第20話 人々の不穏

 実りの季節も終わりが近づき、未だ解決を見ない死衣の魔女の事件は、この街に深刻な影を落としていた。

 魔女が広大な森へ逃げ込んだという結論の元、領主より森への禁足令が布令され、それが解除されないまま無為に時が過ぎているせいである。


 この時期に森へ入れないのは、この街全体にとっての死活問題なのだ。

 冬場の薪や炭、貴重な狩りによる獲物、果実や木の実、主食となっている芋、松やいくつかの植物から採れる油、それらの大部分は今の時季に採取される。

 余所へ売り出すような目立った特産品を持たないこの街が、まがりなりにもそこそこの住人を抱えて自活出来ているのは、この森の恵みによるところが大きかった。

 それが途絶えればいずれ待っているのは飢えと寒さである。

 人々の不満は当然のものだ。

 そんな一触即発の状態に小さな火種が投じられることとなったちょっとした事件が起こったのは、朝の市場の一角からであった。


「どういうことなんだ!」


 男の大声が朝の賑わいを見せる市場通りに響いた。


「どうもこうもねえよ。怒鳴るなよおっさん」


 怒鳴った男のほうはどうやらそこを通りがかった市場の客で、怒鳴られた相手は露店を出している少年である。


「怒鳴りもするだろ? ああ? 今は誰も森へ入れないのに、なんでてめえはこんなもん並べてんだよ!」


 男の示す先にある少年の商品は、確かにいずれも森に入らねばまず採れないものばかりだった。

 季節の木の実や生の薬草、極め付けには獲りたての山鳥が並んでいる。


「てめえ、レンガ地区のガキだろ? 常日頃からあそこの連中はこそこそしやがってて気に入らねぇんだよ! どっかからこっそり抜け出して、自分達だけ好きなだけ採り放題やっててよ、俺らを馬鹿にしてやがんだろ! とうに分かってんだよ! へっ、そうそうお前らの勝手ばかり通ると思うなよ!」


 男は少年の並べた商品をなぎ払うと、少年の腕を掴んで吊り上げた。


「いてえ! 離せよ!」


 いつの間にか周囲に出来ていた人垣は、どちらの味方にも動こうとしない。

 子どもに対して大人げないとは思うものの、心情的には男の言い分にうなずく気持ちがあるからだ。

 だが、それを割って彼らに近づいた者達がいた。


「なんの騒ぎだ? 往来で騒ぐと騒乱罪が適用されるぞ。兵舎に連行されて説教好きなおっさんに延々一刻半、下手すっと二刻の間ずっと説教されるんだぜ? その過酷さたるややられたほとんどの奴がいっそ奉仕作業の方がマシって音を上げる程だ。どうだ? その覚悟はあるのか?」


