返す愉快犯だった。

 迷惑行為で周りの注目を集め、自尊心を満たしていた。そんな自分が格好良いと思っていた。


 しかし、それもゲームを続けるにつれ、上手くいかなくなってきていた。

 運営にマークされ計画を潰されることが多くなった。

 そして何より周りのプレイヤーからの反応がだんだん鈍くなっていたのだ。


 最初の頃は派手にぶちかませば、幾重いくえにもののしりの声が上がった。

 だがこの頃には迷惑な顔はするものの「構ってやればそれだけ付け上がる」と見抜かれ、誰もハチロウに反応を示さなくなってきていた。


 誰も見てくれないならそろそろこのゲームも潮時か、だったら最後にデカイ花火を打ち上げてやる。


 ハチロウが草原を眺めながら計画を練っている中、そいつはそこにずけずけと割り混んできたのだった。


 最初、声をかけられてもハチロウは何も答えず、代わりに相手をにらんだ。

 ハチロウは今と違い、全身から殺気だった雰囲気をかもし出していた。


 相手はそういった犬の扱いには慣れているといった風に、待て待て、と両の手のひらを相手に向ける。


「別に喧嘩を吹っ掛けにきた訳じゃない。そんな風に見えるか」


 ハチロウは、俺に構うなという態度で舌打ちをし、そっぽうを向く。しかしそいつはそれを了承と得たのか隣に座り込んできた。

 隣に座られては流石に無視することはできない。


「なんだよ、てめぇは」と精一杯のガンを飛ばす。


「俺か、俺は悠久乃彼方だ」


 そいつは、彼方はハチロウの威嚇いかくひるむことなく涼しい顔だ。


「ゆうきゅうのかなた?」


「あぁそうだ」とたぶん名乗る度に繰り返されたであろうやり取りに、彼方は飽きることなく得意気に答える。


「悠久乃が姓で彼方が名だ」


 どうだ。格好良いだろう、彼方は誇らしげに笑う。


「ダッセ」


 それを聞いてハチロウは素直な感想を返した。「中二かよ」と笑い声をあげる。

 バカにすればこの場を去ってくれると思っていたし、そうでなくても本当にダサくて笑ってしまっていた。


 ところが事態はハチロウの予想通りにはならなかった。

 彼方がゆらりと立ち上がったと思うと、ハチロウは自分に長物の影が落ちてきたことに気付く。


「おい、バカ、冗談だろ」


 ハチロウは彼方の方を仰ぎ見る。彼方は日本刀を上段に構え、今にもそれをハチロウへ振り下ろさんばかりだった。


「貴様も人の名を笑うのか。許さんっ。その罪、38人目の血としてこの刀へと刻んでくれる」


 そして、本当に彼方はハチロウに向かって攻撃を仕掛けてきたのだ。

 ハチロウはすんでの所で交わす。


「俺の他にそれだけ笑われてるなら、自分の名前が変だってことに気付けよ」


 ハチロウが逃げながらツッコミをいれるが、彼方は聞き耳を持たない。縦に横に大振りにハチロウに襲いかかった。


 周りの人々は、なんだ喧嘩か? と騒ぎに気付く。二人を中心にだんだんと人だかりが出来始めていた。


 ハチロウが十撃ほどをギリギリで避け続け、いよいよ追い詰められたと思ったとき、その人だかりから彼方に向かう三つの影が見えた。


 一人目は不意打ちで彼方の脳天にひじ打ちを叩き込み、二人目は弱ったところを羽交はがい締めにした。

 それで終わりかと思いきや最後に出てきた三人目は正面に回り込み、鳩尾みぞおちに鋭い回し蹴りを埋め込んだ。


 これには彼方もたまらずに「ぐふぇ」と言う生々しいうめきと共に刀を地面に落とし、そのまま地面にうずくまってしまった。


 ハチロウはこの一瞬の出来事に何かのコントなのかと一人目をぱちくりさせた。



「ふっ、こいつらは、見ての通り、俺の仲間だ」


 なんとか起き上がった彼方は息も絶え絶えにハチロウに彼らを紹介した。まだ一人で立てるほど回復していないのか二人目に肩を預けている。


 ハチロウがどっからつっこんで良いのか分からず悩んでいると、彼方は何を勘違いしたのか「そう、頼もしい俺の仲間だ」と態々言い直した。違う、そうじゃない。


「本当にこんなやつを」


 もうつっこむ気も起きない。ハチロウが肩をすくめると、今度は鳩尾に華麗な蹴りを決めた三人目がハチロウをじろじろ見ながら彼方に耳打ちをした。

 彼方は「あぁそうだ、面白そうなやつだろ」と平然と返す。


「あんたら何の話してるんだ? そもそも俺に何のようなんだ」


 雲行きが怪しくなりハチロウは声を上げる。


「あぁ、まだ言ってなかったな」


 彼方はそしてニヤリと笑い、腹に添えていた手をハチロウに差し出した。

 ハチロウは訳も分からずその手を眺める。


「お前、俺たちの仲間にならないか。俺たちにはお前が、お前のスキルが必要だ」


 丁度その時、彼方の後ろからは夕日が差していた。


 稲穂の絨毯じゅうたんを金色に輝き始める。

 そこにいたプレイヤー達の誰もが夕日に目を細め、一色に染まっていく草原に思い思いの感想を述べていた。


 そんな中、ハチロウだけは差し出された彼方の手を、目を反らすことなくずっと見ていた。


 オープニングムービーと同じ夕日をバックにした舞台に「お前が必要だ」なんていうベッタベタな台詞。

 なにかの映画かと思うほどに出来すぎた光景。


 しかし手を差し出している本人は仲間に体を支えられ、鳩尾みぞおちがまだ痛むのか体をくの字に曲げながら、必死にこっちに手を伸ばしている。


 なんて決まらない、なんて情けない姿なんだとハチロウは自然と笑みをこぼれた。


 でもだからこそ、とハチロウは思う。


 だからこそ、きっとこの場所は今まで俺のいた所にはない、心地良い場所なんだろうな、と。


 必要といってくれるならそれも良いかもしれない。

 こいつが俺を見てくれるならば、俺がここにいる理由になる。


 ハチロウは差し出されたその手を自然と握っていた。


「合格だ」


 手を握った瞬間、彼方が呟いた言葉にハチロウは戸惑いを覚える。

 一体俺の何を試したんだ、と。


 彼方はそうじゃないと首を横に振りながら、無理矢理な笑い顔をハチロウに向ける。


「いいか、俺のギルド『悠久の黄昏』には一つの信念があるんだ。それをさ、さっきのお前じゃ全然駄目駄目だったんけど、今のお前はしっかり満たしてる。だから合格なんだ」


 一回しか言わないから忘れるなよ、と彼方は念を押す。

 笑い顔で無理な喋り方をしているため、その台詞はなんとも聞き取りずらい。


 本当に決まらないな、と自然とツッコミを入れそうになったとき、ハチロウはハッとその答えに気付く。


 ハチロウがこの草原に着たときと、今の違い。


 ハチロウは手元を自身の口に当てる。その口許は半円を描いていた。


「いいか、『悠久の黄昏』の信念。それは――



 ♯



「『いつ何時も笑い、この世界を楽しめ』だ!」


 ハチロウはアイに本当に伝えるべきことを、『悠久の黄昏』の信念を思い出した。

 過去の栄光でもハチロウの幻想でもない、ただ『悠久の黄昏』の、『悠久の黄昏』であるための信念をハチロウはアイに伝えるべきだったのだ。


 ハチロウは立ち上がった。気づかないうちに辺りにはすでに夕日が差し始めていた。


 ハチロウは夕日を正面から見つめる。その光は直視するには眩しすぎ、目を細めなければならなかった。

 あの時と違い、夕日を遮る仲間の影も指し伸ばされる手も、今は存在しなかった。


 ただ手が指し伸ばされるのを待っているだけでは駄目なんだ。今度は俺が手を指し伸ばす番だ。


 ハチロウは夕日をにらみ、決意する。


 アイは俺が救うんだ。


 すでにレースが始まっている時間だった。

 ハチロウはメニューを操作し、ゲーム内の配信中継を目の前に投影させた。運営だけでなくプレイヤーにも許可がおりれば、配信映像を流す権利が与えられていた。


 映像にはトップを写していると思いきや、ハチロウが予想した通り、最下位のアイが写し出されていた。アイは雛ロビンに乗り顔を伏せている。その後ろを観客が応援しながら追い回していた。


 周りは誰も気づいていない中ハチロウだけは気が付いた。

 アイは声援の中、辛そうな顔をしている、と。


 そうじゃないんだ、アイ。早くこの事を伝えないと。


 ハチロウは足を一歩進める。しかしそこで踏み止まった。


 そもそもどうやってこのことを伝える?


