第19話 命の在り処

「へえ、それじゃあなんとか無事だったんだ、そのなんとかっていう、お城の養い子連中の世話をしてる人」

「うん最初のころは血を巡らせるための力が弱まって危ないこともあったらしいけど、養育院の子達が呼び掛けたら力を取り戻したみたいだって先生が言ってたよ。こういう時には親しい相手の呼びかけが一番いいですねって、先生笑ってた」

「そうね、特に子供の声を聞くと、しゃんとしなきゃと思って背筋が伸びるから、うっかり死んだり出来ないでしょうね」


 セヌとライカの会話に対して、母親らしい感想を口にするセヌの母の声に、ライカはなんとなく気持ちが温かくなるのを感じた。


 大騒動の後、噂の魔女に触れられて倒れたということで、ライカも治療所での簡単な診察を受け、苦い薬を飲まされる羽目となった。

 その直後、他に何かをする間も無く領主のラケルドと警備隊のザイラックに拉致されて当時の様子を根掘り葉掘り尋ねられることとなってしまう。

 ただでさえ大変な出来事の後だけにそれは酷く疲れるやり取りだったが、手間賃として腸詰め肉を分けて貰えたので、ライカとサッズに不満はなかった。


 しかしさすがにその日は疲れきって、話を聞いたらしく家で待っていた祖父が作ってくれた粥を食べてすぐに寝てしまったのだが、次の日に、多めに貰った腸詰め肉を、知り合いに事情を説明したりしながらお裾分けをして回ったのだ。

 そして今現在は、ライカ達はセヌの家に来ていた。

 いつもの子供達で溢れている時間では無いせいか、普段はあまり姿を見せないセヌの母親も珍しく一緒に会話に加わっている。

 その膝の上では、かなり大きくなって意味のある言葉と謎の幼児語をごちゃまぜでしゃべり出したセヌの弟もいた。


「ねーたん、ちゃっちゃっ」


 その弟はどうやら姉がお気に入りらしく、今もセヌに向かって何かを要求しているようである。


「お茶がほしいのかな?」


 その片言を理解しようとライカが首をかしげた。


「違うよ、そばに来いって言ってんの。こいつ自分がうちで一番偉いと思ってんだよ。どうも甘やかし過ぎたんだね」


 セヌの言にその母がクスクスと笑って、ぐずる弟の頬を優しく撫でる。


「お姉ちゃんが好きなのよ。ライカさんに取られると思っているんだわ」

「よくわかりますね」


 難解な幼児の言葉をすんなり理解する二人にライカは感心する。


「家族ならそんなもんじゃないか?」

「そっか、そうだね」


 サッズの基準は輪によって意識が繋がっている竜の家族なので、その認識としては少し間違っているのだが、この場合は特に問題にならない。

 ライカもなんとなくそういうものとして納得してしまったからだ。


「それにしてもよかったわ、その方が無事で。誰かを守る行為はとても美しい行いだけれども、もしその時その人を失っていたら、庇われた子はきっとずっと自分を責めてしまうもの。人が亡くなるだけでも辛いのに、そんなことになれば犠牲になった方も辛いでしょう。そういう悲しいことは起こらないほうがいいですものね」


 そう言いながら、セヌの母であるフォスは、優美な手つきでカップにお茶を注ぐ。

 彼女の指のそのほとんどが曲がらないとは思えない、流れるような所作だ。

 よくライカはその動作がきれいだと他人から言われるが、セヌの母である彼女と比べると、鳥とカエル程の差があるとライカ自信には思えてしまう。

 尤も、ライカの所作はセルヌイ譲りなので、決して自分が酷いとも思わない。

 しかしその師でもあるセルヌイと比べても、彼女は別格と考えるぐらい洗練されていた。

 しかも彼女の用意した茶器は独特の作りの物で、驚く程繊細であったので、なおさらにその白く細い指の優美さが映えて見える。


「綺麗なカップですね。そっちのは水差しに似てますね。素焼きの器に色を付けているんですか?」

「これは火を入れて焼いて作られた器なのよ。ちょうど炭焼きみたいな感じで焼くのだそうよ。そうすると器も長持ちするし、焼く時に色付けすると色落ちもしないのですって」

「ほんとだ。普通の素焼きより少し硬いですね。石を削って作ってるみたいにも見えるな」


 ライカは自分に配られたカップを持ち上げて注意深く眺めた。


「石だともっと重くなるようですよ」

「そうなんですか。セヌのお母さんは博識ですね」


 ライカは心から称賛するようにそう告げる。

 セヌの母はくすりと優雅に笑った。


「いいえ、博識だったのはお祖父様のほう。私はお祖父さまから教わっただけなんです。それもとっても覚えの悪い生徒でした。それに、我が家には沢山の書物がありますし、何かを知りたいと思えば調べることが出来る環境なだけなのですよ」