 突然まくしたてられて、怒りに血が昇っていた男もさすがにぎょっとして、そのはずみに少年を掴んでいた手が緩む。

 その隙をついて、捕まっていた少年が男の手からすり抜けた。


「あっ! てめえ!」


 男の声が追いすがるのを振り返りもせずに囲みを抜けようとして、しかし、残念ながら即別の者に捕まった。


「あっ! くそっ! やろう、離せ!」


 少年はその両肩に軽く手を置かれているようにしか見えなかったが、その手は少年がジタバタと暴れてもこゆるぎもしない。


「はいはいお騒がせしました~、ほらほら、関係ない人は散った散った」


 彼等は、揃いの隊服も鮮やかな警備隊である。

 通常の巡回任務の途中にこの騒ぎの一報を受けて駆け付けたのだった。

 解散するように言われた人々は、三々五々、渋々そこから離れようとしていたのだが、その時、少年と同じように取り押さえられていた男が喚いた。


「ずるいだろ! 俺達は森に入れずに困窮してるってのに、こいつらだけがのうのうと森の恵みを得ているんだぞ!」


 男の言葉は燻っていた周囲の人々の不満を煽った。

 周囲を囲んでいた内の幾人かが、立ち止まって男の言葉に同調して不満を鳴らし始めたのだ。

 それは警備隊の人間の前であることから決して大きな声ではなかったが、複数の人間が囁き交わせばそれはざわめきとなって当人達の思うよりはっきりと他人の耳に入る。


「やつらは贔屓されているからな」


 ふと、そのざわめきからこぼれた声が、思いもかけずに大きく響いた。

 警備隊の二人は良くないものを感じて緊張する。

 彼らは彼らで、最近の街の重苦しい雰囲気を肌で感じていた。

 だからこそ、たとえ一時的に暴力を振るうこととなっても今ここでその不満を暴発させる訳にはいかないとの思いがある。

 彼らはぐっと周りの人々に睨みを利かせると、問題の品々に目を向けた。

 なるほど、それらは庭に植えてみた程度のこまごまとした野草ではない。

 しかも獲りたてと見られる山鳥がいたのが決定的だ。

 山鳥は警戒心が強く、なかなか人里には近寄らない鳥なのである。

 人の与えた餌もほとんど食べないので飼うことも難しく、実際この街で飼っているという話はどこからも聞こえて来ていなかった。


「ふむ、もし本当に布令を破ったのなら説教程度では済まないぞ?」


 警備隊の男が少年の顔を覗き込んで厳しく告げると、少年の肩がびくりと震えた。

 その時、


「お前馬鹿か? なんで中の森で獲ったって言わないんだ?」


 その緊張した場に、鋭く切り込むように割り込んだ者がいた。


「アニキ!」


 少年時代にはレンガ地区で子どもたちをまとめていた、今は既に青年と呼ぶにふさわしく成長したノウスンである。


「どういう事だ?」


 警備隊の男が、突然割り込んで来た相手に若干の警戒を見せながら話を促した。

 ノウスンは、現在数えで十七歳、既に一人前に畑仕事や狩り、ガレキ場の労働などを行なっている。

 一人前である以上、その言動には責任が伴うし、下手な庇い立ては彼自身の罪科となる。

 しかしノウスンは身構えるでもなく、あっさりと説明をした。


「そいつの獲物は中の森で得たものだってことだよ。外の森程じゃないが、あそこでだってそこそこの収穫はあるんだぜ」


 中の森というのは街壁の内側にある、やや小さい森のことだ。

 小さいと言っても城の外周と同じぐらいの大きさであり、入ってすぐの所には湧き水と小さな池がある。

 それなりに豊かな森だった。

 街の中での位置としては、レンガ地区の西側で、城の外壁と街壁の間にあり、自らの地区内に井戸を持たないレンガ地区の住人は、生活のための水をここで賄っていた。


「なるほど、あそこなら確かに有り得るか……」


 その森の周辺も巡回で見回っている警備隊の男は納得したように頷くと、少年を開放した。

 周囲の見物人も、小声でまだ文句を言う者はいるものの、その話自体には疑問を抱かなかったようである。

 だが、その代わりにとでも言うように、ぼそりとノウスンに毒づく者がいた。


「けっ、いい場所をお前たちだけで独占か? さぞかしいい気分だろうな?」


 ノウスンはニィと笑うと、その男に優しげな声で応える。


「おいおい、あの森は誰の物でもないぞ? 木の実でもベリーでも鳥でも魚でも、好きに採りに行けばいいじゃないか?」

「あそこに行くにはお前たちの地区を通らなけりゃならないじゃないか。誰がそんな危険を冒して森まで行くって言うんだ!」


 中央地区の住人らしき男は憎々しげにノウスンに向かって吐き捨てた。

 対するノウスンは、いっそ穏やかな程に落ち着いている。


「まさか、うちの周辺は安全そのものだぜ? 誰もが勤勉で親切だ。頼めば森の案内だってしてくれるさ」

「言ってろ、いつかきっと貴様らのような屑連中なんざこの街から追い出してくれるからな!」

「おいおい、不穏な言葉だな。そもそもこの場所に先に住んでたのは俺達なんだけど、あんたらはもう忘れちまったのか? いいよな、都合の悪いことは簡単に忘れてしまえる頭の持ち主は。他人を虐げ、苦しめた挙句、平然とそのままそこに住み続けられる。俺もそんな神経を持ってみたいぜ」