 レース会場に行き、観客に混じって声を上げるか。いや、それでは周りの声にかき消されてしまう。


 ではトークで直接話しかけるか。これもアイがトークを使うことを嫌がり、繋いでいないため実行することが出来ない。


 どうすれば良い。どうすれば……


 ハチロウが必死で手段を模索もさくしていると、無視されることに苛立ちを覚えたクックロビンが突然、ハチロウに足爪による攻撃を繰り出した。

「クワァァ」という野太い鳴き声と共に羽をバタつかせ、蹴りをハチロウに加える。


 やはりダメージはほとんど無いが、土煙を上げる派手な攻撃にハチロウは顔を覆った。


「バカっ、お前に構ってる時間はねぇんだ」


 ハチロウはあっちいけ、と手でクックロビンを払い、逃げようとする。

 だが野生化したクックロビンはどこまでも追い続けてきた。


「俺はお前を倒したくないんだ。頼むからあっち行ってくれ」


 ハチロウは頭を両手でガードしながら、こいつはエイムを取ればどこまで逃げても絶対に追い付いて攻撃してくるんだったな、と思い出していた。


 クックロビンを止める方法は二つ。

 そいつを倒しきるか、魔法やアイテムを使ってそいつの視角にワープするかのどっちかだ。


 一応ノジさんからの贈り物だし、逃がして野生化するにしろ、無駄に殺したくはない。

 ハチロウは二つ目の方法を取るため、『転移の羽』を発動させようとした。


 そして、ある方法をひらめく。


 自分の中で線が一本に繋がるのをハチロウは感じた。

 この方法ならアイを助け、かつ『ノワール』との面子も守れるかもしれない、と。


 しかし上手くいく保証はない。ハチロウは自分の考えに一旦首を振る。


 自分で思い付いたことながら、その方法はあまりに突拍子とっぴょうしもなく本当にそんなことが出来るかの不安になった。


 ハチロウは手段と条件、そして己の覚悟を踏まえ再考する。


 10秒か20秒か、ハチロウは草原で目を閉じ、頭の中を整理した。

 風が吹き稲穂の絨毯が波打つ。


 相変わらずクックロビンはハチロウに攻撃を繰り出すが、ハチロウはそれを気にすることなく意識を集中させた。


 いける。


 そして、ハチロウの中で一つの答えが固まった。


 最後にハチロウは自分の考えが本当に試せるか、手に持ったアイテムを発動させた。


 結果は上々だった。


 ハチロウはクックロビンを引き連れ、レース会場であるグースに急いだ。走りながらある人物へとトークを入れる。




  ♯ ♯ ♯




「今回のレースは盛り上がりませんねぇ」


 レース開始時点の東門近くの観客席、その一番上の席から商人セルはレースを眺めていた。

 誰もがレースを間近で見たいが為、前の方の席は常にギュウギュウの状態だったが、後ろの方は比較的空いていた。


 セルはレースそのものには興味があるものの、走っている選手単体には対して興味がなかったため、全体を見渡せるこの席を選んだのだった。


 セルは他の観客とは別視点でレースを見ていた。


 だからセルの言う、レースが盛り上がっていない、というのも『セルにとっては』という一言が追加される。

 実際アイの珍走により、レースはここ数十回の開催の中で比較にならないほどの盛り上がりを見せていた。


 セルにとっての盛り上がっていない要素。

 それはレースの賭けのことだった。


 セルはクックロビンレースだけでなく、様々なフェスの賭け事の仕切りを行っていた。

 仕切りは開催ギルドと連携を取る合法のものもあれば、無許可で行う違法なものもあった。

 今回はお堅いギルド『ノワール』ということもあり、当然賭け事は禁止されていたが、セルの指揮の元、秘密裏にそれは行われていた。


「まさかノジールが出てこないとは、意外でした」


 そう言いながら、セルは手元にスクリーンを表示させ、今回のレースの倍率を確認する。


 三連、五連は若干のばらつきを見せるものの、どの賭けにしろ一位の予想は本命馬のメリーゴーランドに集中していた。

 幾人かは新規飛び込みである『悠久の黄昏』に賭けてはいるものの、そんなもの誤差の範囲レベルだった。


 結果、単騎は特に酷く、メリーゴーランドの倍率は一点とちょっとでとどまってしまっている。

 これではとても賭けと呼べるものではない。

 前回まではノジールの参加があったため、予想が二分され、このような酷い事態にはならなかった。


 こういった賭け事は何があろうと仕掛け側が得するように出来ている。とはいえ、賭けとして成立しなければ、参加者も賭ける金も少なくなってしまう。

 そうなると相対的に儲けが少なくなってしまうわけだ。


 セルは賭け事の仕掛人の立場から、今回は盛り上がらない、となげいていたのだった。


 はぁ、とため息をつき、セルはスクリーンのデータをスライドさせる。

 今日はこれ以外にもセルにとって悩ましいことがあった。


「しっかし、突然のノジールの不参加だけでなく、この大量の在庫。『ノワール』さんは私に何か恨みでもあるんですかねぇ」


 そこには『転移の羽』の在庫数が表示されていた。

 軍畑に依頼され、早急に大量数必要だと言うことでセルがかき集めたものだ。


 だが大量発注のわりにその数はあまり減っていない。


 それはゲート内のブロックで軍畑の予想より早く、ハチロウが折れたためだった。

 その後、軍畑いくさばたは余ったから返す、と消費分の金額だけを払い残りを全て返品してきた。

 そして、あろうことか「残りの返品分は全部ハチロウ付けだ」とだけ言い残し、セルの前から去っていってしまったのだ。


 あまりに無茶な言い分だったが、色々と良くしてもらっている大口相手の『ノワール』に対し強く言う訳にもいかず、結局セルはそのまま軍畑の背中を見送ってしまっていた。


「まったくハチロウ君に請求しろと言っても、彼のところにこれを払えるほどお金があるわけないじゃないですか。ただでさえ、借金があるというのに」


 レースはこのままメリーゴーランドの独走のようだし、この羽はどうしましょうか、とセルが悩んでいると渦中の相手からトークが飛んできた。

 セルはこういうこともあるんですねぇ、と微笑みトークに出る。


「やぁ、ハチロウ君、突然どうしたんですか」


「セル、確認したいことがあるんだが、『転移の羽』は今どれだけ持ってる?」


 ハチロウの声の合間から荒い息と風を切るような音が聞こえた。どうやら走りながらしゃべっているようだった。

 セルは丁度悩んでいた問題を持ち出され、目の前のデータをそのまま読み上げる。


「314枚ですね。いやぁ中々見ない数ですよ、これは」


 そしてそのままおどけた声で購入を進めた。


「しかしハチロウ君から在庫数の確認なんて……もしかしてハチロウ君。これを全て買っていただけるんですか?」


 セルにとってそれは半分冗談で半分本気だった。

 こんなに羽を抱えても使い道がない。それならば軍畑の言った通り、借金でもなんでもさせて、ハチロウに押し付けてしまおうと思っていた。


 それにここにきての連絡。セルの中にもしや今回も、というある予感があった。


「あぁ、その羽、全部売ってくれ」


 だからハチロウからそう聞いたとき、セルは半分驚いたが半分は冷静に受け止めていた。

 このような無理な大量受注をハチロウはセルに過去にもしたことがあったのだ。


「そのお金はどうするつもりです、また借金ですか」


 セルはそれを本気と受け止め、茶化すことなくすぐに交渉に入る。ハチロウも悩むことなく速答する。


「方法はそっちに向かいながら話す。だから、とにかく今は俺を信じて羽を持ってグース東門の外に出てきてくれないか」


「OK、なにやら自信がありそうですねぇ。交渉はその方法を聞いてからでも遅くないでしょう」


 セルは観客席から離れ急いで倉庫に向かった。その間もセルはハチロウの方法に耳を傾け続けた。



 ♯



「こちらが『転移の羽』314枚。全て受け渡し完了しました。これで交渉は成立です」


「ありがとう、恩に着る」


 ハチロウとセルは指定通り、東門の外で落ち合った。

 その間にセルは羽を準備し、ハチロウはトークである方法を説明し終えていた。


 最初、ハチロウの方法を聞いてセルは自分の耳を疑った。

 ハチロウは本命馬のメリーゴーランドを抜き、穴馬のアイを優勝させると言い出したのだ。


 確かにそんなことが出来れば、大半の予想は外れとなり、親の総取り。つまりは仕切り役であるセルの一人勝ちに近い形となる。

 『転移の羽』の資金はそれを当ててくれということだった。


「やはりこの話は冗談でしたか」とそこまで話を聞いてセルは倉庫への足を止めそうになった。

 現状でも見て分かる通り、八百長やおちょうでも使わなければアイが上位に食い込むことなど、ましてメリーゴーランドを抜き去ることなど出来るわけがなかった。


 そこで話を白紙にしようとしているセルに対し、ハチロウは「最後まで聞いてくれ」と必死で割り込んできた。


 アイを優勝させるための秘策があるのだと。


「いや~、ハチロウ君の秘策を聞いたときは耳を疑いましたよ。まさか、そんなことが出来るとは……」


 セルは先程説明された内容を思いだし、感心したようにうなずく。


「俺もこれをひらめいたとき、自分が天才じゃないかって疑ったよ」


 ハチロウは羽根を受け取るとクックロビンから降り立ち準備を始める。アイテム欄を確認し、屈伸運動をする。


「確かにこんな無茶苦茶な方法、ハチロウ君ぐらいしか思い付かないかもしれませんね」


「でも本当に良かったのか? もしかしたら不正扱いされて棄権になるかもしれない。そしたらこの計画は全部パーだ」


 セルはそれを聞いて、細い目をさらに細めて笑う。


「ハチロウ君、常にリスクの低い道を進むことが商人ではないんですよ。たまにはこうして危険な橋を渡ることもまた、商人には必要なんです」


 それに大丈夫です、とセルは人差し指を立てる。


「今回のレース、企画はあなた達に特別甘いノジールさんのところです。それに今、レースはここ最近の中で最高潮の盛り上がりを見せている。古参ギルド『ノワール』がそれに水を指すような空気の読めない行動はしませんよ」


 ハチロウもニヤリと笑う。


「実は俺もそう踏んでる」


「フフ、ハチロウ君も中々の悪ですねぇ」


 お前ほどじゃねぇがな、とハチロウがツッコミを入れたとき、クックロビンが「くぅぇぇぇ」と羽根をばたつかせた。


「どうやら準備が出来たようですね」


「あぁ」


 二人は野生化したクックロビンを見て頷き合う。ハチロウはそれと共に手元に『転移の羽』を出現させた。


「そいつに触れないように気を付けてくれよ」


「分かっていますって」


 セルはハチロウとクックロビンから距離を置く。

 その時にはクックロビンはハチロウを標的に絞り、ハチロウは白い光に包まれつつあった。


「では、御武運ごぶうんを」


「あぁ、行ってくる」


 そしてハチロウは文字通り空間と空間を跳んだ。クックロビンは逃がすものかとハチロウの後を猛スピードで追いかける。


 セルの前から一人と一匹の姿はすぐに見えなくなった。


 完全に行ってしまったことを確認するとセルは今回のために手配した協力者達に一斉にトークを入れた。


「皆さん、私たちの話をちゃんと聞いていましたか。レースの結果はそのようになるみたいです。ただ今回、穴馬といっても『悠久の黄昏』の券を買った方はそれなりの数います。しかし今の段階で彼らはもう諦めて紙をポケットに丸めているか、捨てているかしているでしょう。

