第6話 祈りと愛情
「そうそう、領主様から伺ったのですけど、あなた方は王都のさらに東のほうまでお行きになられたのですって?」
セッツアーナは店の主人の渾身の料理を堪能すると、少年達の旅へと話題を振った。
「あ、はい。どうせなら海が見たいと思って」
「え!東の海まで行ったの?」
ライカの言葉に驚いたのはミリアムだった。
彼女としては、王都から東の海岸部へはこの街から王都への道程の何倍もの距離があり、しかもその辺りは他国領と聞き及んでいたので驚くのは当然である。
無論、ミリアムもその両親も、海など見たこともないのだ。
この街へ辿り着いた難民達の辿ったルートは幾通りかあるが、殆ど全てが大陸西の山岳部を辿る道であり、戦の中心となっていた危険な中央部を横断した者などいない。
この街の住人にとって、海とは死者の国である喜びの園と同じで、空想の産物に近い扱いだった。
むしろ、地上の喜びの園と謳われる花園を、見あげれば直ぐに目に出来る場所に戴くこの街の住人からすれば海の方が遠い存在かもしれない。
「どんなふうだったの?」
ミリアムは普段のややお姉さん的な上品さを忘れたようにライカ達を問い詰めた。
「どうっていうか、波があって広かったよ。船がいっぱいあったな」
ライカの感想には感動が無い。
それというのもライカは幼い頃に多くの時間を海で過ごした時期があり、おまけに苦い初恋の舞台でもあった。
新鮮な気持ちで捉えるには、ライカにとって海はあまりにも身近過ぎたのである。
「ん、もう!何その投げやりな言い方。でも船か、船って荷車が水に浮いたみたいな感じなの?ちょっとサック、あなたはどう感じたのよ?」
ミリアムの熱に押されるようにサッズは身を引きながら返事をした。
「まあ、塩っ辛い水がいっぱいある所だな。船はデカイのが沖に、小さめなのが海岸に置いてあった。最悪に臭い海賊もいたな」
「海賊ですって?何があったの?って、あ、ああ、ごめんなさい!私ったら興奮しちゃって」
すっかりお客を置いてきぼりにして話をしていたことに気付いたミリアムは、真っ赤になってテーブルから身を離す。
興奮のあまりテーブルに身を乗り出すように話していたのだ。
セッツアーナは微笑むと、ミリアムの謝罪を快く受け入れ、改めてサッズに顔を向ける。
「海賊に出会われたのですか?」
「それが子供を攫っている連中だったんで、潜り込むためにわざと捕まったんだ」
「サック!」
ライカは慌てて制止したが、既に止めるには期を逸していた。
ミリアムの目がキラリと光ったように見える。
「貴方達!」
ライカはビクリと体を硬直させると、思わず背筋をぴんと伸ばした。
「危ないことをしたのね?ロウスさんがどれだけ心配していたと思っているの?もちろん、私だって!あの小さいお友達も凄く心配して、平安を司る星の精霊様にお祈りをしていたんだから」
怒りよりも、心配が蘇ったらしいミリアムは、その両目を潤ませて二人を見る。
ライカは密かにサッズを肘で突いたが、逆にサッズから突き返されてしまった。
二人はミリアムの慰め役を譲り合っていたのだ。
しかし、一向に決まらない中、助けはセッツアーナから出た。
「男の子なんてそんなものです。兵士の見習いなどは見張り台の上で逆立ちをしてみたり兜の上から棍棒で殴り合いっこをして我慢比べと言ってみたり、下手をすると死んでしまうような危ないことをやるのですよ。まるで危ないことをやれるのが偉いみたいに思ってしまう
「本当にそうですね。ノウスンなんて物心付いた頃から危なくないことをしたときの方が少ないぐらいだったもの」
ミリアムが憤懣やるかたないといった顔でセッツアーナに同調する。
ライカは一瞬、不満そうな顔になったものの、グッとこらえた。
ノウスンと比べられたことが我慢出来なかったのだが、ここで抗弁するともっと我慢ならないことを言われる予感がしたのである。
「でも、海賊とは驚きました。東の海岸部にはたちの悪い海賊がいて、海から集落や村を襲撃しては財産や人を奪っていると噂を聞いたことがあります。本当にミリアムさんのおっしゃるとおり、そのようなことはその地域を納める役人に任せるべき話で、蛮勇を振るう必要のあることでは決してありません。一度無法に落ちた人間は、他人を傷つける際にためらいません。人の痛みを普通に感じることの出来る人間が相手にするにはとても厳しい相手なのです」
「そうですね。本当にそう思いました。肝に銘じておきます」
ライカは重々しくそう返事して頭を下げて小さくなった。
よくよく考えればライカとサッズが好き勝手にうろついていた時間を、親しい人達は心配して過ごしていた訳で、ここに至ってようやくライカは自分を恥じたのである。