「き、きさま!」


 激昂し、いまにも掴みかからんばかりだった男を警備隊の男が止める。


「お前たち良い加減にしないか。ノウスン、貴様もだ。見た目だけ成長しても、そんな安い挑発をしているようじゃまだガキだな」

「へっ、今回は俺は何もしてねぇだろ、そいつが勝手につっかかって来ただけだ。まああんたらだって俺らは目の上のデキモノ扱いで、邪魔でしょうがねえんだろうけどさ」


 パッと飛び退いたノウスンは嘲るようにそう言うと、肩を竦めて背を向けた。


「そんな風にひねくれるもんじゃないぞ。そもそも俺達がお前を煙たがるのは今まで散々貴様がしでかして来たことが原因だろうが。いきなり大人ぶってもそうそう中身は変わらんからな」


 言われた言葉を聞いているのかどうか、ノウスンは背を向けたまま、無言でさっさとその場を後にした。

 残った警備隊の二人は、顔を見合わせると肩をすくめる。

 そうして、一人捕まることとなった男を慰めるように声を掛けながら、恐怖の説教部屋へと連行したのであった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「まったくお前は、こっちがどんだけひやりとしたか。そんなもん市場で売れば問題が起こるのは予想がついただろうがよ!」


 市場から離れ、レンガ地区の境界まで辿り着いたノウスンは、先程男に難癖付けられていた少年を叱りつける。

 商品を回収して両手に抱えた少年は、市場での勢いはどこへやら、しょんぼりと今にも泣きそうな顔をしていた。


「だって、冬用の新しい布が欲しかったんだ。うちにこないだ妹が生まれたの知ってるだろ?」

「ああ、うん」


 ちっ、と舌打ちしてノウスンはそれ以上の追求を止める。

 しかし、噛んで含めるように強い口調で言って聞かせた。


「いいか、俺達がこっそり外森に出てることが知れたら、そこから隠し畑もバレるんだぞ? お前一人の問題じゃないんだ」

「うん、ごめんなさい」

「わかりゃあいいんだよ。しかし、このまま今の状態が続けばマズイな。ケッ、普段えらそうなこと言ってるくせに、連中、化け物一匹始末出来ないんだからな。呆れるぜ」


 グスッと鳴き声が聞こえてきて、ノウスンはぼやくのをやめる。

 ふうとため息を吐くと、少年の背をバチンと叩いた。


「痛い!」

「男が泣くな! てめえ兄ちゃんになったんだろうが! 新品の布なんか買えなくったって沼地の穂草のワタをほぐして干したやつを古布を継いだやつの中に詰めれば暖かい赤ん坊の着物の一つぐらい作れるだろ。古布はみんなで稼いだ金から買えばいいさ。あれはそういう時のために貯めてるんだし」

「え? いいの?」

「他の連中に聞いて、いいって言ったらな」

「うん、あ、ありがとう! アニキ!」


 嬉しそうな少年の顔を見ながら、ノウスンは先程の騒ぎの中で見た人々の目付きと自分の年上の恋人のことを思い浮かべた。

 彼女の家は中央地区にほど近い市場の端にあり、今の状況では自分が彼女と付き合っていることで彼女に悪い影響があるかもしれないと思ったのだ。


「しばらくは顔も出せないか」


 しかし何も言わずにそうすれば頭ごなしに叱られること確実だった。

 求婚を受け入れてもらえたものの、ミリアムにとって、自分はどうも手のかかる弟のような存在なのではないか? と思えて、ノウスンには少しやるせない思いがある。


「しかたねえか」


 惚れた弱みというものがあるのだ。

 それはもはやどうにもならない。


「え?」

「なんでもねぇよ!」


 ノウスンが、自分を振り仰いだ少年の頭をぽかりと叩いたのは、もはや完全な八つ当たりであった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「かつてない危機が訪れたわ」