 いいですか、皆さんはその券をこっそりと回収してください。多少の勝利も分け与えてはいけません。今回のレース、勝ちを拾うのは我々だけですよ」




  ♯ ♯ ♯




 東門へと猛スピードで迫る影があった。観客の一人がそれを目の端で捉える。

 最初は何かの見間違いかとそのまま目を反らそうとするが、その影を追う二つ目の影を目にすることにより、それらが錯覚ではないと確信するのだった。


「あれはなんだ」


 一人が声をあげることで、群衆ぐんしゅうの目は一斉いっせいにそちらに向く。


 影は二つあり、それは追いつ追われつの関係のように見えた。


 先頭を走る影は次々と白い光に包まれ、空間を飛び越えるように移動を繰り返している。

 何かの魔法やアイテムを使っているように見えるが、頻繁ひんぱんに繰り返しされる発光と、あれほどの高速移動を実現する魔法もアイテムもこのゲームには存在しなかった。


 もう一つの影は最初の影とは一転、砂ぼこりを上げながら必死に先頭を走る影を追っているようだった。

 一見普通に走っているだけのように見えるが、やはりただの走りであれほど早く移動する方法はこのゲームには存在しない。


 あの二つの影はなんなのか、運営による新たなアップデート、或いはゲーム内のバグか。

 観客の中より様々な憶測が流れる。


 そんな中、それはこちらに近づくにつれか輪郭が浮き上がり、いよいよその正体があらわとなった。


「てめぇ、今ごろ何しにきやがった」


 先頭の影はハチロウだった。


 正体が分かるなり観客から罵声と缶が飛ぶ。

 投げられた缶がハチロウに当たるかと思われた瞬間、ハチロウは空間をワープしさらに先の地点へと移動していた。


「あぶねぇじゃねぇか、お前ら」


 ハチロウも負けじと言い返す。


 ハチロウはアイが応援されていることは知っていたが、その経緯で自身が悪者になっていることを知らなかった。

 ただこういう場面に慣れているハチロウは罵倒されることに特に驚きもしない。


『悠久の黄昏』はいつも、そんなギルドだった。


「ハジロォォ、はやぐアイじゃんのどころへ」


 荒れる観客の中からゲンさんが顔を覗かせる。

 サングラスの片側が割れ、オールバックに固めた髪は原型がないほどしわくちゃに乱れきっていた。人混みに揉まれに揉まれ、ひどい有り様だった。


 ハチロウはそんなゲンさんに余裕の笑みで親指を立てる。


「あぁ、もちろん」


 その一言の間にゲンさんは再び観客の中に埋もれ、姿が見えなくなってしまった。

 それでもハチロウは人混みの中に突き立てられる親指を見つけ、強く頷く。


 ハチロウは勢いを落とさないまま東門を越えた。

 そしてそこで一旦立ち止まり、観客を見渡すように振り返った。


 観客の視点が一点に集まる。


「お前らぁ、よく聞けぇぇぇっ」


 罵声が街を埋め尽くす前に、ハチロウはらん限りの声を上げた。観客席から一瞬の静寂が生まれる。


「いいか、今からお前らにスゲーミラクルを見せてやる」


 ハチロウは仁王立におうだちを決め、右手で天高く指を差す。


「このレース、優勝するのは『悠久の黄昏』だっ」


 そして、最高の笑顔で勝利宣言をかかげた。


 あまりの発言にきょを突かれ観客は言葉を詰まらす。

 だが次の瞬間には幾百いくひゃくもの罵声や疑問が投げ掛けられると思われたとき、やはりハチロウの方が先に発言する。


「だから、お前らぁ。後ろの奴には絶対攻撃してくれるなよ」


 言い切ると再びハチロウは観客席に背を向け、ワープ移動を開始した。


 瞬間、人々のざわめきは戻り一層に激しさを増した。


 だが、一位を取る? 後ろの奴? というハチロウの意味深な発言に、観客の中では罵倒よりも疑問の声の方が大きくなっていた。

 相変わらずハチロウは白い光に包まれながら、小刻みなワープを繰り返している。


 遠目には何だか分からなかったが、近くで見ることでハチロウが何をしているかを理解する者は多数いた。

 ただ、その行動と発言の意味まで理解できた者は現段階で誰もいなかった。


 呆気に取られた空気の中、観客の横を追跡者が猛スピードで走り抜ける。ハチロウの登場でこちらに意識を置いていたものは誰もいなかった。

 突風にあおられ、コース近くの観客は嫌でもその存在を認識する。


 ――クックロビン?


 風の煽りの隙間から目を細め、その正体を確かめる。


 砂ぼこりを上げながら走る追跡者は水色のクックロビンだった。


 ロビンレースなのだから、それは当然そうだろうと観客は納得しかける。だが、その違和感にすぐ気が付いた。


 クックロビンは背中に誰も乗せていないのだ。それだけではない、前方を走るハチロウを喰い殺そうとせんばかりの必死な表情を見せている。


 あの獲物を狙った姿は飼われたクックロビンではない。

 まさに野生そのもののクックロビンだった。


 ハチロウの意味深な小刻みなワープと発言、そしてそれを想定外の速さで追いかける野生のクックロビン。


 ――まさか、そういうことか。


 ここで初めてハチロウの計画を理解した者が表れ始めた。

 その観客は一旦驚きの表情を見せた後、必ずニヤリと笑みを浮かべた。

 その中でもアイに賭けていた者はさらにガッツポーズを決め、満円の笑みを浮かべるのだったが、券を何処にしたのかとポケットや周りを必死に探し、見付からないことが分かると絶望の表情へと変化するのだった。


「あのバカが」


 大衆のざわめきの中、高台から乗り出すようにして軍畑いくさばたは苦虫を噛む。

 一方隣のノジールは腹を抱えて大笑いしていた。


 この二人もこの段階でハチロウのやろうとしていることを完全に理解していた。


 ハチロウのやろうとしていること。


 それはシステムの穴を突いたオートエイムのバグ技だった。


 クックロビンは冒険者が最初に遭遇そうぐうするオートエイムを備えたモンスターだった。

 そのためなのか、このモンスターのエイムにはある条件が備えられていた。


 いわく、どんなに早く逃げようが必ず追い付いて攻撃を加える、というものだ。


 冒険者が遠目でクックロビンを発見し、そのまま逃げられてしまってはオートエイムの仕組みと恐ろしさを伝えられないと運営側が考えたためなのかは分からない。

 とにかく一度エイムされてしまえば、例えノジールやメリーゴーランドのご自慢のクックロビンを用いても逃げきることは不可能だった。


 速度設定がされているという訳ではない。遭遇そうぐうから何秒以内にプレイヤーに攻撃を開始する、そのように設定されているのだ。

 そのためこのモンスターから逃れるにはワープ魔法やアイテムでクックロビンの視界から逃れ、一旦エイムを外す必要があった。


 ここでハチロウのひらめき、発想の逆転である。


 では、ワープ先をあえてクックロビンの視界ギリギリ、エイムの外れない箇所かしょに設定したらどうなるのか。

 さらには、それを繰り返したらクックロビンはどれほどの速度で追いかけてくるのか。


 これがハチロウの考えであり、そして、その結果が今まさに目の前の展開そのものだった。


 つまり、ハチロウの先ほどからの高速移動。あれは転送アイテムである『転移の羽』をクックロビンのエイムから外れない超近距離に設定した、連続使用による擬似的なものだった。


