第17話 災厄

 暗い通路にくっきりと響く軍用ブーツの音に、青年は悪態を吐くと手持ちの袋を裂いて急遽作った布きれを己の靴底に巻き付けた。

 それで足音が幾分殺せたことに満足して、また先を進む。


 彼は、数日前に死衣の魔女という怪しのモノの襲撃を受けたのだが、それまでの被害者とは違い昏倒すること無くやり過ごした。

 彼と、彼と共に哨戒をしていた仲間は、その心身になんらかの影響が出ていないかを調べるために大事を取って数日非番扱いになっていたのだが、この青年はその間を無為に過ごすことに耐えられず、勝手に独自で自身を襲った相手を探し出そうとしていたのである。


「あの気配、あれを忘れるはずもない。あの汚らわしく忌まわしい昏い気配、必ずや見付け出し、我が剣にて討ち滅ぼしてくれん!」


 彼の尊敬する騎士であるザイラックが、一人城内のあまり使われない通路を探索していたのを見て、彼もまたそれに習い自分が遭遇した場所に繋がる通路を探っていた。

 なにより、彼には一度相手に相まみえた経験という強みがある。

 だからこそ自分が誰よりも先に発見出来るという自信があった。


 彼が今下っているのは、かつて酒蔵があった場所だ。

 今はそんな奥まった場所にしまい込む程の酒の備蓄が無いため、不用品の倉庫となっていた。

 青年はその整然と並んだ不用品の山を通り過ぎ、更にその奥へと向かう。

 彼の勘に引っ掛かる何かがそこにあった。


「感じる。確かにあの気配だ。……ん? これはもっと奥があるのか?」


 青年はカンテラを掲げ持ち、周辺を照らし出す。

 そして板張りの壁を探り、そこに嵌め込み板のような物があるのに気づいた。

 彼がその板を外してみると、それは扉の止め具になっていたようである。

 彼等の国ではあまり使われない方式の扉止めなので、ぱっと見では誰もが装飾だと思い、そこが扉だとはわからなかったのだろう。

 扉は、長年使われていない扉独特の開けにくさがあり、更に取っ手らしき物をなかなか見つけられずに手間取る羽目になったが、青年は苦心の末、ようやく、ぎしっと軋みをあげる扉を開いた。

 途端に、青年の鼻先で澱んだ空気が動く。


「っ!」


 咄嗟に後方に跳んだ彼のそれまでいた場所を、凝縮した闇のような何かが通り過ぎた。


「魔女めが!」


 悲鳴じみた怒声が狭く暗い空間に響き渡る。


「そうか、命を我に捧げに来たか、よき心掛けよ」


 耳を汚すような、しゃがれた笑い声が青年に急接近した。


「核、存在の中心、集中しろ、心を乱すな」


 青年は相手の繰り出す得体の知れないうねる影のような攻撃を避けながら、知らず言葉に出して自らを叱咤する。

 尊敬する相手から初めて示された極意。それをこの短期間にモノにすべく必死だったのだ。


「さあ、我が衣となりし死霊達、この哀れな魂をその彩りの一つに加えるがよい」


 目前に渦を巻くように吐き気をもよおす汚濁じみた気配が集結し、青年の全身がゾッとそそけだった。

 だが、


「渦の中心! そこだ!」


 逆にそれこそが活路とばかりに、青年はあえて前へと力強く踏み込むと、渾身の斬撃が放たれる。

 確かな手応えと、殺到する恐ろしいまでの圧力を感じて、青年の意識はそこで途切れたのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 突然、ズン! と、城全体を揺るがす振動が起こり、城内が騒然となった。


 地震は、大陸全土において、時折弱いものはあるものの、滅多にあるものではないし、強い地震があったらあったでその時は歴史に残るような酷い被害が生じ、それは恐ろしい思い出となって子々孫々に引き継がれている。

 そんな大陸において地から突き上げるような振動は、人々をパニックに陥れるには十分であった。


「鎮まりなさい! 揺れはもう収まってます。まずは城内の備品のチェックを! そこのあなた! 石工のモダクを呼んで城の壁を確認させて!」


 悲鳴と怒号の入り交じる城内に女官頭の命が響き、下働きの者達はその一画から波が広がるように落ち着きを取り戻す。


「セッツアーナさん、ここが剥がれたようですけど」

「ああ、塗りの部分ですね。モダクが来れば補修の判断を下すでしょう。一応色石で印を付けておきなさい」

「はい」


 揺れの前まで掃除に勤しんでいた下働きの娘の一人が指示を受けて戻って行く。

 それを見送りながら、セッツアーナは自らの足の下を透かし見るように目を眇めた。


「何をも生み出さない化け物など、恐れる理由はないのですよ?」


 彼女の口元に笑みが浮かぶ。

 その笑みは、女性ならではの柔らかな物というより、まるで敵を前にした獰猛な獣のそれであった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「おい! 大丈夫か!」


 地下の倉庫で、血の気の引き切った様子のその青年が発見されたのは、それからしばらくしてからのことだった。

 発見したのは警備隊の風の班の長ザイラックと、城主であるラケルドである。


「申し訳……あと、少しで……」


 青年は生気の失せた唇から、必死で言葉を紡ぎ出す。


「あれを見つけたのか? とにかく今は無理をするな」


 青年の傍らでザイラックとラケルドが目配せを交わしていたその頃にも、事態は更に進行し続けていた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「兄ちゃん! あれ!」