 その頃、ミリアムは家族とライカを前にして深刻な顔で告げていた。


「どうしたの?」


 ライカが心配そうに彼女を見つめる。

 両親もその言葉を聞きながら眉間にシワを寄せたり、我関せずと食器を準備したりしていた。


「食材がないの。市場に行っても食材がないのよ! つまりうちは売るものがないの!」

「ええっ!」


 ライカが驚く。


「だが、昨日までは少なくはなってたがそこまでは品薄になってなかったろう?」


 父親がやたら重厚な雰囲気を持つ低い地声でそう聞き返す。


「買い占めよ! 先行きに危機感を持った人達が今朝の市でいっきに食料を買い込んだのよ! 最近は市場に出てる食料は減ってはいたけど、父さんの言う通り、街の住人が普通に生活していけるぐらいの量はあったでしょう? それが何人かが買い占めを始めたらたちまち品薄になって、それを見た人が更に買い占めをし始めたのよ、おかげでうちで商品に出来る程の食料の確保が出来なかったわ!」

「ふむ」


 眉間のシワを深めるミリアムの父を見ながら、ライカは不思議そうに言った。


「こんな時に買い占めなんて、むしろ自分たちの首を絞めるようなものだよね。どうしてそんなことするんだろう?」

「問題は理由じゃないでしょう? 今日店を開けられないって話よ!」


 首をかしげるライカに、ミリアムはびしりと指を突きつける。


「は、はい。じゃあ今日はお休み?」


 ライカがそう言うと、ミリアムはむうっと唸った。

 それへ父が重々しく宣言する。


「いや、店は開けるぞ。品数をしぼらにゃならんが」

「えっ? でも」

「保存用の干し豆を挽いて、漬け込んでいた赤灌木の実を入れたスープを作る。今日はそれと茶で二銅貨カランだ」

「保存用の豆を出しちゃったら冬場の食料がなくなっちゃうわよ!」


 ミリアムが悲鳴のような声を上げた。

 父親は調理場に入りながら応える。


「俺達がなんでこの店を始めたか忘れたのか? こういう時にこそ店を開けなきゃ駄目だろうが」


 ミリアムは、その父の言葉に、はっとしたように目を見開いた。


「そっか、そうだよね。うん。私ったら慌てちゃって駄目だな」

「ミリアム?」


 心配そうなライカを振り返ったミリアムは、いつもの優しく明るい笑顔を見せる。


「さて、今日は忙しくなるわよ! 覚悟はいい? ライカ」

「あ、うん。俺は忙しいのは平気だよ。働くのって楽しいよね」

「そういうライカの天然な所はちょっと癒されるわよね」

「どういう意味さ」

「あはは。そうだ、最近付きまとっていた美少年くん、サックくんだっけ? 彼はどこへいったの? 今日はいないのね」

「ああ……」


 ライカはちょっと困ったように笑ってみせた。


「ええっと、捜し物をしてる」

「え? 何かなくしちゃったの?」

「ううん、そういう訳じゃないんだけど、なんかむかついてるから他人任せに出来ないんだって」

「ふ~ん? よくわからないけど、早く見つかるといいわね」

「うん、そうだね」


 この街のためにもそのほうがいいのだろうとライカは思う。

 領主は森に兵を出して魔女を狩り出すのは、むしろ逆に相手に餌を与えるだけという判断の元、兵糧攻めとばかりに森を閉鎖した。

 サッズにはそのやり方がまどろっこしかったらしい。

 確かにサッズなら、いかに妄念で塗り固められた魔女といえども害をなせるような存在ではないので、たとえ鉢合わせしても問題はないだろう。

 しかし、サッズは細かい気配をさぐるのは苦手であった。

 むしろ相手に避けられて終わりそうな予感もライカにはある。


(あ、お腹空かせて戻ってきたらどうしよう? 食料が売ってないならうちに食べる物があんまりないんだけど)


 化け物狩りの成否はともかくとして、そっちのほうが大事である。

 ライカは、サッズが森で狩りをしてから帰って来てくれることを切に願ったのであった。

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