「いくら凡庸ぼんようアイテムとはいえ『転移の羽』は決して安いもんじゃねぇ。あいつ、あれをやるのにいくらかかると思ってやがるんだ」


 軍畑いくさばたが吠える。

 すでに回数は数えていないが、ここくるまでゆうに数十回は使用していた。


「つか、問題はそこじゃねぇ、こんな人の多いところでの転移アイテムの連続使用だぁ、サーバーに負荷かけて運営に目を付けられたらどうするつもりだ」


 すぐにでもハチロウを止めに行くため軍畑は高台の縁に足をかける。

 そこにノジールの大きな手が延びた。


「落ち着けぃ」


 そのままえり根っこを掴み、ノジールは軍畑を軽々と持ち上げた。軍畑は空中で足をばたつかせる。


「親分、止めないでください」


「まぁ待て。周りの状況をよく見ろ」


 そう言ってノジールは軍畑を観客席の方へと向かせる。


「今お前が止めにでも入ってみろ。それこそ暴動が起こる」


「しかし、サーバーが。それにあんな異例認められるわけには……」


「あの程度でサーバーが落ちたりはせんよ、それに認めるも認めないも、今すぐ決めなければいけんわけでもあるまい。ゴールの後でも問題はあるまいよ」


 ガンと譲らないノジールを見て軍畑は抵抗を止める。

 それにノジールの言っていることは正論だった。

 ここで止めに入れば、それこそ何が起こるか分からない。


 今やレースはここ数十回どころか、全レースを含めても類を見ないほどの大盛況となっていた。

 声援、歓声、罵声、笑い、泣き、観客は様々な顔色を見せ、全員がレースに夢中になっている。


「わしらのギルドは確かに今回のレースの企画だ。だがな、軍畑よ。何も企画だけで祭りを作り上げるわけではない。祭りはそれを楽しみにしたお客を含め、みんなで作り上げていくものだ」


 観客の視線の先、そこでは今にもハチロウは最下位のアイに迫ろうとしていた。

 アイを追いかける応援団が左右に道を開き、ハチロウをむかえ入れる。


「わしらはやるところまでやった。あとはこのレースのすえを見守ろうではないか」



 ♯



 アイの背中が見えたとき、ハチロウは安堵するような、ワクワクするような不思議な気持ちになった。

 それは例えば遠足の当日、バスに乗り込むようなそんな気分に似ていた。


 安堵はアイがそこにいてくれたこと、それに自分自身が間に合ったことに対するもの。

 そしてもう一つの高揚感。

 これはこの先に待つ、己の頭に描かれた未来図によるものだった。


 ようはハチロウは早くアイに伝えたくてウズウズしていたのだ。


 それは朝のレースを説明した時とはまるで違う。

 あのときのハチロウの欺瞞ぎまんと妄想ではない。

 ハチロウのそして『悠久の黄昏』の本心そのものだった。


 そういえばアイにレースの説明したのはものの数時間前だったな、とハチロウは過去を振り返る。

 ハチロウには朝のアイとのやり取りがすでに遠い昔のように感じられていた。

 そう思えるほどにハチロウの中にある変化と決意があった。


 もういつわらない、不格好で何が悪い。

 『悠久の黄昏』に救われた俺の思いを、そのままアイに伝えるんだ。


 ハチロウは草原で過去を思い出したとき、心の中でそう決めていた。


 そしていざ決意が固まると、ヒーローの登場は格好よくなけりゃな、とそんな無駄なことを考えられるほどに、ハチロウの中に余裕が生まれ始めていた。

 それをハチロウ自身もよく理解していた。

 今ならなんでも出来る、そんな気分だった。


 相変わらずハチロウへの罵声は大きい。


 だがゲート内で囲まれていた時とは違う。

 今のハチロウはそんなものに心を折られたりはしなかった。

 むしろ皆が俺に注目してくれていると、心が弾んでいた。


 観客の応援もとい罵声を力に変えてハチロウは飛ぶ。


 ハチロウの予定では颯爽さっそうとアイの前に登場するはずだった。

 しかしアイは罵声を気にしたのかハチロウが辿り着く前に後ろを振り返り、ハチロウを発見してしまった。


 これではあまり格好が付かない。それでもハチロウはアイの表情を見た瞬間、そんな考えどうでも良くなっていた。

 アイの元へ早く駆け付けたい。

 その思いで一杯になった。


 アイは今にも泣きそうな顔をしていた。とても怯えていた。

 そうさせたのは俺自身だ。ハチロウは酷く後悔した。


 すぐにでも謝りたい気分だった。

 それでも、今そんなことをしても現状は何も解決はしない。

 だからハチロウは懺悔ざんげの思いを込めて、代わりに精一杯の笑顔でアイの名を呼んだ。


「アイぃぃぃぃ」


「ハチロウぉぉぉぉ」


 アイと呼んだ声は木霊こだまとなり、すぐに自分自身の名となってハチロウの元へと返ってきた。


 ハチロウはその声を全身で感じ終えると再び羽を使い飛んだ。

 そして、アイの声に応えるように彼女の目の前へと姿を表すのだった。



 ♯



「ねぇハチロウ、今の何?」


 アイはハチロウが目の前に表れると、さまざまな言いたいことをおいて、今のハチロウの行動に疑問をぶつけた。

 さきほどまで泣きそうな顔をしていたのに、今は頭にハテナマークを浮かべ好奇心に目を光らせている。

 それを見てハチロウは、ひょうきんなものだな、と呆れる。

 アイもハチロウも顔を会わすことで安心し、こんな最中でもいつもの二人へと戻っていた。


「それはな」とハチロウがアイの疑問に自信満々で説明しかけたところで、後ろから追跡者が表れた。

 さきほどからハチロウの後を追っていた野生化したクックロビンである。

 ハチロウがワープ移動を止めたため、追い付いてきたのだ。


 突然の登場にアイが目を丸くする中、クックロビンはそんなのもに目もくれずハチロウに攻撃を始める。それを見たアイがさらに変な顔をする。



 アイの元へ野生のクックロビンをみちびくこと。

 ここまではハチロウの計画通りだった。


 そして、ここが正念場だった。

 ここからはハチロウだけでは叶わない。アイの協力が必要だった。


「アイ、これに飛び乗れっ」


 ハチロウは景気良くアイに叫ぶ。

 だが、突然そんなこと言われてもアイには何が何だか分からない。

 朝にブラックスワンに殺されたことが過ったのか、少し怯えながら雛ロビンから離れようとしない。


 それはそうだよな、とハチロウはアイを見て思う。急にそう言われ、実行できる人間がどれだけいるか。


 それにアイは何も知らないのだ。

 『悠久の黄昏』のこともこの世界のノリもルールも。


 それはハチロウが教えなかったからだ。

 だからこそ、ここが正念場だった。


 ハチロウはアイを説得してなんとしても伝えたいことが、見せたい世界があった。


「ごめん、俺さ、嘘付いてた」


 ハチロウは先程とは違い、声のトーンを落としボソリとつぶやく。

 例え覚悟を決めていたにしても言いづらいことには変わりなかった。


「え、なに?」


 アイはハチロウの声を聞き取れずに聞き返す。

 今はレース中なのだ。辺りには様々な雑音が広がっており、ハチロウのか細い声などは簡単に消え失せてしまう。


 ハチロウはそこで大きく息を吸い、腹を決める。あまり時間も残されていなかった。


「ごめんっ、俺嘘付いてた! 『悠久の黄昏』は全然凄いギルドなんかじゃないんだ!

