第7話 遠い国のお話と雨の退屈
戦後五年、歳月は人の都合など知らぬ気に過ぎ行く。
五年という時間は長いようでいて、豊かさを求めるには短い時間だった。
この戦争で利益を得た国は少ない。
開戦から終決までが長すぎて、生産が衰退し、どの国も疲弊してしまったのだ。
領土を大きく広げた国はあったが、多くの死者を出したため、せっかくの土地を未だ活用出来得ていないのが現状だ。
全体の調整と、国民の慰撫、貴族達に不満を言わせないための報奨、国主は当然ながら精力的に采配を振るったが、この時期に最も活動的になったのは、実は領地を治める領主達であった。
領主は、元々一族を率いる族長であったり、地方を取りまとめていた豪族だった者が多い。
それゆえ、そういった領主と国との関係は相互契約であり、自領については国からの干渉を受けず統治し続けて来ていた。
彼らは、この戦争の混乱をチャンスと捉えた。
特に自らの保身に走り兵力を温存していた領主には戦いで領主を失った領地、或いは出征に疲弊した領地を我が物にしたり、行き場を無くした人々を農奴として確保して開墾を推し進めたりと、戦前よりも多くの実入りを求める者が多く、また悪辣であってもそれを恥じることなど無かった。
国主に比べれば、領主の持つ責任は小さく、彼らの守るべき矜持は更に小さい。
だが、ここに来て、その彼らを震撼させたのが新たに国家間で結ばれた「通商協定」である。
この協定には、街道上の国境における共通関税の取り決めがあり、交通の要所を領地に持つ領主にとって、最も大きい収入源が大幅に減収することとなった。
しかも、商人へ対する安全の保証があり、野盗や法外の不利益から彼らを庇護すべしと明言されていたのだ。
違反すれば商人の組織にそっぽを向かれ、国からの援助を失う。
領主達を身勝手と言えば確かにそれ以上は無い身勝手でありはしたが、彼らからすれば、それは元々持っている彼ら自身の権威に対する冒涜と映った。
「おのれ!ふざけおって!国王めが!勝手に戦争を始めたと思えば勝手に協定を結ぶ!我らの戦力、我が領地から産出される銅と銀が無ければ立ち行かぬくせに、なんという傲慢さよ!」
北部中央山地の一画に開けた平野部を領地に持つ領主は憤りに声を震わせた。
彼らの一族は、自国の王を財政面武力面で長く支えてきた自負があり、その自負に見合った発言権を持つ。
だがこのたび、彼らの拒否は国益の判断の下、却下されたのだ。
「どうか王をお責めになりますな。この取り決めは複数の国によって成されています。これから外れれば、我が国は孤立することとなるのは火を見るより明らか。国王に選択の余地などありませぬ」
荒れていた領主も、その使者のとりなしに、一旦蹴立てた椅子に座り直す。
当然ながら、倒れていた椅子は、従者によって素早く整えられ、彼の尻の下に既に用意されていたのだ。
「始めの提言はエルデからか」
「左様で」
領主は片手をぞんざいに振ると使者を追い払う。
「相分かった。王にもそのようにお伝え申し上げろ」
「はっ、聡明なご決断に心よりの感謝を」
「いらぬ!疾く去れ」
鞭打つような言葉に、使者はまろぶように謁見の間から退出した。
使者が去ると領主は部屋の一画で呟くように言葉を発した。
「地走り、おるか?」
「は」
壁の裏から返事が返る。
彼ら一族の諜報方、広域の出来事を収集する耳目となる配下である地走りという者達だ。
「此度の協定、仕掛けはどこからだ?商人達か?」
「いえ、どうやらエルデの英雄、月の座から巡った話とのこと」
ガシャリと、酒盃がテーブルから叩き落される。
「あやつか!下賎なる身で英雄と担ぎあげられた狡知に長けた蛇めが!」
大領主である男はしばしの時間熟考した。
「以前の報告に『死を纏う魔女』の話があったな」
「はっ、死を撒き散らし、自身が疫病のような魔物です」
「そやつを英雄なる者の下へ誘導しろ、犠牲はかまわん、必ずやつの下へと送り届けるのだ」
「はっ」
命を受けた配下は即座に動く。
彼らは疑問を感じたり手段を問うたりはしない。
命を遂行するために最適の働きをするだけである。
「魔物と戦ってその身を犠牲にする。実に英雄らしい最期ではないか。語り部達が嬉々として素晴らしき英雄譚を整えてくれるであろう。楽しみであるな」
ククッと笑うと、領主は協定の取りこぼしから自らの益を拾う為の行動を起こす。
取り決めの内容を学者共に解析をさせるべく命を下したのであった。
― ◇ ◇ ◇ ―
「雨続きだね」
雨季の雨水が地面を流れ、まるで流れの早い川のような音を立てる。
家の土台を乗り越えて侵入した水が家の中を濡らすので、上がりの炉の周りに濡れては困る物を上げていて、座る場所はやや狭い。
特に薪は濡らす訳にはいかないし、場所を取る。
「いっそ、雲の上までいかねぇ?」
サッズが退屈そうに呟いた。
ライカの祖父のロウスは大忙しで、隙間が広がった屋根の修繕の依頼が引きも切らないので中々帰ってこない。
ライカは温かい湯を沸かして、祖父の為にいつでも茶を入れられるようにしていたが、確かに退屈は退屈だった。
気温は高めなので、水に濡れたからといって却って気持ちが良いぐらいなのだが、それでも長時間雨に濡れているのは体に良くない。
なので体を拭く乾いた布の残りも数えて整理しておく。
その多くは古着を解いた物で、その内仕立て直しに耐えられないぐらい生地が傷んでいる物は、体を拭いたり掃除に使ったりしているのだ。
新しく織った布などはほとんど庶民の手には入らない。
機織りで生計を立てている者でも、それは全て売りさばいて食べ物などの生活必需品に変えるので、同じような物だった。
「雲の上は乾いていそうだね、いいな」
「じめじめしてるもんな、家の中」
「薪足りるかな?」
「今から森行っても乾いた焚き木は拾えないと思うぞ」
ライカの疑問にサッズがわかりきった返事をする。
「薪と炭を買いに市場に行く?」
「店を開けて無いんじゃね?」
「裏手に回って倉庫に積んであるのを売ってもらうんだよ」
「なるほど、持って帰るまでに濡れそうだけど」
「サッズが雨避けになってくれれば濡れないと思う」
ライカの脳裏に、羽根を広げて雨を避けながら街中を歩く竜体のサッズが浮かんだ。
「カッコイイな」
ライカはその想像上の光景に少し心惹かれる物を感じる。
「そうか?」
褒められたサッズもまんざらでもなく、ちょっとその気になりかけた時、この家の主であるロウスがびしょ濡れで帰って来た。
「ただいま帰ったぞ、まったく日頃から手を入れさせてくれればいいんじゃが、こうなってから思い出すんじゃからな、みんな」
「おかえりなさい!熱いお茶があるよ。乾いた布も」
「おかえり」
とりあえず仕事を終えたロウスをねぎらうためにライカとサッズは動き出す。
そうして、誰も知らない内に、巨大な竜が街中に出現するという異常な事態は回避されたのだった。
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