第8話 予兆

 街道整備の為に地面を削り、土を運び出す。

 半裸の男達は汗だくになって日に焼けた真っ黒な体で蠢いていた。

 その様子は、遠目にはまるで人外の種族のようにすら見えただろう。


 人足頭であるウリックは空洞木の水筒を喉を鳴らして煽り、残りを頭から掛けた。

 現場用の宿場には井戸が掘られ、その保水量が豊かなのは彼ら人足達にとって有難い事の一つだ。

 警備隊の人間も領主からの命で、制限を設けたりけちくさいことは言わずに好きなだけ使わせている。

 それに支給品の塩漬けの青小梅も疲れを癒す役に立つ。

 重労働だが、未だに死人が出ていないのは、この現場がよい稼ぎ場であることを示していた。


 普通この手の大規模な作業には上納の出来ない貧しい者を賦役の名目で充てて、使い潰すことが多い。

 なにしろ賃金を払う必要がないし、食料等もギリギリで済む。

 貧しい者はいくらでもいるから死んだら補充すればいい。

 そんな考え方をする領主はそれなりに多いのだ。

 だからこそ働いただけ順当に稼げる場所は貴重なのである。

 しかし、いい稼ぎ場と言っても、手を抜いて長い間賃金を稼ごうとすれば厳しい罰則があった。

 決して甘い訳ではない。


「おい、左手の削りが薄いんじゃねぇか?後で水測されるんだから、せめて目視でわかるような偏りは作るなよ」

「へい!」


 そんなやりとりを行っていた時、最先端で鍬入れを行なっていた男がぎょっとしたように道の先を透かし見て、慌てて声を上げる。


「お、おい!なんか来るぞ!おい!兵士さん!ちょっと!」


 その頃には、ウリックの耳にも遠い雷鳴のようなその響きが聞こえて来ていた。

 作業が止まったせいで、足元の大地にもほんの微かだが振動が伝わっているのがわかる。

 ドッドッガラガラというその独特な混ざり音に、彼は聞き覚えがあった。


「馬車だ!どうやら暴走しているぞ!お前ら道の両脇に退避しろ!早く!」


 警備隊の一人が大声で退避を呼びかける。

 暴れ馬ではなく暴走馬車。

 この辺境では馬車自体が珍しい存在だが、それが暴走しているとなるともはや未知の領域である。

 小さな小屋が暴れながら転がってくるようなものなのだ。


 男達は、まるで怪物が来襲してきたかのように慌てて道具を投げ出して逃げ出す。

 だが、当然の成り行きではあったが、彼らの中でも足かせをされていた罪人の奉仕労働者は逃げ遅れた。

 それは元人狩りの男だ。

 ここに働きに来ている者の中には、実は人狩りに捕まって無理やり使い捨ての兵士にされた兵奴出身の者も多く、その者たちからその罪人は嫌悪されていて、関わり合いになってそういう連中から共に嫌われるのも割に合わないと思う者たちからも距離を置かれていた。