 格好悪くて情けなくて、変人ばっかりの集まりで、あれを成しげたのだってたまたま運が良かっただけなんだ!」


 本当はアイに聞こえる程度の大きさでしゃべるつもりだった。

 だが、覚悟を決めたハチロウの声は力が入りすぎ、大音量で街中に響き渡ってしまった。


 突然の告白に何事かと観客も驚き静まり返る。


 渾身こんしんの告白をしたハチロウも、それを聞いたアイもその声と内容に驚き、お互いに目を丸くしたまま、黙り合ってしまった。


 そうしてあれだけ煩かったレース会場に静寂が訪れた。


 だがそれもほんのつかの間に過ぎず、周りからぷつぷつと笑いが上がり始める。


 最初、それは圧し殺したような笑い声だった。

 しかしそれは感染するように広がっていき、やがて大きな笑い声へと変わっていった。


「そんな真面目な顔で言わんでも、みんな知ってるよ!」


 そうして観客の一人がハチロウにヤジを飛ばし、いよいよ笑いの渦は制御不能となった。

 観客は腹を抱え、あちらこちらを叩き始める。


「あいつ、ついに言いやがった。それもあんな大声で」


 ハチロウの声は高台まで響いていた。

 もちろんそこにいた軍畑いくさばたもノジールにもばっちりと聞いていた。

 軍畑は今にも笑い転げそうな体で手すりを掴み、ひぃひぃ言いながら必死に堪えている。


「まったくよ、最初から格好付けなきゃ良かったんだ。そうすりゃここまで情けねぇ姿を晒さねぇですんだだろうに、まったく……」


 そこまで言って軍畑はいよいよ耐えられなくなり、下を向いてしまう。

 苦しそうにむせる軍畑を尻目にノジールは腕を組んだまま二人を見ていた。


「なかなか時間がかかったようだが、まぁ若いうちに遠回りを経験するっての良いことだ」


 ノジールはそうして一人頷く。目には満足げな笑みを称えていた。


「それに遠回りだとしても、歩むことを止めなければ必ず目的の地へとたどり着ける。人生はそういうもんだ」


 ノジールは二人を見ているようでその目は遠く見ていた。もしかしたら過去の自分を今の二人に重ねていたのかもしれなかった。


 そうして渦中かちゅうの二人を完全においてけぼりに、事態は変化していったのだった。


「まぁ、その、つまりそういうことだ」


 もうこうなってしまってはハチロウも後には引けない。最初から大声で告白するつもりだったと言わんばかりに両脇にこぶしをあて、ふんぞり返る。

 だがそんな演技も意味をなさないほどにハチロウは顔だけでなく耳まで真っ赤になっていた。

 クックロビンはそんなハチロウを茶化すように攻撃を続ける。


 しかし、恥ずかしさに顔を赤くしているのはハチロウだけでなかった。

 ハチロウと対峙するアイもまたその一人だった。


 アイはハチロウに言われるまで、本当に『悠久の黄昏』が偉大いだいなギルドだと信じていた。

 その信頼はある種、妄信的だったと言っても良い。実際ハチロウ一人の言葉だけでは信じなかったかもしれなかった。


 ところが結果はこの通りだ。ハチロウの渾身こんしんの告白をみんな大笑いしている。


 さすがにこの状況でハチロウの言葉を信じないほどアイもバカではなかった。

 そして、いざ自分の信じていたものが違ったとなると、この世界に来て自分のとったあれやこれやの行動が蘇り、途端に恥ずかしくなった。


 これだってそうだ。

 あんな真面目な顔でゲンさんに頼み込んだり、こうしてレースに出たりして自分は何をしているんだ、とアイは今すぐにでもここから消えたい気持ちで一杯だった。


「ハチロウの嘘つきっ」


 だから、アイはその気持ちを全部ハチロウに向けた。クックロビンと同じようにハチロウの胸にパンチを入れる。


「嘘つき、へたれ、意気地無し、自分勝手、卑怯もの」


「ごめん」


 ハチロウは避けることなくそれをすべて受け止めた。恥ずかしさで誤魔化したくなったものの、謝りたい気持ちは本当だったのだ。


 文句を言い終わると、アイはキッと顔を上げた。ハチロウは目を反らすことなく正面から見つめ返す。


「さっき、飛び乗れって言ったよね。あれどういうこと」


 アイは恥ずかしさのあまり、この時点ですでにやけくそだった。どうにでもなれと本能のままハチロウにたずねる。


「アイに見せたい世界が、『悠久の黄昏』として教えたいことがあるんだ」


 ハチロウも負けじと本心で答える。

 もう自分自身に対してもアイに対してもいつわる時間は終わったのだ。


「それはこれに飛び乗れば、分かるの? 見えるの?」


「あぁ、もちろん」


 アイの瞳に好奇心が浮かぶ。だが、そこには一抹いちまつの不安がよぎっていた。


「嘘じゃない?」


「嘘じゃない」


 ハチロウはきっぱりと言い切る。しかしそれだけの言葉では足りないこともハチロウには分かっていた。

 それだけのことをしてきたのだ。

 だからそのまま言葉を重ねる。


「俺はアイにも自分にも嘘をつき続ける最低のヘタレ野郎だ。それは分かってる。でもこれから伝えたいのは、俺だけじゃない。『悠久の黄昏』の、あいつの教えてくれた信念なんだ。だから、もう一度だけ信じてくれないか」