それと同時に、祖父やミリアムの気持ちを有難いと感じもした。
「ところで、小さいお友達って誰のこと?」
ライカは先程ミリアムが言っていた言葉が気になって尋ねる。
「セヌちゃんよ。貴方がいつまでも帰ってこないからって心配してここまで様子を見に来たの」
「そうだったのか」
ライカとサッズはとっくにセヌの家へと顔を出していたが、セヌはいつもの通りの憎まれ口で応じて、寂しかっただの心配しただのは一切言葉にもそぶりにも出さなかった。
あえて意識を読んだりはしないが、相手の精神状態に敏感なサッズにもそうと悟らせたりしなかったのだから、そうとうな意地っ張りである。
「セヌにもまた謝っておかないと」
「謝るんじゃなくてお礼を言いなさい。いいわね」
「はい、ミリアム姉様」
「もう!」
背筋を伸ばしたライカがわざとらしい堅い調子で返事をすると、ミリアムが目尻を吊り上げて睨んだ。
ふふっと、セッツアーナは笑顔を見せ、そういえばと言葉を継ぐ。
「でも二人共、早く戻ってよかったですよ。あなた方が戻った後辺りから中央付近には緊張が高まっているようなのです」
「そうなんですか?」
ミリアムが不安そうにセッツアーナに尋ねる。
ライカ達より後に王都へと赴いた彼女の情報はこの辺りでは最新のものだ。
ここの所外からはあまりよくない話が多く入ってきているので、誰もが詳しい情報に飢えている状態だった。
これには厨房にいた主人夫婦も顔を覗かせる。
「ええ、どうも中央平原、最も戦火の激しかった辺りから恐ろしい疫病が広がっているようで、今はどこもピリピリしています」
「疫病……ですか。本当に流行っていたのですね」
ライカの言葉に、セッツアーナはそちらをちらりと見ると、続けた。
「実の所、それに乗じて自領に隣接した集落などに野盗まがいの焼き討ちを行なっている領主もいるようで、余計に酷い事態になっているとのことです。それに、魔物と化した兵が集団で人々を襲っているだの、魂を狩る魔女が戦場に獲物がいなくなったので人の住む場所へと入り込んで来ただの、空を飛ぶ怪物が人を襲って食べるだの、色々な真偽のわからない噂話が野火の如くに広がって、収集の付かない状態になっているようなのです」
「恐ろしいことだ」
この店の主人であり、ミリアムの父でもあるボイズは、指を組み合わせて聖印を切ると、魔除けの言葉を呟く。
それを見たセッツアーナは安心させるように言葉を掛けた。
「主どの、この国は健康で豊かで、王も聡明であらせられますわ。いかな悪因も我が国に容易くは入り込めないでしょう」
「そうですな、それにこの街にはラケルド様がいらっしゃるし、あの方に睨まれれば魔物も避けて通るでしょうな」
「まさしくその通りですわ」
サッズは茶を啜りながら、彼らの語るラケルドを彼の知っている竜の半身の男に当て嵌めようとしてみた。
「おい、あいつらの喋ってるのは本当にあいつのことか?」
上手く同一化出来なかったので、サッズはライカに聞いてみる。
「領主様は強い方なのは確かだろ?サッズだってそれはわかってるんじゃないか?」
「だが、あいつなら、魔物が避けるままにしておくようなことはしないだろ?どうにかして害を成せないように自分から関わっていくんじゃないか?」
竜の感覚で考えれば、敵を睨むだけで戦わないというのは、自ら弱音を吐くような行為だ。
そういう弱音はラケルドらしくないとサッズは言いたいらしい。
「サッズって、結構領主様を認めているよね。言っておくけど人間は戦わないことを不名誉とは思わないから、今のは別に領主様が弱いという主旨の話じゃないからね。逆だから」
「そうなのか、難しいな」
「二人共、こそこそ内緒話しちゃって!いいこと、危ないことはもうやめて暫くは街から出ちゃ駄目だからね!」
ミリアムの言葉に、ライカはコクコクと頷いた。
『ということは、今のは俺達を馬鹿にした訳じゃないんだよな?』
『うん、ええっと、これはおそらく愛情かな?』
『なるほど』
納得したサッズは誰もが見惚れるような笑顔を浮かべると、ミリアムに向かって頷き、
「ありがとう、ミリアムは優しいな。好きな女の家を壊すような馬鹿な男は捨てて俺と付き合わないか?」
と、言い放ったのである。
ミリアムは真っ赤になり、「お茶を入れ直すわね!」とそそくさと厨房に逃げ込んだ。
ライカはものも言わずにサッズを殴り、セッツアーナがため息を吐きながら「女心を弄ぶと痛い目を見ますよ」と忠告する。
「なんでだ!」
サッズが人の心の機微をちゃんと理解出来るようになるにはもう少し時間が必要なようだった。
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