 だから、こんな時に助けようとする者もいない。


 暴走馬車をなんとかして止めようと構えていた警備隊の兵士は、それを見て舌打ちすると、男を救出に向かった。

 だが、音は急速に大きくなり、今やそれは視認出来るようになっている。


「ほっとけ!」


 ウリックは叫んだ。

 他人の運命を弄んだ男が自身の運の無さで死亡する。

 それはウリックからしてみればとても公平であり、どこにも間違いの無いことのように思えた。

 むしろ酔狂で助け手を差し伸べてその死に巻き込まれるほうが悪である。

 だが、それでも兵士はその罪人を引きずって道を外れようとした。

 なにしろこの現場の監督が彼らの仕事なのだから、ある意味職務に忠実なだけなのかもしれないが、それは無謀に近い。


 詳細が見て取れるようになると、暴走馬車のその異様さがはっきりとして来た。

 二頭立ての体格の良い戦馬のような立派な馬が、口から泡を吹いて気が狂ったように走っている。

 まるで悪魔にでも追われているようだと、それを見た誰もが思った。

 御者台には誰もおらず、馬車は元は立派だったのだろうという痕跡はあるものの、真っ黒に炭化して枠だけの有様になっている。

 だが、不思議な事に、炭化しながらもその枠は完全に残っており、一箇所たりとも崩れ落ちてはいなかった。

 車輪は幅広の頑丈な物だ。

 はっきりとはわからないが、鉄の薄板を巻いた、戦場で使われるような仕立ての物のようにも見て取れる。

 そして、なにより、それは恐ろしい速度で近づいていた。


「うがあああああああ!」


 悲鳴が響き渡る。

 荒っぽい出来事に慣れっこになっているはずの男達であったが、それでも多くの者は思わず目を逸らした。

 馬車に跳ね飛ばされた罪人と兵士が地面に転がる。

 兵士は、それでもたいしたことはなかったようで、あちこちをさすりながらも、なんとか立ち上がった。

 しかし、罪人は馬車と接触したのだろう。

 その足と腕が大きく形を変えている。


「いかん!街に伝令を出して先生を呼んでくるんだ!急げ!それとあの馬車のことも急ぎ領主様にお知らせしろ!二名をここに残し、四名は俺と共にあの馬車を追うぞ!」

 

 騒ぎの只中で、ウリックは呆然と一人馬車を見送っていた。

 彼だけは最後まで冷静に馬車を観察していたのである。

 ウリックは、背後の大きく開いた馬車の昇降口から見えた積載物に自分の体中の毛が逆立つのを感じていた。

 暴走した馬車は、大量の死体を積んでいたのだ。

 零れ落ちるように昇降口から外に投げ出されていた白っぽい腕の映像が、その後しばらくウリックのまぶたの裏に残り続けることとなったのである。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「報告の馬車はどうやら断裂の谷に落ちたようです。確認を急がせていますが、何しろあの下へと降りる方法がありませんので、馬の足跡と馬車の轍の跡だけで判断するより無いでしょう」


 西の街ニデシス、その領主であるラケルドは、執務室で彼の補佐官であるハイライから報告を受けていた。


「骨を折ったという罪人の男は?」

「片足は切断、片手はなんとか繋いでみるとのことです」

「そうか、しばらく労役は無理だろうな。だが罪人を治療所に置く訳にもいかぬだろう。地下牢に置けば殺すようなものだろうし、警備隊の留置牢にて養生させるか」

「そのように」

「人足の証言によるとその暴走馬車の荷は死体であったということだが、どう考える?」

「順当に考えれば貴人の馬車が賊に襲われて馬が興奮して暴走ということでありましょうが」

「場所が不適当すぎるな、恐怖で暴走した馬は長くは持たない。どこから逃げてきたにしても死の大地を越えられるはずもない。死の大地に隠れ場所は無いからあそこで襲われることもあまり考えられない。そうなると死の大地のこちら側で襲われたという話になるが、調査に出した兵からはそんな痕跡を見つけたという報告もない。おかしな話だ」

「まさに。ここ最近広まっている奇怪な噂も気にかかります。人心を乱して何事かを企む者がいるのか、もしくは本当に異常事態が起きているのか」


 ハイライはその秀麗な顔をしかめて見せた。

 ラケルドはそんな補佐官に微笑んでみせる。

 この補佐官の青年はハイライの傭兵時代からの養い子だった。


 その昔、ラケルドが若い頃、夜毎に啜り泣きが聞こえると評判の山裾に調べに入ったことがあったのだが、そこには巧妙に隠された盗賊団のアジトがあった。

 噂になっていた啜り泣きは、攫われた人のものであったらしい。

 だが、ラケルドが到着する前に、なんらかの理由で仲間割れからの殺し合いが起きたらしく、辿り着いた時、そこは沢山の死体の転がる場所となっていた。

 その、死に満ちた場所に一人呆然と佇んでいた少年がハイライである。


 そうしてラケルドの養い子となったハイライは、その幼い頃の反動からか、非道な行いを激しく嫌悪する性質があった。

 もし何者かの企みであったとしたならば、その相手は死体を馬車に積み上げることに何の痛痒も感じない非道の者である可能性が高い。

 それを感じてそのことに心を騒がせているのだろう補佐官に、あまり考え込むなと伝えるように手を振って、ラケルドは目前の仕事に戻った。


「それでは、また進展があり次第報告させていただきます」


 ハイライも気を取り直すように頭を下げるとその場を退出したのだった。


― ◇ ◇ ◇ ―


 ぐったりと座り込んだ治療所の先生こと療法師のユーゼイックに、ライカは蜂蜜を多めに入れたハーブティを差し出した。


「ありがとう。ライカ君はほんとうによく気がつくね」

「お疲れ様でした」


 ライカの気遣いに微笑んでみせたユーゼイックはそのハーブティに口をつけ、ふうと息を吐く。


「でも、信じられませんよ!罪人なんかに先生が治療を施すなんて!人を売買していたひとでなしなんでしょう?そのまま死なせてあげたほうが誰のためにもよかったんじゃないですか?」