 それを聞いてアイの目に一つの決心が宿やどる。

 もうそこに不安の二文字は浮かんでいなかった。


「分かった、信じる。でもハチロウ約束して」


「あぁ」


「もう私に嘘付かないで。それでみんなが笑ってる、『悠久の黄昏』の本当を全部見せて」


 ハチロウはその言葉を聞き、空をあおいだ。目尻に熱いものが込み上げてきていた。


 もう俺はこの子に嘘を付かない。自分も偽らない。さげすまされてもいい、あきれられてもいい。

 俺のやってきたこと。俺の大事な場所を全部この子に教えてやるんだ。


「おうよ、男の約束だ!」


 泣き顔は『悠久の黄昏』に似合わない。

 ハチロウは自身の涙を振り払うため、先程より大きな声でそれを宣言する。


「私、男じゃないし」


 観客がざわめく中、アイは仏頂面ぶっちょうづらでマイペースにツッコミを入れる。


 そうだ、その変人っぷりこそ俺らのギルドに入る資格がある。


 ハチロウは「分かってるって」と頷き、アイに手を差し出す。


「さぁ、アイ。あまり時間もない。飛び乗れっ」


 アイはすぐに飛び移ると思いきや躊躇ちゅうちょする。この雛ロビンをどうするか悩んでいるようだった。

 そこにタイミング良く追い付いたゲンさんが後方から顔を出す。


「アイちゃん、ハチロウ」


「「ゲンさん」」


 二人の声が重なる。

 そして顔を会わせ頷きあうと、アイは雛ロビンから離れ、クックロンに精一杯しがみついた。


「ゲンさん、この子をお願い」


 アイがクックロビンに張り付いたことでターゲットがアイに変更される。

 だがすかさずハチロウがパンチを加え、タゲを再びハチロウ自身に戻した。


 急にきたゲンさんは何事かと驚きながらも、独り身となった雛ロビンを取り押さえていた。


 これで準備はすべて整った。

 あとはこのまま走り抜け、先頭へと追い付くだけだ。


「わぁ」


 アイはなんとかクックロビンの背中によじ登り、その高さから周りの光景を見て感嘆かんたんした。


 さきほどまでは走りきることに必死で周りが何も見えていなかった。


 そして、いざ顔をあげるとそこに怖いものなんて何もなかった。

 観客はみな笑っていた。


 その背後には飛び交うバルーンに空砲。

 なんてことはない、当たり前のお祭りの光景が目の前に広がっていた。


「な、怖がることじゃないだろ。別にみんなお前に悪意があったわけじゃないんだ。ただ一緒に楽しもうとしてただけなんだよ」


 ハチロウは下から優しく声をかける。腕を伸ばしストレッチ運動を始める。


「空気を読むとこは読み、乗るところは盛大に乗れ、それが今この世界のルールであり文化なんだ。なんでそうなったかは追々説明するよ。でも確かにそれを知らないで急に触れたらそりゃ驚くのも無理はないわな」


