第18話 そのモノの在り方
ライカは、轟々と吹きすさぶ風を受けて、冷たく凍える両手を擦り合わせた。
ぼうとしているせいか、今どこにいるのかよくわからない。
風の強さや冷たさは地表遥かの雲の上を思わせたが、それにしては浮遊感が無いのだ。
むしろ身体が酷く重い感じがしていた。
「あ、声が、……サッズ?」
微かに、自分の内側から響いて来る声があることに気づく。
心声のようでもあり、輪に繋がってまどろんでいる時のようでもあり、そのぼんやりとした自分の思考に、むしろライカは戸惑った。
輪が繋がっているような感覚があるのに、上手くそれに焦点が結べないのである。
「?」
全身の重くだるい感じを除けば、眠くて意識が散漫になっている時のような感覚だった。
『ライカ!』
名に力と意味を込めて呼ばれ、ライカは反射的にビクリとして飛び起きた。
「あれ?」
どこかまだぼんやりとしたまま呟く。
起き上がった体を支えるように突いた手に、しっとりとした土の感触があった。
そして、呼吸と共に入り込んだ堆肥の匂いに、無意識に鼻に皺が寄る。
こればかりは、どれだけ経とうと慣れないであろう強い異臭だ。
「あれ? じゃないだろ、この馬鹿。心配させやがって」
ライカが声につられて顔を上げてみると、今迄気づかなかったのが不思議な程間近にサッズの顔があった。
「えっと? あ!」
何があったのか自分の記憶を探って、ライカは慌てて周囲を見回した。
すぐ近くには孤児達の守護者であるマァイアが横たわっている。
その体に、小さな女の子が泣いて取りすがっているのを見て、一瞬ひやりとしたライカだったが、マァイアの口から苦痛のうめき声が上がっているのを聞き取ってほっとする。
『冗談じゃないぞ! どういうつもりだ! 俺は止めたよな?』
それもつかの間、強調された心声がほとんどライカを揺さぶるような勢いで放たれた。
サッズの怒りを感じて、ライカは少しだけ申し訳ない気持ちになったが、さりとて、ライカとしても何も理由無く行動した訳では無い。
バンバンぶつかって来るその怒りを、ライカはやんわりと受け流した。
『だって、サッズはあのままだったら力を使ってまであの人を助けなかったよね?』
『当たり前だろ』
そう、それは疑問を覚えることすら有り得ないほど当たり前のことだ。
彼等竜族にとって身内以外は全てどうでもいい存在なのである。
良いとか悪いとかではなく、それが種としての在り方なのだ。
それでも、自由意志と知識と感情を持つ種族であるからには、たまに気に入った存在があれば彼等なりに気に掛けることもある。
が、それとても身内と比べるのもおこがましい程度だ。
ましてや言葉を交わした訳でもない相手である。
そのような相手のためにわざわざ不快なモノに関わるはずがないのだ。
『でも俺はさ、嫌だったんだよ。やっぱり俺は人間だからさ、気持ちを分かちあおうとするだろ? だから誰かが苦しめばその思いを受け取って、俺も苦しくなる。そんな俺の身勝手で悪いとは思ったけど、咄嗟にサッズを当てにしたんだ』
ライカのその答えに、サッズは意外なことに不快な様子は見せなかった。
それどころか、どこか嬉しそうですらある。
『そっか、俺に頼ったんだ?』
『うん。サッズの力以外助ける方法が思い浮かばなかったから』
『そうか』
今迄怒っていたくせに、既にそんなことなど無かったかのようにサッズの機嫌はよくなっていた。
ライカはそんなお手軽な性格の身内に若干の不安を覚えながらも、本人が満足ならそれでいいかと思い直し、すぐに倒れている男の方に意識を移す。
倒れている男、孤児の守り手であるマァイアを前にして、子供達はおろおろしたり泣いたりで、他の子よりもやや落ち着いている年長の十歳程度の子ですら、何をどうしていいかわからないでいるようだった。
『サッズ、さっきの変なのはどうなった? 吹き飛ばした?』
ライカの問いに、サッズはやや憮然とした顔ではあるが、キッパリと言い放つ。
『逃げた』
ライカは眉を潜めながらも、無言で先を促した。
『仕方ないだろ、お前の中に入り込んだヤバイのを取り除くのが第一だったんだから』
『それはその通りだね』
ライカもそこを責める気はないので頷いた。
サッズはライカに入り込んだと言ったが、そもそもはマァイアに入り込んでいたものがライカにも襲いかかっただけなので、結果としてマァイアのほうも助ける形になったのである。
『しかもアレときたら気配が希薄で掴みにくいし……』
そこまで言って、さすがにサッズも自分の言葉が言い訳じみていると思ったのだろう。
突然顔を引き締めると、真剣な顔で主張した。
『だがな、かなり削ってやったぞ! あれだけボロボロになればそのうち自然に消えちまうだろ!』
どうだと言わんばかりのその様子に、ライカはとりあえず素直に礼を告げた。
『うん、おかげで助かったよ。ありがとう』
そもそも、サッズの力が無ければアレに抗えただろうか? とライカは考える。
そう考えれば、サッズに礼を言うのは当たり前ではあるし、ライカからしてみれば体よく利用してしまったという申し訳なさもあった。
ということで、ライカから真っ直ぐに礼をしてもらったサッズのほうは、滅多にないことに満足したらしくニヤニヤしだしてしまう。
まだ意識が戻らない者がいる場所でさすがにそれはマズい。
ライカは、すかさず無言でサッズの弱点である耳の後ろ辺りに肘打ちを食らわして立ち上がった。
