第12話 彼の香り

「高木さん、最近水沼さんとなんかあった?」


 橘さんにお花を配達したら、お母さんじゃなくて左京くんが出た。

 玄関の扉を、伸ばした片方の手で押さえたままの彼。

 こんな時なのに、広げられた彼の長い腕に、不謹慎にもドキドキしてしまう。


「なんにもない……とは言い切れなくて」


 歯切れの悪い私。

 もし、私がしてしまった余計な行動を知ったら彼は呆れるだろうか。それだってすごく怖かった。


「上がっていきなよ」


 彼は空いている方の手の親指を室内に向けてそう言ったあと、私の心を読んだのか『右京ならまだ帰ってきてないよ』と微笑んだ。


「千草ちゃん紅茶でいい?」

「は、はい!すみません!!」

「あとね、これ貰い物なの!食べる?」

「は、はい!頂きます!!」

「千草ちゃん!!これね……」

「……母さん!!」

「だってー!我が家に女の子が来るなんて初めてなんだもん」


 何度も部屋のドアを開けるお母さんを、左京くんが牽制すると、橘さんはそう言って膨れっ面をした。

 可愛いその姿と『初めて来た女の子』という言葉にドキドキが込み上げてくる。

 私は、落ち着きを取り戻そうと、淹れてもらった紅茶にお砂糖とミルクを入れてくるくる混ぜた。

 粘るお母さんの背中を軽く押したあと、扉を閉めた彼は、苦笑いをしながら目の前に腰を下ろす。いつもは見上げるくらい高い彼の目線が、私と同じ高さになったせいで、結局のところ落ち着きを取り戻すなんて出来なくなってしまう。そんな私に気が付いたのか、彼は優しい口調で話し出し、またあの温かい眼差しを私に向けた。


「ごめんね。えーっと、今度は何をお困りですか?」


 この間と一緒で、彼は急かしたりしない。

 この空気が好きだと思った。


「……ハンカチと絆創膏、思わず出しちゃったの。未央より先に……」


 ――それが未央を怒らせたんだと思う。


「あぁ、木に引っ掻けたってあれか」


 彼は軽く頷くと私の返事を待った。


「なんでもっと気遣えないんだろう、そういうところ……未央の気持ち知ってるのに、空気読めてないよね」

「水沼さんは、右京のこと好きなんだ?」


 私の言葉たちから、未央の気持ちに気付いた彼は私にそう確認する。


「……あ」


 未央の気持ちを、勝手に、しかも相手の弟に言ってしまったことに気付き、今さらながら黙りこんでしまう。

 ――このこと、左京くんには相談できないってちゃんとわかってたのに、私は本当に何してるんだろう。自己嫌悪すぎてフォローの仕様がない。


 一人ぐるぐる悩んでいると彼は突然『ぷっ』とふきだした。


「また、自分を責めてるでしょ。『勝手に未央の気持ちばらしちゃった』とか『左京くんに相談してる自分どうなの』とか」


 左京くんには敵わない。私の考えてることなんて全部筒抜けだ。


「……はい。もう……その通りすぎて」


 私の返事を聞いた彼の表情はみるみる解れていく。


「右京になんか言わないし、それに、水沼さんの気持ちも何となく想像できてたから大丈夫だよ」

「え?」

「うん。多分、本人以外は気付いてるよ」

「そ、そうなの?」

「水沼さん、わかりやすいよ?……それに」

「……それに?」

「その絆創膏に関してだって、仕方ないよ。高木さんはきっと、相手が誰だってそうしちゃうんだから」

「……左京くん」



「すごく優しいって、普通の人なら長所だって胸を張るとこ。高木さんの良いところだと俺なら思うけど?」



 彼の言葉たちは、いつも私を救ってくれる。

 平凡な私が、もしかしたら可愛い女の子になれるのかも。そう勘違いしてしまうほどに。

 彼の表情は、相変わらず優しくて、穏やかな眼差しに吸い込まれてしまいそうになった。


『何か協力する?』と彼は言う。


 正直言うと、その優しい言葉に思わず甘えてしまいそうになったけれど……

 小さい頃から未央は私の一番の友達で、どの思い出を切り取っても、いつも隣にいた。

 性格が正反対の二人。

 明るくて活発な未央が、何故おとなしい私と一緒にいるのかと周りから不思議がられていたのを私は知っている。それも一度や二度じゃない。

『千草、大好きなの。それ以外に理由いる?』

 いつか未央がそう答えているのを偶然聞いたことがある。嬉しくて嬉しくて堪らなかったのは、私も同じだったから。

 別に理由なんてないけれど、一緒にいると居心地が良くて、その空気さえも大好きだと思う。ずっとそう。これからも……そうだと思いたい。


 いや、そうしたいんだ。


「ありがとう。でも、ちゃんと自分で話せる」


 私の決意に、彼は微笑み深く頷いた。


 彼の家から、うちまでの緩い下り坂を私は駆け足で降りていった。

 風を受けたパーカーから彼の部屋の匂いがして、ドキドキが甦った。

『大丈夫だよ』

 いつも、彼はおみやげをくれる。

 私を勇気づける優しい言葉と、温かい気持ち。それがもっと増えたらいいな、なんて、そんなことまで考えてしまう。


 ねぇ、未央。


 話したい。

 未央と話したい。

 待ってて。

 ちゃんと謝るから。


『頑張れよ』


 正面から受けた風。

 なぜか左京くんの声が聞こえた気がして頬が緩んだ。

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