 優しかったゲンさん行動。レース中のみんなの応援。あれはさらし者にされていた訳じゃなかったんだ。

 みんな真面目に私を応援してくれていたんだ。


 アイの中で暖かいものが込み上げてきてくる。

 そして、そんなものに怯えていた自分自身も、それに気付かず真面目に応援してくれていた観客も、なんだかそれらが急に滑稽こっけいに思え始めた。


 気が付くとアイは自然と笑ってしまっていた。


「何それ、バカみたい」


「おうよ、今ここに残ってるのはそんなバカばっかりよ」


 観客から「お前ほどじゃねぇがな」とヤジが飛ぶ。

 ハチロウはおぉ怖い、と恐がるポーズをそちらに向ける。


「そしてな、ここからが『悠久の黄昏』の信念だ。これは何も今の世界になってから生まれたことじゃない。俺が入団したときに聞かされたものだ」


 そこでハチロウは一旦言葉を切る。アイの顔をまじまじと確認する。


「今のその顔は『悠久の黄昏』として合格だ」


「え、どういうこと」


 突然そんなことを言われアイは戸惑ってしまう。

 ハチロウは構わずに続ける。


「あいつはさ、悠久乃彼方は俺に同じことを云ったんだ。

 な、急にそんなことを言われても意味が分からないだろ。そういう何事も唐突なやつだったんだよ」


「それで合格ってどういうこと? 私はもう『悠久の黄昏』の一員だよ」


 ふふん、とハチロウは鼻を鳴らす。

 そして「今度は振り落とされるなよ」と言って、『転移の羽』を使用した。


 アイの目の前からハチロウが消え、はるか前方に現れる。クックロビンがハチロウを追うため急加速した。

 アイは離されないように必死にしがみつく。


「ねぇハチロウ、どういうこと?」


 かなり離れたところにいたと思っていたハチロウの背中が一気に目の前に迫る。

 これがシステムのバグを利用した想定外の速さだった。


 アイはなんとか落ちないようにしながら、それでもハチロウに大声で話しかける。


「あいつはさ、俺に教えてくれたんだ」


 そう言いながらハチロウはワープを続ける。アイの前からハチロウの背中が遠ざかったり近付いたりする。


「でも、俺はそれをずっと忘れてた」


「だからさ、アイには絶対忘れないでいてほしいんだ」


「『悠久の黄昏』の信念を」


「これから話す本当のことを」


「焦らさないで早く教えてよ!」と前置きの長いハチロウに待ちきれず、アイは所持しているアイテムを適当にハチロウに投げつけた。


 それはハチロウの頭にクリーンヒットし、ハチロウは危うく転びかける。


 こんなマイペースな二人だから、真面目な場面でもなかなか格好よくは決まらない。

 ぐだぐだで、ダサいままだ。


 ハチロウは頭を押さえながらアイの方を振り返る。その顔は怒っていると思いきや、ニヤリと無理な笑顔を浮かべていた。


「いつ何時も笑い、この世界を楽しめ、これが『悠久の黄昏』の信念だ」


「ハチロウ、変な顔」


 真面目なことを必死な作り笑いで答えるハチロウのギャップにアイは笑う。


 本当に決まらない。

 それでもハチロウもそんなアイを見て、自然な笑みを浮かべる。


「しかも何その信念。当たり前のことじゃん」


 その当たり前が大切で難しいんだ。あいつはそれを俺に教えてくれた。

 でも純粋なアイはそれを当たり前と言ってのける。


 さっきのお前は仏頂面ぶっちょうづらをしていたんだぞ、とはハチロウは言わない。

 今はただこうして笑っていてくれれば、この言葉を覚えていてくれればそれで良かった。


「おぉよ、その当たり前が俺達の信念よ。そうだ、そのいきだ。笑え笑え」


 格好よく決まらなくても良い。

 ぐだぐだで、ダサくったっていい。


 それでも、伝わるものはある。


 そうして二人はしばらく笑い合った。

 それは二人が出会ってから始めてのことだった。



 ♯



「さて、アイ。笑いについてはこの辺で十分だろ、次だ」


「次って何?」


 ひとしきり笑い終わるとハチロウが更なるの提案を持ち掛ける。

 ワープを繰り返すハチロウを目で追い、アイはクックロビンの上からワクワクと尋ねる。


 そんなの当たり前だろ、とそれを聞いてハチロウは得意気に笑う。


「この世界を楽しむんだよ。それが俺たちの実行しなきゃいけない信念だ」


 そこでハチロウは人差し指を立て、アイに問題を出す。


「じゃあ、ここでクイズだ。俺たちはどうしたらこの世界を楽しくすることができるでしょう」


「もう私は十分楽しいよ」


 アイは素直な気持ちで答える。


 ハチロウが駆けつけてきてくれたこと、観客のみんなが真面目に応援していてくれたこと、アイにはそれだけで十分だった。


「いやまだ足りないだろ。そもそもアイ、なんで今レースに参加してるんだっけ?」


 ハチロウのヒントでアイはその答えにたどり着く。そうだ、本当にそれが出来たら、今よりもっと楽しいことになる。


 アイの顔に自然と笑顔を浮かぶのを見てハチロウは勢いづく。おどけた調子で続ける。


「ごほん、ところでお客さん、今日はどちらまで?」


 それはタクシーの運転手の真似だった。

 以前のアイだったらそんなハチロウのふざけたノリに、しかめっ面を返していただろう。


 でも、今のアイはもう以前の彼女とは違う。

 今は『悠久の黄昏』の信念を、この世界の正しい生き方を理解していた。


 アイは腕を精一杯伸ばし人差し指を前方へ向ける。

 その先は緩やかなカーブが続き、先が見えなくなっていた。


 それでもハチロウはアイのその意味を理解していた。


「運転手さん、先頭のその先のゴールまで」


「あいよ」


 そして、ハチロウはワープの間隔を早めた。

 これ以上スピードが出ないと思っていたクックロビンがさらにスピードをあげる。


 もし断トツビリっ欠を走っていた自分が先頭集団に追い付いたら、もしそのまま一位でゴールしたら、それは絶対に楽しいことだ。愉快なことだ。

 それにノジールとの約束も叶えられる。


 一石二鳥。それを試さないでどうする、楽しまないでどうする。


「いっけぇぇ、ハチロウ」


 二人はそうしてコースを一気に駆ける。観客席から応援と罵声とが飛び交う。

 それらの声は今や二人のさまたげにはならなかった。

 二人はまるで悪戯いたずらを叱られる子供のように、その声の中を笑いながら走り抜けていく。