 石造りの堅牢な城が突然揺れ、動揺しつつそちらを見ていた孤児達の元に、突如として城の裏手の通用口から滲み出すように、歪な人の形をした黒い塊が現れた。


 最初にそれを見つけたのは、力仕事が出来ないため、仕事を兼ねて雑草を抜きながら遊んでいた最年少の少女である。

 しゃがみこんでいだ少女は、びっくりしたまま揺れた城を見上げるようにただ見つめていたが、小さな体ゆえその視点は地面に近い。

 だからこそ通用口の隙間からにじみ出る黒い影に気づいた。


 きょとんとした顔でそれを見ている内に、広がったそれは人型になり、何かわからないながらも少女は怖くなった。

 そして兄と慕う相手に駆け寄って、それを指で示して見せたのだ。


「……忌々しい、命にしがみつく者のなんと多きことよ。だが、ほう、丁度いい。子供ならばまだ生きる力は弱いからね。さあおいで、無くした分の力を、その生命を、このあたしにおくれでないか」


 しわがれた声が影から響くと、影は歪んだ人の顔を形作る。

 子供達は震え上がり、我先にと逃げ散ったが、いかんせん、ここの孤児達には身体的に不自由な者が多かった。

 足が上手く動かず転ぶ者、恐怖のあまり立ち尽くす者、数人残ったそれらの子供達に容赦なく影が迫る。


「馬鹿どもが!」


 ガツンと、堅い義足が石を弾く音が子供達の耳を打った。


「たとえ身動き出来なくっても戦う気力は無くすなと、あれほど言っただろうが!」


 それは孤児達の守護者、片目、片足、片腕の男、マァイアであった。

 彼は、唯一の手に剣を握り、子供達と影との間に割り込む。

 片足の身であってなお、その判断と行動は驚くべき素早さだった。

 刹那、彼の振り下ろした剣は影を捉えたかに見えたが、しかし相手は人ではない。

 何の手応えもないままに、その歪なヒトガタは容易く分断され、しかし、分かれた先からまた一つに戻った。


 一方のマァイアは、力を込めた一撃が空を切ったせいでバランスを崩し、ドウとばかりに地面に倒れ込んでしまう。


「魂と身体に傷深き者。お前は自らが思うより、ずっと死に近いぞ」


 勝ち誇った黒い影が彼に触れた。

 庇われた少女、めしいた身のリアナが、見えぬ世界で繰り広げられる音だけの情景から恩人の危機を察し、大気を切り裂くような悲鳴を上げたのはそれと同時だった。

 孤児達の中で年長の少年が、悲鳴を上げ続ける少女を確保して影とマァイアから距離を取る。


「火だ! 昔とうちゃんから聞いたことがある、魔物には火を投じろって」


 少年が叫ぶや、一人の年長の少女が気丈にも叫びながら城の表に向かって走り出した。


「魔物が出た! 火を掛けて! おじさんが大変なの! 誰か助けて!」


 ライカとサッズが叫び声を聞きつけて駆け込んだのは、正にその時だった。


「どうした!」

「マァイアさん!」


 ライカは影に覆い被さられている男に慌てて駆け寄ろうとする。

 その腕を背後からサッズが掴んだ。


「あれは妄念だ! 触れるとエールを食われるぞ!」


 妄念とは拠り所を持たない意識のことだ。

 意識という物はそれを保つためにエネルギーを消費する。

 拠り所がない妄念は、それゆえに生物に寄生しその魂を吸い上げるのだ。

 一部の幻獣達の間では、それは熱の無い炎と呼ばれ恐れられていた。


「がはぁあ!」


 マァイアの身体がのたうった。

 黒いもやのような物が、さながらヘビのようにその身体を締め上げ、あろうことかその胸を食い破ろうとしているのだ。


「おじさん!」


 叫んだ孤児達が駆け寄ろうとする。

 妄念は肉体を渡っていく、彼らが今襲われているマァイアに触れれば孤児達も同じように妄念の餌食になるだろう。

 そのまま見過ごせば、そこには死に満ちた恐ろしい情景が広がることになるはずだ。


 ライカはエイム直伝の体捌きで、くるりと体を回してサッズから腕を取り返すと、そのままマァイアに突進した。

 懐に入れていた香り袋ポプリを取り出して黒い影に投げ付け、相手が怯んだ隙にマァイアの身体に巻き付いた影のヘビに掴みかかる。


 その瞬間、ライカが感じたのは身を切るような冷たさだった。

 次に襲ったのは、まるで体中に灼熱の針が突き込まれたような痛みと、同時に訪れた凍り付いたように指一本動かせない硬直だ。

 そしてライカの意識は遠のき、その目に映る世界が暗転する。


「ライカッ!」


 叫びと共に風が巻き起こった。

 誰もが目を開けていられない凄まじい暴風の中、影は引き裂かれ周囲の土はえぐり取られる。


 その、あまりにも暴力的な力が過ぎ去った後、目を開いた孤児達が見たのは折り重なるように倒れているマァイアとライカ。そして、その傍らに立ち、激しい怒りのまなざしを虚空に向けている、サックという名の、彼らがなんとなく苦手とする少年の姿であった。

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