第10話 落ち着かない気持ち

 貼り方が悪かったのだろうか、あの絆創膏はあっという間に剥がれてしまった。それに、傷だって全然大したことなくて、うっすら赤みが残っただけだった。

 昨日までの俺なら、絆創膏が剥がれてしまうことに、もっとガッカリしただろう。前に貰った時も、剥がれかけるそれを惜しむ俺を見て、左京がからかった程だったから。


 今朝、廊下ですれ違った高木さんは、俺の怪我を心配してくれた。

 昨日までの俺なら、きっとそれを無邪気に喜んだだろう。


 でもなぜか素直に喜べなかった。


 昨日の昼からあいつが変だ。

 昨日の帰りも、今朝も、休み時間も、話しかけようと思っても、全身で拒否されてるみたいで、うまく話しかけられない。

 俺、なんかしたか?

 思い返してみても思い当たるようなことが何もない。


「……訳わかんねぇ」


 距離が出来てから丸一日経った昼休み。

 俺はいつもの螺旋階段で牛乳パックにストローを差した。

 手もとには唐揚げバーガーが2つ。片方はあいつにやろうと思って、ダッシュして買いに行ったのに。

 あいつのことだから、好きなもん食ったら機嫌が直るかと思った。俺がなんかしてたなら、その時謝ろうとも思った。


 でもどこにもいない。


『ちょっと右京!カップケーキあげるなんて言ってないけど!』

『はいはい、焼きそばね、わかったわかった』

『お疲れっ!喉乾いてる?……はい、これ牛丼のお礼!』


 泣きそうな顔と、掠れた声――あいつのあんな姿は、初めて見た。

 何であんな顔したんだろう。

 何で怒ったんだろう。

 何であんなに悲しそうだったんだろう。


「あぁ!くそっ」


 唐揚げバーガーの包みを1つ開けると、いい匂いがあたりに広がったけれど、なんだか今日はあまりそそられない。


「なんか旨くない」


 頬張ってみても、いつもの感動は得られないうえに、胸のあたりにつっかえた何かが、入ってくるなとそれを塞き止めているようで、ちっとも食べ進められない。


 つまらない。

 俺はあまり味のしないそれを無理矢理口に詰め込んだ。


 ***


「おーい!お前たちちょっと手伝えー!」


 6限目の終了と同時にまた俺は話しかけるタイミングを逃してしまう。

 校舎裏に積んである屋台の骨組みを移動する力仕事をしなきゃいけなくなった。


「うちのクラス、場所いいじゃん!」

「水沼、引き強ぇー!」


 校門を入って、向かって右の一番広いスペース。

『右京!右京!いい場所引いた!!』

『場所なんか悪くても……』

『焼きそばやろっ!!』

『え?』

『やきそばっ!!作るのうまいんでしょ?!』

『いや……はぁ?』

『え?嘘なの?』

『いや、嘘じゃねぇよ!』

『じゃあ決まり!もうみんなには話してあるから!』


 そして彼女は全身で笑った。


『唸らせてよ?』


 ――と。



 作業を終えて教室に戻れたのは帰りの会から一時間もあとのことだった。


 また見えない彼女の姿。

 また帰ってしまったのかと、何故か肩が落ちた俺は、廊下で作業中の女子に聞いた。


「あー、未央?買い出し!!赤が足りなくなっちゃって」


 すると一人の子に、ほら!と赤いペンキの缶を見せられた。よく見ると、色んな奴が色んな板に赤いペンキを塗っている。さらに言うと、何人かが教室で最後の仕上げにかかっているエプロンの色も赤だった。


「……ペンキだけか?」

「いや、ペンキの他にも色々!」

「……あいつ一人で?」

「うん、そうだけど?」


 重い荷物を我慢しながら運ぶ彼女が目に浮かぶ。


「大丈夫じゃない?未央、いつも何でもやってくれるから。ね?」

「うん」

「一人で大丈夫って言ってたしね?」

「うんうん」


 あちこちを忙しなく走り回ったり、雑用を全部背負いこむ彼女の姿は何度も見てきた。

 だけど。

 だから……俺は少しイライラした。


 ――手伝ってやるって言ったのに。


「あれ?右京くんどこ行くの!?」


 返事もせずに飛び出した。

 廊下に広がる模造紙、絵の具、ボンド……みんなワイワイ騒ぎながら、楽しそうに作業をしている。

 俺の胸のあたりは、徐々にざわつき始め、足は勝手にスピードをあげた。



「……くん!」


「……京くん!」


「右京くん!!」


 体育館前のホールを横切ったあと、何度も俺を呼んでいたらしい高木さんに気が付いた。


「あ、あぁ。ごめん」


 ――愛しの高木さん。

 それは間違いないはずなんだ。

 呼び止められるなんて嬉しいはずなのに。

 止めた足が落ち着かない。

 胸のあたりも落ち着かない。


「未央知らないかな?」


 高木さんも探しているようだった。

 肩で息をしている。

 あちこち探し回ってるのか、そう思った。


「……買い出しに行ってるらしい」

「そっか」

「……あいつになんか用事?」

「あ、うん。今日のお昼、中庭に来なかったから……」

「見つけたら教えるよ。でも、もし高木さんが先に見つけたら、……俺も探してたって言ってくれるかな?」


 彼女は深く頷くと、人波を縫い消えて行った。頷いた彼女はとても不安そうな顔をしていたから、彼女たちの間でも何かあったんだと予想がついた。


 この学校に来てから、いや、この街に来てから……こんなに落ち着かないのは初めてだった。

 彼女がどこまで行ったかわからない。

 どこの店を回っているのかわからない。

 それなのに、彼女のもとへと進みたがる俺が慌てて慌てて仕方ない。


「俺、まだ全然じゃん……」


 すっかり慣れたつもりでいたのに…外靴に履き替えた時にやっと、そうじゃないことに気が付いた。

 あいつがいないだけで、ただそれだけで…親からはぐれた子供のようだ。


「……こういう時どこ行くか、まだ教えてもらってねぇよ」


 なぁ、水沼。

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