 彼女は、部屋の奥を見透かすように視線を投じた。

 この家は元々あまり広くは無いのだが、蔵書が屋内の半分以上を占めているせいで更に住居としては狭くなってしまっている。

 全体的に貧しいレンガ地区のいち家庭が持つには多すぎる、驚くべき蔵書量だった。

 普通、書物が存在する家など滅多に無いことを考えれば、それはもはや異常過ぎる量である。

 ライカがそれに対して平気でいられるのは、セルヌイの収集している人類文化圏を網羅するような蔵書を見て育っているせいで、さほどの驚きが無いからに過ぎない。


「俺も色々読ませていただいています。ありがとうございます」

「いえ、読み手の無い本など焚き付け以下だとお祖父さまもおっしゃっていましたもの。逆に子供達に読んで聞かせていただいている御礼を言わなければならないぐらいですわ」


 たおやかで美しい女性。

 誰もがそう思うであろう彼女は、しかし、数年前に権力者の悪意によって生死を彷徨うような酷い目に遭っている。

 指が動かないのも、腕の長さが違うのも、足が少しねじれているのも、全てその時の傷の影響だ。

 そして、娘であるセヌも、その時の落とし子なのである。

 だが、現在の彼女からは微塵もその暗さは感じられず、ただ母として、女性として、凛とした美しさがあるだけだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 帰路に着くライカとサッズを、珍しくセヌが見送りに出た。

 夕刻の鐘が、ひっそりとしたレンガ地区と他の地区との境の通りに大きく響いて聞こえる。


「あのさ……」


 ずっと何かを言いたそうにしていたセヌは、その音色に背を押されるように口を開いた。


「母さんが言ってただろ? 誰かの犠牲で助かっても助けられたほうはずっと苦しいってさ、あれって母さん自身のことなんだ。母さんは戦でさ、あたいぐらいの年に家族も国も無くしてて、母さんと爺ちゃんだけ逃がして貰ったんだって。それも爺ちゃんは母さんを守るために一緒に逃げたらしいんだ。母さんはそのことでずっと自分を責めてて、前の領主に酷いことされて、体が不自由になってもさ、そのことの罰だと思えばなんでもないって思ってるんだ。でもさ、それって変だよな。だって、母さんを逃した人達は母さんが好きだったから逃したんだろ? だったらさ、その人達のためにもそんな風に思っちゃ駄目なんじゃないかなってあたいは思うんだ。あたい母さん大好きだけど、そういう所がなんかヤなんだよ」


 セヌは珍しく、小声でぼそぼそと喋った。

 家族の、それも一番大好きな母親への非難である。

 セヌにとっては言いづらいことだったのだろう。

 それでもライカ達に話したのは、誰かに吐き出してしまいたかったからに違いない。


 ライカはセヌの項垂れた顔を見て、少し考えて言った。


「それじゃあさ、逆に考えてみたらどうだろう?」

「逆に?」

「そう、例えばさ、お母さんがセヌを庇って死んじゃったりしたら、セヌはそのことを後悔しないで生きていける?」

「う……」


 セヌはライカの問いに思わず詰まると、難しい顔をして唸った。


「俺はちょっとだけセヌのお母さんの気持ちがわかるな」

「ライカが?」


 ライカは頷くと少し遠くを見る目になる。


「俺の母さんはさ、まだ赤ん坊だった俺を庇って崖から落ちて身動きが出来ないような怪我をして、少しずつ弱って死んでしまったんだ。そんな姿を見るのはちょっと辛かった。いっそ母さんのことを知らないままのほうが楽だったんじゃないかと思ったこともあるよ。きっと俺のほうがセヌのお母さんより身勝手なんだと思う。でも、きっとさ、セヌのお母さんは亡くなった自分の家族のことをとても大事に思っているんだと思う。今の家族のセヌ達と同じぐらいにね」

「うん」


 まだ俯いているセヌに、ライカは笑顔を向けた。


「あのさ、俺が育った所ではさ、死ぬって感覚がちょっと違うんだよ。だから俺は母さんが死んだ時、少し寂しかったけど辛くはなかったな」

「死ぬのはどこでもおんなじだろ? そこで終わりでもうその先にはいなくなるってことだ。良き魂は精霊の守る天上の庭に辿り着いて幸せに過ごすって言うけどさ、実際に行った人の話なんか聞いたこと無いし、戻って来れないならいないと同じじゃないか。そういうのと何が違うのさ」


 セヌが顔を上げて聞いた。

 ぎゅっと潜められた眉に強い瞳。

 落ち込んでいる時でさえ、この少女はどこか挑戦的だった。


「う~ん、考え方かな? 俺を育ててくれた方達はこう言ったよ。命というのは大きな力の流れの枝分かれしたものだって。目に見える形や、その身に蓄えた知識を失っても、命そのものはまたその大きな流れに戻って、新たな形に変化していくんだって」