 ちょうどコースの中間地点、二人は集団の尻尾を捕まえる。


「そこをどけぇぇぇ」


 ハチロウはペースを落とさないまま集団の間を抜けていく。それにクックロビンとアイが続く。

 今の二人は無敵だった。

 すぐさま集団を抜け、彼らを置き去りにする。


 これであと一人。


 二人は頷き合い、そこでさらにスピードを上げた。景色がどんどん後ろへと流れていく。


 そして外周の終わり、ついに先頭のメリーゴーランドを視界にとらえた。


 メリーゴーランドはここにきてやっと自分に視線が集まり始めたことに安堵の表情を浮かべるが、後ろからの追跡者に気付きその目をひんむいた。

 しかも、追い付いてきたのがあのノジールの話していた『悠久の黄昏』のやつだ。


 なぜ前を走るハチロウがクックロビンに乗らず高速移動をしているのか、なぜあの少女が乗り鳥を普通のクックロビンに変えたのか、メリーゴーランドには分からなかった。


 だがそんなものは今の彼には関係なかった。


 ノジールに行った宣戦布告を成し遂げる。

 そのメリーゴーランドの騎士道精神が、後ろからの追跡者に抜かせることを決して許さなかった。


貴様きさまらには決して負けんぞ」


 メリーゴーランドは二人の存在を確認するや、これまでの文句を全て呑み込み、愛鳥『白鳥の湖』を最大速度まで加速させる。

 流石に優勝候補の一角を担っているだけあり、その速さは他のクックロビンの群を抜いていた。

 すぐにその姿は最後のコーナーの向こうに消え、見えなくなってしまう。


「くそ」


 ハチロウも追跡を試みるがすぐには追い付くことができない。

 外周を一周して最後の直線に入るこのカーブ。クックロビンの視界から外れないことがきものエイムバグでは、どうしてもこういった急カーブでまごついてしまう。


 勝負は東門から西門へとドミノ街を貫く大通り、最後の直線にたくされた。


 歓声の中メリーゴーランドがたくみなコーナリングを決め、大通りに入る。

 それから少し遅れてハチロウとアイが姿を表す。


 すでにその時、メリーゴーランドは直線の四分の一を走り抜いていた。後ろから現れる二人を見て、彼は勝利を確信する。


「まだだぁ」


 ハチロウは大通りに入り、ワープ先をはるか前方へ定める。

 

エイムバグはゆるやかなカーブや、急な角などではその効果をあまり発揮できない。


 しかし反面、こういったまっすぐ続く広い通り。そこではクックロビンのエイム範囲を最大限まで利用出来る。


「うわぁぁぁ」


 クックロビンの最高速度にアイは離されないように必死にしがみつく。

 メリーゴーランドとアイの差はみるみるうちに短くなっていった。


 そして大通り中央。二人は遂に肩を並べた。

 彼ら三人を夕日が赤く染め上げる。


 そこにいた誰もが彼らの勝敗を見届けようと目を向ける。

 今この時、レースは最高潮の盛り上りをみせていた。


 その一瞬は限りなく引き伸ばされ、全てのものがゆっくりと流れていた。


 ハチロウは後ろを振り返りながら、一人前方を走っていた。

 その口許には、この世界には楽しいことだらけだという風にニヤニヤと笑いがあふれていた。


 アイもそれに負けないくらい笑いながら、前へ前へ、と人差し指を空高く付き出している。


 面白かったのはメリーゴーランドだ。そんなはずがない、とハンサムな顔を原型が分からないほどに歪め、横に並ぶアイをガン見していた。


 ゲンさんは雛ロビンを抱えながら、隣にいる見ず知らずの観客の首に腕を回している。

 絡まれた観客は迷惑そうな顔をゲンさんに向けるが、そのことにゲンさんは一向に気づく気配はない。


 アイに賭けていた者は、それでも諦めきれず再び必死に無くした券を探す。商人のセルは集められたその券をおうぎに高みの見物を決め込む。


 高台では軍畑いくさばたがこの後の処理をどうするかとため息を付き、ノジールはこれで良いのだと一人納得しながら暖かい視線を二人に送った。


 そして街中の歓声の中、メリーゴーランドの『白鳥の湖』の鼻先をアイがゆっくりと越えていった。

 その姿をメリーゴーランドが驚愕きょうがくの目で見送る。


 その二人の背後、ちょうど街の中央にあたるこの地には最後のアップデートで実装された一つの巨大な石碑が立てられていた。


 このゲームが人気を博した理由。それは一度倒したボスは二度と復活しないという現実に即したテーマだった。

 プレイヤーはみな、我先にとボスのいる塔へと挑んでいった。


 しかし、有限であるということはやがて終わりが訪れることを意味していた。


 そしてこのゲームも遂に最上階のラスボスを倒すものが現れ、終わりを告げることとなる。

 それがこのダイアフラグの歴史だった。


 この石碑にはその歴史が、各階層をクリアしたギルドの名前が刻まれていた。


 これに刻まれた名を記念の証だと言う者もいれば、戦反の印だと言う者もいた。それもそうだ、ラスボスさえ倒さなければ、あの楽しい時間はまだまだ続いたはずだったのだ。

 実際に表では尊敬するものの、裏で彼らを恨んでいる者も少なくはなかった。


 しかし今この時、この石碑を意識する者は誰もいない。


 笑い、泣き、怒り、悲しみ、誰もがなんらかの表情をみせ、レースに熱をあげていた。


 この世界を楽しめ、ハチロウの中に彼方の言葉がよみがえる。


 あぁ、俺はこの世界がどうなろうとも、楽しむよ。ここでアイと二人で生きていくよ。

 ハチロウは胸にちかう。


 夕日の中をそうして笑いながら駆け抜けていく。



 この世界はクリアされることでアップデートが打ち切られ、終わりが告げられた。

 それにより多くの者はこの地を去っていった。


 それでもここから人がいなくなるということは決して無かった。

 彼らは彼らなりに考え、この世界を盛り上げようと努力していた。


 そして今、ここに残った住民は誰もが夢中になり、レースを、この状況を楽しんでいた。


 今も彼らはこの世界で生きていた。


 最後のアップデートから早二年。

 この世界は今もこうして続いていく。


 石碑には一階層から順にボスを倒したギルドの名が刻まれている。

 そしてその石碑の文字の一番上。


 『悠久の黄昏』


 そこには確かにその名が刻まれていた。




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