「お、お前なあ」
サッズは文句を言ったが、その打撃が当の相手にとっては撫でられたようなものだとわかっているライカはもはや一顧だにしない。
弟とはかくも理不尽な存在なのであった。
「治療所へ」
未だおろおろとしていた子供達は、ライカが立ち上がったことに、一瞬びっくりしたが、年長の子は、その言葉を聞き取って、はっとしてライカを振り返った。
「治療所へ行って先生を連れて来るんだ! 急いで!」
ライカの言葉に弾かれたように一番年上の少年が走り出す。
混乱さえ収まれば、保護だけ受けて生活は自分たちで行なっている孤児達は案外と判断と行動が早いのだ。
化け物がまだ近くにいるようなら、ここに戦う
ふらつきながらも倒れた男の元へと歩み寄ったライカだったが、やはり体の調子が戻っていない状態で急に動くのは無謀だったらしい。
危うく足をもつれさせ、転倒するところだった。
痛みなどは感じ無いのだが、どうにも力が入らないという状態で、ライカはサッズの言葉を思い出し、これがエールを食われるということかとぼんやりと思う。
サッズがそんな状態を心配して寄って来ようとするのを押しとどめて、ライカは子供達の背後からマァイアの様子を見た。
孤児達はライカが治療所の手伝いをしているのを知っているので、ライカが近づくと、自分たちでは出来ない回復方法を期待して、場所を譲って縋るような目を向ける。
ライカは、期待に応える程の自信は無いものの、先生が到着するまでに僅かにでも状態を知っておくことは無駄ではないだろうと思い、力なく投げ出されたマァイアの腕に触れた。
ユーゼイックが弟子達にいつも教えているのをライカは聞いている。
それに弟子では無いはずのライカにも、ユーゼイックは何かと自分の持つ知識や技術を伝えようとする所があった。
その中で覚えた通り、ライカはマァイアの命の流れを皮膚の上から感じ取り、その巡りに異常が無いかを調べる。
詳しいことまではわからなくとも、それなりにライカも治療所での経験があった。
命の流れを司る鼓動の、平常と異常の見分け程度はつくのである。
そうやって触れると、男の命の流れはやや弱かった。
しかし、その几帳面な程に規則正しく刻まれる鼓動に乱れは無く、まして止まったりはしていない。
先程マァイアがうめき声を発していたので、大丈夫だと思ってはいたライカだったが、そうやってみて、初めてひとまずは安心だろうと判断出来たのだ。
「大丈夫だよ、命の流れは安定してる。今すぐ危険なことは無いよ」
泣きそうな顔の、いや、既に泣きじゃくり始めていた小さい子達は、歪んだ引きつった顔という、笑顔になり掛けて固まってしまったような表情を見せると、やがて一人が声を上げて泣き出し、それが伝染していっぺんに火がついたように泣きだしてしまう。
その声が聞こえたのか、たちまち意識が無いはずのマァイアの顔がしかめられた。
それを見て取って、年長の少女が泣いている小さい子供達に諭す。
「ほら、うるさくするとおじさんの具合が悪くなるでしょ!」
ぴしりとそう言うと、その命令をする声におそらくは馴らされているのだろう。
まるでそのまま時間を止めたかのように途端に泣き声が止んだ。
ライカはその様子に思わず吹き出しそうになってしまったが、必死の思いで堪える。
「全く、とんだ騒ぎだったな」
サッズが、彼にしては相当消耗した顔でそう言って倒れるように座り込んだ。
その場所が畑の端っこで、野菜は植わってない部分であったが、肥料は撒かれていることをライカは知っている。
あれはしばらく匂いが取れないだろうなと思ったが、ライカは、取り敢えずはその件については黙っておくことにした。
不快な事が続いたのだ、更に不快な思いを今からすることはない。
たとえ、後でどうせ不快になるとしても、知らないという幸せも貴重な時間だとライカは考えたのだった。
― ◇ ◇ ◇ ―
――……ひと気の無い木々の影の中で、ソレは傷を癒す獣のようにうずくまりながら思い出す。
(あれは、熱い、空の太陽のような力だった)
長い歳月を掛けて集めた『死』の衣は、無残に引き裂かれ、もはや衣というよりただのもやにすぎない。
だが、ソレは、失った物のことはすぐに忘れた。
(あの子供!)
死衣の魔女と呼ばれるそのモノは、奪うことだけを考える。
だから、得られるかもしれない獲物について思いを巡らせた。
(最後に触れたあの子供、初めて感じる強い力が見えた)
淀む闇の中、そこだけギラギラと熾り火のように輝く二つの赤い光。
(もうこの貧弱な器は保たない。あの力の宿る身体が欲しい)
死を纏うモノ、死衣の魔女は、その存在を薄め、削られながらも、ただただ奪うことだけを考えていた。
「私は奪う、奪う者なのだから」
ブツブツと言葉を紡ぐその声は、人の物とは誰も思わないようなひしゃげた声。
衣の間から僅かに覗くその姿は、ガリガリの骨にただれたような皮膚を被った、まるでソレ自体が死者のようなモノである。
その、自身が死者に限りなく近いモノの口元が、ニィと笑みの形に歪んだ。
「私は奪う」
纏わりつく闇のような衣をかき合わせ、その姿はとろりと影に溶ける。
最後に赤い二つの光だけが、チカリと瞬いてやがて消えて行った。
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