 治療所の助手の一人であるニクスが腹立たしげに吐き捨てた。

 彼の言うことも尤もな話で、本来療法師という者は、王侯貴族などにのみ治療を施すような貴重で報酬の高い存在なのだ。

 他所の地ではこの街のように気楽に治療をしてくれるような存在ではないのである。

 ましてや、世間からすればお荷物でしかない罪人に対してそこまで高度な治療を施すなど、聞いた者は誰もがやらせた者の頭がおかしいと思うだろう。


「領主様からしてみれば、罪人であろうと使役中は領主様の監督下にあるのですから、その庇護を受ける権利があるというお考えなのでしょう。私は治療相手の善悪や価値など考えたこともありませんからね。ただ、よい経験を積ませていただいているという感謝の思いはありますが」

「先生はお人好しが過ぎますよ」

「それは違いますよ。私は自分の欲求に正直なだけです。自分の成せ得ることで誰かの助けになるというのは大きな喜びを産みます。あなた方もそういった思いと無関係ではないでしょう?ニクス、貴方などはよくお年寄りのお話相手になっているというではないですか。他の若い子は、同じことを何度も聞かされると、いつも逃げ腰なのにね」

「そ、それは、長い年月を家族のために頑張った人達と他人を傷付け続けた罪人を一緒には出来ませんよ!」

「人の体の造りという物は大きく見れば誰も大して変わらないものです。私からしてみれば外側のくっついている部分はさして気になりません」


 そのくっついている部分というのが人格とか心のことだと助手達は理解している。


「ふう、もう。ライカくん、俺もお茶貰えるかな?蜂蜜はいらないから」

「あ、はい」


 ライカは助手達の杯を仕舞っている棚からニクスの物を取り出すと、ポットから茶を注いだ。


『なんだか嫌な気配がするぞ。ムズムズ虫に似ているな』


 どこかをフラフラしているはずのサッズからの心声こえに、ライカは思わず吹き出し掛け、うっかりお茶をこぼしそうになった。

 ムズムズ虫というのは竜族の鱗の間に棲みつく目のない蛇のような寄生虫のことだ。


「ん?ライカくん?」

「あ、いえ、ちょっと虫が鼻に飛び込んだみたいで」

「ああ、虫が多い季節だからね。血を吸う虫は障りを運ぶこともあるし、嫌な季節だよね」


『ムズムズ虫って、最近海に潜ったり砂を浴びたりしてないから本当にくっついたんじゃないか?』

『なんだと!いかにも無精で不潔な竜みたいに言うな!そんなんじゃなくて……ち、もういい!』


 どうやらふてくされてしまったらしい。

 そういえば、と、ライカは改めて思う。

 ユーゼイックが呼び出された事故のこともある。

 本当に何かよくないことが起こって、それをサッズが察知したのかもしれない。

 そうライカは気づいたのだ。


『ごめん、後で詳しく教えて』

『ばーか、後になったら忘れてるに決まってるだろ!』


 それは自慢することなのだろうか?とライカは思い、またこっそり笑ってしまう。


『じゃあ、今聞くよ?』

『聞きたいなら聞かせてやってもいい』

『聞きたいな、凄く聞きたい』

『よし、わかった。と言ってもモヤモヤしてる感じがするだけなんだけどな』

『ふ~ん、でもサッズの野生の勘は結構馬鹿に出来ないからな』

『野生の勘ってなんだ、俺は理性的な竜だぞ』

『あーうん。ところで晩御飯何にする?』

『あからさまな話題そらしをするな!』

『あはは』


 ライカはサッズの感じたモヤモヤについて考えてみるが、今ひとつよくわからなかった。


「まあいいか」


 小さく呟くと、ライカは本当に今晩の御飯のことを考え始めた。


 その視線の先で、疲れ果てたらしい療法師のユーゼイックは、彼には珍しくこっくりと頭を落として居眠りを始めていたのだった。

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