 セヌはライカの言葉を吟味するように難しい顔をしたが、やがて肩をすくめて口を開く。


「でもさ、新たな形に変化したら姿が変わって何も覚えてないんだろ? それってさ、消えるのとどう違うのさ?」

「そうだね。だから死という変化はとても厳粛に扱われるべきことだし、母さんが死んだ時も大々的に葬儀を行なってくれたよ。でも、それでもその人だった命は消えたりはしない。その人だった経験をその命の中に刻んで、大きな流れを豊かにしているんだって。そしてまた何かに変化して世界に現れるんだ」

「ふーん」


 セヌはわかったようなわからないような顔をしていたが、やがてニヤリと笑うと、その小さく伸びやかな身体を精一杯伸ばして天を掴むように背伸びをし、ひらりと身を翻した。


「うん、なんかさ、悪くない感じがする。母さんにもその話をしてみるよ。ちょっとは何かが違うかもしれないし。ありがと! じゃ、またね!」

「ああうん、またね!」


 セヌの姿はたちまち小さくなる。

 意識の切り替えのあまりの速さに置いてきぼりにされたようなライカだった。


「なんというかいつも忙しないなあいつは」


 サッズは二人のやりとりを興味がなさそうに聞いていたが、セヌが帰るのをほっとしたように見送るとぼそりとそう言った。

 どうやらサッズは遠慮のないセヌの扱いに困惑している部分があるらしい。

 理性の上ではライカに親しい者であるから家族に準じた程度の距離感を考えているのだろうが、本能的な部分がどうしても一定の距離を取りたがっているのだ。

 その辺りが無意識下でストレスとなっていて、特に相手から距離を詰められると息苦しいのである。


「それにしても、そうか、人間は今の体が死んだら消えてなくなるって思ってるんだな。存在するものを完全に消すなんてできるはずもないのに」

「人間には光が当たっている物を見るための目しかないからね。自分が見えている物で判断するしかないならそれが当然じゃないかな? それに、同じ存在はそこから永遠に失われるんだし、あながち間違ってもいないだろ?」

「はっ! 馬鹿らしい。それを言うなら今この瞬間に存在する物だって次の瞬間には変化しているぞ。永遠にそのままの物のほうが有り得無いだろ。変化ってのはそういうことだ」


 ライカはそう言ってのけるサッズを意味ありげに見た。


「サッズ、じゃあさ、俺が死んでも平気だよね?」


 ライカの言葉に、サッズは思わず目を見開く。


「は? 何言ってるんだお前」


 ライカは苦笑をしてみせた。


「だってさ、考えてもみてよ。俺は多分サッズより先に死ぬよ。ううん、サッズだけじゃない。タルカスやセルヌイやエイム、みんなを置いて俺は先に死ぬ。人間は竜ほど長く生きないからね」


 ライカは苦笑を柔らかい笑みに変える。


「さっきの、セヌのお母さんの話みたいに、俺は誰かの後悔になりたくない。だから誰かのために生きたり、誰かのために死んだりはしないよ。そのために『家』を出たんだ。俺は自分が望んだままに生きている。だから、サッズには俺が死という変化のなかへ旅立っても平気でいて欲しいんだ。きっとさ、他のみんなはわかっているけど、サッズだけはわかっていないと思ったから、丁度いいから今言っておく」


 サッズは眉根を寄せてひとつため息を吐くと、宣言した。


「俺も自分の好きに生きてるぞ!」

「はいはい、わかってるよ。だからこっちに来たんだろ? わがままだよね、サッズは」


 むっとした顔で、サッズはライカの頬を捻る。


「一番わがままなのはお前だろ。ったく、育て方を間違ったよな」

「ふ、俺もサッズを育てたようなもんだからね、お互い様だね」

「あー言えばこう言う、ほんとに口ばっかり達者になりやがって」

「仕方ないだろ、サッズの頭が悪いのをカバーしているうちに自然にこうなってたんだから」

「お・ま・え・な!」


 両方の頬を抓られそうになって、ライカはひらりと身を躱すと、夕暮れに色付く草に覆われた空き地を走り抜けた。


「ほら、サッズ、今日はごちそうだから早く帰るよ! 途中の市場で残った葉っぱがあれば安く譲ってもらおう」

「葉っぱなんてどうでもいいだろ! せっかくの肉なんだからそれだけで!」

「繊細な味がわからないようじゃ女の子にモテないぞ」

「うっ」


 つい反論に詰まったサッズに、ライカが勝利の笑みを浮かべる。


「ちょっと待て、食い物と女の子になんの関係があるんだ?」

「ミリアムがね、女の子と仲良くなりたいならまずは美味しい食べ物だって」

「た、確かに正論だ!」


 自分が食い意地の張っているサッズにとって、その価値観と一致した理屈は酷く正しい物として認識される。

 それに竜族の求愛に使われるのは食べ物であることが多いため、現実に即してもいた。


「という訳で、急ごう!」

「お、おう?」


 何かごまかされたような釈然としない物を感じながらも、サッズは慌ててライカの後を追って走ったのだった。

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