第13話 涙とトイレ

 失恋してもお腹は空くらしい。

 次の日の朝、お腹がすいて目が覚めた。

 昨日、散々泣いたせいで、目は真っ赤に腫れ上がっている。

 私のそんな様子に気が付いた母は、何も聞かずに冷たいタオルを持ってきてテーブルの脇に置いた。

 濡れタオルは思ったよりも効かないけれど、何気ないその母の優しさに弛んだ涙腺が反応してしまいそうになった。


 右京の気持ちを知って、2日め。

 腫れぼったいこの顔と目を誰にも気付かれたくなくて、ずっと下を向いていた。休み時間には寝てるふりまでした。

 お昼休み、いつもの中庭も避けてしまった。

 ……わかってる。

 そんなにいつまでも逃げていられないことくらい、ちゃんとわかってる。

 わかってるけど……。

 放課後、買い出しを引き受けたのは、もちろん教室に居づらかったからだった。


 もっとダラダラ動けば良かった。

 すぐに終わった買い物に、自分の手際のよさを今日だけは恨んでしまいそうだった。

『かっこいいよ、水沼さん!』

 一緒に買い出しに行くことになった左京くんがそう言ってはしゃぐ。てっきり彼はクールな人だと思っていたから、その表情はかなり意外だったけれど、笑った顔の端に右京が見えた気がして切なくなった。


 一緒に買い出ししたかったな。


 寄り道でもしてしまおうか。

 意気地のない、もう一人の私が何度も叫んだけれど、袋の中の赤いペンキと画用紙、それに油性マジック数本。

 これがなきゃ作業は進まない。

『覚悟を決めなさい』

 校門の前で気合いを入れた。


 左京くんがいて良かった。

 彼は気が付かないふりをしていたと思う。

 優しい人だと思った。


 あの日から3日め。

 まだ……勇気が出ない。千草からのラインも既読無視してしまった。

 罪悪感にかられたけれど、なんて返事していいかわからなかったから……。


 週が開けて月曜日。

 今週末に迫った学校祭でみんな朝から騒がしい。


 ――カップルも増えた気がする。


 下駄箱。

 廊下。

 階段。


 キラキラするカップルたちの前を通りすぎ、教室に近付くにつれ、相変わらず緊張は濃くなっていく。だって右京を避けてばかりいるのに、私のセンサーはまだまだ性能がよくて、どこにいても何をしていても彼を見つけてしまう。

 それは、悲しいくらいに的確で……悲しいくらいにスピーディーだったから、私はちっとも彼を忘れられていない。


 彼とはあれからずっと話していない。

 たまに目が合ったけれど、彼が口を開こうとする度に理由をつけて誤魔化した。


『私、嫌われたかな』


 自分でそう仕向けたくせに、いざ言葉にすると辛くて辛くて仕方ない。

 学校で一人になれる場所なんてトイレくらいしかないから、一番奥の個室でよく泣いた。


「最近未央が右京くんの回りちょろつかなくていいよね!」


 足音と一緒に聞こえてきた声。

 ドラマや漫画でよくあるパターン。

 まさか本当に起こるなんて。


「そうそう!右京くんには釣り合わないのに。」

「この前、泣きましたー!って顔してなかった?」

「してたしてた!ブスだった!」

「きゃはははははは」

「振られたんじゃない?」

「釣り合わないし!」


 あぁ。またか。

 実は何度も聞いたことのあるセリフ。


『右京と私が釣り合わない』


 前は、言いたい奴には言わせておけって思ってたけど。

 ……今は正直キツいなぁ。

 今の私は針のような攻撃にも負けてしまいそう。枯れたと思った涙がじわじわ溢れだして、喉の奥が焼かれるように熱く苦しくなった。


「み、未央を悪く言わないで!」


 瞳に溜まった涙は、零れる直前に止まる。

 この声……

 よく知っている声。

 いつもそばにいた声。


 扉越しに聞こえる声。そう、その悪意に対抗したのは、他の誰でもない……千草だった。


「あんたも左京くんに媚び売りすぎなんだよ!」


 わかる。

 そこに詰め寄られている千草がいる。

 わかる。

 そばに千草がいる。


 千草の性格は誰よりも知っている。

 優しくていい子なの。

 人に向かっていくことが一番苦手なの。


「み、未央は可愛い!優しいし、明るいし、何でも出来ちゃうし!う、右京くんの方が釣り合わないかもしれないじゃない!」

「はぁ?何言ってんの?!」

「あ、謝ってよ!未央のこと悪く言ったこと謝って!」


 逆に彼女たちを追い詰める千草。


 そんな子じゃないのに。

 私……理由も言わずにずっと無視してたんだよ?

 それなのに、私を庇うために、そんな力も使ってくれるんだね。


 一度は止まった涙が、再び溢れて止まらなくなった。

 悪口に傷付いたからじゃない。


 私を想う、温かい気持ちに触れたから。

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